10年で成長の差が2倍に開く?「デザイン経営」実践のポイント
近年、デザインの力を使って企業のイノベーションを促す「デザイン経営」が注目されている。欧米の調査では、デザイン経営を重視する企業とそうでない企業で、10年間で2倍もの「成長の差」が出ることがわかっている。日本でも経済産業省・特許庁は、有識者からなる「産業競争力とデザインを考える研究会」を発足。2018年5月に報告書「『デザイン経営』宣言」を発表した。この報告書をとりまとめた委員の1人が、日本を代表するデザインファーム、Takramの田川 欣哉氏だ。今後、デザイン経営は、世界経済と日本企業にどのようなインパクトをもたらすだろうか。田川氏に話を聞いた。
「ユーザー体験」を無視して市場での成功はない
世界トップレベルの時価総額を誇る「GAFA(※)」。その圧倒的ともいえる競争力の源泉の1つとなっているのが「デザイン経営」だといわれる。デザイン経営とは、企業価値向上のための重要な経営資源として、デザインを活用する経営のこと。その効果としては、「ブランド力の向上」と「イノベーション力の向上」の2つを挙げることができる。
- ※ 世界の主要IT企業、Google・Amazon・Facebook・Appleを指す
「デザイン経営は、企業が強力なブランドを築き、イノベーションを起こす力を高めるために、デザインを活用する経営手法です」と、Takramの田川 欣哉氏は説明する。
Takramは、東京・ニューヨーク・ロンドンに拠点を置くデザイン・イノベーション・ファームだ。2006年に設立され、顧客にはトヨタ自動車やNTTドコモ、パナソニック、ソニー、リクルートなど、そうそうたる企業が名を連ねる。同社は主に新規事業や新製品・新サービスの領域で、デザインとエンジニアリングをハイブリッドに掛け合わせたプロジェクトを手掛けてきた。その共同設立者である田川氏は、デザイン・エンジニアとして企業のイノベーションに貢献する傍ら、英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの客員教授を経て、現在は名誉フェローとして、高度デザイン人材の育成にも当たっている。
グローバル企業をはじめ、なぜ世界中で多くの企業がデザイン経営に注目するのか。田川氏は次のように解説する。
「ビジネスにおいてデザインが重視されるようになったのは、デジタル・テクノロジーの台頭がきっかけです。デジタル化以前のプロダクトは、電源ボタンを押せば電源が入り、録音ボタンを押せば録音を始めるというように、操作がシンプルなのが特徴でした。このため、『どれだけ音質がクリアか』『どれぐらい長時間録音できるか』というスペックの高さこそが、その商品の魅力だったわけです。
ところがスマートフォンなどのデジタル機器では、録音アプリを立ち上げたり、音声ファイルにタイトルを付けたり、録音場所の地図データを付加したりと、録音1つするにも複数回の操作が発生します。このため、アプリの使い勝手が悪ければ、ユーザはもっと使い勝手のよいアプリに乗り換えてしまう。今や『人間がプロダクトに対して何を感じるか』『感じたことを他人にどう伝えるか』というヒューマン・ファクターを無視しては、市場での成功を勝ち取れない時代になりました」
消費者の購買行動は「恋愛型」から「結婚型」へとシフト
デジタル化の進展は、消費者の購買行動も大きく変えつつある。一瞬のときめきで商品・サービスを選ぶ「恋愛型」から、長く付き合える相手を選ぶ「結婚型」へと、消費者の購買行動は変わりつつある、と田川氏はいう。
「デジタル化以前は、マス広告で商品を認知し、量販店の店頭でスペックと価格を見比べながら、商品を選んで買うのが一般的でした。ところが、デジタル化とともに、NetflixやAmazonプライムのような、月契約によるサブスクリプション型のサービスが登場。コンテンツに魅力がなく、使い勝手もよくないとなれば、ほかのサービスに乗り換えることも珍しくなくなりました。つまり、購買前に気持ちを高めてもらうことが大事なビジネスが『恋愛型』だとするなら、ユーザに使い続けてもらうために、365日努力し続けないと収益が減ってしまうのが『結婚型』。デジタル化によって『結婚型』のビジネスが台頭し、本当に使いやすくて魅力的なものを提供し続けない限り、ビジネスそのものが成り立たなくなってしまったのです」
デザイン経営の投資対効果は、欧米で行われている各種の調査でも明らかになっている。米国S&Pダウ・ジョーンズ・インデックスの調査によれば、デザインを重視する企業の株価は、S&P 500全体と比較して「10年間で2.1倍」の成長を示している。
「もちろん2倍の成長力のすべてがデザイン経営を起因としたものではありません。ただし、時価総額経営を行っているデジタル系企業のほぼすべてが、デザイン経営を実践していることも事実です。インターネットビジネス自体がユーザに使い続けてもらわないと商売にならないからです」と田川氏。中でも、その水際立ったデザイン力を武器として、驚異的な成長を遂げたのがAppleだ。Appleでは、スティーブ・ジョブズの盟友ジョナサン・アイブが長きにわたってCDO(Chief Design Officer)を務め、Apple製品のプロダクトデザインを担当。その強力なリーダーシップのもとでデザインチームが躍動し、スタイリッシュなデザインとエンジニアリングが高度に融合した独自のものづくりを展開してきた。
Googleも、もともとソフトウェアのUI(ユーザインターフェース)/UX(ユーザエクスペリエンス)に関しては定評があったが、近年はGoogle HomeやGoogle Pixelのハードウェア開発にも注力。外部からディレクターを招聘し、社内に優秀なデザインチームを立ち上げ、ハード・ソフトの両面で戦えるだけの実力を磨きつつある。
一方、日系企業はどうか。過去に日本でデザイン経営に注力してきたのは、ユニクロ(ファーストリテイリング)や無印良品(良品計画)などのブランド企業が中心だった。だが、その後、ヤフーやメルカリ、ビズリーチなどのデジタル系企業が続々とデザイン経営を導入。「デジタル系の主力スタートアップ企業のほとんどが、CDOやCXO(Chief Experience Officer)のポストを設置し、経営レベルでデザインに取り組んでいます」と田川氏は指摘する。
一方、日本経済の本丸ともいえる製造業の世界でも、デザイン経営に本腰を入れる企業が登場している。中でも、ソニーは優秀なクリエイティブ・センターを持つことで知られ、そのデザイン性に優れたものづくりは、世界的にも高い名声を勝ち得てきた。
さらに、商品のブランド力が物を言う自動車業界でも、デザイン経営に注力する動きが目立つ。2000年代に経営危機に陥ったマツダは、起死回生の一策として、2010年に新世代技術「スカイアクティブ テクノロジー」を発表。合わせて、デザイン経営に大きく舵を切り、V字回復に導いたことは記憶に新しい。
スペック先行の製品は「まずい栄養食品」のようなもの
とはいうものの、産業界全体を見渡せば、旧来のスペック先行型のものづくりから脱却できていない日系企業は少なくないという。
「素材や部品など、もちろんスペック先行であるべき業界は多く存在します。ただし、人間が使うサービスやプロダクトを扱う場合には、BtoB・BtoCに限らず、使い心地がよくなければものは売れないですし、UXに優れたプロダクトがマーケットに出現すれば、たとえスペック面では既存商品に及ばなくても、一気に市場を席巻していく場合があります。もっとも、こんな話は、旧来型の経営者には信じられないかもしれません。『合理的に考えれば、どう考えても我が社の商品を買うはずだ』と、固く信じている経営者は少なくない。『目先の”使い勝手”に惑わされるなんて、消費者は間違っている』とさえ思っている経営者もいるかもしれません」
スペックとUI/UXの関係は、料理に例えるとわかりやすいと田川氏は言う。例えば、レストランのA店は、栄養価は高いが味は悪い料理を出し、内装も殺風景で接客もぶっきらぼう。一方、B店は、栄養価という点では少しA店に及ばないが、味は良く、店内の雰囲気も接客も心地よい。この場合、A店は「スペック先行型」、B店は「UX重視型」と言い換えることができる。
「あなたはA店とB店のどちらに入りますか、と聞かれたら、大抵の人はB店と答えるでしょう。ところが、こと工業製品やサービス設計の話となると、当然のように『人はAを選ぶはずだ』と信じている人が多い。スペック先行でプロダクトを選ぶのは、『まずくても栄養価の高い料理を選ぶ』のと同義であるにもかかわらず、です」
それでは、デザイン経営が特に求められるのは、どの分野の企業なのか。まず、ブランドの側面においては、「デザイン経営の緊急度・重要度が高いのは、エンドユーザーと接している企業です。一方、使い勝手のよさを追求するプロダクト・イノベーションの側面においては、業種・業態を問わず、ほとんどの企業にとってデザイン経営の重要性が増しています。今後、デジタルトランスフォーメーションの波が進めば、『ウチは関係ない』と思っていた領域でも、デザイン経営に秀でた新規参入企業が入ってくるや否や、あっという間に市場を席捲される可能性があります」と田川氏は警鐘を鳴らす。
「サイロ化された組織の打破」こそがデザイン経営成功のカギ
実際にデザイン経営を導入するに当たって、留意すべきポイントとは何か。「最大のポイントは、経営と現場の両面で取り組みを進めること」と田川氏は指摘する。
まず、経営レベルで求められるのは、CDOやCXOのポストを設置することだ。「大事なのは、経営会議でデザインの観点から発言できる責任者を置くことです。部長クラスの責任者では、経営会議での発言力が弱いので、デザイン経営を強力に推し進めることはできない。したがって、チーフクラスのキーマンを置くことが大変重要です」と田川氏は説く。
一方、現場レベルで求められるのは、ビジネスとテクノロジー、そしてデザインの視点を兼ね備えた人材・組織の創設である。「ヒューマン・ファクターの視点を採り込み、具体的な製品・サービスとして仕上げることのできるデザイン・プロフェッショナル集団を、事業創造のプロセスの中に組み入れる。社員が、お客様中心のものづくりに生き生きと取り組めるような状況を、人材・プロセスの両面で創り出していかなければなりません。そのためには、デザイン思考やアジャイル的な開発手法も必要になるケースも多いでしょう」と田川氏。いずれにせよ、デザイン経営を成功裏に導入するには、現場と経営とが一体となって取り組むことが大切なのである。
とはいえ、ポストや組織の整備は最初の一歩にすぎない。デザイン経営を目指す企業が増える中、この分野に精通した人材の争奪戦は激しさを増しており、高度デザイン人材を確保するのは容易ではない。
「デザイン人材を確保する最もやりやすい方法は、ビジネスやテクノロジーがわかる人に、研修を通じてデザインのエッセンスを体感してもらい、デザインプロセスを十分に活用できるエンジニアやビジネスパーソンに育成していくことです」
もちろん、社内に適任者がいなければ、海外から人材を獲得する方法もある。欧米にはデザイン経営が学べる教育機関も多い。海外からの人材採用でスピードアップを図ることも選択肢の1つだという。
「さらに組織論でいえば、デザイン経営にとって最大の障壁となる、サイロ化された分業意識を打破することです」。分業体制では、最良のUXを追求しようとしても、さまざまなステークホルダーからの意見調整が難しく、最適化が難しい。まさに言うは易く行うは難しだが、トップダウンでこれらの課題を解決すれば、デザイン経営との親和性は一気に高まる、と田川氏は語る。
「今後、スペック先行のビジネスが行き詰まり、臨界点を超えた瞬間、今までの商売は成り立たなくなる。デザインやUXを軽視したために、ビジネスを失注し、どうやっても競合に勝てなくなる日が来るでしょう。そうなっては、時すでに遅しです。それを防ぐためには、今のビジネスがまだ元気なうちに、準備を始めておく必要がある。将来に向けて経営をバトンタッチするためにも、5年10年という長期スパンで、腰を据えてデザイン経営に取り組んでいただきたいと思います」