次世代中国 一歩先の大市場を読む
強大な供給力で強まる影響力
コロナワクチンに見る中国の底力
Text:田中 信彦
新型コロナウイルスのワクチン接種が世界各地で本格化しつつある。ここでも存在感を高めているのが中国だ。日本を含む先進国では中国ワクチンに対して懐疑的な見方が強いが、中国のワクチンを認可し、輸入、接種する国は着実に増えている。それどころか「中国のワクチン以外、頼るものがない」のが現実という国も少なくない。
こうした影響力拡大の基盤となっているのが、中国の持つ大きな供給力である。豊富な人材と資金、政府と一体の「挙国体制」で研究開発に邁進し、若い研究者のハードワークによって超短期間で成果を出す。これができるのは中国の強みだ。
中国のワクチン供給の取り組みは、中国という国のありようをそのまま反映している。今回はワクチンをめぐる状況を入り口に、この国が有する底力(そこぢから)みたいなものを考えてみたい。
田中 信彦 氏
ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
各国の指導者が中国ワクチンを接種
2021年に入って、中国産のワクチンが次々と世界の各地に到着し、その国の指導者が率先して接種を受けるといったニュースが伝えられている。
1月10日、インド洋の島国セーシェルのワベル・ラムカラワン大統領が首都・ヴィクトリア市内の衛生拠点で中国から到着したばかりのワクチンの接種を受けた。翌13日にはインドネシアのジョコ・ウィドド大統領、14日にはトルコのレジェプ・タイップ・エルドアン大統領がそれぞれ中国製ワクチンを接種している。
また南米のチリでは1月末、400万回分のワクチンが中国から到着。それに先立つ1月20日、同国公衆保健院(ISP)が中国のシノバック・バイオテック(SINOVAC BIOTECH、北京科興生物製品)製ワクチンの使用を承認した。さらに2月7日にはカンボジアの首都プノンペンに中国政府が無償供与したワクチンの第一陣60万回分が到着、空港で行われた引き渡し式には同国のフン・セン首相が出席した。
これらのニュースは当該国のみならず、世界各地に映像付きで広く伝えられ、中国製ワクチンの広まりを印象づけた。
EU加盟国でも中国ワクチン承認の動き
中国製ワクチン承認のニュースも相次いでいる。昨年12月9日、アラブ首長国連邦(UAE)の保健予防省はシノファーム(SINOPHARM、中国医薬集団)傘下の研究所が開発したワクチンの認可を発表。エジプトも1月2日、同ワクチンの緊急使用を承認、1億回分の購入意向を表明した。続く1月17日にはブラジル国家衛生監督庁が、同国内の研究機関がシノバックと共同開発した新型コロナワクチン600万回分の緊急使用を認可、1月末にはハンガリーがEU(欧州連合)域内で初めて中国製ワクチンを承認したことが報じられた。
このほかマレーシアでは1月、同国の国有製薬会社がシノバックと協定を締結、シノバックが1400万回分の半完成品ワクチンを供与、マレーシア国内で最終製品に仕上げることで合意した。中国国内の報道によれば、これ以外にも輸入を希望している国は40カ国以上にのぼるという。
ワクチン開発の主力は2社
中国では現在、主要なもので5つの新型コロナワクチン研究開発が進められている。現時点では上述したシノファーム(SINOPHARM、中国医薬集団)およびシノバック・バイオテック(SINOVAC BIOTECH、北京科興生物製品)の2社が主力だ。
シノファームは中国国務院(内閣に相当)直属の国有企業で、傘下に5つの上場企業を持ち、2020年の売上高は日本円で7兆円を超える中国最大の製薬企業グループである。同社ホームページによれば、世界の企業500社ランキング145位、製薬会社では世界第5位とある。ワクチンを開発、生産するのはシノファーム傘下の「中国生物技術」で、この会社も資本金1000億円超、従業員1万人を擁する大企業である。
一方、シノバックは2001年4月設立の比較的若い企業で、北京大学をバックグラウンドに持ち、「中国のシリコンバレー」とも称された北京市・中関村に拠点を置く、ハイテク企業的色彩の強い会社である。2009年11月には持ち株会社が米国ナスダックに株式を上場している。
創業者の尹衛東氏は1980年代初頭、専門学校卒業後、故郷の河北省唐山市で防疫の仕事に携わったのがきっかけで生物薬学に興味を持ち、独学に近い形で22歳の時にB型肝炎の免疫診断試薬を開発。1988年、上海を中心に大流行したB型肝炎禍で効能が認められ、事業基盤をつくった。それを端緒に北京大学関係者の知遇を得てシノバックを創業、2003年、SARSのワクチン開発にも大きく貢献した。高い学歴も学位もなしで製薬会社をつくりあげた立志伝中の人物として知られる。
ワクチン開発の驚くべき速さ
中国のワクチン開発で印象的なのがその圧倒的なスピードだ。
武漢市でウイルスの感染が爆発したのが昨年1月半ば。同月23日には武漢市が封鎖され、中国全土が緊張状態に陥った。政府科学部(科学技術政策を主管する中央省庁)の指示で「中国生物技術」にワクチン開発の緊急プロジェクトが立ち上がったのは2月1日のことだ。そして研究開発から動物実験、3段階の臨床試験を経て、一部条件付きながら政府から市販の認可が下りたのが12月30日。要した時間は330日ほどである。
「中国生物技術」董事長(会長に相当)、楊暁明氏は今年1月20日、中国共産党中央機関紙「人民日報」系メディア「健康時報」のインタビューで、同社のワクチン開発について語っている。同氏は中国国家高技術発展計画(通称「863計画」)ワクチンプログラム首席科学家を務める著名な研究者でもある。
試作ワクチン、最初の「実験台」は会社のトップ
記事によれば、2月1日にワクチンプロジェクトがスタートし、2週間後の同月14日には抗原の培養に成功。16日には動物実験を開始し、28日からワクチンの初歩的な生産プロセスに着手した。最初の試験的なワクチンが出来上がったのは翌月の3月18日で、その間、1ヶ月半ほどしか要していない。
そして3月23日には楊氏みずからが志願者第一号としてワクチンの接種を受けた。記者の質問に以下のように語っている(訳は筆者)。
第一陣で接種を受けたのは4人。私もその一人だ。最も早期に開発に携わった者が一番先に“実験台”になった。接種そのものは何も問題はなく、針を打つ時ちょっとチクリとしたくらいだ。(中略)3月末には社内の志願者に対する接種を始め、親会社シノファームの経営幹部をはじめ数十人が腕まくりして列に並んだ。私たちの会社には「勇気を持って最初に自分の身内にワクチンを打つ。これが我々の誇りだ」という言葉があるんだ。
第一陣の4人は、接種の翌日、3日後、7日後、14日後と定期的な採血で抗体検査を行い、効果と安全性を確認しつつ、第二陣の38人、第3陣138人と社内の志願者が後に続いた。
同社には国内に武漢市と北京市の2ヵ所に中核的な研究所がある。両者を競争関係に置いて競わせ、開発のスピードアップと質の向上を狙ったのも楊氏のアイデアだ。4月12日、武漢研究所が開発したワクチンが世界でも有数の早さで第一相/第二相臨床試験の段階に到達。同月27日には北京研究所も同フェイズに達した。
世界各地で緊急使用、臨床試験が広まる
6月30日、武漢研究所のワクチンに中国国内初の緊急使用許可。北京研究所も7月23日に同許可を取得、医療、防疫、入国管理、都市インフラ管理などに従事する感染危険度の高い人員約6万人に対し、7月から緊急の接種が行われた。
国外では6月23日、ワクチン開発で協力関係にあるアラブ首長国連邦(UAE)で第三相臨床試験の認可を獲得(中国国内では新型コロナの発症例が少ないため、臨床試験の多くは諸外国の協力を得て行われた)、9月から接種がスタート。前述のマレーシアでも11月、中国製ワクチンによる第三相臨床試験が3000人の志願者を対象に始まり、同月には中東のバーレーンで、2021年1月からはエジプトでも中国ワクチンの緊急使用が始まっている。
中国国内では、11月下旬、シノファームが国家薬品監督管理局に新型コロナワクチンの発売許可を申請、冒頭に紹介したように12月30日、正式に中国国内での販売が認可された。
省庁横断の「ワクチン専従班」に強い権限、24時間体制で開発支援
速いスピードで開発が進んだ最大の要因は、政府の強い指導力の下、「挙国体制」ができたことにあると楊氏は指摘する。今回のコロナ禍で、中国政府は臨機応変な対策を可能にするため、内閣の下に省庁横断のタスクフォースを設置、その中にワクチン専従の指導グループを任命し、強い権限を持たせた。
国家衛生健康委員会を中核に国家科学技術委員会、国家薬品監督管理局、工業と情報化部(工業や通信を所管する官庁)など10の中央省庁からメンバーが集まり、ワクチン開発の現場で何か問題があれば、24時間体制ですぐに協議、最優先で支援、解決する体制が取られていたという。
研究所のスタッフは、ほとんど泊まり込みに近い形で仕事に没頭した。厳重な防護服の着脱に時間を要するため、トイレに行く時間を節約しようと、なるべく水分を摂らず、食事も減らす。中にはオムツをつけて仕事をした研究員もいたと楊氏は語っている。
平時の7倍以上の人材、設備を投入
総動員体制は試験のプロセスでも導入された。同氏によれば、ワクチンの動物試験は、通常、例えば小ネズミで試験を行った後、大きなネズミ、次にウサギ、ブタ、サルなどと7種類の動物で1種ずつ行い、それぞれでデータが出るのを待って次の動物へと順繰りに進めていくのが普通という。加えて、それぞれの動物を複数のグループに分け、グループごとに異なる量のワクチンを接種し、最も有効な組み合わせを模索していく。そのため試験の数は掛け算で増え、多大な時間と労力がかかる。
それを今回の開発では7種類の動物を全て同時並行で、さらにはワクチン量を分けた試験も同時並行で進める方式をとった。いわば直列でやっていたものを並列で行うので時間は7分の1以下に短縮される。しかし当然ながら、それに必要な人員や研究設備も7倍+αで必要になる。短期間のうちにそれに対応できる人材や施設、資金などを用意できるところが中国企業の強みだろう。
中国のワクチン開発100年の歴史
こうした企業を挙げての体制が取れたのは、同社の歴史的な蓄積と関係がある。企業としての同社の設立は2011年だが、もともとは政府系の研究機関で、創立は中華民国時代の1919年、民国政府の「中央防疫処」として誕生した由緒ある機関である。
その後、日中戦争や国共内戦を経て、1949年の中華人民共和国成立後は中国中央政府の直属機関として、天然痘やコレラ、骨髄炎菌感染症、破傷風なとのワクチン研究開発および生産を手がけてきた。現在では50種類のワクチンを年間7億回分以上生産し、政府指定の感染症ワクチンの大半を供給している。
このような同社の生い立ちはそこで働く研究者たちのモチベーションに大きな影響を与えている。中国の人たちは、仕事の目的がハッキリしないとか、上司の指示があいまいだとか、成果を出しても見返りが明らかでないといった状況ではさっぱり体が動かないが、いざ、その仕事が意義のあるもので、周囲の注目を集めており、抜きん出た成果を挙げれば名誉(メンツである)と報酬が約束されているとなれば、他人の仕事を奪ってでも働きかねない。この点は中国人と一緒に働いた経験がある人には同意してもらえると思う。今回のコロナ禍とか大災害の発生といった危機的状況に陥るや、とんでもない力を出すのが中国の人たちである。
技術的に成熟した「不活型」に狙い
新型コロナ感染症のワクチンは、世界各地でさまざまなタイプのものが研究開発され、一部はすでに接種も始まっている。中国で今回、開発されたワクチンはシノファーム、シノバック共に「不活化ワクチン」と呼ばれるタイプで、「細菌やウイルスを殺して毒性をなくし、免疫をつけるために必要な成分を取り出してワクチン化したもの」(ウィキペディアの解説)である。接種しても深刻な症状が表れるケースは稀で、安定性のある成熟した手法とされる。反面、効果が弱いとの指摘もある。
欧米の大手製薬会社が大胆に新しいタイプのワクチン開発に取り組む中、中国が不活化ワクチンにまず狙いを定めたのは、同社がこの領域の技術に深い蓄積があり、基本的な技術のほとんどを確立していたことが大きい。楊氏も「成熟した不活化ワクチン路線を取ったことが、迅速な開発と大量生産に漕ぎ着けた大きな理由だ」と述べている。
不活型のワクチンは、生産技術も確立されているうえに、摂氏2~8℃と通常の冷蔵庫程度の温度で保存が可能で、摂氏-70℃の超低温保存が必要な「mRNAワクチン」などに比べると、輸送や保管には有利だ。特に気温が高く、冷凍設備が貧弱な途上国向けの輸出にはメリットが大きい。この点も中国政府は早い段階から考慮していたものと思われる。
「供給力」で影響力高める中国
こうした中国のワクチン開発と輸出に対し、先進国は苛立ちを隠していない。フランスのAFP通信は『フランスのマクロン大統領は、2月4日、中国製の新型コロナウイルスワクチンについて情報が一切共有されていないため有効性は不明だと警告し、効果がなければ新たな変異さえ助長しかねないと指摘した。マクロン氏は米シンクタンク「大西洋評議会(Atlantic Council)」に対し、中国が他国へのワクチン供給で初期の「外交的成功」を収めたことは、「(欧米の)指導者にとってやや屈辱的なもの」と受け止められる可能性があると認めた』との記事を配信している(AFPBB News 2021年2月5日)。
とはいえ、自国でワクチンを開発できるか、海外から潤沢に購入できる財力のある国はともかく、それ以外の途上国にしてみれば、ワクチンの入手は死活問題だ。WHO(世界保健機関)などが進めるワクチンの共同購入・分配の国際的枠組み「COVAX (コバックス) 」は、2021年末までに20億回分のワクチン確保を目指し、すでに日本を含む156か国 ・ 地域が参加の見込み。計画通りに進めば、世界人口の約3分の2がカバーできる目論見だが、現時点でまだ7億人分程度しか確保の見込みは立っていない。中国と米国は参加していない。
先進国製の高価なワクチンを買えない途上国は、価格が安いか無償で提供される中国ワクチンに頼らざるを得ない構造が生まれつつある。理念を語ることは誰でもできるが、現実の問題を解決するには、実際に「モノ」を供給するしかない。その是非はともかく、中国は「一党専制」という非常時に効力を発揮しやすい政治体制の下、挙国体制でその需要に応えられる供給力を有している。この事実は重い。
国民の生命という背に腹は代えられない状況のもと、このまま推移すると、途上国の中国依存はますます強まらざるをえない。世界の富裕化が進み、ワクチンに限らず、さまざまな領域で「供給力」がカギになりつつある今、これが中国の最大の武器となっている。
次世代中国