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北米トレンド 織田 浩一 連載

AI導入を後押し、テック企業の「カスタマーゼロ」戦略とは
~自社で効果検証、顧客企業の信頼を勝ち取る~

 北米の大手企業によるAI(人工知能)活用の動きが一段と活発化している。2026年1月、ニューヨークで開かれた世界最大の小売業界カンファレンス「NRF 2026: Retail's Big Show」。大手小売企業や決済・ペイメント企業が、エージェンティックコマース(Agentic Commerce:AIエージェントによる自律的EC)施策を始めると発表した。これに併せ、彼らはGoogleやSnowflake、PayPalなどとの提携も表明した。企業が確信を持ってAIエージェントのような最先端の施策に邁進できる背景に何があるのか。それは支援するテクノロジー企業自身が、新技術をまず自社に導入して検証する「カスタマーゼロ」(「クライアントゼロ」とも呼ばれる)を実践しており、顧客の信頼を勝ち得ていることが挙げられる。今回はその具体的な取り組みについて解説したい。

織田 浩一(おりた こういち)氏

米シアトルを拠点とし、日本の広告・メディア企業、商社、調査会社に向けて、欧米での新広告手法・メディア・小売・AIテクノロジー調査・企業提携コンサルティングサービスを提供。著書には「TVCM崩壊」「リッチコンテンツマーケティングの時代」「次世代広告テクノロジー」など。現在、日本の製造業向けEコマースプラットフォーム提供企業Aperza別ウィンドウで開きますの欧米市場・テクノロジー調査担当も務める。

懸念の多いAIに心強いベストプラクティス

 多くの大手テクノロジー企業やITコンサルティング企業では、新技術を開発し顧客にソリューションとして提供するにあたって「カスタマーゼロ」という戦略的な施策を実践している。これは、顧客への機能・サービスの展開に先立ち、まず自社を顧客に見立てて試験導入するものだ。対応すべき課題や要素を洗い出し、導入の効果やメリットを検証し、ベストプラクティスの具体例を携えてベータ版として営業を始めるのである。

 とりわけ企業活動に多大な影響を伴うAIは、カスタマーゼロが効果的に働くテクノロジー分野と言える。顧客企業はAIの導入効果を期待する一方で、業務プロセスの大きな変革や、社員が使いきれるかといった懸念など不安材料も抱えがちである。しかし、提供側の事前検証で効果が証明され、導入・運用のベストプラクティスやノウハウを含めた充実したサポートが提供されることで、顧客企業は安心して社内への展開を進めることができる。

 テック企業においてカスタマーゼロは単なる事前テストではなく、真剣勝負そのものである。緻密な計画に基づいて課題を洗い出し、対応策を確立し、その上で成果を生む必要がある。SalesforceやAnthropicらが進めたAIエージェント自社導入の事例から、顧客企業にも参考になる具体的な取り組みを見ていこう。

ケース1:Salesforce――成果の最大化をねらい社内実装を優先順位付け

Salesforceが提供するAgentforceの概念図。プラットフォームであるData Cloud上にさまざまな業務別のアプリを搭載し、それを基盤に業務向けAIエージェントを構築する。
出典:Salesforce:Discover the Technology Platform Underpinning Agentforce別ウィンドウで開きます

 CRM(顧客情報管理)などのカスタマーサービス基盤を展開するSalesforceが、AIエージェント構築・運用プラットフォームAgentforceを発表したのは、2024年9月の同社の年次カンファレンスDreamforceでのことだった。2024年12月、次世代のAgentforce 2.0を発表し、その際に同社CEOマーク・ベニオフ氏は「我々はカスタマーゼロであるべきだ。自らが体現できなければ、何事も現実のものとはならない。」と発言して別ウィンドウで開きますいる。

 同社がAgentforceを社内展開したカスタマーゼロのプロセスを紹介しよう。まず初めに、コンサルティング企業Deloitte Digitalをパートナーとして招き入れ、導入効果を最大化するための分析と優先順位付けを行った。具体的にはSalesforceのビジネス内容やプロセス、システムを理解した上で、まずはカスタマーサービス向けアプリService Cloudの機能を評価した。そこから従業員が利用すべきAIエージェントの利用ケースを特定し、実装の優先順位を定めた。

 そして、AIによる事故や混乱を減らすため、AIのバイアス(偏見)やハルシネーション(幻覚)を最小化するための適切な指示やガードレールを構築した。同時にAIエージェントのセキュリティ/ガバナンス確保のため、Einstein Trust Layer(同社のAI製品Einsteinを冠したAI信頼基盤)というプラットフォームを開発した。これは顧客データを外部の大型言語モデル(LLM)サービスに保持しない仕組みや、個人情報をマスキングしたり不適切なコンテンツの検出・フィルタリングをしたりする機能などを含む。

 同社はこれらの基盤を整えた上で、社員向けのAIエージェントを複数立ち上げていった。具体的にはIT関連の問い合わせに対応するTechforce、福利厚生や経費関連の質問に対応するWellbeing Agent、キャリアを開発し異動機会を検索するCareer Agent、ミーティングのスケジュールを支援するMeeting Agent、部下の評価や意識調査を助けるManager Agentなど、多岐にわたる領域で施策が展開された。SalesforceのチャットプラットフォームSlackとの統合なども完了した。

 AIエージェントの導入効果は著しいものがあった。Wellbeing Agentは最初の7日で当初の目標を上回る1000件以上の利用を達成。Career Agentでは内部異動が30%以上増え、TechforceによってはITサポート全体のうち40%をAIエージェントが代替した。9500件以上のサポート案件が自律的に解決し、57,000ドルを節約するなどの成果を上げて別ウィンドウで開きますいる。

 一方で、多くのAIエージェントが乱立する形になったことで、社員間での体験の断絶も招いてしまった。そこでSalesforceは個々のAIエージェントをEmployee Agentという1つの窓口に統合・集約する対策を取った。

 こうしたカスタマーゼロの成果とベストプラクティスが、現在Agentforceのマーケティングや営業のために利用されている。Salesforceは、2025年末に向けて18,500社規模の企業が利用し、年間経常収益(ARR)は14億ドルに成長する別ウィンドウで開きます見通しを示している。

ケース2:Anthropic――AIエージェントをフル活用、圧倒的な生産性向上を示す

 Anthropicではどうだろうか。同社は、ChatGPT提供のOpenAIに次いで大きな規模のスタートアップであり、元OpenAIの幹部らによって設立された。提供する大規模言語モデルClaudeは、特にFortune 500などの大手企業に、安全で信頼できるAIとして採用されてきた。2025年5月にコード生成に特化したClaude Codeをローンチして以来、AI開発者の間で利用が急増している。年間経常収益(ARR)は2025年初期の10億ドルから、同年末には90億ドル規模に拡大した別ウィンドウで開きますとされる。

 Anthropicの社内開発者はClaudeの機能開発に自らのClaude Codeを用いている。こうした利用手法はこれまでもIT業界ではドッグフーディング(dogfooding)と呼ばれ、しばしば行われてきたものである。ドッグフーディングとは「自社のドッグフードを食べる」から来た言葉で、主に品質改善の一環として「自社製品をまず利用する」ことを意味する。同社はこれを単なる製品テストではなく、カスタマーゼロ施策として実施している。

 Claude Codeは30時間にわたる自律的な連続作業が可能であるとしており、同社の開発者はYouTubeのビデオ内でその利用方法を語っている。多くのAnthropicの開発者は、1つの機能を作るのにアプローチが複数ある場合、実際にプロトタイプをいくつも作って比較し、そのうち1つのアプローチを選ぶ。ユニークなのはその開発方法である。Claude Codeを複数のインスタンスで立ち上げ、「コードの生成」「コードの編集」「出来上がった機能のテストや検証作業」をそれぞれ別のAIエージェントに分担させ走らせる。同時並行的に作業させることで、これまでにない速度で開発が可能となる。

Anthropicはソフトウェア開発に複数のClaude Code AIエージェントを使い、大きな成果を上げた。その詳細を社内開発者が説明している。出典:YouTube:Anthropicチャンネル:Building and prototyping with Claude Code

 2026年1月半ばには、Macデスクトップアプリユーザー向けにClaude Coworkという機能を公開した。これは、ドキュメントやデータの入ったフォルダをClaudeデスクトップアプリ内で共有・分析したのち、指示に従ってExcelやPowerPointの形式でファイルを作成したり、データ分析や大量ファイルの整理などを行ったりと、コード生成以外の人の知的作業をAIエージェントが自律的に実行するものである。

 驚くべきは、このClaude Coworkのほとんど全てのコードをClaude Codeが生成し、わずか10日間で開発した別ウィンドウで開きますことである。Anthropicは新機能のローンチに際し、カスタマーゼロ戦略に取り組んだ成果として、AIエージェントの活用でどれだけ生産性が上げられるかの実例を顧客や社外開発者にまざまざと見せつけた。

AnthropicのClaude Cowork紹介ビデオ。出典:YouTube:Anthropicチャンネル:Introducing Cowork: Claude Code for the rest of your work

ケース3:Dell Technologies――AI人材教育プログラムにもカスタマーゼロ

 カスタマーゼロは、製品機能やサービスだけでなく人材教育の領域にまで広がりを見せる。ITコンサルティング企業Dell Technologiesの提供するDell AI Factory with NVIDIAの事例を紹介しよう。これは、AIエージェントを構築するためのハードウェア、ソフトウェア、AIモデルなどをまとめたサービスプラットフォームである。

Dell AI Factoryの概念図。データ基盤やGPUなどで構成する「AIインフラ」上に、様々なAIモデルを含めた「AIソフトウェア」を搭載。その上でAIエージェントなどの「サービス」を構築し、複数のユースケースに対応する。
出典:Dell Blog:Transform Innovation into Value: The Dell AI Factory with NVIDIA別ウィンドウで開きます

 Dell TechnologiesはAI Factoryのローンチを前にして、ガバナンス強化と社内人材向けリスキリングという2つの側面から自社内の環境整備に着手した。ガバナンス面では、リソースの集中と管理体制の確立を目指し、社内の各部署で独自に動いていた800もの生成AI案件を整理し、優先プロジェクトとして8つに絞った。

 リスキリング面では、社員のAI活用スキルや認識の底上げを進めた。トレーニング内容は階層別に設計されており、まず全社員向けに4つのモジュール(各15分)からなる基礎編を用意し、社内でAI用語の共通認識の形成を図った。その上で、コードやコンテンツの生成などを学べる職種別の専門AIスキルコースを提供し、生成プロセスの理解や実践的なツールの使い方を習得させた。

 加えて、AI Pods(AI道場)という実践の場を設けた。部署をまたいだ選抜チームで、実際にアプリやソフトウェア、AIモデルなどを構築しながら学びを深める仕組みである。ここで経験を積んだメンバーが各部署に戻り、同様の施策で周囲を教育することで、AIに対する組織全体の知識を高めていった。

 最終的に同社は、こうした社内実践のノウハウを形式化し、NVIDIAと共同で「データ・AIモデル構築の認証プログラム」にまとめ上げた。社外のテクノロジー、コンサルティング業界以外の企業に所属する開発担当者やデータサイエンティストらが、自分たちのAIスキルを客観的に証明できるものとして活用できる。

 Dell TechnologiesはAI Factory製品とともにこのプログラムを外販している。自動車、エネルギー、金融など幅広い業界の顧客企業が対象である。製品だけでなく育成カリキュラムや認証制度もセットで提供することにより、顧客企業のAIエージェント導入を後押ししようとしているのだ。

Dell TechnologiesのAIトレーニングプログラム。初級編、中級専門を経て、上級になるとDell、NVIDIAのAI関連の認証を獲得できる。出典:Dell Technologies:Dell Technologies Gen AI Model Augmentation and Data Engineering with NVIDIA別ウィンドウで開きます

 日本でも2026年、大手企業がAIエージェントの本格導入に動き出すと考えられる。北米では、これまで紹介したようなテクノロジー企業、コンサルティング企業のカスタマーゼロ施策の成功事例を見て、数多くの企業が導入へ向けて意思決定を行ってきた。

 どのような業界の企業であっても大きな変革にあたって重要になるのは、企業トップがリーダーシップを発揮して迅速に推し進められるかどうかである。1つのAIエージェントアプリをAIがわずか10日で構築するというスピード感を考えれば、後れを取ることがリスクとなりかねない時代と言えるだろう。企業が取り組みのスピードを上げながら着実にAI活用の成果を得る上で、カスタマーゼロ戦略を実践しているITのパートナーは心強い味方となるはずである。