新型コロナウイルスが明らかにしたもの
~北米で議論が進む経済・テクノロジー格差とプライバシー~
Text:織田 浩一
今回は多少視点を変えて、コロナ禍が続くアメリカの経済格差やそれが生み出す様々なテクノロジー格差、そしてプライバシーとの関係について解説したい。
織田 浩一(おりた こういち)氏
米シアトルを拠点とし、日本の広告・メディア企業、商社、調査会社に向けて、欧米での新広告手法・メディア・小売・AIテクノロジー調査・企業提携コンサルティングサービスを提供。著書には「TVCM崩壊」「リッチコンテンツマーケティングの時代」「次世代広告テクノロジー」など。現在、日本の製造業向けEコマースプラットフォーム提供企業Aperzaの欧米市場・テクノロジー調査担当も務める。
コロナ禍が明らかにするアメリカの経済格差
コロナ禍は収入や学歴、居住地域による断層など、今まで見えてこなかった社会のさまざまな問題を世界中で明らかにしたのではないだろうか。新型コロナウイルス感染者が900万人、死者が23万人に達しようとしているアメリカでは特にその傾向が強く感じられる。
アメリカで1980年あたりから「持つ者」と「持たざる者」の差が大きくなっていることは、これまでも語られてきた。それを明確に示すのが下図である。1979年をベースに、収入が2018年までにどれだけ伸びているかを示したものだ。トップ0.1%の層では340%、トップ1%が157.8%と大きな伸びを示しているのに対して、下層90%では23.9%の伸びにとどまっている。
株価や不動産価格は上昇し、投資家の収益は向上しているが社員の給料は伸びていない。さらに高所得者やキャピタルゲインの税率は減少傾向にあるため、所得と富の格差が両方拡大しているのである。さらに人種による収入にも格差があり、2018年に白人世帯では年間平均所得が$70,642であるのに対して、ヒスパニック世帯では$51,450、黒人世帯では$41,692と大きな差が出ている(EPI調べ)。
そしてコロナ禍がこの状況に追い討ちをかけている。リモートワークが可能なオフィスワーカーは安全な自宅で仕事をして収入を得ているが、不可欠労働者と呼ばれるスーパーマーケットや小売・流通、食品・生活品工場、農作業に携わるワーカーは、自宅では業務ができない。感染の可能性がある職場に行くか、感染を避けるために仕事を失うかというジレンマに直面している。
もともと収入が低いうえに失業の危機に瀕しており、格差をさらに広げている。特にホテル、レストラン、小売といった新型コロナウイルスに大きな影響を受ける業界では黒人やヒスパニック、女性の労働者が多く、それにより人種間、性別間での失業率の格差も拡大している。
このような状況で、Black Lives Matter(BLM、警察による黒人への残虐行為に対する抗議運動)が全米、世界で盛り上がっている。60年代にも公民権運動があったが、今回の違いは人種を超えた多くの人々が抗議デモに参加していることである。長年にわたる組織的な人種差別や度重なる警察による暴力、経済格差、そして政府の新型コロナウイルス対策への不備など、デモへの参加者はさまざまな不満を抱えている。
テクノロジー格差がコロナ禍で広がる
収入の格差がもたらすテクノロジー格差は今までにもアメリカで大きな問題になっていた。下図は、米国勢調査局の調査によるもので2013-2017年のブロードバンドの普及率を、地域・収入で比較したものである。世帯収入中央値を5万ドル以上と5万ドル未満で、地域を都市部、かなりの地方、完全に地方で比較したものである。収入が高い方がブロードバンドを多く利用しており、各地域10%程度の普及率の違いがあることが見られると同時に、都市部はかなりの率で普及していることが分かる。
もう少し新しい2019年のPew Research Centerの調査から、他のテクノロジー利用状況を収入レベルで比較したものが下図である。スマートフォンは3万ドル未満の収入層でも比較的多く利用されているものの、デスクトップ・ラップトップやブロードバンド、タブレットの利用は、3万ドル以上の層に比べて非常に低いことが分かる。
そして、コロナ禍がテクノロジーの必要性をより高めている。同じくPew Research Centerが2020年4月に実施した調査では、53%のアメリカ人が「コロナ禍に入ってインターネットが必須のものになった」、37%が「必須ではないが重要なものになった」と答えている。前述の通り、収入が低い仕事に就いている層はよりテクノロジー格差を感じることが強くなっているのだ。
テクノロジー格差と教育格差
アメリカでは西海岸・東海岸の州や大都市が3月後半から徐々にロックダウン状態に入り、かなりの地域で混乱が起こったまま5・6月に2019-2020年の学年が終わった。Education Weekによると全米で5510万人の生徒が12万以上の公立・私立の学校閉鎖による影響を受けたという。
夏休みの後、8月から9月にかけて新年度が始まっているが、今もコロナ禍が続くアメリカでは9月頭の段階で全米の公立校に通う幼稚園から高校3年生までの生徒の約62%がバーチャルで授業を受けていると、米コミュニティイベントツール提供のBurbioが伝えている。これは8月頭の52%から上昇しており、もともと教室で行う予定だったクラスが、バーチャルに変わったことを示している。
つまり新年を始めるための最も重要な文具は、PCとバーチャルクラスに参加するのに十分なインターネット回線になったということだ。しかし、トランプ政権による中国のサプライヤーへの制裁などのために、8月の終わりに全米で500万台近くのPCが不足していたという。加えてインターネットアクセスを持たない生徒の家庭に携帯通信会社が提供するホットスポットも必要であったが、それを入手してもバーチャルクラスに入れない生徒が数多くいるのが現状である。
筆者が住むシアトルの学区でも、スマートフォンだけでクラスに参加している生徒もいる。また、特に小学校で1クラス数十人の生徒を一度に1人の先生が全員参加しているかを確認しながら教えるのは難しいため、アシスタントに依頼して対応が必要な生徒の親に連絡をとったり、学校にテクニカルサポートを行う人員を用意して、対応している。
Pew Research Centerによると、子どもをスマートフォンでクラスに参加させざるを得ず、公共Wifiを使う必要があり、かつPCがないために学業を修了できないのではないかという懸念を抱いている低収入の親は高い率にのぼっている。特にこれらの課題のうち少なくとも1つがあると回答した親は59%にのぼっている。
遠隔医療の普及と課題
アメリカではここ数十年にわたり地方で病院の閉鎖が相次いでおり、2005年から170の地方病院が閉鎖している。新型コロナウイルスの広がりでそれが加速しているようである。地方では人口密度が低く、それがさらに進んでいたり、老人が多く、また遠距離でも医療施設や診療の種類が充実する大型病院まで出向く傾向があったりすることが理由である。そして、新型コロナウイルスの影響で、収益源である外科手術など他の診療への対応が難しくなり、それが収益の悪化につながっているのだ。
生き残りには遠隔医療の導入が一つの方法であるが、もともと経営を続けるための手元資金が少なく、それがコロナ禍で悪化する傾向がある。また遠隔医療を利用してもらう患者側がテクノロジー利用レベルやブロードバンド、モバイルアクセスの手段を十分にもっていない場合があり、そこにも大きな壁がある。
アメリカ全体では遠隔医療の利用は非常に伸びている。下図はアメリカの遠隔医療の利用に関するデータである。5月までの半年で利用は8%から29%まで急上昇しており、「使うつもりがない・知らない」と回答した割合も大きく下がってきている。そして、都市部や地方の大型病院での遠隔医療の普及や、新型コロナウイルスへの対応の知識・経験が、地方病院での遠隔医療業務を奪ってしまうのではないかという懸念も出てきている。
地方病院でも成功を収め始めている病院もある。ウィスコンシン州の地方病院でコロナ対応のために20%の通院をビデオ検診に変更した。以前の1万5000回のビデオ検診を3ヶ月で2万回に増やして、リスクを抑えながら収益を増やしている例なども出てきている。
コロナ感染者トラッキングとプライバシー
4月にAppleとGoogleが協力して、iOSとアンドロイド向けにBluetoothを利用した新型コロナウイルス感染者トラッキングアプリ開発ツールを提供することが発表された。
それに対して多数の人権弁護士を有するACLU(全米自由人権協会)と科学者200人がプライバシー確保のための懸念点とガイドラインを発表した。世界的に独裁的な政権とテクノロジー企業が市民のトラッキングを行うことがコロナ禍でさらに広がっていることに対して、アメリカでそのバランスを取らせるための動きであるといえる。
最低限必要な要素として、「感染者が自発的にデータを共有すること」「職場・学校には共有しないこと」「必要最小限のデータ収集に限定すること」「公共医療での利用のみ、それもコロナ禍対策のみに限定すること」「ウイルス感染を引き起こすことや移民法違反など警察の取り締まりに利用されないようにすること」「データが不要になったら消去し、政府がデータを入手するのであれば、どのように使われるのか情報開示を行うこと」などが含まれている。
AppleとGoogleはすでに新型コロナウイルス感染が収まったらこのサービスを終了することや、感染者の情報は同意がある場合のみ公共保健機関に共有することを表明しているが、それでは十分と考えられず、5月に共和党、民主党がそれぞれ患者のプライバシーを守る法案を上院、下院議会でそれぞれ提出している。
コロナ感染者の情報収集を最低限に行うことなど共通点はあるものの、雇用主が社員の感染を知ることができるか、ソーシャルメディアなどからの情報を活用できるか、情報が差別に使われないように規制するなどの点で2つの法案には多くの差がある。
GoogleとAppleのツールで構築したアメリカで最初の新型コロナウイルス感染者トラッキングアプリはバージニア州のCOVIDWISEとして8月頭に公開されている。GPSなどのロケーショントラッキングは使われず、Bluetoothで感染者に過去14日間に接触したことを示すものとなっている。
ただし、アメリカ人は全般的にモバイル端末による新型コロナウイルス感染のトラッキングの効果に同意していないようだ。4月にPew Research Centerが行った調査では60%のアメリカ成人が「助けにならない」と答えている。
コロナ禍が明らかにし、加速させる経済格差とテクノロジー格差、教育や医療の課題、そしてプライバシーについての議論をまとめてみた。インターネットやテクノロジーにより、誰もがさまざまな情報にアクセスできるようになり、豊かになるという夢を業界は今まで謳ってきたが、結局、さまざまな面で今まであった格差を拡大しているように見受けられる。「経済弱者を救うために必要なテクノロジーとは何か」。コロナ禍はこの疑問を我々に突きつけている。
北米トレンド