「ソブリンAI」で多極化進むAIインフラ
~地政学と政治思想がAIの未来を左右~
Text:織田浩一
生成AIやAI基盤モデルの開発競争に、各国の国家が主権を持つ「ソブリンAI」という新たなトレンドが生まれてきている。米国と中国が先行する純粋なテクノロジー競争とは一線を画し、他国との関係といった地政学および政治思想、そして自国の価値観を反映したAIインフラを開発しようという動きである。その背景には、米中関係の緊迫化や米国の大規模なAIインフラ構築に向けた中東の政府系ファンドからの投資受け入れなどの動きも見られる。今回は、各国で立ち上がりつつある新たなAI開発戦略の状況をまとめてみたい。
織田 浩一(おりた こういち)氏
米シアトルを拠点とし、日本の広告・メディア企業、商社、調査会社に向けて、欧米での新広告手法・メディア・小売・AIテクノロジー調査・企業提携コンサルティングサービスを提供。著書には「TVCM崩壊」「リッチコンテンツマーケティングの時代」「次世代広告テクノロジー」など。現在、日本の製造業向けEコマースプラットフォーム提供企業Aperzaの欧米市場・テクノロジー調査担当も務める。
「民主的AI」vs「独裁的AI」、AI開発は国レベルの競争に
AI開発を国家としての視点で考えるべきという指摘は以前からあった。筆者は2024年夏、シリコンバレーで開催されたAIカンファレンス「Momentum AI」に参加した。通信社のロイターが主催する大手企業のCIO/CTOら向けのカンファレンスで、北米の大手企業がAI導入に大きく舵を切っていること、業界による生成AIの導入浸透度の違い、実際の導入事例などが数多く紹介され、耳目を集めていた。その会場で、まったく毛色の違うセッションが1つだけあった。
「AI:アメリカの現代のムーンショット」と題したそのセッションでは、American Edge ProjectというNGO団体でCEOを務めるDoug Kelly氏が登壇。米国経済の繁栄と国家安全保障の強化のためにはイノベーションの推進が必要で、そのためにテクノロジー規制を減らすべきだと語った。特に重要視しているのは、米国製のAIが今後数十年にわたってグローバルな影響力を持ち続けられて、米国の政治的な価値観をその中に埋め込めることだと主張した。
セッションの中では、米国や西側のAIテクノロジーが民主主義を育成して市場成長、機会の創出、表現の自由を促進するという見解を示した。その一方で、中国のAIは独裁的なAIだと批判し、宗教的少数派や市民の抗議活動の監視や検閲・管理・抑圧・弾圧などに使われていると訴えていた。彼は、AI開発競争はかつてのソ連との宇宙開発競争で米国が掲げたムーンショット(Moon Shot)計画のようなもので、今やソ連よりも強力な中国と競争に勝つために壮大な計画が必要だと主張している。
講演では、AI競争で米国が勝つための戦略をいくつか示した。対外的なものとしては、サイバーセキュリティを高めて中国による西欧諸国のテクノロジー利用を阻止することや、米国デジタル市場をラテンアメリカ/アジア/アフリカなどで拡大するためのサポートなどである。米国内のイノベーション加速に向けては、AIチップ開発、AI、量子コンピューティングなどの戦略的な分野への投資に対し、税法上のインセンティブやインフラ投資、AIモデルの幅広い開発支援が必要だとする。加えて、米国市民や政治家が、AIへの恐怖感や不安感よりも、エキサイティングな未来に向けて前向きな態度を形成する必要があるという見方を示した。
「DeepSeekショック」で緊迫する米中のAI開発競争
この講演の半年後となる2025年1月には、実際に米国と中国の間におけるAI競争の緊迫感が一気に高まる出来事が起きた。中国のDeepSeek社が、OpenAIやAnthropicに比べて格段に安く同等の精度を持つとするオープンソースAIモデルを公開し、米国のAI業界に大きな衝撃を与えたのだ。トランプ政権の設立とほぼ同時期に起きた出来事は株価にも影響を与え、「DeepSeekショック」と呼ばれた。
中国の攻勢に対し、米国企業はAIデータセンター投資に力を入れて対抗する姿勢を見せた。OpenAIはまず、ソフトバンクやOracle、他の投資家を含め4年間で5000億ドル(約77兆円)を投資してAIデータセンターを建設する計画「スターゲート・プロジェクト(Stargate Project)」を発表する。
その後もOracleと3000億ドル、NVIDIAと1000億ドル、AMDと数百億ドル規模の契約を発表。これらの投資に基づき、OpenAIは今後5年の間、毎年数千億ドル規模のデータセンターを設立していくことになる。
OpenAIだけではなく、Google、Microsoft、Meta、Amazonの米国大手テック企業4社もAIデータセンター投資に力を入れる。CNBCの記事では、大手テック4社の投資合計額は、2023年から2024年までに59%、2024年から2025年にさらに40%増やして3150億ドル(約49兆円)にまで達しており、2026年にはさらに増えることが示されている。
出典:DCPulse:The Great AI Infrastructure Race: Why Hyperscaler CapEx Will Hit USD 315 Billion by 2025
米国政府も中国のAI開発をけん制している。前バイデン政権下ではAIチップの輸出を規制。さらにトランプ政権では、新たな規制として2025年4月に中国への輸出用に設計されたNVIDIAの上級AIチップ「H20」の輸出も禁止した(その後、米中の関税交渉の一部として輸出を許可している)。
一方、中国政府も中国内のテック企業に対し、国内で生産したHuaweiのAIチップの利用を奨励する。DeepSeekやMoonshot、Manus、ByteDance、Alibaba、Tencent、BaiduなどがHuaweiのAIチップを使い、Huaweiはさらに高度なAIチップを開発できるよう政府に支援を求めており、AIを巡る米中の対立は緊迫度を増している。
倫理的なジレンマを抱えつつもオイルマネーを活用する米テック大手
AIの覇権を狙う米国に対し、資金面で積極的に協力しているのが中東の政府系ファンドである。OpenAIやAnthropic、xAIといったAI基盤モデルを開発する米国企業の莫大なAIインフラ構築への投資は、従来のベンチャーキャピタルによる資金調達だけでは賄いきれない。そこで、米国の大手金融系ファンドと肩を並べて、中東の政府系ファンドが出資を進めているのである。
2025年5月にはトランプ大統領が、xAIのElon Musk(イーロン・マスク)氏やNVIDIA、OpenAI、AMDといった米国大手テック企業のトップとともにアラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビア、カタールを訪問し、様々な提携を発表した。既にUAEは政府系ファンドMGXからOpenAI、xAIなどに投資をし、サウジアラビアのPublic Investment Fundは米国のベンチャーキャピタルAndreessen HorowitzとAIファンド設立を進めている。
これらの中東各国は国王を中心とした王制による統治体制を採用している。そのため、AI技術が顔認証やデジタルIDシステムといった国民の監視システムに利用されて、人権侵害につながるリスクも懸念されている。過去には、活動家に対してスパイウェアの利用などをしてきた過去もある。
AnthropicのCEOであるDario Amodei氏は上記の中東訪問に参加しておらず、民主主義的な米国のAIの必要性を訴えてきた。だが、最先端のAIモデル構築に大規模な資金が必要であるとして、9月になってUAEのMGXからの投資を受け入れている。
こうした判断となったのは、米国のAIモデルが中東で広がらなければ中国のAI基盤モデルが浸透するという計算もあってのことと考えられる。これらの投資が、将来的に米国のAI基盤モデル開発企業の経営や方向性、利用基準のあり方に対してどのような影響があるのかは気になるところである。
2025年はソブリンAI元年か、米中2強体制から多極化へ
米中間でAIを巡る激しい戦いが繰り広げられている間に立ち上がってきた新たなトレンドが「ソブリンAI」である。国や政府が主権・独立性を持つことを意味する“ソブリン(Sovereign)”という言葉が示すように、ソブリンAIとは国家戦略の中核として自国のインフラやデータ、モデル、人材を利用して、独自のAIモデルや技術基盤を開発・運用する能力を持つことを意味する。
アムステルダムで2025年10月に開催されたWorld Summit AIを取り上げた以前の記事でも、米国のAIを含めた外国のクラウドサービスに頼っていることへ反発の声がヨーロッパであったことを紹介した。昨今、AIモデルは社会のインフラとなり、医療や金融、都市設計、軍隊活動などの自動化に活用されつつある。だが、米国や中国の規制に従ったプラットフォーム上で構築している基盤モデルでは、各国ごとに異なる微妙なニュアンスが反映されていないと考えられている。
こうした問題意識に基づき登場してきたのがソブリンAIである。目指しているのは、外国製のサービスや技術から離れ、AI学習に使う自国や市民のデータを自国内に保存することである。その上で、データのセキュリティやプライバシー、倫理などの側面から、自国の言語や考え方、価値観、文化に従って推論や優先付け、推奨、そして行動するAIを作ることを目的としている。
例えば、中東のサウジアラビアでは1000億ドル(約15兆円)を投資し「Project Transcendence」というローカルインフラを使ったアラビア語の国家AIモデル「AI-Mujadilah」の開発を進めている。インドでも多言語フレームワークを使ったBharatGPTの学習を進めるなど、各国でソブリンAIの開発が進みつつある。日本においても、経済産業省と民間が協力したGENIAC
と呼ぶプロジェクトで日本版のソブリンAI開発を進めている。
AI基盤モデルの開発競争は米国と中国の2国が主導し、現在もAIインフラやクラウドインフラとしてその優位性を保っている。しかしその一方で、それ以外の国々がソブリンAIの開発を志向することで、AI開発のレースに多極化の兆しが見え始めた。目下の課題はソブリンAI開発と関連し、AIインフラを改めて構築するためのエコシステムをどのように作っていくかである。新たな製品・サービス市場が広がる可能性のある機会を取り込めるのは、ベンチャーなどの起業家なのか大手企業なのか。これからの動向が注目される。
北米トレンド