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次世代中国 田中 信彦 連載

「中国版ESG」の狙いは「共同富裕」
政治主導が強まる中国民営企業のガバナンス

 中国の民営企業に対する政治主導の色彩がにわかに強まりつつある。

 もともと中国は「一党専政」の執政党である中国共産党がすべてを指導する体制の国ではある。しかし、経済発展を最優先する改革開放政策のもと、これまで民営企業に対する政治的指導は基本的に間接的な形にとどまってきた。

 しかし、ここへ来て「党による政治的指導」が直接的な形で制度化され、民営企業のガバナンスに直接の影響を与える政策が実施され始めている。

 加えて、そこには「中国版ESG」の概念の導入という形で、国有、民営を問わずすべての企業の経営を国家の政策に沿う形に誘導、監督していこうという政治の意志が働いている。

 「中国版ESG」とは何を目指し、民営企業のガバナンスはどのような形になろうとしているのか。今回はこのあたりの話をしたい。

田中 信彦 氏

ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。

民営企業に党から「第一書記」を派遣

 年明け早々の1月初旬、中国の民営企業のガバナンスに大きな影響を与えるニュースが伝えられた。中国西部の陝西省で同省内の25社の有力民営企業に対し、党組織の有望な若手幹部を「第一書記」として派遣することを党組織部が決定し、すでに具体的な人選も行われているとのニュースだった。任期は1年で、派遣中の人件費は「派遣元」が負担し、民営企業側の負担はない。

 「第一書記」という肩書は、いかにも物々しいが、当局の説明によれば、「第一書記」は経営上の権限は持たず、民営企業の経営者と党や政府の間に立って、両者のスムーズな意思疎通を図ったり、民営企業内の共産党員を組織し、派遣先企業の経営者と協力して、より効率的な経営が実現できるよう努力したりする役割を担う――などとしている。党の側からすると、将来の幹部候補を民営企業に「出向」させることで、より市場に近い場所で経営感覚を持った人材を育て、人材評価の一部としたい狙いもあるとされる。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません。

 しかし、この決定は民営企業の経営者らに大きな波紋を呼んでいる。

 当然ながら中国でも「民営企業」である以上、個人が自らの財産を投資し、自らのリスクで運営する私企業である。経営に関する決定は企業自身の経営者(陣)によって行われている。そこに対して、職制上の権限はないとはいえ、執政党の組織部が選んだ、将来を嘱望されるエリート幹部候補が「第一書記」というタイトルで派遣されてくる。中国の国情を考えれば、現実にはその人物の意向に企業側が抗することは難しいだろう。

 「国有企業しか知らない人材に民営企業の経営がわかるのか」「経営が2頭体制になってしまう恐れがある」「民営企業に対する党や政府の監視強化だ」といった懸念の声がSNSなどには多数、発信されている。もちろん「民営企業とはいえ、中国では党や政府との関係構築は不可欠だ。その意味でこの制度はプラスになる」と支持する声もある。

 メディアの伝えるところでは、こうした制度は陝西省だけでなく、他の省や市でも導入の動きがあるという。世論の反発もあり、今後この制度が全国に拡大するかは未知数だが、民営企業のガバナンスに政治が本気で影響力を及ぼそうと試み始めていることを示す動きといえる。

アリババ、テンセントの経営に政府が「拒否権」を確保

 民営企業のガバナンスをめぐっては、今年に入ってもう一つ大きなニュースがあった。英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)が1月13日付で伝えたところによると、中国政府は、中国EC大手のアリババ・グループとテンセント・ホールディングス(騰訊控股)の傘下にある部門の「黄金株(拒否権付株式)」を取得したという。中国政府の「国家インターネット情報弁公室」が政府系投資基金の下に設立した事業体が、1月4日、アリババ・グループの広東省広州市にあるデジタルメディア子会社の株式1%を取得したと伝えられる。

 こうした手法は、中国では「特殊管理株式」と呼ばれる。これによって取締役1人を派遣することが可能になり、経営の決定に影響力を行使できる。2021年、配車アプリのDIDI(滴滴出行)およびTikTokで知られるバイトダンス(抖音集団、原:字節跳動)に対しても同様の形式で政府は発言権を確保しており、今回、最大手の2社にも対象を広げた形だ。

 アリババとテンセントは中国の民営企業を代表する象徴的な存在だ。この2社に対して、中国政府が間接的な形とはいえ、拒否権付き株式を保有することで、民営企業に対する政府の関与、監督の権限が一段と強化されたことは間違いない。

「中国的特色を持つESG経営」とは?

 このように民営企業のガバナンスに対する党や政府の関与が強まる一方で、このところ中国国内でにわかに注目を集めているのが、中国的特色を持つ、いわば「中国版ESG経営」の議論だ。

 ESG経営とは、環境(Environment)、社会(Society)、ガバナンス(Governance、中国語では「公司治理」)の3つの要素(ESG)を重視する経営方法を指す。2006年、コフィー・アナン国連事務総長(当時)が提唱したPRI(Principles for Responsible Investment:責任投資原則)の中で初めてESGという概念が登場。複雑化する世界経済において、さまざまな社会課題に関わるESGの3要素が、長期的な企業の発展・成長に大きな影響を与えることを強調したものだ。

 一般にESGでは以下の図表にあるような要素が重視される

 しかし、「中国版ESG」は、これらの概念とはかなり大きな違いがある。

 「中国版ESG」のうち、最初の「E(環境)」に関しては、グローバルな概念との違いは比較的少ない。2020年9月、国連総会において習近平国家主席はビデオ演説を行い、2030年にカーボンピークアウト、2060年にカーボンニュートラルを目指すと表明。これが事実上の国際公約になっており、その実現は中国政府にとって最大級の重要性を持っている。中国が進める環境政策は国際社会を意識し、いわば世界の標準と歩調を合わせるものになっている。

 大きく異なるのは「S(社会)」および「G(ガバナンス)」の部分だ。ここにはかなり強い「中国的特色」が表れている。

「共同富裕」への貢献は企業の社会的責任

 まず「S(社会)」の部分では、「企業の社会的責任」の強調は中国でも同じだが、「中国版ESG」で最も強く求められているのは、社会の貧富の格差縮小、つまり習近平政権が強く推し進める「共同富裕」への貢献である。スイスの大手金融会社、クレディ・スイスが発行する「Global Wealth Databook 2021」によると、中国の上位1%の富裕層が所有する富は全体の30%を超える。この大きな格差の是正は党や政府が掲げる最大の政治目標であり、企業にもそこへの貢献を明確に要求しているわけだ。

 習近平国家主席は2021年8月、党の重要会議で「資本の無秩序な拡大に断固として反対する」と語り、市場に圧倒的な影響力を持つ民営企業、そしてその企業を所有するオーナー経営者らに対する監視、監督を強化していくことを指示した。前述したアリババやテンセントなどに対する関与の強化は、こうした「資本の無秩序な拡大」を抑制するための措置の一部とみられている。

 また同主席は同じ会議において所得の「第3次分配」の重要性を強調し、「高すぎる所得を合理的に調節し、高所得層と企業が社会に更に多く還元することを奨励しなければならない」と指摘している。「第3次分配」とは、一定以上の利益をあげた企業や個人が自ら進んで所得の一部を寄付し、公益性の高い分野に役立てることで所得や資産の格差を調整する機能を指す。こうした政治の意図に応えて、アリババやテンセントは当時、数千億円から1兆円を超える額の寄付を次々と申し出た。

 こうした寄付はあくまで企業の社会貢献意識にもとづく「自発的な」ものとされる。しかし、いかに中国のIT企業の利益が大きいとはいえ、1兆円を超える寄付は尋常ではない。一部には「金持ちの富を奪って、貧者に分け与えるものだ」「事実上の罰金」などと指摘する声もある。これらの「自発的な寄付」の背景にも「中国版ESG」の論理が垣間見える。

農村振興への貢献を求める

 さらに「S(社会)」部分の具体的な行動として企業に期待されているのが、格差縮小の方法論としての農村(農業)振興への貢献である。

 中国は1949年の建国以来、二元戸籍(戸口)制度によって都市部と農村部を厳格に区別し、農村部の富を都市部に意図的に移転することで経済発展を促進する政策をとってきた。都市部と農村部の経済格差の根は深い。2000年代以降、政府はこの格差是正に本格的に取り組み、いわゆる「三農」(農村、農業、農民)」を重視し、農村部の所得底上げを狙う政策を次々と実施してきた。ここでは詳述しないが、その政策は成果を挙げ、都市部と農村部の地域格差は長期的に縮小傾向にある。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません。

 今回の「共同富裕」の推進では、この農村振興が大きな政策テーマに掲げられており、企業にもそこへの貢献を強く求めている。「中国版ESG」の判断材料の一部として農村振興への取り組みが強調されている背景には、こうした中国の状況がある。

有力民営企業は続々と農村へ

 例えば、2021年7月、政府が出した事実上の「宿題、学習塾禁止令」(「双減」政策)によって存亡の危機に追い込まれた民営の教育産業最大手、新東方(新東方教育科技集団)は自身の教室で使っていた学習机と椅子、約8万セットを農村の小中学校に寄付した。(教育は市場化すべきか いつの間にか「悪者」になった中国の民営企業家)さらに創業オーナーの兪敏洪は、これによって「失業」した仲間の教師ら100人と共に、ライブコマースによって農村産品を販売し、農民の生活を向上させる事業を始めた。彼自身もカメラの前に立ち、各地の産品を全国に売りまくっている。

 政府に「いじめられた」新東方に対する国民の同情心と兪敏洪の誠実な人柄もあいまって、このライブコマースの新事業は人気を呼び、大成功。期せずして政府の農村振興策に大いに貢献するという、ある種、皮肉な状況になっている。

 またアント・グループの香港上場が当局によって差し止められ、経営の第一線からは身を引いた形のアリババの馬雲(ジャック・マー)は2021年11月、習近平国家主席に手紙を送り「残りの人生を中国農村部の教育に捧げたい」と申し出たと報道されている。これも明らかに党や政府の意向に応えたものだろう。

 さらにこの連載で前回「世界に打って出る中国の低価格EC「ピンドゥオドゥオ(拼多多)」 目指すは「バーチャルなコストコ」」で書いたように、中国ECの大手ピンドゥオドゥオは、安売り頼みのビジネスを脱却するため、商品の供給側を重視し、そのつくり手である農家や工場を支援し、商品の品質と付加価値を向上させる策をとっている。詳細は記事を参照していただきたいが、自社の技術力や資本力、人材を動員して農村の生産者を支援、農作物や地域の伝統工芸品などをプロデュースし、全国に大量に販売することに成功している。見事なWIN-WINのビジネスの実現で、企業による立派な社会貢献といえるだろう。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません。

民営企業のガバナンスへの政治的関与

 そして「中国版ESG」のうちで最も中国的特色を持ち、企業経営への影響も大きいのが「G(ガバナンス)」の部分である。

 中国の有力経済誌「財経」が2022年12月に開催した「持続的発展サミットフォーラム」で、中国人民政治協商会議全国委員、上海交通大学金融学院執行理事、屠光紹氏は「党の20大(2022年10月に開かれた中国共産党第20回全国代表大会)の報告でも“中国的特色を持つ現代的企業制度の確立”がうたわれている。中国のESGは当然このような中国的特徴を反映したものでなければならない。企業のガバナンスと企業内の党組織の建設をどのように結びつけるかが重要だ(訳は筆者、以下同)」という趣旨の報告を行なった。「中国版ESG」における「G」部分の要素として、「いかに党や政府の政策に沿った経営を行うか」が大きな判断要因になっていることがうかがわれる。

 中国の人々にとって「党」は身近な存在である。中国共産党は2021年末現在、9600万人の党員を擁し、成人に限ればその比率は国民10人に1人に近い。民営企業の経営者や従業員の中にも党員は少なくない。民営企業の社内に党組織をつくることは法的な義務ではないが、社内に党員が3人以上いる場合、党支部の組織を設立することができ、100人以上の党員がいれば「党委員会」を設立することができるなどと規定されている。やや古い数字だが、2018年12月末現在で民営企業の48.3%に企業内党組織が存在している。

 このように従来から中国の民営企業にはかなりの比率で党組織が存在してきた。「党」と企業経営の緊密な関係は今に始まったことではない。しかし、これまでの企業内の党組織は、基本的に「従業員の利益を代表して経営に提言を行う」といったスタンスで、どちらかといえば経営をサポートする意味合いが強かった。

「固い決意で党の指示を聞き、党と共に歩む」

 しかし冒頭に書いたように、党の上級機関が民営企業に対して「第一書記」を派遣するとなれば、その意味合いは大きく異なる。企業内の党組織はあくまでその企業の従業員だが、「第一書記」はいわば政治的な権力を背景に、「上から降りてくる」存在である。そうした人物が経営の中枢に参画するとなれば、企業の経営判断が党や政府の方針や政策に忠実であるかどうか、チェックする機能が働かざるをえない。

 2020年9月、中国共産党中央弁公室が出した「新時代の民営企業統一戦線工作の強化に関する意見」では「民営経済は党の指導の下に発展してきたものであり、いつ、いかなる時でも固い決意で党の指示を聞き、党と共に歩むものでなければならない」と述べる。そのうえで「民営経済に対する党の統一戦線工作は中国的特色を持つ社会主義制度を堅持し、より完璧なものにするものでなければならず、党と民間の協力体制の優位性を発揮し、資本の所有関係および収入の分配関係、政府と市場の関係などに関する協力関係を推し進め、民間経済人の社会経済発展および国家統治への積極的かつ主体的な参画を促進し、中国の特色ある社会主義制度の優越性をさらに強く発揮させるものでなければならない」などとしている。

 表現がわかりづらいが、「統一戦線工作」とは共産党が党外人士に対して政治的に協力体制を組むように働きかける工作を意味する。要するに、民営企業は党の指示に従い、積極的に協力して社会主義制度の建設に邁進せよということだ。「中国版ESG」の「G(ガバナンス)」はこうした政治的背景のもとに提唱されている概念である。

 まとめると、「中国版ESG」とは以下のような要素で構成されている。

  • 環境(Environment)
    2030年にカーボンピークアウト、2060年にカーボンニュートラルの実現
  • 社会(Society)
    「第三次分配(自発的な寄付など)」による貧富の格差縮小への貢献、農村(農業)振興への積極的な参画などによる「共同富裕」実現への貢献
  • ガバナンス(Governance)
    党による政治的指導の強化、「いつ、いかなる時でも固い決意で党の指示を聞き、党と共に歩む」経営の実践

 今後、中国の民営企業はこうした尺度によって党や政府から評価され、市場でもその評価が参考にされる方向に進むとみられる。このことは民営企業の裁量権を狭くし、その経営判断に大きな影響を与えることになるはずだ。

「白い猫でなければネズミを捕るのは許さない」

 中国の改革開放40年は鄧小平の「黒い猫でも白い猫でも、ネズミを捕る猫が良い猫だ」との発言に象徴される現実主義のもと、民営企業の経営に一定の幅が許容されてきた時代だった。しかし、経済発展で自信を強めた政権はそうした「資本主義に対する妥協」をやめ、社会主義本来の平等重視路線に戻りつつあるように見える。

 文化大革命の混乱で国力が地に落ち、何がなんでも世界に追いつかなければならない非常事態のもとでは「黒い猫」も大目に見ていたが、強国となった今は事情が変わった。「白い猫でなければネズミを捕ることは許さない」。ざっくばらんに言えばそういうことだろう。

 その意味で、「中国版ESG」の時代は、中国の民営企業にとって、かなり厳しいタガの嵌まる、窮屈な時代になっていくと覚悟しなければならない。その状況は外資系企業にとっても同様だ。中国での企業経営は大きな転換点に来たとみるべきだろう。