中央銀行デジタル通貨(CBDC)のメリット:利用者コストから見た決済手段の比較
EU、米国、英国など各国で「中央銀行デジタル通貨」(CBDC)の検討が進められており、日本でもCBDCのパイロット実験が行われている。また、国内ではクレジットカードや電子マネー、コード決済などのキャッシュレス決済手段が広がりを見せるとともに、2025年の大阪万博では顔認証決済の導入も予定されている。
本稿ではこれらの決済手段を「利用者コスト」の観点から比較し、将来的に日本でCBDC(デジタル円)が発行された場合、決済手段としてどのようなメリットを持ちうるのかを検討したい。
SUMMARY サマリー
小泉 雄介(こいずみ ゆうすけ)
国際社会経済研究所 調査研究部 主幹研究員
新しい技術の導入が人間社会にもたらす影響という観点から、プライバシー/個人情報保護、国民ID/マイナンバー制度、海外デジタル政策等についての調査研究に長年従事している。
(主な所属団体)
- 電子情報技術産業協会(JEITA)個人データ保護専門委員会 客員
- 日本セキュリティ・マネジメント学会 編集部会員
(主な著書・論文)
- ・ 『国民 ID 導入に向けた取り組み』(共著)
- ・ 『現代人のプライバシー』(共著)
- ・ 「中央銀行デジタル通貨における個人情報保護と日本での発行モデル」
- ・ 「『国民IDの原則』の素描:選択の自由を手放さないために」
1.様々なキャッシュレス決済手段とCBDC
日本はキャッシュレス後進国?:増加するキャッシュレス決済手段
日本は先進国の中でも現金決済の比率が高い国とされている1が、従来からの銀行口座間の送金(自動引落しや振込)やクレジットカード決済に加えて、近年では電子マネー、コード決済など支払決済手段が多様化し、現金以外のキャッシュレス決済の割合も増加してきている2。
クレジットカード決済は、かつては店舗レジにおいて接触型端末への差し込みや暗証番号の入力(チップカードでない場合はサイン)が求められたが、近年では1万円以下など一定額以下の決済において暗証番号不要3で非接触型のタッチ決済が一般的となっている。また、クレジットカードのタッチ決済を利用した鉄道やバスへの「タッチ決済乗車」が関西圏や首都圏の鉄道会社を中心に続々と導入され始めており4、インバウンド旅行者との相性の良さもあって、2025年には本格的な普及が予想される。
デビットカードはクレジットカードと類似しており、タッチ決済も可能であるが、クレジットカードが後払いなのに対し、デビットカードは銀行口座と連動しているため即時払いという違いがある。
電子マネーには大きくは、「ICカード型」と「モバイル型」がある。「ICカード型」はSuicaやPASMOといった交通系電子マネーや、nanaco、Waon、楽天edyといった流通系電子マネーが該当する。「モバイル型」はモバイルSuica、iD(NTTドコモ)等が該当する。いずれも店舗レジの端末にかざすことで決済が可能である。
コード決済(QRコード決済、バーコード決済)は広くは電子マネーの一種であるが、利用方法が異なるため本稿では区別した。コード決済はPayPay、楽天ペイ、d払いなどが該当する。コード読み取り方法は、利用者がスマホで店舗のコードを読み取るユーザースキャン方式と、店舗がレジ端末で利用者のスマホ上のコードを読み取るストアスキャン方式があるが、スーパーやコンビニでは(利用者に余計な手間をかけないように)後者のストアスキャン方式を取る場合が多い。
顔認証決済は、中国では2018年からアリペイやウィーチャットペイが普及に力を入れており、2020年時点で登録者が1億人を突破したとの記事もある。日本でも様々な店舗で実証実験が行われ、ヤマダPayでは実運用が開始されたり、Osaka Metro(大阪メトロ)では2024年度末からの顔認証改札機の利用開始が予定されているが、実運用の事例はまだ少ない。2025年の大阪万博では店舗で顔認証決済も使えることが予定されており、導入の起爆剤となることが期待される。
- 1 一般社団法人キャッシュレス推進協議会による「世界主要国におけるキャッシュレス決済比率(2022年)」では、韓国、オーストラリア、シンガポール、英国、カナダ、米国、フランス、スウェーデンにおけるキャッシュレス決済比率がそれぞれ99.0%、75.9%、65.6%、64.2%、61.9%、56.4%、51.2%、47.5%なのに対し、日本は36.0%となっている。
- 2 経済産業省の「我が国のキャッシュレス決済額及び比率の推移(2023年)」によると、2010年に13.2%であった日本のキャッシュレス決済比率は2023年に39.3%まで伸びてきている。
- 3 スーパーやコンビニなどカード会社が契約を結んだ店舗では一定額以下の決済は暗証番号の入力(またはサイン)が必要ない。カード会社や店舗によって、この暗証番号不要(サインレス)となる上限額は異なる。
- 4 出典:小谷真幸「クレカでタッチ乗車」『日経トレンディ2024年12月号』p.42。
各国で検討が進むCBDC:日本ではCBDCフォーラムを設置
CBDC(中央銀行デジタル通貨)についてはカンボジア、バハマ、ナイジェリアといった新興国では発行事例があるが、G7等の先進国で発行した国はまだない5。米国ではバイデン政権下で連邦準備制度理事会(FRB)がデジタルドルのメリット・デメリット等を検討してきたが、トランプ次期大統領はデジタルドルに反対の立場を示しており、先行きが不透明となっている。ただ、EUにおいては欧州中央銀行(ECB)がデジタルユーロの検討を進めており、2023年11月から2年間の準備フェーズに入るなど、2028年頃に発行の可能性がある6とも言われている。日本銀行も「現時点でCBDCを発行する計画はない」としつつも、「今後の様々な環境変化に的確に対応できるよう、しっかり準備しておく」ために、2021年4月にCBDCの概念実証を開始し、2023年4月からはパイロット実験を始めるとともに、民間企業が参加する「CBDCフォーラム」を設置して検討を進めている。
2.決済における利用者コスト
学説7によると、現金やキャッシュレス決済手段には様々な「利用者コスト」が存在し、取引金額に応じて決済手段ごとの利用者コストが変動するような場合、利用者はその取引金額の下で最も利用者コストが低い決済手段を選択するという。多くの利用者が、例えば小額取引であれば現金、高額取引はクレジットカード、中間の取引では電子マネーを選好するとすれば、そこには利用者コストの要因が寄与しているという訳である。
ここで、利用者コストには以下のものが含まれる8。
-
- 直接コスト:
- 決済手段の発行時の手数料や、決済時の手数料など。
-
- セキュリティコスト:
- 決済時の安全性を確保するために必要なコスト。現金は取引金額が高額になるほど盗難等に対する対策が必要となるためセキュリティコストが増加する。また、クレジットカードにおける暗証番号の入力11などもセキュリティコストと言える。
-
- ハンドリングコスト:
- 決済手段の移動や決済手続きにかかるコスト(手間)。現金は高額になるほど持ち運びが不便になるのでハンドリングコストが増大する。また現金での支払時には会計額に合わせて紙幣・硬貨を出したりお釣りを確認する手間がかかり、やはりハンドリングコストがかかると言える。
-
- アベイラビリティコスト:
- どれだけ多くの店舗で利用可能かといった決済手段の使用可能性に伴うコスト。現状、現金が最もアベイラビリティコストが低いと考えられる。
このような利用者コストに基づいて、現金や銀行口座間送金12、様々なキャッシュレス決済手段(クレジットカード、デビットカード、電子マネー、コード決済、顔認証決済)、およびCBDCについて、それぞれ適性のある利用場面について、すなわち決済手段全体における各手段の棲み分けの在り方について、次節で比較分析してみる。
- 7 伊藤隆敏・川本卓司・谷口文一「クレジットカードと電子マネー」(日本銀行金融研究所ディスカッション・ペーパー・シリーズ、1999年)、木村遥介「キャッシュレスの普及に関する考察」『キャッシュレス・イノベーション』(きんざい、2019年)。
- 8 同上をベースに筆者加筆修正。
- 9 現金は、預金を下ろす時点と商品購入時など支払の時点との間でタイムラグがあるため、その期間の金利収入の損失が発生する。
- 10 クレジットカードと紐づけされたポストペイ型の電子マネーもある。
- 11 前述のように、スーパーやコンビニ等では一定額以下の支払については暗証番号の入力が不要なタッチ決済が可能となっている。
- 12 キャッシュレス決済に銀行口座間送金(自動引落しや振込)を含める場合と含めない場合がある。前述の経済産業省「我が国のキャッシュレス決済額及び比率の推移(2023年)」では含めていないが、NIRA総合研究開発機構「キャッシュレス決済実態調査(2023年)」では銀行口座間送金を含めており、日本のキャッシュレス決済比率は70.6%となっている。
3.様々な決済手段におけるCBDCの位置づけ
縦軸に利用者コスト、横軸に様々な決済手段を並べ、各決済手段の利用者コストが高い場合を×、中間の場合を△、低い場合を〇として比較表を作成した。CBDCについては、現時点では国内でCBDC(デジタル円)は発行されていないので、日本銀行におけるパイロット実験で採用されているCBDC発行方式(間接発行型かつ口座型)が取られたと仮定して、比較分析を行った。また、CBDCの細かな制度設計上の基本条件は、EUのデジタルユーロ規則案を参考にした。
比較表:様々な決済手段(CBDCを含む)の利用者コストと適性のある利用場面
現金 | 銀行口座間送金(自動引落しや振込) | クレジットカード | デビットカード | 電子マネー(ICカード型、モバイル型) | コード決済 | 顔認証決済 | 中央銀行デジタル通貨(CBDC) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
直接コスト(手数料) | ○ | × | △ (発行手数料等がかかる場合がある) |
△ (発行手数料等がかかる場合がある) |
△ (発行手数料がかかる場合がある) |
○ | ○ | ○ |
フロートコスト | × | △ | ○ | △ | × | × | △ (電子マネー、クレジットカード等、紐づけられた決済手段に依存) |
△ |
セキュリティコスト | × | × (暗証番号入力やログイン認証が必要) |
△ (タッチ決済等は○、それ以外は暗証番号入力が必要なため×) |
△ (タッチ決済等は○、それ以外は暗証番号入力が必要なため×) |
○ | ○ | ○ (PINコード入力が必要な場合は△) |
△ (ログイン認証が不要なウォレットは○、必要なウォレットは×) |
ハンドリングコスト | × | △ (振込先や振込金額の指定が必要) |
○ | ○ | ○ | △ (アプリ立ち上げが必要) |
○ | ○ (アプリ立ち上げが不要なウォレットは○、必要なウォレットは△) |
アベイラビリティコスト | ○ | × | △ | △ | △ | △ | × | ○ (法定通貨のため、どこでも使えないといけない) |
プライバシーコスト(※1) | ○ | × | × | × | △ (記名式は×、無記名式は○) |
× | × | × (口座型では取引情報が仲介機関に把捉される) |
ポイント還元のメリット(※2) | × | × | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | × |
決済手段としての適性 | ・小中額決済(※3) ・不特定多数の店舗での決済 ・個人間決済 |
・中高額決済 ・定期的な決済 ・クレジットカード不可の場合(通信販売等) ・個人間決済 |
・中高額決済 ・定期的な決済 ・オンライン決済 |
・中高額決済 ・定期的な決済 ・オンライン決済 |
・小中額決済 ・特定店舗での決済 |
・小中額決済 ・特定店舗での決済 ・オンライン決済 ・個人間決済 |
・小中額決済 ・特定店舗での決済 |
・小中高額決済 ・クレジットカード不可の場合(店舗等) ・不特定多数の店舗での決済 ・オンライン決済 ・個人間決済 |
備考 | 直接コストとして、銀行口座からの引出し時にATM手数料がかかる場合もある。 | - | 上記のコスト以外に、入会審査が必要。 | クレジットカードと異なり、入会審査が必要ない。定期的な決済(自動引落し)が不可な場合もある。 | - | 個人間送金機能あり。 | 電子マネーやコード決済と同様な位置づけだが、コード決済よりも処理時間が短い。また電子マネーのように媒体を持ち歩く必要がない。 | 日銀パイロット実験で採用されている方式(間接発行型かつ口座型)を前提とした。またEUのデジタルユーロ規則案の諸規定を参考にした。 |
- ※1: クレジットカードや電子マネー(個人情報登録が必要な記名式のもの)等は、決済サービス事業者によって利用履歴が追跡される。本稿ではこのような利用者コストを「プライバシーコスト」として比較項目に追加した。
- ※2: クレジットカードや電子マネー等での支払には利用額等に応じたポイント還元があるのに対して、現金での支払には(ポイントカード提示を伴わない通常の場面では)ポイント還元がない。このような利用者メリットは利用者コストの中に反映されていないので、比較項目に追加した。
- ※3: 「少額決済」は目安として1,000円以下、「中額決済」は1,000円~10,000円以下、「高額決済」は10,001円以上 。
CBDCにおける各利用者コストの○△×については、以下のように評価を行った。
-
- 直接コスト:
- 発行手数料や利用手数料はかからないものとして「○」とした。(デジタルユーロ規則案には、決済サービスプロバイダーは自然人に手数料を課してはならないとの規定がある。)
-
- フロートコスト:
- 口座型のCBDCの場合、CBDCを用いた支払は即時にCBDC口座から引き落されるため(例えば利用者Aが小売店Bで商品購入時にCBDCで支払った場合、AとBのCBDC口座間で即時に送金がなされるため)、デビットカードと同じフロートコストとみなせるので「△」とした。(なお、デジタルユーロ規則案では利子は禁じられている。)
-
- セキュリティコスト:
- CBDCの利用者デバイスへの実装方法は、スマホアプリ(ウォレット)やICカードが想定されうる。仮にスマホアプリ(ウォレット)とした場合、既存のウォレットは利用時にログイン認証が必要な場合があるため「△」とした。
-
- ハンドリングコスト:
- 上記のようにCBDCをスマホアプリ(ウォレット)に実装するとした場合、利用時にアプリ立ち上げが不要なウォレットは「○」だが、必要なウォレットは「△」とした。
-
- アベイラビリティコスト:
- 一般的にCBDCは法定通貨であり強制通用力を持つため、どこでも使えないといけないとされるので「○」とした。(デジタルユーロ規則案でも法定通貨であるため受取人の受領義務が規定されている。)ただし災害時など通信状況が悪い環境でも使えるためには、オフライン決済機能の提供が課題となる。
-
- プライバシーコスト:
- 口座型のCBDCの場合、取引情報(いつ、誰から、誰に、いくらの金額が移動したか)が仲介機関に把捉される13ため、「×」とした。
-
- ポイント還元のメリット:
- 現金の利用時には(ポイントカードを提示しない限り)ポイントがつかないのと同様、CBDC利用時にも原則としてポイントはつかないものと想定できるため「×」とした。
このように利用者コストの観点から決済手段を比較すると、CBDCは現金やデビットカード、(モバイル型の)電子マネーの特徴を兼ね備えた決済手段であることが分かる。すなわち、「直接コスト」「アベイラビリティコスト」「ポイント還元メリット」の側面では現金に類似しており、「フロートコスト」「セキュリティコスト」「ハンドリングコスト」「プライバシーコスト」はデビットカードや(モバイル型)電子マネーに類似している。他方、CBDCはクレジットカードとは一部で類似点もあるが、「直接コスト」「フロートコスト」「アベイラビリティコスト」「ポイント還元メリット」において目立った違いがあり、クレジットカードと異なり入会審査が要らないというメリットがある。
CBDCに適した利用場面としては、現金やデビットカードの特徴を備えていることから小・中・高額決済のいずれにも適性があり、クレジットカード払いができない店舗でも(現金の代わりに)使うことが可能である。また、電子マネーやコード決済のように利用できる系列店・チェーン等の制約がなく、不特定多数の店舗で利用可能である。CBDCは個人間決済でも利用でき14、この点もメリットとなる。
一言でいえば、「すべての店舗で使えるデジタル通貨」ということがCBDC(デジタル円)の最大のメリットである。ただし、その実現に当たっては、小売店(希望する小売店のみならず全ての小売店)のシステム導入費用を誰が負担するのか(利用者に手数料を課すことはできない)15という大きな課題がある。このハードルを下げるために、導入を希望する一部の店舗でのみ使えるという制度設計にすると、他のキャッシュレス決済手段との「差異化」がなくなり、民間の決済手段に加えてCBDCを発行することの意義が薄れてしまう。CBDC実現に向けては、EUなど他国の動向も見ながら、慎重な制度設計が求められることとなろう。
- 13 他方、トークン型のCBDCではある程度、現金と同様な匿名性を持たせることが可能である。拙稿「中央銀行デジタル通貨における個人情報保護と日本での発行モデル」『日本セキュリティ・マネジメント学会誌Vol.35, No.2』(2021年11月)も参照のこと。
- 14 現金・銀行口座間送金・コード決済でも可能だが、クレジットカード・デビットカード・電子マネーでは不可である。
- 15 そして、そもそもCBDCの中央システムや仲介機関ネットワークの構築・運営費用を誰が負担するのか。