次世代中国 一歩先の大市場を読む
本格化する「農地の市場化」~中国経済改革の第2ラウンドが始まった
農民が一夜にして資産家になる日
Text:田中 信彦
SUMMARY サマリー
農地の不法な簒奪が横行
前述のように、都市部では1990年代から2000年代にかけて、不動産(使用権)の私有が認められ、地価上昇で市民は途方もない利益を得た。しかし農村部はそのような恩恵に浴していない。これは全くもって不公平で、農民の間には大きな不満がある。特に昨今、インターネットやスマートフォン(以下スマホ)の普及で情報格差が小さくなり、高速道路や高速鉄道のネットワークが全国をほぼ網羅し、マイカーが普及して都市化が全国規模で進むようになると、農村部でも場所によっては土地が高い潜在的な価値を持つようになってきた。
しかしながら現行の枠組みでは、農民は価値の増加ぶんを享受する方法がない。一方で、2000年代に入ると、都市圏の拡大で住宅や産業用地が不足し、農民に土地に対する財産権がないのをよいことに、悪質な役人が農民から土地を簒奪する行為が横行した。地元の権力者とデベロッパー、農業集団の幹部などが結託し、適当な名目を立てては農民の土地を「合法的」かつ法外に安い価格で収用し、それを時価で転売して巨額のカネを得る行為が蔓延し、農村社会を根底から揺るがしかねない問題となった。こうした事態の発生を防止するのも今回の土地制度改革の狙いの一つである。
増える耕作放棄地
一方で農村自身にも大きな変化が起きた。土地の活用に厳しい制約がある状況下では、農民は農業以外に収入の道がなく、収益増加の見込みは薄い。そのため大量の農民が土地を離れ、都市部に職を求めた。その多くが事実上の「国内移民」として都市部に定住化した。農業に従事する人は急速に減り、かつ高齢化し、耕作放棄地や人が住まなくなった住宅が放置される現象も増えた。
王さんのような都市近郊の農民は、すでに生活基盤が都市化し、「農民」としての実態はほとんどないが、法的には農業集団の一員として括られ、自分の資産を自由に活用できない。その結果、農村の経済は低迷を脱せず、都市部との格差は大きく広がった。今後、中国でも本格化する高齢化社会に向けて、農村問題の解決は急を要するテーマとなっている。政府が最近、農村の土地改革に力を入れて取り組むようになった背景には、こうした状況がある。
農民は都市よりも農村を選ぶ時代に
逆の角度から言えば、数十年間、封印してきた農村部の土地の市場化を、条件付きとはいえ政府が認めたのは、一種の自信の表れともいえる。都市部への出稼ぎや近隣の工場勤務の増加などで現金収入が増え、農村部の所得水準は向上している。生活水準が高まり、高学歴化も進んで、土地制度をある程度、市場化しても大きな混乱は起きないとの読みがある。
一方、北京や上海などの大都市では経済成長に「天井感」が出ている。確かに大きな成長は遂げたが、地価の高騰や物価上昇、あまりに過激な競争、労働力不足、子女の教育費負担の増加など、ビジネスや生活面での圧力は非常に強い。地元出身者でもともと不動産を所有している場合などを除き、大都市で生き残るのは容易なことではなくなっている。
実際、2018年末の北京市の常住人口は2154万2000人で、対前年比16万5000人の減少。上海は同じく2415万2700人で同3万人の減少と、両大都市の常住人口は揃って減少を始めている。これから先も持続的に成長できるのか、疑問視する見方は強い。すでに成熟段階に入った大都市よりも、今回の土地改革で今後の経済成長に可能性が開けた農村部でチャンスを狙ったほうがよいと考える農村出身者は確実に増えている。
自信を持ち始めた農民
前述の王さんは、仮に自分の土地の財産権が正式に認められ、売却や貸借が可能になっても、しばらくは土地に手をつける気はないという。それは周辺の土地が今後さらに価値が上がると判断しているからだ。数年前、自宅から車で15分ほどのところに高速鉄道の駅ができた。その余波で市街地や住宅街が次第に拡大してきた。家からそう遠くない場所でも経済開発区やマンション区画の開発が始まっている。このままのペースで都市化が進めば、北京や上海のような大都市とは比較にならないものの、みずからの土地が一定の「資産」になる日が来る可能性がある。
王さんは言う。「都市部の人はどうか知らないが、農民は政府の政策に感謝している。中国で自分の土地を持っているのは農民だけだ。これから中国で土地はますます希少な資源になる」。
農民が「自立した個人」になる日
都市部から遠く離れた農村の土地が急速に値上がりし、多額の資産となる可能性は低いかもしれない。しかし都市周辺の農村では今回の土地改革によって大きな恩恵を受けるだろう。土地供給が活発になり、新たな住宅建設やサービス産業などさまざまな新しいビジネスが生まれてくる可能性がある。
それにも増して大きいのは、中国の6億人といわれる農民が、これまでのような「農業集団の一員」という立場から、自らの自立した財産を持ち、自分の責任でそれを活用し、損も得も自分の責任で生きていく「普通の個人」になることである。
過去に政府が低い価格で農民の土地を収用できたのも、土地とその使用権が「集団の所有物」だったからである。それが自分の財産となれば、奪おうとする者には命懸けの抵抗をするだろう。それが普通の個人の感覚である。個人の意識が強まれば、権力者もそう無茶なことはやりにくくなる。土地改革の主要な狙いは経済的な問題の解決にあるが、むしろ自らの資産と自立した意識を持つ個人が誕生する意義が大きいと私は思う。それは中国という国が安定した大国として成長していたくために大きなプラスになる。
1978年に始まった改革開放以来40年。都市部を舞台にした中国経済成長の第1ラウンドはほぼメドがついた感がある。これから農村部を舞台にした第2ラウンドが始まる。中国社会の根本的な改革という意味では、これからが本番かもしれない。より広大な農村部を誰が制するか、新たな「陣取り合戦」が始まろうとしている。
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