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次世代中国 一歩先の大市場を読む

「レモン市場」から脱却できるか
中国フリマアプリの成長に見る「信用」の重み

 フリマアプリの利用が中国でも急速に伸びている。

 中国には以前から中古車をはじめ、スマートフォン(以下スマホ)やパソコンなどの情報機器、ブランドもののバッグや服などの商品を扱うリサイクルのビジネスは存在した。しかし売り手の開示する情報が十分でなく、しかも中身が信用できるか疑わしい状況(「レモン市場」と呼ばれる。後述)がネックとなり、中国の中古品のビジネスは、成長はしつつも、そのスピードは遅かった。

 しかし、ここへ来て個人対個人の取引を主軸に据えたフリマアプリが、年間に日本円で数兆円の取扱高に拡大、人々の日常的なツールになるまでに成長してきた。そこには中国社会の大きな変化がある。フリマアプリの成長の背景には何があるのか。中国は「レモン市場」から脱却できるのか。今回はそんなことを考えてみたい。

田中 信彦 氏

ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。

対前年比42%の伸び

 中国の中古品のインターネット取引の市場は急速に拡大している。統計によると、2020年の取引総額は約3700億元(1元は約17円)、日本円で6兆3000億円に達する。前年の2019年(2600億元)対比で42%の伸び。さらに前年の2018年は1700億元だったので、同52%の伸びを示している。

 中国のフリマアプリの代表格は「タオバオ(淘宝)」や「T-mall(天猫)」などを展開するアリババグループが展開する「閑魚(シェンユー)」である。同種のアプリにはテンセント(騰訊)系列の「転転(ジュアンジュアン)」があるが、市場シェアは閑魚70%、転転20%といったところで、事実上、閑魚の一人勝ち状態といっていい。閑魚は日本のフリマアプリ「メルカリ」とも越境販売で連携する関係にある。

フリマアプリ「閑魚」のトップページ

 閑魚が誕生したのは2014年6月。もともとアリババのEコマースサイト「タオバオ」の一部で中古品を扱っていたが、その機能が分離、独立した。現在の登録ユーザー数は3億人、2020年の流通総額は2000億元、日本円で3兆4000億円を超える。

口座の凍結処分が毎週1万件

 このように成長著しい中国のフリマアプリだが、課題も多い。最も目に付くのは、規約違反の出品や取引に関するトラブルの多さである。閑魚は毎週、その週に発生したさまざまな問題に絡んで処分したユーザーの数や内容をアプリ上で「行動公告」として公表している。それによると、2021年5月26日~6月1日の一週間で、ユーザーからの通報は7万件を超え、口座の凍結処分が1万1000件、他人のプライバシーの侵害など有害な情報の発信9000件の事例があった。

 過去の「行動公告」をさかのぼって見てみると、その前週の口座凍結数は1万2000件、前々週も1万2000件、3週前が1万7000件となっており、継続的に毎週1万件を超える数の口座凍結処分が行われている。毎週1万件とは尋常ならざる数だと思うが、それでも全体としては粛々と運営が行われており、取引高も会員数も急増しているのだから、さすがに大国というか、その懐の深さを感じざるを得ない。

規定違反で凍結になったアカウントの公告欄。これはごく一部

 こうした問題を減らすために、閑魚は中国アリババグループの関連企業アント・グループが運用する個人信用評価システム「芝麻信用(ジーマ・クレジット)」を活用、出品者の信用度評価の判断材料にしている。しかし、すべての出品者が「芝麻信用」の評価を掲示しているわけではなく、悪質な出品撲滅の決め手にはなっていない。

トラブルの多さが中古市場のネックに

 個人間あるいは零細な事業者との取引が多数を占める中古品売買において、このようなトラブルの多さが普及のネックになっているとの指摘は多い。

 前述したように、中国のフリマアプリの取扱高は急速に伸びている。しかしメーカーや販売店などに一定の信用度がある新品のEコマースと比べると、市場規模はまだ小さい。閑魚の2020年の流通総額は日本円で3兆4000億円ほどだが、アリババグループの「タオバオ(淘宝)」と「T-mall(天猫)」を加えたインターネットショッピングの流通総額は100兆円を超えているので、全体に占めるフリマアプリの比率はごく低い。

 ちなみに日本では、最大級の通販サイトとされる「楽天市場」の単体(旅行部門や楽天自身のフリマアプリなどを含まず、2020年12月期)の流通総額が3兆円超と伝えられる。一方、フリマアプリ「メルカリ」の国内流通総額は6259億円(2020年6月期連結)で、厳密な比較とは言えないものの、中古品市場の存在感は中国より高い。

なかなか伸びない中国の中古車市場

 そうした傾向が端的に表れているのが、中国の中古車市場だ。中国は2009年、自動車の年間販売量で米国を抜き、世界のトップに立った。2020年の年間販売量は約2500万台で、現在、中国全土には2億7000万台もの車が走っているとされる。しかし、同年の中古車取引量は1434万台で、新車販売台数の57%にすぎない。

 一般に先進国では、中古車取引量は新車の販売台数よりも大きくなるのが通例で、例えば米国の場合、2020年の新車販売台数は1458万台、中古車取引量は3930万台と、2.7倍になっている。日本は米国ほどではないが、2019年度の全国の普通・小型乗用車の新車販売台数は283万台、中古車の登録台数は338万台と、やはり中古車が新車の約1.2倍の数だった。

 中国の人々が中古車を買いたがらない最大の理由は「安心感のなさ」にある。日本では一定の経済力があっても、さらにグレードの高いクルマ、もっと好きなクルマに乗るためにあえて中古車を選ぶケースは普通にある。しかし中国だと「やはり新車でないと怖い」という感覚が強い。そのため中古車というと「仕方なく買うもの」というイメージが濃くなり、その結果、ますますマーケットが広がらない――という循環になっている。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

「レモン市場」とは何か

 このような状況を指すのが「レモン市場」という言葉だ。「レモン市場」とは、果物のレモンは皮が厚く、外から鮮度や品質を判断するのが難しいことから、買ってみないと問題があるかどうか判別できない商品の市場を呼ぶようになったとされる。中古車のマーケットを「レモン市場」と呼ぶ俗称は米国に古くからあったらしい。

 その概念は、米国の経済学者ジョージ・アカロフが1970年に書いた論文で世に知られるようになった。つまり「売り手は取引する財の品質をよく知っているが、買い手は財を購入するまでその財の品質を知ることはできず、情報の非対称性が存在する。そのため、売り手は買い手の無知につけ込んで、悪質な財(レモン)を良質な財と称して販売する危険性が発生するため、買い手は良質な財を購入したがらなくなり、結果的に市場に出回る財はレモンばかりになってしまうという問題が発生する」(ウィキペディア)。

 買い手はその市場でものを買う際には、粗悪品であるリスクを考慮に入れなければならないので、失敗しても「どうせこの値段だから」と諦めがつくものしか買わなくなる。その結果、高額なものを買う人はおらず、安いものしか売れない。適正価格を目指す良心的な売り手の努力は報われないので、市場から去っていく。最後には欠陥を隠して売ろうとする不誠実な売り手と、安い対価しか払わない買い手しか残らず、市場自体が衰退していく――ことになる。

 中古車市場ほどではないにせよ、中国のフリマサイトにこのような傾向がないかといえば、やはり存在する。フリマサイトを利用する中国の友人たちに聞くと、「どうせ安いものだから騙されたってしれてるよ」という言い方をしばしば聞く。要するに最初から「高額なものを買うような場所ではない」と割り切って、リスクを織り込んでいるということだ。これでは取引高の伸びには限度があるだろう。日本のフリマアプリの利用者がこういう言い方をすることはあまりない。

中国も「利他主義」の時代へ向かうか?

 最近、中古品市場に社会の注目が集まるにつれて、中国のニュースサイトなどで、この「レモン市場(檸檬市場)」という単語を目にするようになった。どのような文脈で使われるかというと、中国も所得の大幅な向上で、個人の利益のみをがむしゃらに追求する時代から、相互の信頼に基づいた、成熟、安定した社会に向かいつつある。そのような流れの中で、中国はこれまでの“檸檬市場”の悪循環を断ち切り、信頼を基盤にした社会に変えなければならない――。こんな感じの問題意識が出てきている。

 ここには「相互の信用が低い」ことを前提にした、いわば弱肉強食、性悪説の社会から、互いの信用を前提にした、相互扶助、性善説の社会に変えていかなければならないという発想が存在する。このような中国の知識層の考え方に大きな影響を与えたのが、マーケティング・アナリスト、三浦展氏が2012年に出版し、中国語にも訳されてベストセラーになった「第四の消費 つながりを生み出す社会へ」(朝日新書)という本である。

 「第四の消費」とは何か。同書で三浦氏は「第四の消費社会では、自分の満足を最大化することを優先するという意味での利己主義ではなく、他者の満足をともに考慮するという意味での利他主義、あるいは他者、社会に対して何らかの貢献をしようという意識が広がる。その意味で社会思考といってもよい」と第四の消費社会の特徴を示し、「第三の消費社会」から「第四の消費社会」への変化の特徴は以下の5点であるとする。

  1. 個人志向から社会志向、利己主義から利他主義へ
  2. 私有主義からシェア志向へ
  3. ブランド志向からシンプル・カジュアル志向へ
  4. 欧米志向、都会志向、自分らしさから日本志向、地方志向へ(集中から分散へ)
  5. 「物からサービスへ」の本格化、あるいは人の重視へ

 同書では日本における「第三の消費社会」を1975~2004年、「第四の消費社会」を2004~2034年としており、2004年にいきなり社会が変化したわけではないにせよ、この前後に時代が大きく転換したとの見方をとる。中国の知識人たちの問題意識は、この日本の2004年前後に相当する社会の変化が、いま中国の都市部で起きているのではないか――という点にある。

「第四の消費」中国語版は中国語でもベストセラーに。タオバオでも数多く売られている。

「共享(シェア)」志向が高まる中国社会

 確かにそう言われてみると、三浦氏が挙げている上記5つの変化は、確かに最近の中国でも確認できる。

 若い人たちの社会貢献志向、環境志向は強くなっているし、シェア(中国語で「共享」)志向はシェア自転車やシェアライド、民泊の普及などの形で、むしろ日本より定着しているかもしれない。さらに今の若い人はブランド志向が決して強くないし、それはユニクロが中国でも都市部中間層に大人気を呼んでいる点でも裏付けられる。

フリマアプリ「閑魚」で「ユニクロ(優衣庫)」を検索してみた。

 日本(自国)志向、地方志向も共通する。中国の若者も海外留学や海外旅行に強い興味を示さず、むしろ自国文化に興味を持つ傾向が強まっている。昨今の漢服(中国の伝統服)ブームもその一例だろう。大都会にこだわらず、故郷の近隣都市などに職を求める例も増えている。「物からサービスへ」という流れも、旅行やフィットネスクラブ、習い事や自己投資のブームといった点など、興味深い現象がみられる。

 こうした三浦氏の言う「利己主義ではなく、他者の満足をともに考慮するという意味での利他主義、あるいは他者、社会に対して何らかの貢献をしようという意識」は、上述した「レモン市場」を生む「自分さえ良ければいい」という姿勢とは対極にある。このような考え方が今後、どこまで広がるか、これはとても興味深い問題だと思う。

「レモン市場」の社会を変えられるか

 中国の人々は、やや極端な言い方をすれば、社会全体が「レモン市場」であるような環境の中で、友人・知人、親類など親しい身内が助け合うことで自分たちの利益を守りつつ生きてきた。市場に行けば「目方をごまかされるのではないか」、道を歩けば「運転手は信号をよく見ていないに違いない」と、常に警戒を怠らない。そのような、まず「自分の身を守る」ことを考えざるを得ない環境下で、各人が部分最適を目指す動きが積み重なって、全体の効率が下がっていく。そういう面の強い社会だった。

 しかし、生活に余裕が出て、知識水準も上がり、情報の流通が飛躍的に増えた現在の中国社会は、確かに「第四の消費」の時代に入りつつあるのかもしれない。そこに大きな力となっているのがITである。アリペイやウィチャットペイ(微信支付)などのように互いに何の情報もなくても安全に商品と代金の交換ができる仕組みが実現できたからこそ、フリマアプリのような個人間の売買が可能になった。

「良貨が悪貨を駆逐する」

 しかしITの力によるサポートやチェック、監視の仕組みなどをいくら強化しても、人々の持つ根本的な発想が変わらない限り、「レモン市場」の問題はなくならない。ある中国のコラムニストが日本のフリマアプリについて、以下のようなことを書いていた。

 「日本のフリマアプリでは、売り手は誠実に情報を公開することで商品の価値を高めようとし、買い手は商品の価値に応じた代価を払う用意がある。“悪貨が良貨を駆逐する”という言葉があるが、ここでは明らかに良貨が悪貨を駆逐している」。

 これはちょっと褒めすぎで、そのような参加者ばかりではないと思うが、日本の社会が現状、暗黙の高度な信頼感によって支えられていることは事実だろう。心ある中国の人々はそのことをとても羨ましいと思っているし、なんとか自国もそのような社会にしたいと考えている。

 閑魚に代表される中国のフリマアプリは、さまざまな問題を抱えつつも社会に定着しつつある。信頼を前提にした個人と個人の関係という新しい地平に立てるかどうか、これは中国社会の試金石でもある。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません