米国テック企業「AI帝国」に欧州が打つ対抗策
~AI規制や製造業投資を強みに、議論沸騰のWorld Summit AI~
Text:織田浩一
2024年に続いて、今年もオランダ・アムステルダムで10月初旬に開かれたAI(人工知能)カンファレンス「World Summit AI」に参加した。昨年は、営利を優先する米国と社会性を重視する欧州とでAIへのアプローチが対照的であることを記事にまとめた。そして今年はその対比が一段と鮮明になった。米国の巨大プラットフォームにデータが集積し、大規模言語モデル(LLM)各社が学習を加速する一方、欧州は規制の“運用力”と製造業起点のAI投資で反撃の道筋を探っている。カンファレンスから見えた欧州のAI最新事情をお伝えしたい。
織田 浩一(おりた こういち)氏
米シアトルを拠点とし、日本の広告・メディア企業、商社、調査会社に向けて、欧米での新広告手法・メディア・小売・AIテクノロジー調査・企業提携コンサルティングサービスを提供。著書には「TVCM崩壊」「リッチコンテンツマーケティングの時代」「次世代広告テクノロジー」など。現在、日本の製造業向けEコマースプラットフォーム提供企業Aperzaの欧米市場・テクノロジー調査担当も務める。
米国プラットフォームに集まる欧州市民のデータ
今や、米国テック企業の製品やサービスが世界的に覇権を握っているのは周知の事実だろう。それらは企業活動や人と人とのつながりを深めるツール群に加え、そのデジタルサービスを下支えするクラウドプラットフォームにまで及び、ビジネスや生活の基盤として全世界に浸透している。
列挙すればMicrosoftのWindows/Office、Appleの Mac/ iPhone、そしてGoogleの検索やAndroid、Gmailに始まり、ECサイトはAmazon、SNSではFacebook、Twitter(現X)、Instagramと続く。ビデオ配信のYouTube、クリエイティブツールのAdobeもある。またCRM・マーケティングツールはSalesforce、クラウドプラットフォームではAmazonのAWS、Microsoft Azure、Google Cloud、さらにはTeslaの電気自動車も挙げてよいだろう。これらによる寡占あるいはそれに近い市場の状況は欧州も日本も同様である。
注目すべきは、これらのサービスがいずれもユーザー情報やオンライン上のデータを収集し、AI学習の面から米国テック各社の競争力向上に貢献していることだ。彼らは新たなAIサービスの展開において優位に立つことができる。世界中のデータを吸い上げて製品やサービスを向上させることで、AI分野でも米国テック企業が勝ち組となる条件が整いつつある。
加えて、ChatGPTのOpenAIやClaudeのAnthropicなど、米国発のLLMを開発するAI企業が次々とサービスを立ち上げ、世界で存在感を急速に拡大している。それに伴って学習データを増やし、バージョンを上げるたびに回答や課題解決の精度を上げている。
欧州は、彼らの域内のデータが米国企業のAIサービスの競争力向上に寄与する状況に危機感を募らせる。欧州市民のプライバシーはEUのプライバシー規制GDPRなどである程度守られていたり、欧州市民のデータを保存するサーバーは欧州内に置かれる必要があったりするものの、データが米国のプラットフォームに集められる構造に変わりはない。
こうした背景から、World Summit AIの数々のセッションで聞かれたのが「他国のプラットフォーム、特に米国のプラットフォームに頼らないAIアプローチはないか」という真剣な声だった。
シリコンバレーの植民地になる悪夢
「がんは治癒され、経済は毎年10%成長し、国家予算の赤字が解消――。そして、国民の20%が失業する」。AnthropicのCEO Dario Amodei氏はAI普及によって起こり得る未来をこう語る。AIの普及によって人類がたどり着く夢と悪夢が混在する世界は誰もが不安視する。その世界を端的に表現したものと言える。
ただし、World Summit AIのオープニングを飾ったキーノート講演は、AIを巡るこうした一般論ではない別の悪夢を反映したものだった。
初日のキーノート講演者としてステージに上がったのは、今年5月に出版された『AI帝国:Sam AltmanのOpenAIによる夢と悪夢(Empire of AI: Dreams and Nightmares in Sam Altman's OpenAI)』の著者、Karen Hao氏である。著書ではAnthropicと競合のOpenAIなどシリコンバレーのAI企業を名指しし、「AI帝国」として批判する。
Hao氏はMIT Technology Review誌のシニアAI編集者を務め、AI分野に特化したジャーナリストとしてTimes誌のAI分野に影響を与えるトップ100人に選ばれている。OpenAIについて最初に記事を書いたことでも知られる。その記事は批判的な内容だったため、その後OpenAIは彼女のインタビューを3年間断り続けている。この書籍に関するインタビューも同社CEOのSam Altman氏は拒否しているが、この書籍はすでにNYタイムズ紙のベストセラーリストにも選出されており、AI業界に対して大きな影響を及ぼしている。
Hao氏は15世紀から19世紀のイギリスやフランス、スペインなど植民地主義の帝国と、AI帝国と呼ぶシリコンバレーのAI企業を比較しながら話を進めた。下図の彼女の背景に映されたプレゼン画面ではその比較が示されている。
- 資源:どちらの帝国も土地、鉱物、アートなどの資源を搾取するが、AI帝国はそれに加えてユーザーやコンテンツのデータも搾取する。
- 搾取される労働者:植民地帝国では奴隷制度下で強制労働が行われていたが、AI帝国ではそうした労働は人目に触れない場所で、低報酬でアウトソーシングされている。それまで収入源となっていた既存の労働は自動化で置き換わりつつある。
- 知識生産の独占:植民地帝国では科学を支配し、情報の流れを管理した。AI帝国ではAIリサーチを独占し、不都合な真実の検閲が行われる。
- 倫理や存在理由の正当化:植民地帝国は自分たちが道徳的に優れており、植民地に進歩や神をもたらすと考えていた。AI帝国も自分たちが道徳的に優れており、AIによってユートピアをもたらし悪夢を阻止するミッションを持っていると考えている。
こうした比較をした上で、Hao氏は具体例を挙げた。チリのある地域では住民に十分な説明が無いまま、Googleがその地域の水資源を使い、電気代の高騰につながるデータセンターを構築する動きがあったこと。ケニアに住むOpenAIのコンテンツモデレーターが、暴力や虐待のコンテンツがChatGPTに入らないようにコンテンツレビューを低賃金で行い、精神的に病んでしまったこと。そしてアーティストや作家が、自分たちのコンテンツを搾取されているとOpenAIやAnthropicなどを訴えていることなどを示した。
初のAI規制、EUの今後の運用に世界が目を向ける
キーノート講演に続くパネルディスカッションでは、米国のAI企業が中国のAI企業に対抗するために次々と新しいLLMモデルを開発して公開する中、どのようにAIの社会への影響を安全なものにするかが議論の中心となった。
パネルには、PwCの「責任あるAI」担当リーダー、シンクタンクのシニアフェロー、エール大学バイオ倫理センターの担当者などが登壇した。AIは人類の価値を反映し、信頼を得られるものという認識が示されたが、まだ疑問の残る部分が多いという意見も挙がった。例えば、モデルなどAIのどの部分を政府が規制するのか、モデルの実際の適用方法などを製品安全規制のように規制すべきなのか、といった点である。
EUは、世界で初めてのAI規制である「EU AI法(Artificial Intelligence Act)」を制定した地域であり、それがEUの強みになるという意見も挙がった。規制がなく、安全性が担保されず、何かしらの被害を生み出しかねない状況では、企業側もAI投資を進められないという理由だ。AI法を最初に制定した地域として、規制の運用実績や課題に関する今後の動向が世界の国々から注目されるという意見に、パネリスト全員が賛成した。
製造業の強みを生かした投資、都市にAIの戦略的役割も
米国の大手テック企業やAI企業は、欧州を含めたグローバルでAI関連の人材や企業を積極的に自社に取り込んでいる。これまでも、MetaはOpenAIやAnthropic、Google、Appleなど他社のAI研究者を高額で引き抜こうとし、GoogleはイギリスのAI研究企業DeepMindを買収した。
フィンランドの首都ヘルシンキで2017年に設立された、AIモデル、ソリューション構築のスタートアップSilo AIは、2024年に米国のセミコンダクター企業AMDに買収された。以後、同社はAMD Silo AIとして、AMDのAI開発ソフトウェアプラットフォームの開発を推し進めている。Silo AIの創始者であり、現在もCEOであるPeter Sarlin氏が、欧州のAI起業家を代表してステージ上でインタビューを受けたので発言をいくつか紹介しよう。
「欧州のデジタルサービスの課題は、1つの市場と言いながら、実際には言語、文化、雇用などの法規制も違う27の市場があり、それぞれに対応しなければならない。一方で、投資はグローバルで行われており、なかでも米国は最も予算が潤沢である。欧州のAI起業家には、米国ベンチャーキャピタルから投資を受けてニューヨークに進出し、そこからカリフォルニア州などに市場を拡大するという動きも見られる」。
「欧州には再生可能エネルギーによる比較的安価な電力がある。現在、OpenAIのデータセンターの構築が提案されているが、再生可能エネルギーから生み出される価値を、他国のAIテクノロジーに提供するのは避けるべきだ」。
生成AIにおける今後の競争軸についても見解を述べた。「今まで米国、中国がLLM、基礎モデルなどで先行してきたが、今後はそれらを使ったアプリやソリューションにおいてスタートアップ企業やソリューション提供企業が生まれ、そこに新たな競争が生まれるだろう」。
欧州のドイツ、イタリア、フランス、ポーランドには自動車、航空・軍事、医薬、化学、食品・飲料、産業機械などの製造業企業があり、「それらの企業がどれだけAI投資をしていくかが鍵になる。特に、米国の一般企業がAI投資によって社内業務のオートメーションを積極的に進めるなか、欧州は製造業の強みをAI投資に生かす必要がある」。
さらに同氏は、欧州内の都市に戦略的な役割を設定し、集中的に人材、投資を集めることなどが有効だと語った。「現在、欧州のLLM提供企業の最大手であるMistral AIなどが誕生した仏パリを欧州のAI中心地にしたり、Silo AIが生まれたヘルシンキをクオンタムコンピューティングの中心地にしたりすることが考えられる」。
日本は類似点を持つ欧州をどう参考にするか
2025年10月下旬に、ソフトバンクがOpenAIに 225億ドルの追加投資を決めたというニュースが流れた。これまでOpenAIは、営利企業であるOpenAI Globalが非営利組織OpenAI, Inc.の傘下にあるという形態をとっていたが、OpenAI Globalを営利組織の一種であるベネフィットコーポレーション(Public Benefit Corporation:PBC)OpenAI Groupに変更し、名称を変えたNPO非営利組織OpenAI Foundationが一部所有するという形で再編した。
通信業界向けの生成AI基盤モデルであるLarge Telecom Modelを展開するソフトバンクは、すでに大型言語モデルでの競争を諦めて、OpenAIを基盤にしたアプリやソリューションレベルでの競争に軸足を動かしたのではないかと考えられる。
日本のAI業界は欧州のように27ヶ国の言語や文化、規制に対応する必要はない。だが、米国の大手テクノロジープラットフォームに頼らざるを得ず、事故が起こらないよう規制されたAIを求めている状況は欧州と変わりがない。欧州同様、日本も製造業や産業機械に強みを持つ。日本のAI業界におけるアプリ、ソリューション分野で競争のできる企業を生み出せるかについても、製造業の企業がどれだけAIに投資するかにかかっていると言えるのではないか。
欧州はAI法制定により企業への安全なAI導入を推し進めた。日本でもこのような法整備を求めるのか、それとも米国の政府や企業のように規制を後回しにしてAI投資を進めるのか。いずれにしても、米国とは違った道筋を示す欧州のアプローチは、参考になるはずである。
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