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2021年05月26日

次世代中国 一歩先の大市場を読む

解体が進む中国の「家(イエ)」
出生数の急減が意味するもの

出生数は対前年比18%の減少

 中国国家統計局は5月11日、2020年に実施した中国版国勢調査「全国人口普査」(10年ごとに実施)の結果を発表した。それによると、2020年の出生数は1200万人で、前年の1465万人から18%の大幅減。総人口(台湾、香港、マカオは含まず)は14億1178万人で、平均寿命の伸びなどで前回調査より7206万人(5・38%)増加したが、今後数年のうちに総人口の減少が始まるとの見方は中国国内でもすでに共通認識になっている。

 社会が豊かになり、高学歴化、都市化が進み、出生数が減って、いずれ総人口が減り始める。中国に限らず、おそらく世界のすべての国で起きることである。しかし、中国にとってこの問題の持つ意味が大きいのは、中国社会に2000年にわたってはびこってきた男性中心の「家(イエ)」の仕組みの崩壊という大きな変化がその背後に起きているからだ。

 話の順序からいくと、「イエ」を守ることを価値観の中心に置く儒教的な家族制度の最後の砦だった農村部でも、急激な都市化の進展で「イエ」は解体されつつあり、それによって出生数の低下が止まらなくなった――と言ったほうがいいかもしれない。

 日本では中国の出生数減少のネガティブな面が強調される傾向が強い。確かに出生数の減少、社会の高齢化が経済成長にマイナスなのは事実としても、これは中国の社会が次のステップに進むために、どうしても通らなければならない道である。そこには個人の尊重や男女平等の促進など、ポジティブな面もある。人口を労働力や消費市場の角度から議論するだけでなく、出生数の減少によって中国社会がどのように変わったのかを考える視点も必要だと思う。

 今回はそういった話をしたい。

世界の平均を下回る中国の人口増加

 中国は1949年の建国直後、毛沢東時代の「人多力量大(人が多ければ力が大きい)」の掛け声の下、出産が奨励され、人口が急増した。1950年代半ばには計画出産の政策が始まったが、その後もいわゆる「大躍進」運動の失敗により、大量の餓死者、病死者を出した1960、61年を除いて人口は増加を続け、建国時の5億4000万人から2020年の14億1000万人へと、約70年間で2.6倍に増加した。

 しかし、国連の統計によると、この期間に世界の人口は1950年の25億1900万人から2020年の75億7800万人へと3倍に増えており、中国の人口の伸びはそれより低い。例えばインドは1950年の3億7185万人から2020年の13億6722万人(総務省統計局)へと3.6倍に増えている。

 なぜ中国がこのような比較的低い人口増加率でおさまったかといえば、それは前述のように1950年代から計画出産を進め、意図的に出生数を抑え込んできたからである。その代表的なものが「一人っ子政策」である。

「改革開放」と同時に始まった「一人っ子政策」

 「一人っ子政策」が始まったのは1978年。10年間にわたって人々を苦しめ、社会を貧困のどん底に追い込んだ文化大革命(1966-1976)が終わり、現在に至る成長の始まりとなった改革開放政策が鄧小平の主導で始まった年である。この「改革開放」のスタートと「一人っ子政策」の開始がほぼ同時であるのは、偶然ではない。

 鄧小平は1979年、このように語っている。「人口が多く、耕地面積が少ないことは中国が4つの現代化を実現するために念頭に置いておかなくてはならない問題である。人口の多さは発展過程において、食料や教育、就職などすべてにおいて重大な問題となる」(『鄧小平文選』1983年)。「4つの現代化」とは、工業、農業、国防、科学技術の近代化を指し、当時、改革開放の中心的なスローガンとして盛んに唱えられた。

 私事にわたるが、私が大学で中国語の勉強を初めたのが1979年、まさにこの年だった。当時の中国の状況は、社会の混乱で長年まともな教育も行われず、事実上の鎖国状態が続いてきたことで、海外の技術を取り入れようにも人材がいない。農村部では、農民は「人民公社」と呼ばれる一種の生活共同体に押し込められ、仕事も住む場所も上からの指示で決まり、働いても働かなくても分配は同じという悪平等が長くはびこって、やる気のある人は誰もいない――という惨憺たる状態だった。

人口の「質の向上」が真の狙い

 こうした切迫した状況の下、鄧小平ら当時の指導者が考えたのは「中国社会を変革して、海外の先進技術を取り入れ、中国を変えられる人材を一刻も早く育てること」だった。極めて限られた資源の中、早急に人口の「質」を高めるためには、出生数を減らすことが最善かつ唯一の方法と考えられた。つまり「出生数の抑制」は手段であって、究極の目的は中国社会をとにかく急いで「現代化」することにあった。

 この点は現在、顧みられることが少ないが、その後の中国の出生数の急速な減少を考える上で、非常に重要なポイントである。

 実際、中国の合計特殊出生率(1人の女性が15歳から49歳までに産む子供の数の平均)の推移をみると、ピークだったのは1965年の6.396で、そこから急速に下がり始め、「一人っ子政策」が始まった1978年の時点では、すでにピークの半分以下の3を切る水準にまで低下していた(グラフ参照)。つまり、出生数の抑制を目的に改めて厳格な「一人っ子政策」を導入する必要性は低かったと考えられる。むしろ上述したように、新しい「現代化」した社会をつくるための人口の「質」を高める手段として「一人っ子政策」が開始されたと考えるのが自然だ。(このあたりの見方は研究論文「一人っ子政策はなぜ継続されるのか」村井香織、『ソシオロゴス』2006年、№30などによっている)

出生数抑制で教育水準の向上を

 人口の「質」を高めるという発想には、大きく2つの側面があった。ひとつは教育水準の向上であり、もうひとつは農村部に特に根強く残る封建的な「家(イエ)」思想の打破である。

 まず教育水準の向上については、当時、量的にも質的にも極めて限られていた教育資源を広く薄く分散させるのは得策ではない。教師や学校を増やす努力の一方、教育の質を上げるには子供の数を減らすのが最も即効性が高い。

 統計をみると、「一人っ子政策」導入の1978年から2017年までの間に中国の教育機関の各段階の入学率は

小学校 94.0% 99.9%
中学校(初級中学)  66.4% 100.0%
高校(高級中学) 33.6% 88.3%
大学 2.7% 45.7%

 と、いずれも大きく向上している。1980~1990年代は入学、進学する一学年の児童・生徒数が2000万人を超えており、「小学生だけで1億人」という状況の中、ここまで教育水準を向上させた事実は大きい。2000年代以降、それらの子どもたちが続々と大学に進学し、後に大量のIT系の人材などを生み出す母体となった。こうした中国の教育水準の高度化に出生数の抑制が大きく貢献したことは間違いない。

農村部の「伝統的な生育概念」を変える

 そして人口の「質を高める」もうひとつの側面が、特に農村部に根強かった封建的な「家(イエ)」思想の打破であった。

 そもそもなぜ農村部では子供の数が多かったのか。それは、年金の仕組みや医療保険などが未整備な社会において、親が老後、自分が動けなくなった時、最後の頼りになるのは子供、それも家の跡継ぎたる男子だけだったからである。かつては医療水準も低く、平均寿命も今より短かったので、男の子が1人では心もとない。多ければ多いほどいい。

 中国に「養児防老」という言葉がある。「子供を育てて、老後に備える」という意味だ。著名な経済学者、陳志武は著書「金融の論理(金融的逻辑)」や各種のメディアなどで、以下のような趣旨の発言をしている。

 「歴史的に子供は親にとっていわば最大の投資であり、金融商品であり、保険だった。自分が元気なうちに子供に投資し、老いて動けなくなったら子供が親を養う。これが“養児防老”だ。だから子供が誰と結婚するかも親が決めた。自由恋愛などと称して得体の知れない相手と結婚されたり、別の土地に行かれてしまったりしたら、自分の老後やイエの存続が危うい。いわば子供は親の所有物であり、勝手なことは許さない。かつての封建的な時代の不自由さの根源は、この“養児防老”という考え方にある」

 このような「イエ本位」の生育概念がある限り、子供の数はどんどん増えていき、同時に「重男、軽女」、つまり男尊女卑の傾向も引き継がれていく。これは出生数の抑制に不利であるばかりでなく、中国社会を「現代化」するという目的にもそぐわない。中国の改革開放とともに始まった「一人っ子政策」にはこのような狙いが含まれていた。

都市部への出稼ぎという「学校」

 1980年代入ると、海外からの投資も増えはじめ、中国の沿海部を中心に労働力需要が高まって、農村から多くの人々が出稼ぎに行くようになった。80年代後半から2000年代にかけて、常に数億人の農民が都市部で働き、技能と知識、一定の資金を得ては故郷に戻り、また新たな農民が都市部に向かうというサイクルが確立した。一部の農民は都市部で定住し、家族を呼び寄せて都市住民となり、一部は都会で身につけた経験と稼いだ資金をもとに故郷で小商売や工場などを興し、自営業者となっていった。

 のべ人数でいえば数十億人の中国の農民たちが、言ってみれば、都市部での労働という「学校」を通じて、現代社会の常識――例えば「時間を守る」「挨拶をする」「むやみにゴミを捨てない」「宿舎暮らしのマナー」「計画的にお金を使う」――といったことを学んで、故郷に戻った。このことが農村部の人々の意識を変えるうえで果たした役割の大きさは計り知れない。

※資料画像。 本文の内容とは関係ありません

都会生活が変えた若い女性の意識

 特に影響が大きかったのは、中学や高校を卒業した農村部の若い女性たちが、いわば集団就職のような形で都市部に働きに出て、後に故郷に帰り、結婚して子供を産むという流れが生まれたことである。

 こうした若い女性たちは、過去の世代の農民たちとは意識が大きく違う。仮に故郷に戻って結婚し、子供を生むという選択をしたとしても、彼女らは自立して働く多くの女性たちを見ているし、自分で稼いだお金を好きなように使う楽しさを知っている。働きながら英語学校に通ったり、「起業セミナー」みたいなものに通ったりする女性もいた。

 親を敬い、親愛の情を持つのは当然としても、そこには「親の所有物」といった意識は存在しようもなく、仮に親がそのような考えを持っていたとしても、それに黙って従わなければならない環境でもなくなっていた。このような女性たちが「養児防老」「多子多福」といった価値観と相容れないことは言うまでもない。こうした状況の変化が、農村部に残滓のように溜まっていた封建的な「イエ」の思想に致命的な打撃を与えたといっていい。

「老後の社会化」が意味するもの

 中国政府は出生数抑制の政策を進める一方、高齢者に対する養老保険(国民年金に相当)や医療保険(国民健康保険に相当)の普及に力を入れた。つまり先進国がどこもそうしたように、老後の生活を「イエ」から切り離し、「社会化」することを企図したのである。

 複雑なので詳細な説明は省くが、現在では都市部の会社勤務者であれば、仮に月額5000元(1元は約16円)の所得があり、保険料を30年以上納めた場合、計算上、退職後に月額約4000元の保険金(年金)がもらえるレベルまで制度が整ってきた。もちろん30年先のことは誰もわからないが、勤労者の年金としてそれなりの水準と言えるだろう。

 一方、農民を対象にした「新型農村養老保険」では、払込の保険金額は地方によって違うが、一般に年額で100~1000元までの段階があり、15年以上保険金を納めた60歳以上の農民に需給資格がある。支給額は払込額によって異なり、最低月額55元から200元程度になる。この金額は都市部勤労者と比べて非常に低いが、農民は通常、自分の住宅は持っているので、とりあえず食べられるだけの最低限の保障ではある。

 また農民を対象にした農村医療保険は、養老保険と同様、毎年の払込額によって支払われる額が決まる。払込金額は年額100~500元程度で、医者にかかった際の費用の40~60%が保障される。ただし最大金額が決められており、地域によるが、通常500元程度までのケースが多い。

 このようにまだまだ不十分ではあるが、親が子供の世話にならなくても老後の生活を送れる環境は、農村部でも着実に整備が進んでいる。このことが前述した「養児防老(子供を育てて、老後に備える)」という旧来の概念を薄めていることは間違いない。

子供が「資産」から「負債」に?

 経済環境の変化も大きい。大都市の地価高騰、人件費の上昇、環境規制の強化などによって、この10年ほど、沿海部にあった工場が内陸部に移転する動きが加速した。加えて低価格のバイクや自動車などの移動手段の普及で行動範囲が広がり、農村部でも周辺の工場で働くことが可能になった。農地は農地として耕作しつつも、住まいは都市近郊の集合住宅といった中国版兼業農家のような生活スタイルも増えている。このあたりの事情は『本格化する「農地の市場化」~中国経済改革の第2ラウンドが始まった 農民が一夜にして資産家になる日』(wisdom 2018年3月28日)でも紹介したのでご参照いただきたい。

 このような環境変化で、農村部でも親が老後を子供に頼る必要性は一段と低下している。それどころか都市から比較的近く、農地に市場価値が付き始めた農家では、親が一定の資産を持つようになり、子供のほうが年老いた親のスネをかじる現象も出始めている。かつて子供は親にとっての「資産」であり「保険」だったが、いまや子供は「負債」になったというジョークが語られるほどだ。

※資料画像。 本文の内容とは関係ありません

大きく外れた出生数予測

 2016年1月1日を期して「一人っ子政策」は事実上廃止された。人口問題や計画生育を所管する中央官庁、国家衛生健康委員会がその前年、2015年に出した同政策廃止後の出生数予測は極めて楽観的だった。それによると2016年は1767万人、2017年2110万人、2018年2189万人で、同政策をやめれば出生数はただちに増加に転じるものとみていた。

 しかし、現実には、2016年こそ1786万人と予測をわずかに上回ったものの、17年からは一転、急低下を始め、17年1723万人、18年1523万人、19年1465万人、20年1200万人(国家統計局発表)と、坂を転げ落ちるように減り続けている。すでに社会の変化は政府の思惑だけでは簡単に動かない段階まで進んでいる。

 「イエ」の概念の崩壊で、親にとっての子供の経済的な価値が急速に低下し、子供を産まなければならない必然性は薄れてしまった。これが中国で出生率が急低下している根本的な要因である。これは中国が巨大な農村社会から、個人を軸にした近代的な社会に移り変わるプロセスであって、不可逆的なものである。出生数の減少、社会の高齢化の代償は大きいが、では他の道はあったのか、と考えると、難しい。他の先進諸国と同様、中国でも今後、出生数の減少が進んでいくことは間違いないはずだ。

田中 信彦(たなか のぶひこ)氏

ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。

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