ここから本文です。

2020年09月25日

次世代中国 一歩先の大市場を読む

「デジタル人民元」をやるしかない
中央銀行の背中を押した中国のデジタル社会

 「デジタル人民元」の議論が中国で盛り上がりを見せている。

 中国人民銀行(中央銀行)は広東省・深圳や北京の「副首都」として開発が進む雄安新区、江蘇省・蘇州、四川省・成都の4都市に、2022年の北京冬季五輪会場予定地を加えた、いわゆる「4+1」でデジタル通貨の実用化に向けた試験運用を開始している。世界で最初に中央銀行が正式にデジタル通貨を発行するのは中国ではないかとの見方が強い。

 しかし、中国ではAlipay(支付宝)やWeChatPay(微信支付)などに代表される民間のデジタル支払いシステムが広く普及しており、多くの地域で事実上、現金を使わない生活が実現している現状がある。すでに現金がほとんど使われない社会で、いまさら通貨のデジタル化と言われてもピンと来ない――というのが多くの中国人の実感だろう。

 中国社会にとってデジタル人民元とは何なのか、どのような狙いでデジタル通貨は構想されているのか。今回はこの点について考えてみたい。

デジタル通貨とは何なのか

 中央銀行が発行するデジタル通貨(DCEP=Digital Currency Electronic Payment)は日本をはじめ中国以外の国々でもさまざまな取り組みが行われている。

 そもそもデジタル通貨とは何なのか。

 中国人民銀行数字貨幣研究所所長、穆長春(Mu Changchun)氏はメディアのインタビューなどで「デジタル通貨の効能と属性は紙幣とまったく同じで、その形態がデジタル化されただけに過ぎない」と繰り返し述べている。これは国を問わず、デジタル通貨の本質だろう。

 この点について、情報技術と金融の領域に精通した弁護士で、日本政府の各種委員会の委員としても活躍する増島雅和氏は、デジタル通貨に関して自身のブログで以下のように書いている。わかりやすいので引用する。
(https://comemo.nikkei.com/n/nb1b913de44ce)

 既に紙片と金属片を媒体とする通貨については何の疑問もなく受け入れているにもかかわらず、媒体がデジタルになるということで、「なぜCBDCが必要なのか」「どうやってCBDCを作ればよいのか」という問いが出てくるのはなぜでしょうか。

 たとえば石の貨幣しかない時代を振り返って、「なぜ紙幣が必要なのか」と問われれば、「持ち運びが便利だから」という回答が十分通用するわけです。「どうやって紙幣を作ればよいのか」と問われれば、「それがちゃんと人々に受け入れられ流通するように、技術と法律を使ってデザインすればよい」ということはちゃんとわかるわけです。

 つまりデジタル通貨といっても、紙という媒体に価値が宿っていた「お金」というものを、今度はデジタルのデータに価値が宿るようにするだけで、通貨であるという性質は従来と変わることはない。何か新しい通貨が現れたわけでもなく、別の新しい支払い手段が増えたわけでもない。紙と違って電子データは目に見えない点が厄介だが、その本質は変わらない。基本的なことだが、この点をしっかり認識しておくことが出発点のように思われる。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

通貨をどのように「デザイン」するか

 重要なのは同氏の述べる「それがちゃんと人々に受け入れられ流通するように、技術と法律を使ってデザインすればよい」という部分だ。例えていえば、通貨とはいわば「無色透明」なもので、それを自分たちの社会に使いやすいように、どのように「デザイン」するかを考える。この指摘はとても的確だと思う。

 そうだとすれば、デジタル人民元は、中国社会の状況を反映し、中国で「人々に受け入れられ、流通されるように技術と法律をつかってデザインされる」ものになるはずだ。なぜかと言えば、そうでなければ人々はデジタル人民元を使う必要がなく、新たな通貨そのものが普及しなくなってしまうのは明らかだからである。

 政府が本当にデジタル人民元を定着させ、成長させることが国益(党益?)にかなうと考えるなら、人々が「デジタル人民元は便利である」と実感する状況をつくるしかない。中国の為政者は頭がいいし、利に聡い人たちだから、これまでのさまざまな政策の導入パターンを見ても、必ずそうするに違いない。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

 もちろんそこには、世界の大国として売り出し中の中国として、自国通貨の主権を守ること、Facebookが主導した仮想通貨「Libra(リブラ)」や他の国の通貨との競争に勝たねばならないといった戦略的発想があるのだろう。しかし、そうであればなおのことデジタル人民元が自国内で広く流通し、定着して、より便利で豊かな社会になることが必須の条件になる。それがなければ世界戦略も絵に描いた餅で終わってしまう。

徹底的なスマホ社会、中国

 このような視点で中国の国内を見てみると、中国には非常に中国特殊的なお金の流通の仕方がある。言うまでもなくAlipayやWeChatPayなどの存在である。すでに書いたように、中国では多くの地域で事実上、現金を使わない社会が実現している。言い方を変えれば、AlipayやWeChatPayなどの支払い手段は現金より便利だったから、現金を駆逐してしまったのである。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

 2019年第4四半期の統計では、中国のオンラインペイメントシステムの利用率は86%に達しており、世界でも最高レベルにある。その中でAlipayと WeChatPayの両者で市場の90%以上を占めており、ほぼ独占的な地位にある。

 その背景にはスマートフォン(以下スマホ)の爆発的な普及がある。統計によると、2020年3月時点で中国のインターネット利用者は9億400万人、2018年末との比較で7508万人増えた。そのうちスマホ経由の利用者が8億9700万人で、インターネット利用者の99.3%がスマホ経由である。「全国民スマホ依存症」などと自国メディアが揶揄するぐらい、国民の生活はスマホと切り離せない状態になっている。

「現金に代わる新たな現金」

 こうした状況の下、店の側にとっても客の側にとっても、紙や金属片による現金のやり取りはさまざまな手間やコストがかかり、盗難の恐れもあるなど、すでにそれ自体を負担に感じる存在になっているのが現状だ。まさに「現金に代わる新たな現金」が必要になったのである。そういう状況に対応するために新たに登場してきたのがデジタル人民元である。

 中国のデジタル人民元は、中央銀行の偉い人が机の上で「べき論」をベースに考え出したものというよりは、民間主体で急速にデジタル化する社会に引っ張られるように、中央銀行が「やるしかなくなった」のが実態と言ったほうがよいと思われる。

現行のオンライン支払いシステムの弱点を解決する

 しかし、急速に普及した現行のオンライン支払いシステムには弱点がある。それは例えば、

  • 銀行口座に紐付いていなければならない。社会には銀行口座を持たない人もいる
  • 常にネットに接続していないと使えない
  • 銀行口座と連結しているため匿名性がゼロに近い
  • 一度に使える使用金額に制約がある

 といったようなことだ。中国の金融当局の発言などを見ていると、これらを解決したいという点が中国のデジタル人民元の大きな動機になっていることがわかる。

 ここで「匿名性のなさ」がAlipayやWeChatPayなど現行の支払いシステムの欠点として議論されていることには注目するべきだろう。中国の支払いシステムというと、当局はとにかく監視監視で、個人や法人のプライバシーをなくすことに血道をあげているといったイメージで語られることがある。

 しかし今回のデジタル人民元導入のプロセスを見ると、「通貨の匿名性」を可能な限り担保し、プライバシーへの配慮の必要性が真剣に議論されている。もちろんマネーロンダリングや不法行為への支払いの抑止など、必要な措置は講じた上での話だ。むしろ、この「匿名性」と「不法な使途の監視」がバランスよく両立できることがデジタル人民元の強みである――という考え方が主流で、このあたりに社会の成熟が読み取れる。

支払いアプリとデジタル人民元の関係

 そうなると次に考えるべきはAlipayやWeChatPayなど現在、主流となっている支払いシステムとデジタル人民元の関係である。

 AlipayにせよWeChatPayにせよ、すでにデジタルな手段でお金を払う(受け取る)という行為を人々はすでに日常的にやっている。ではいったいデジタル人民元とは何が違うのか。何が変わって、何は変わらないのか。中国国内でも、これからの疑問は「普通の人たち」の多くに共通するもので、SNS上などでは数多くの質問や回答が飛び交っている。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

 この議論でまず明確にすべきは「通貨」と「支払い手段」を分けて考えることだろう。

 冒頭で専門家の言を引いたように、デジタル人民元はあくまで「通貨」そのものである。「デジタルの形をとったお金」にほかならない。一方、AlipayやWeChatPayなどは「支払い手段」である。ややこしい言い方になるが「(もともと紙だった)通貨をテクノロジーの力を利用して電子的な手段で表して流通させている」のがAlipayやWeChatPayである。

 ということはAlipayやWeChatPayを使って「もともと紙だった」通貨を流通させるか、「もとからデジタルである」通貨(デジタル人民元)」を流通させるか、それはどちらも同じことであり、どちらも可能である。これは手段の問題にすぎない。

 実際、デジタル人民元が流通するようになった場合、現実にはこれまで通りAlipayやWeChatPayを介してそれを使う利用者が大半だとみられる。利用者はまず自分の預金口座の現金を、銀行に依頼してデジタル人民元に変え、それをAlipayやWeChatPayのデジタル人民元口座に移し、使う――という手順になると考えられている。

 例えば、現在でも私は自分の中国工商銀行の口座から、自身のAlipayやWeChatPayの口座に適宜、お金を移し、日常の支払いに利用している。これがデジタル人民元になっても、銀行にあるお金をデジタル人民元に変えておきさえすれば、AlipayやWeChatPayで使うための手間は何も変わらない。デジタル人民元は通貨なのだから、当たり前といえば当たり前である。

民間事業者との協力・共存が最善の道

 もちろんこうしたやり方とは別に、AlipayやWeChatPayなど民間の事業者の協力を求めず、中国の中央銀行が独自にデジタル人民元専用の通貨流通のシステムを開発し、各種サービスを自力で導入し、全国に普及させていくシナリオも理論上はあり得る。日本国内でもデジタル人民元導入で「Alipayに打撃か」といったトーンの見方も散見される。

 しかし中国国内の議論を見る限り、その可能性はなさそうだ。前述したように、中国のオンラインペイメントはすでに国民的な習慣というべきほど生活に深く根付いている。AlipayやWeChatPayは、単に金銭の授受に留まらず、今回の新型コロナウイルスの感染拡大防止のための「接触確認アプリ」がAlipayから生まれ、全国民的に普及していったように、その存在は国のインフラと言ってもよいほどになっている。WeChatPayも同様だ。

 中国の中央銀行自身、もしくは中央銀行からデジタル人民元を受け取って社会に流通させる役割を担う国有4大銀行が、民間事業者に代わってそのような各種サービスを今から開発、提供する必要はないし、そもそもできる可能性がない。

 ただし、日常的に使う少額の現金については、AlipayやWeChatPayなど既存の支払いシステムとは別に、デジタル人民元独自の「デジタル財布」を使い、インターネットを介さずに「デジタル財布」どうしを直接、通信でつないで支払い(受け取り)ができる仕組みが導入される見込みだ。一部ではすでに試験運用が始まっている。

 中国語では「碰碰付」(ポンポン支払い、端末どうしをポンと触れ合わせるだけで支払い ができる、の意味)と呼ばれるが、これならスマホが電池切れにならない限り、どこでも現金のやり取りができるし、匿名性も確保できる。またそのほかに形状としてはUSBメモリのようなデバイスにデジタル人民元を記録して持ち運び、それをスマホやパソコンなどに接続して金銭のやり取りをする方法も検討されているようだ。紛失が怖いが、まあ現金と同じと考えれば仕方ないのかもしれない。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

デジタル人民元は国外に持ち出せるのか

 そしてデジタル人民元に関して、中国の「普通の人たち」の間でもう一つ議論の的となっているのが、「デジタル人民元は国外に持ち出せるのか」という点である。デジタル人民元の国外流通といえば、「ドル覇権への挑戦」とか「Libra(リブラ)への警戒感」「一帯一路の経済支配」といった大きな話が出てくるのが常だが、「普通の人たち」の関心はもちろん「どうやったらお金を国外に(安全でラクに、安く)持ち出せるか」にある。

 結論から言うと、この点はまだわからないことだらけで、なんとも言えない。おそらく当局も迷っている(内部で意見が対立している)のだろう。ニュースを追っていても明確な意思表明がない。

 しかし、この問題もデジタル人民元は「通貨」であるという原点に返って考えれば、簡単に結論が出る問題でないことは明らかだ。「お金をみだりに国外に流出させたくない(自由な資本移動を認めたくない)」という事情が当局にある以上、人民元が仮にデジタルになったところで、いきなり海外に流通させることはできないはずだ。その通貨が国際的に広く使われるかどうかは「デジタルであるか」で決まるわけでは当然なく、その国の信頼度とか、その通貨の現実の必要性などによって決まるものだろう。

 とはいえ前述したように、当局者も「通貨として匿名性に配慮をする」と語ってはいる。オンラインで使う場合はともかく、先に紹介したUSB型デバイスみたいなものが導入されれば、そこにデジタル人民元を記録して国外に持って行き、海外で他人の「デジタル財布」に移せば、現金を国外に持ち出したことにはなる。現状のAlipayやWeChatPayで海外にいる人に送金したのとは本質的に違う。

 札束を担いでいくよりラクなのは明らかだが、「デジタル財布」の限度額がいくらになるのか、法的にどのように規定されるのかなどそのあたりのことが皆目わからないので、なんとも言えない。まさに冒頭に引用した増島氏が指摘するように、デジタル人民元を「技術と法律を使ってどのようにデザインするか」にかかっている。

社会の実勢が中央銀行を動かした

 このようにデジタル人民元が今後、どのようにデザインされるのかは現時点では不明なことが多い。しかしその基本となる考え方は明確である。それは、デジタル人民元は中国の実情に合わせ、中国がすでに持つ強みをより促進する方向で構築されるということだ。

 元日銀理事で、みずほ総合研究所エグゼクティブエコノミストの門間一夫氏はロイター通信のウェブサイトに寄稿して以下のように述べている。
(https://jp.reuters.com/article/column-monma-idJPKBN21N10A)

 預金、現金、民間デジタル通貨、中銀デジタル通貨の4種類の通貨をどのように組み合わせれば、決済システム全体にとってベストなのか、これが各国の直面している課題の構図である。

 ベストの解は、既存決済インフラの違いなどにより、国ごとに大きく異なりうる。中銀デジタル通貨の発行の是非や、発行する場合の形態や利用限度等については、そうした国ごとの事情も踏まえて、決済システムの最適化という観点から検討を進めるのが基本である

 この指摘はまさにその通りだろう。中国のデジタル人民元は、中国社会の実情、技術の進歩に応じて、中国の事情に合わせた通貨の形をとろうとしている。そして、それが実現できるほどのデジタル化が国内の広い範囲で進展し、さらにそれを支えるに足る高い技術力、豊富な人材が存在することが、デジタル人民元の背景にある。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

 言い方を変えれば、中央銀行が「デジタル通貨をやるしかない」と考えなければならないほど、中国社会のデジタル化が進んでしまったということだ。社会の状況が中央銀行の背中を押したと言ってもいい。ひるがえって日本の状況はどうか。この点を私たちは深く考える必要がある。

田中 信彦(たなか のぶひこ)氏

BHCC(Brighton Human Capital Consulting Co, Ltd. Beijing)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(⾮常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に⼤⼿企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。

関連キーワードで検索

さらに読む

この記事の評価


コメント


  • コメントへの返信は差し上げておりません。また、いただいたコメントはプロモーション等で活用させていただく場合がありますので、ご了承ください。
本文ここまで。
ページトップ