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対談:ライゾマティクス 真鍋 大度氏×パノラマティクス 齋藤 精一氏
~コロナ禍で進んだリモート化・バーチャル化。その後に来るものとは~

 コロナ禍で多くのものが様変わりした。密を避け、非接触が求められる中、急速に進んだのがリモート化・バーチャル化だ。近い将来、ポストコロナへと移り変わって行った時、生活や働き方もコミュニケーションも、本当にすべてこのままで良いのだろうか――。そんな誰もが思う疑問や課題を見つけ、世の中に提示するのが、日本屈指のクリエイティブ集団、株式会社アブストラクトエンジン(株式会社ライゾマティクスから社名変更)だ。その中核を担う真鍋 大度氏と齋藤 精一氏にこれまでの軌跡を振り返りながら、「コロナの後に来る世界」について話を聞いた。

SPEAKER 話し手

齋藤 精一 氏

パノラマティクス(旧 ライゾマティクス・アーキテクチャー)主宰
1975年神奈川県生まれ。建築デザインをコロンビア大学建築学科(MSAAD)で学び、2000年からニューヨークで活動を開始。
03年の越後妻有アートトリエンナーレでアーティストに選出されたのを機に帰国。
フリーランスとして活動後、06年株式会社ライゾマティクスを設立。
16年から社内の3部門のひとつ「アーキテクチャー部門」を率い、2020年社内組織変更では「パノラマティクス」へと改める。
2018-2022年グッドデザイン賞審査委員副委員長。2020年ドバイ万博 日本館クリエイティブ・アドバイザー。2025年大阪・関西万博People’s Living Labクリエイター。

真鍋 大度 氏

ライゾマティクス 主宰

ナイキの広告とPerfumeのステージ演出のテクニカルサポートで一躍、時代の寵児に

 ――真鍋さんは、クリエイターになる前は、サラリーマンとして防災システムの開発などを担当されていたそうですね。そんな真鍋さんが、どのようなきっかけで、齋藤さんと一緒にライゾマティクスを立ち上げることになったのでしょうか。

齋藤氏:私が真鍋のことを知ったのは大学3年のこと。それをきっかけに付き合いが始まったのですが、会社を立ち上げようという話になったのは、大学卒業後のことでした。

 当時、僕はアメリカに留学して建築を学んでいたのですが、帰国して再会した時、真鍋がスーツ姿で現れたんです。それを見て、「会社勤めもいいけど、音楽やDJとしての才能を高く評価していたので、せっかくの才能を生かせる仕事をやったらいいんじゃないか」と言ったんですね。

 それが響いたかどうかはわかりませんが、その後、真鍋は会社を辞めて、IAMAS(国際情報科学芸術アカデミー)に進学しました。そこで、プログラミングやビジュアルアーツを学び始めたわけです。

東京理科大学の学生だったころの真鍋 大度氏と齋藤 精一氏

真鍋氏:IAMASの交換留学制度を利用して、ダートマス大学の大学院に行っていた時、ニューヨークに住んでいた齋藤のところに遊びに行ったりしていたんです。その時期に立ち上げたのが、ライゾマティクスでした。

 ――2003年にライゾマティクスをアーティスト・ユニットとして立ち上げ、2006年に株式会社ライゾマティクスを設立されたわけですね。

真鍋氏:立ち上げ当初は、シアターや美術館での作品制作などが中心でしたが、それだけでは研究開発資金が足りないので、企業のショールームのシステムを開発したりしていました。その後、エンターテイメント領域では2010年にPerfumeのドーム公演の演出のテクニカルサポートを成功させ、広告領域では2009年に齋藤がナイキの案件でヒット作を生み出した。それがきっかけで、最初の道を切り拓くことができたんです。

齋藤氏:広告案件として最初に注目を浴びたのは、ナイキのCMプロモーションで「Nike Music Shoe~靴を楽器にする」というアイデアを実現させたんです。

 当時は、アーティストが自分たちでビジネスをやるのは難しかった。だから、こうしたことを機に「アーティストであると同時にビジネスができる集団」になっていったことは、すごく大きかったですね。

真鍋氏:アートの世界は、実は排他的な面もあるので、アーティストが広告やエンタメをやったり、ビジネスをやったりするのって、なかなか受け入れられにくいんです。でも、いろいろな人とコラボした方が面白いし、僕らはもともと、つくったものを公開するオープンソース志向とDIY(Do It Yourself)精神が強かった。それがYouTubeの文化にうまくハマったという感じです。

YouTubeにアップロードした動画。音楽にあわせて顔の筋肉が動くというもの。斬新な発想が世界中に広がり、数千を超えるオファーが舞い込んだ

コロナ禍で、アート界でもテクノロジー活用が拡大

 ――株式会社アブストラクトエンジンでは、真鍋さんがライゾマティクス、齋藤さんがパノラマティクスの代表をされています。両チームの位置付けと、お二人の役割についてご説明いただけますか。

真鍋氏:R&Dや実験的なプロジェクト、新規の技術ネタの開発などは僕のチームで担当し、それを違う分野に持ち込んでスケールしていく仕事を、齋藤のチームが担当しています。僕らは、実証実験の延長として、アートの領域で作品を発表しています。それをエンタメの演出に使うこともありますが、エンタメ以外のフィールドに展開していくのは齋藤の仕事です。

齋藤氏:僕はもともと、広告案件や社会思想系のイベントなどを手掛けていて、ライゾマティクスでつくったものを二次的に翻訳し、クライアント向けに提供しています。真鍋のチームがR&Dでつくったものを、広告的に展開してスケールさせると同時に、僕らが手掛ける広告案件も、R&Dに回して新たにネタを仕込み、会社全体でエコシステムを回していく、というのが全体の流れです。

 最近は大阪・関西万博やまちづくりなど、行政系の仕事が増えています。今は、さまざまな分野が複雑に融合しつつあるので、新たな鉱脈を探りつつ、パノラマティクスとして社会実装していくのが僕の役割です。

 ――コロナ禍により、メディアアートやテクノロジーの役割はどのように変わったとお考えでしょうか。

真鍋氏:テクノロジーを使ったアートやメディアアートというのは、現代美術の世界では地位が低いんです。

 ところが、コロナ禍になって、現代美術の人たちも、「VRで作品を見せる」「リモートで作品を発表する」といったことを、当たり前にやらざるを得なくなった。例えば、著名なアーティストの作品をVRで鑑賞するバーチャル美術館もできるなど、それまでメディアアートの人たちが実証実験しながら培ってきたことを、誰もがやるようになったわけです。

 その結果、テクノロジーそのものをコンテンツにしていた人たちは、さらに先に進まないといけなくなった。

齋藤氏:去年ゲームの中で、美術館の収蔵品が観賞できるようになったという話がありましたよね。美術館やゲームの分野では、皆さんがメタバースなどを使い始め、仮想空間の活用が一気に進んだわけです。一方、ビジネスの世界でも、働き方改革といいつつテレワークはなかなか進んでいなかったのが、コロナ禍でよくも悪くもやらざるを得なくなった。

 とはいえ、産業界のスピードは圧倒的に遅いと感じています。昨年4月3日に緊急事態宣言が始まった2日後に、僕らはオンラインイベントの配信を始めました。有事の際、最初にシフトをする勇気があるのはアーティストなんですね。彼らが初動で一気に新しいものをつくったからこそ、見えてくるものがある。「これはオンラインよりもリアルの方がいいんじゃないか」「オンラインとオフラインで仕分けられるのでは」という気付きがあるわけです。その意味で、メディアアートというのは、ビジネスや社会インフラにも近い存在なんだな、と、あらためて思いました。

ブロックチェーンを活用したNFTアートの可能性

 ――設立15周年を迎える2021年、東京都現代美術館で大規模な個展「ライゾマティクス_マルティプレックス」が開催されました。今回の個展で大きなテーマとなったのは何でしょうか。

真鍋氏:今回のテーマは「コロナ禍で進んだリモート化、バーチャル化の後に何が来るのか」ということ。これは、展覧会のキュレーター(展覧会の企画・構成・運営などを行う責任者)から明確に言われていました。コロナ禍によってリモートやオンライン、バーチャルが当たり前になった後に、どんな世界がやって来るのか。それは、現代美術だけやっている人には見えてこない。コロナ禍以前からそういうことをやってきたライゾマティクスだからこそ、そういうビジョンを見せてほしい、というリクエストがあったのです。

 今回、新たに挑戦したのが、NFT(Non-Fungible Token、非代替性トークン。簡単に複製できるため、資産価値として認められにくかったデジタルアート作品の所有権を、ブロックチェーンを活用して保証する仕組み)アートです。

 NFTは、メディアアート界隈では去年の夏から流行しているのですが、そもそもがゴールドラッシュ状態で、アーティストは一部を除いて儲からないんですね。結局、一番儲かるのは取引所で、アーティストがネットで作品を公開するときに手数料を取ったり、売買代金の何割かを受け取ったりしながら、収益を上げていくわけです。その実態を調べてNFTのプラットフォームをつくり、データを解析して可視化しながら、「このNFTの仕組みは果たして正しいのか」を考えようと思いました。

 NFTについては賛否両論ありますし、今後どうなるかわからないところもあるんですが、可能性はすごく感じるし、そもそもメディアアートとは、事象をとらえて問題提起をすることも重要な役割。そこで、今回の個展では、NFTアート作品を1つつくりました。

作品タイトル「Gold Rush – Visualization + Sonification of Opensea activity (2021)」from《NTFs and CryptArt-Experiment》
「ライゾマティクス_マルティプレックス」展示風景(東京都現代美術館、2021年) photo by Muryo Homma(Rhizomatiks)

齋藤氏:そこを作品化するのが、ライゾマティクスだと思うんですよね。賛否両論ある中で、NFTアートとは一体どんなメリットをもたらすのか。それがわからないからこそ、見えないものをビジュアライズして問題提起すると、いろんなことがわかってくる。

 アーティストの活動って、プラットフォームが持つ仕組みやシステムに依存するんですよね。でも、ライゾマティクスはNFTのマーケット「NFT Experiment別ウィンドウで開きます」をつくったので、企画の内容に応じて販売方法を変えたり、マーケットをつくり直したりできる。それが、コンテンツ制作だけやっている場合との違いだと思います。

 ――バーチャルとリアルの融合による、さまざまなプロジェクトも手掛けていますね。

真鍋氏:今は美術館の収蔵作品をまるごと3Dスキャンするような、デジタルツイン的な試みが行われていますよね。そういう形で、バーチャルとリアルをバシッと切り分けるのではなく、リアルで残せるものは残していく。例えば、大きな展示空間はAR で観るけれども、展示の一部だけはリアルなものを動かしてみる。

 今、人の位置を高精度でトラッキング(動きを追跡し、分析する)するときは、人体にセンサーを装着してタグを付ける必要があるんです。でも、数年後には、センサーやタグをつけなくても、カメラだけで正確に三次元でトラッキングできるようになる。そうなると、今までつくっていた映像表現を、リアルな空間で簡単に再現できるようになるでしょう。そういう時代がもう少しで来ると予見しています。

齋藤氏:リアルの廉価版としてデジタルツインを考えるのではなく、人間の生活のさまざまなものをリアルにつくり直して、リアルとバーチャルをどう融合化させるかを考える。

 今回の展示で実際に器具や球が動いているのを見て、「あれは別に映像でよくない?」と言う人もいるかもしれないけれど、「やっぱりすごいな、リアルなものが動くって」と思う人もいるかもしれない。バーチャルな映像をどんなに高解像度でつくろうと、リアルなものが人間の五感に与える印象は全く別物だと思うんです。そこの部分をどう融合させるか、ということです。

 だから、真鍋たちがつくるものは、何か「気配」があるんですよ。人としてのぬくもりが感じられるというか、「全部3Dスキャンしてつくりました」という感じではないんです。例えば、ボールを転がしても、摩擦によってスピードが変わるというように、完全に制御できるものをつくるのではなく、あえて制御できない不確定要素を入れている。こうした独特の揺らぎや人としての感性を残すことは、ビジネスでも大事になってくるのではないかと思います。結局、ビジネスも人と人とのつながりやコミュニケーションから生まれていくわけですから。

《particles 2021》2021
会場:「ライゾマティクス_マルティプレックス」展示風景(東京都現代美術館、2021年) photo by Muryo Homma(Rhizomatiks)

一人ひとりの選択肢をリスペクトできる時代が来る

 ――コロナ禍で今までの常識が通用しなくなり、世界は新たな不確実性の時代へと移行しつつあります。来るべきNew Normal時代に向けて、どのような挑戦をしていくお考えでしょうか。

真鍋氏:リモートで打ち合わせできるようになって、すごく便利にはなりましたが、海外に行く機会も全然なくなってしまった。リアルの方が優れるケースも多いのに、全部リモートで済ませようというところがあって、果たしてこれでいいのかな、という気がしています。今の状態って、効率はすごくいいと思うんですが、QOL(Quality of Life)の観点からいうと、ずっとこのままの状態なのは違和感を感じます。リアルに戻せるところは戻していきたいなと思います。

 コロナ禍が終息に向かっても、今後しばらくは、リアルとバーチャルが半々に入り混じった時期が長く続くでしょう。例えば、ライブ会場に観客が戻っても、「声が出せない状態」はしばらく続くかもしれない。じゃあ、声を上げずに自分の気持ちを伝えるためには、どうすればいいのか。

 例えば、何かツールを使えば、マスクを着けたまま、囁き声で演者に思いを届けることもできるかもしれない。そういう課題を見つけて、何か提案していけたらと思います。

齋藤氏:コロナ禍で生まれたツールも、必要なら使われ続けるし、必要なければ淘汰されていく。よく「DXは人中心で」といいますが、コロナ禍で解像度が高くなった分、個々人の楽しみ方や働き方の選択肢が増えるのではないか。例えば、「ライブはやっぱりドームで観たい」という人もいれば、「ちょっと忙しいからオンラインでもいいや」という人もいる。そういう選択肢をリスペクトできる時代が来るのではないかという気がします。

 コロナ禍で一人ひとりが自分のあり方をきちんと考え、何がどのように使われるのかということを、ものをつくる人たちは先回りして考えないといけなくなった。パノラマティクス的な視点では、「本当にあるべきものが、あるべき姿で、どう実装されているか」を考え、後押ししていくのが僕らの務めでもある。それを発想し、いろいろなところで実験しながら、どんどん道具を増やしていきたいと思います。