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クリエイター 齋藤 精一 連載

コロナ禍で生まれた芸術祭「MIND TRAIL」に学ぶ観光復興と地域のデザイン

 奈良県の奥大和で、これまでの芸術祭のイメージを覆すイベントが開催された。その名も「MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館2022」(以下、MIND TRAIL)。奥大和の雄大な自然に身を委ね、最長5時間をかけてトレイルを歩きながら、「自然×アート」の世界を体感する芸術祭だ。コロナ禍の真っ只中で始まったこの芸術祭も今年で3回目を数える。今年は「Conversation(対話)」をテーマに掲げ、人々の間により多くの対話を促すための新しい試みが行われた。MIND TRAILは、アーティストや地域の人々、来場者にどのようなつながりを生み出し、芸術祭と地域のあり方をどう変えつつあるのか。本イベントをプロデュースしたパノラマティクスの齋藤 精一氏に話を聞いた。

齋藤 精一(さいとう せいいち)氏

パノラマティクス(旧 ライゾマティクス・アーキテクチャー)主宰
1975年神奈川県生まれ。建築デザインをコロンビア大学建築学科(MSAAD)で学び、2000年からニューヨークで活動を開始。
03年の越後妻有アートトリエンナーレでアーティストに選出されたのを機に帰国。
フリーランスとして活動後、06年株式会社ライゾマティクスを設立。
16年から社内の3部門のひとつ「アーキテクチャー部門」を率い、2020年社内組織変更では「パノラマティクス」へと改める。
2020年ドバイ万博 日本館クリエイティブ・アドバイザー。2025年大阪・関西万博 EXPO共創プログラムディレクター。2023年グッドデザイン賞審査委員長。

MIND TRAILをきっかけに、地域の中で対話が生まれた

 MIND TRAILは、奥大和(吉野・天川・曾爾)を舞台に、自然の中でアートを鑑賞・体験してもらう芸術祭。3回目となった今年のテーマは「Conversation(対話)」。その理由を、齋藤氏は次のように説明する。

 「大阪・関西万博関連で、人類学者のティム・インゴルドさんにインタビューする機会をいただいたのですが、『今の時代に、何が必要か』と聞いたら『Conversationだ』と答えたんです。それを聞いて『確かにそうだな』と、納得したんです。戦争にせよ隣人トラブルにせよ、対話さえあれば解決方法が見い出せるはずなのに、対話がないからそれができていない。MIND TRAILも、最初はコロナ禍での観光復興からスタートしたわけですが、役場や観光協会、旅館組合などさまざまな組織があり、互いに対話をする機会が持てずにいた。それが、MIND TRAILをきっかけに Conversationが生まれ、滞っていたものがどんどん解けて動き出した。その部分を、今年はできるだけ濃厚にしていこうと考えたのです」

パノラマティクス主宰
齋藤 精一氏

 MIND TRAILにおけるConversationは、人との対話だけではない。それは自分との対話であり、自然との対話でもあるのだという。齋藤氏は参加したアーティストが対話を深められる場所を探すため、一緒に野山に分け入り、フィールドワークを行った。エリア内には国立公園や国定公園に指定されている場所も多く、作品の展示にあたっては制約も多い。齋藤氏は、アーティストが希望する場所に作品を展示できるよう、官公庁や地主との交渉を重ねた。

 さらに、人との対話を増やすための仕掛けとして、今年はさまざまなイベントを企画。齋藤氏自身が案内するツアーをはじめ、音楽イベントやマルシェ(市場)など、週末ごとにさまざまな催しを行った。

 「近年、インクルーシブ(包括、包摂)という言葉が注目されていますが、これは最初から全員に門戸を開くというだけでなく、さまざまなコミュニティをつなぐことに意義があるのではないでしょうか。だからこそ、MIND TRAILでは一気に全員を集めるのではなく、三者三様のイベントをつくっているわけです。毎週違うエリアで属性の異なるイベントを行い、その集大成として、最後に全員が揃って地域のことを語り合う『1000人会議』を開く。そんなストーリーを描きました」(齋藤氏)

「共創委員会」を設立し、地域が連携してサポート

 Conversationが求められるのは、作品の制作・展示やイベントといった表の仕事だけではない。芸術祭を支える地域の人々の対話をいかに促すか、という点も大きな課題だった。

 「何か問題が起こったときに対応するためには、地域の人たちの連携が欠かせない。例えば、台風が接近してきたときには、役場や地主さんも含め、さまざまな立場の人たちが対話しないと対策が取れないわけです」

 そこで、今年は、地元住民と共につくる芸術祭を目指して、各エリアで「共創委員会」を設立。地域が連携しながら、アーティストや来場者をサポートする体制を整えた。また、これまで行き来が少なかった吉野・天川・曾爾の各エリア間でも対話を促すべく、齋藤氏が音頭をとって互いのノウハウを共有。芸術祭のオープニングでは、3エリアが揃って金峯山寺の護摩焚きに参加するなど、事あるごとに対話を促すための仕掛けづくりを行った。

 こうした努力の甲斐あって、今回のMIND TRAILでは、さまざまな対話が生まれつつあるという。

 「MIND TRAILに参加するアーティストは作品制作を現地で地元の人と一緒につくろうとする方が多いです。地元の方に作品の素材を提供してもらったり、作品の運搬や作業を手伝ってもらったりしながら、作品を制作していくわけです。現地で作品をつくっていると、地元の人と立ち話をしたり、食事を共にしたり、お呼ばれしたりする機会も多い。その一つひとつが、アーティストにとっては何にも代えがたい体験。それが次の作品に少なからず影響を与えていくはずです」

幸福度や満足度も可視化しないと実態はつかめない

 さまざまな連携や対話が生まれる一方で、この芸術祭の目的の1つであった観光振興についても、目に見える成果が表れつつあるという。

 「今回感じたのは、来場者に占めるリピーターの割合が多いこと。またSNSなどのプロモーションでリーチできる範囲が広がってきたことです」(齋藤氏)

 現在、MIND TRAILではKPIを設定せず、来場者の人数はカウントしていない。だが、実際には多くの人が行き交い、旅館やレンタカーも予約で一杯の状況が続いているという。とはいえ「今後に向けてはリアルな実態を表す数値も必要」と齋藤氏は言う。かつてオーバーツーリズムにあえいでいた京都では、コロナ禍とともにインバウンド需要が蒸発し、観光産業自体が成り立たなくなる事態に直面した。また、奈良の吉野では、例年、年間観光収入の6、7割が桜の季節に収集しており、その歪な構造を懸念する声も多かった。

 「年間を通じてどのぐらい観光客に来てもらえば、観光産業として成り立つのか。それを知るためにはリアルなデータが必要ですが、来場者の人数だけ見ると、どうしても投資効果の話になりがちです。例えばパーソナルアンケートにしても、来場者の熱量や満足度も含めて可視化しないと、実態はつかめない。人数だけでなく、エモーションの部分も一緒に数値化することが肝要なのです」

 そのためにも、今後はさまざまな場で実験を重ね、イベントの体験価値を可視化していきたいと齋藤氏は語る。

新しい芸術祭がシビックプライドの醸成や地域のデザインにつながっていく

  3年目を迎えた今、MIND TRAILは「観光資源の再発見」という当初の目的にとどまらず、奥大和という地域をデザインする1つのきっかけになりつつある、と齋藤氏は言う。

 「コロナ禍で生まれたからこそ、MIND TRAILはこれまでの芸術祭とは異なる点がある。それは、『地域をつなぐために、創作やデザインをどう使えるか』という実験でもあります。あるアーティストが言っていたのですが、『MIND TRAILでは、最後は“存在”がなくなる』というのです。トレイルを巡っていくと、最後は個々の作品が、自然や知恵、地元の文化に溶け込んでいく。僕はこの芸術祭が、永続的に続くものだとは思っていません。地元の方々が、ここで経験したことをベースに、自ら旅館のサービスを変えよう、もしくは森の中を歩くワークショップをやろうと動き出す。それがMIND TRAILの最終ゴールだと思っています」

 実際、内外から大きな耳目を集めている。2022年度のグッドデザイン賞を受賞。「観光誘致を目指して始まった芸術祭だが、それを軸に地域住民同士のなかに新たなつながりが生まれ、シビックプライドを醸成させ、芸術祭という枠を超えた大きな実りをもたらしている」と審査委員から高く評価された。

 「自然×アート」を標榜するMIND TRAILだが、実は最新テクノロジーもその舞台を下支えしている。MIND TRAILでは、一部、携帯電話の電波が届かない山の中を歩くということもあって、GPSで現在地が確認できる登山用のスマートフォンアプリ「YAMAP」が使われている。来場者はYAMAPで地図をダウンロードし、その地図を見ながら作品を見て歩くという趣向だ。だが、YAMAPの用途は、単なるルートマップの表示にとどまらない。そのGPS機能をフルに使えば、地域の再生に資するさまざまな活用が可能になる、と齋藤氏は期待を寄せる。

 「今、奥大和では林業が危機に瀕しています。MIND TRAILにこれだけの人たちが来てくれるなら、その人たちの力を借りて、この地の林業を支えられないか。例えば、YAMAPの地図を見ながら、皆で樹齢数百年の木を探し、見つけたらGPSタグを打つといった取り組みも、YAMAPさんと一緒にやりたいと考えています。奥大和のファンになった人に、違う形で地域経済に貢献してもらうわけです」

 今は物理的に離れていても、インターネットや通信を使ってConversationができる。その意味で「テクノロジーの行き着くところは原点回帰なのではないか」と齋藤氏は提言する。「テクノロジーには『何かを成長させる』だけでなく、例えば集落の規模や植物の生産を『ちょうどいい時代まで戻してあげる』という役割もあるのではないか。MIND TRAILを通じて、それを実感しているところです」。

 今後は対象エリアを広げ、最終的には「奥大和の全19市町村でMIND TRAILを開催したい」と、齋藤氏。さらに、MIND TRAILの経験を活かして、アートイベントの持つ新たな可能性を追求していく考えだ。「地域をアップデートしていく方法としては、新しいビルの建設や産業の創出、移住の促進など、さまざまな方法があると思います。それに比べると、芸術祭はイベントなので、タイムスパンが短く足回りが軽い。だからこそ、僕らが『よそ者視点』で、地域を再定義するお手伝いをし、自分たちの地域にもっと誇りを持ってもらう。そんなアプローチも大事ではないでしょうか」

「MIND TRAIL 奥大和」訪問レポート
アートが自然の中で溶けていく感覚を体感

 11月上旬、「MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館」に参加するため、吉野町と曾爾村を訪れた。現地取材を通じて知ったコースの状況や作品の特徴、その魅力を誌上レポートする。

 MIND TRAILで初日に訪れたのは、奈良県中央に位置する吉野町。桜の名所として知られる吉野は、世界遺産「大峯奥駈道」の起点でもあり、金峯山寺は修験道の一大拠点として栄えた歴史を持つ。

 まずは駅前の案内所で地図を入手する。MIND TRAILのホームページから事前にダウンロードしておいたYAMAPのGPS地図を確認しながら、全長10km・コースタイム約5.5時間の道を歩く。

 吉野のコースは舗装路が中心だが、山道や石畳の道もあって飽きさせない。17点の展示作品の中には、吉野の歴史や伝承にインスパイアされた作品も多い。例えば、米澤柊の「さびしがりやの巨人は今日も一日」は、吉野の山に住む巨人(デイダラボッチ)を題材にした作品だ。一方、力石咲は「吉野山系」の制作にあたり、修験道における擬死再生(※)の思想に共鳴して、古着の残糸を再利用している。

米澤柊「さびしがりやの巨人は今日も一日」。吉野の山には、別名「デイダラボッチ」とも「鬼」とも呼ばれる3人の巨人が棲んでいる――この伝承をもとに、大気に満ちる生命力を形象化した作品
力石咲「吉野山系」。修験道の行の根底にある生まれ変わりの思想に共鳴し、古着の糸を再利用して吉野の山々を編み上げた。作品には、吉野の人々から寄贈された古着の残糸も使われている

 また、金峯山寺本地堂では、修験道の開祖・役行者と同時代に活躍した、唐の詩人を描いた作品が展示されていた(松田大児『酩酊ギャラリー』)。吉野が刻んできた時をたどって、その豊かな水脈に触れ、新たな作品を生み出していく――そんな作家たちの思いを感じることができた。

日本で修験道の基礎が築かれた1300年前、中国では唐の詩人たちによって数多くの名詩が生まれた。金峯山寺本地堂では、奈良在住の作家・松田大児が唐の詩人を描いた「酩酊ギャラリー」展を開催中だ

 午後5時、金峯山寺の境内に設置されたライトから、一筋の光芒が放たれた(齋藤精一『JIKU #6 YOSHINO』)。その先にあるのは、修験道の本尊・蔵王権現が鎮まる聖地・大峯山。今回吉野を歩いてみて、MIND TRAILとは、作家の想像力がその土地と対話を重ねることで、アートを生み出す場なのだと感じた。暮れなずむ空を走る一閃の光を見ながら、吉野の町を後にした。

齋藤精一『JIKU #6 YOSHINO』。吉野の金峯山寺から修験道の聖地・大峯山に向けて光の軸を投射。天川村の面不動、曾爾村の健民グラウンドにもライトを設置し、3つのJIKUを大峯山に向けて放つ

 2日目は曾爾村を訪問。奈良県東部に位置するこの村は、ススキが一面に広がる曾爾高原と、豊かな水系に恵まれた風光明媚な山里である。MIND TRAIL曾爾は全10.3km、コースタイム約5時間。山道や舗装路のほか、岩場が点在する沢沿いの道もあり、野趣あふれる魅力的なコースとなっている。

 実際に歩いてみて思ったのは、曾爾ではいい意味で「見つけにくい作品が多い」ということだった。作品が自然に“擬態”して渾然一体となり、まるで自然の造形物のように、森や草むらに溶け込んでいるのである。

長岡綾子「Mirrors for Weeds」。曾爾村の川沿いで拾った石の上に鏡を置き、草むらの中に置く。鏡の中に木の梢や雑草、青空などが映り込み、ゆらめきながら瞬間ごとに千変万化する

 沢沿いの道は進むにつれて猛々しさを増し、急峻な岩場にはロープが付けられていた。足元に注意しながら難所を越えると、かつて修験者の行場だったという「済浄坊の滝」にたどり着いた。滝が白い飛沫を上げて、エメラルドの光を宿した滝壺へと注ぎ込む。その空間を、キャンバスに描かれた作品が四角い窓のように切り取っていた(小松原智史『コマノエ』)。

小松原智史「コマノエ」。そそり立つ岩壁に囲まれた滝のそばで、物言わぬモノリスのように佇むドローイング作品。太古の昔からそこに在るかのような表情を見せる

 「MIND TRAILを歩いていると、アートが自然の中で溶けていく感覚があるんです。アートって結局は、自然のパワーに勝てないんですよね」。齋藤氏が語っていた言葉の意味が、ようやくわかったような気がした。

(※)死を象徴的に体験して生まれ変わること。