中国アリババ「6分割」が示す時代の変化
「社会を変える」価値観は維持できるか
Text:田中 信彦
中国の代表的EC企業、アリババ(阿里巴巴)は3月末、傘下の事業を6つのグループに分割すると発表した。本体は持ち株会社となり、事業への関与は大幅に縮小する。事業グループ単独の上場も認めるなど、より市場に密着した、自立した経営を求めるという。この決定を市場は好感し、同社の株価は一時、米株式市場で約14%上昇、時価総額は4兆円以上増えた。
中国の爆発的な成長と社会の変革を体現してきたアリババの分割は、時代の変化を象徴する。
過去20年、アリババの成長は、「人々の不便をなくし、社会を変えていく」という価値観が常にその根底にあった。しかし中国の社会体制はすでに固まり、「変えていく」時代から、既存の仕組みを前提に効率よく稼ぐ時代になった。価値観主導をパワーにして成長してきたアリババは、分割後も成長することができるのか。今回はそんなことを考えた。
田中 信彦 氏
ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
各事業グループに役員会とCEOを設置
今回の「6分割」は今年3月28日、アリババの董事長兼CEO、張勇(ダニエル・チャン、以下敬称略)が、社員に送った電子メールで明らかにした。それによると、アリババ本体は122億元(1元は約19.3円)の資本金を1億元に減資し、持ち株会社となったうえで、グループの事業を以下の6つのグループに分割する(Gはグループの略)。
- 「淘宝天猫(タオバオ・Tモール)コマースG」~国内EC事業
- 「クラウド・インテリジェンスG」~クラウド事業
- 「グローバル・デジタルコマースG」~越境EC、中国以外でのEC事業
- 「菜鳥ネットワーク スマートロジスティクスG」~物流事業
- 「ローカルサービスG」~フードデリバリー、デジタルマップなど生活関連サービス
- 「デジタルメディア&エンターテインメントG」~動画配信やゲーム事業など
これまで各事業グループのCEOはアリババ(本部)が指名していたが、今後は各グループが独自の董事会(取締役会に相当)を設け、そこで選ばれたCEOが当該グループの業績に責任を負う仕組みになる。報道によれば、各事業グループは独自の資金調達や新規株式公開(IPO)もできるようになるという。
アリババという「社会運動」
アリババグループの創業は1999年。この20年、飛躍的な成長を遂げ、2022会計年度のグローバル流通総額(GMV)は史上最高の8兆3170億元、日本円150兆円を超える巨大企業になった。従業員は24万人に達する。
アリババはジャック・マー(馬雲)の「志(こころざし)」から始まった企業だ。何か特定の技術や商品があったわけではない。原点は後にアリババのミッションとなった「この世から難しい商売をなくす」(让天下没有难做的生意)というマーの「思い」である。アリババの事業は商売とはいっても、当初からある種の「社会運動」的色彩を帯びていた。
そのため事業を進めるにつれ、「やるべきこと」が次々と現れ、ECがコアではあるが、周辺に事業領域がどんどん広がっていった。今回の「6分割」の、そもそもの根っこをたどれば、ここに行き着く。
この点が同じ中国の企業といっても、ECに集中して成長してきた京東(JD)や拼多多(ピンドゥオドゥオ)などとの際立った違いだ。アリババのEC決済手段から派生したアリペイ(支付宝)がその後、 アント・フィナンシャル(現アント・グループ)として切り離され、さまざまな金融手段として成長していったのも同じ理由だ。
そして、金融領域の改革に足を踏み入れたことが、後に政治との確執が深まる要因にもなった。アントに関しては本稿では触れないが、ご興味があれば本連載の「中国のアントグループは何をしている会社なのか?」(2020年11月)をご参照いただければと思う。
ECを中核に関連領域に発展
今回発表された6つの事業領域の内容を見てみよう。
①「淘宝天猫(タオバオ・Tモール)コマースG」
いわばアリババの「祖業」。アリババは1999年、企業間電子商取引(B to B)のオンライン・マーケットとしてスタート、その後、C to C およびB to Cの電子商取引サイト「淘宝網」、B to Cの「天猫(Tモール)」などを運営2022年度の売上高で各グループの構成比をみると、この「国内EC事業」が69%と圧倒的なボリュームを占めている。今に至るもアリババの基幹事業である。
②「クラウド・インテリジェンスG」
クラウドコンピューティングおよび人工知能テクノロジーを活用した各種サービス、コミュニケーションプラットフォーム「DingTalk」(釘釘)などを提供している。①のECをベースに蓄積した膨大な情報が事業のバックグラウンドにある。今後大きな成長が期待されている分野だが、大口の顧客が自前のクラウドを構築するケースが増えていること、ゲーム業界の成長鈍化などで競争が激化、事業環境は厳しくなりつつある。
③「グローバル・デジタルコマースG」
ここは①のいわばグローバル版である。越境ECのAliExpressをはじめ、シンガポールに拠点を置き、東南アジアを領域とするEC子会社Lazada、トルコの有力ECプラットフォームTrendyol、パキスタン、バングラデシュ、スリランカなど南アジア中心にネットワークを持つECプラットフォームDarazなどの事業が含まれる。
④「スマートロジスティクスG」
「菜鳥ネットワーク」はアリババが設立した物流企業だが、自身で物流は直接手がけない。社名にあるように「物流企業のネットワーク」である。①のECが大きな顧客だが、それ以外の領域にも拡大しつつある。そのユニークなビジネスモデルについては、この連載の「中国全土に24時間以内、全世界に3日以内、”世界のショッピングモール”を目指すアリババの”本気”」(2018年11月)参照。
⑤「ローカルサービスG」
この領域は、企業買収によってアリババグループに加わったものが多い。地図アプリで「百度地図」(Baidu Maps)とシェア争いを繰り広げる「高徳地図」(Amap)やフードデリバリーの「餓了麼」(Ele.me)など。一定のシェアはあるが、競争が激しく、収益的には苦しい状況が続く。
⑥「デジタルメディア&エンターテインメントG」
動画サイトの「Youku」(優酷)や映画宣伝・配給会社の「アリババ・ピクチャーズ」、ネットワークゲームの運営など。
アリババの九大価値観「独孤九剣」
このように多岐にわたる事業を、いわば横につないで束ねてきたのが、マーの個性が色濃く反映したアリババの「価値観」である。
アリババが自らの価値観を初めて明確な形にしたのは2001年。この年、GE中国の医療機器部門のトップを務めていた関明生が、マーに請われてアリババCOOに就任。GEには全世界の従業員に共有が求められる「GEグロースバリュー」と呼ばれる価値観・行動規範がある。同様のものが必要だと考えたマーは関の提案を受けて、9つの文言からなる価値観「独孤九剣」をまとめた。一風変わった名称だが、マーは中国の小説家・金庸の武侠小説に心酔しており、その中の剣法の一つにちなんで名付けた。内容は以下の9つ(訳は筆者、以下同)。
「激情」(仕事に情熱を注ぎ、優れた成果を追求する)
「創新」(イノベーション、現状に満足せず、継続的に新しいことに挑戦する)
「教学相長」(Teach & Learn、継続的に学び続け、他者と協力して相互支援する)
「開放」(オープン、包容力を持ち、様々な意見や提案を受け入れる)
「簡易」(シンプルであり、効率を重視すること)
「群策群力」(Teamwork、チームワークを発揮し、チーム力を高めること)
「専注」(Focus、コア・コンピタンスに集中し、競争力を向上させる)
「質量」(クオリティ)
「服務と尊重」(Customer First、顧客を中心に考え、優れたエクスペリエンスを提供する)
「価値観は道徳観念ではない。ゲームのルールだ」
アリババの特筆すべきところは、こうした自らの価値観を単にスローガンや観念的な目標に終わらせるのではなく、具体的な評価基準として形にし、社員に実行を求めたことだ。その考え方は、「価値観は道徳観念ではない。ゲームのルールだ」というマーの言葉に集約されている。それを実現するため、人事評価の評点の配分は「価値観50、業務50」とした。
例えば、「独孤九剣」の一つ、「創新」(イノベーション)の評価基準と評点の配分は以下のようになっている。
「創新」(イノベーション)評価基準
1点 仕事の環境変化に対応し、ふさわしい行動ができる
2点 自らの仕事のやり方を不断に改善し、個人の業績を継続的に上昇させている
3点 変化を喜んで受け入れ、ボジティブな姿勢でそれに参画している
4点 自らの職務に関して必要な提案ができ、チームの業績を向上させた
5点 変化を自ら創り出し、会社の業績を顕著に向上させた
9つのポイントすべてについて、上記のように評価基準ならびに1~5点までの評点が定められ、それに基づいて必ず本人の上司、上司の上司、人事部門の3者が議論を行い、評価する(one over one plus HR)ルールが定められている。
「独孤九剣」を定めた当時、年間売上高が数百万元の時点で、100万元の予算をかけて3ヶ月の価値観教育を行った。この精神は今も引き継がれている。
「この世から難しい商売をなくす」
アリババの精神を表す表現が具体的な言葉になったのもこの頃だ。冒頭に紹介した「この世から難しい商売をなくす」のほか、
「今日の最高のパフォーマンスは明日の最低基準」(今天最高的表现是明天最低的要求)
「平凡な人間が(力を合わせて)平凡でないことをする」(平凡的人做不平凡的事)
「失敗してもいいが、決して諦めない」(可以失败但永不言败)
などの言葉が次々と生まれ、受け継がれていった。
「絶対に賄賂を贈らない」という原則を決めたのもアリババらしい。当時の中国は、公的機関でも民間企業でも、担当者が自らのポジションを利用して不正な利得を得る行為が横行していた。こうした不正を認めないというアリババの姿勢は、一部の清廉な相手方には歓迎され、積極的な支持者も生まれた。一方で、こうした「現実に妥協しない」青臭い姿勢に反感を感じる勢力も少なくなかった。価値観を軸にしたこのようなアリババの行動様式は、熱烈な支持者を生む一方、中国社会の水面下で見えない敵を増やしていった側面は否定できない。
「新・六脈神剣」がコアバリューに
「独孤九剣」は2005年、6つに改変され、名称も「六脈神剣」と改められた。そして創業者のマーが董事長を退任した2019年9月、コアバリュー「新・六脈神剣」として再度リニューアルされた。その内容は以下の通りである。日本語に訳しにくいので、アリババ公式ホームページの英語訳を添える。
「客户第一,员工第二,股东第三」Customers First, Employees Second, Shareholders Third
「因为信任,所以简单」Trust Makes Things Simple
「唯一不变的是变化」Change Is the Only Constant
「今天最好的表现是明天最低的要求」Today's Best Performance Is Tomorrow's Baseline
「此时此刻 非我莫属」If Not Now, When? If Not Me, Who?
「认真生活 快乐工作」Work Happily, Live Seriously
どれもなかなか魅力的な価値観で、簡潔な表現に切れ味がある。
ジャック・マー「退任は制度の成功」
2018年9月、マーは社員に向けて公開書簡を送り、1年後、グループの董事長を退任すると宣言した。そしてその言葉通り、1年後の2019年9月、上記のコアバリュー「新・六脈神剣」の制定とともに同職を退任した。その際のスピーチでマーは以下のように語っている。
「今日はジャック・マーの退任ではなく、一つの制度の継承の始まりだ。これは一人の人間の選択ではなく、一つの制度の成功である」
「強い企業をつくることは簡単ではないが、良い企業をつくることはさらに難しい。強い企業かどうかは商業能力で決まるが、良い企業かどうかは責任感と善良さで決まる」
マーは中国において一時期「神格化」に近い存在となった経営者である。24万人の組織を引っ張ってきた伝説的経営者が、50代半ばで経営の一線から退くのは簡単なことではない。その点で、マーが自らの退任を「制度の成功」と語っているのは興味深い。その背景には、創業当初から「価値観」を重視し、それを現実の制度として運用し、価値観に沿う人材を選りすぐって組織を運営してきたことが大きく寄与しているのは間違いない。
今回の「6分割」にもその歴史が流れている。それは分割後の各グループのトップに、マーとともにアリババをつくってきた社内の人材が就いていることを見ればわかる。大胆な事業分割ができるのは、それぞれの経営を任せられる、価値観を同じくし、しかも事業立ち上げの豊富な実績を持つ人材がいるからだ。このようなケースは中国では珍しい。
揺らぐ価値観
しかし、そうではありつつも、分割後のアリババが、従来のように価値観重視の経営を継承できるのかは大きな課題だ。伝えられるところでは、毎年全社で2000人を超える新入社員に対してアリババの価値観を伝える全社研修「百年阿里」は取りやめになったという。また毎年5月10日、グループ本部の主導で行われてきた「アリババの日」の記念行事も、今後、統一した形では行わないことになったそうだ。
そもそも3月末、アリババの董事長兼CEO、張勇から発信された「6分割」を社員に知らせるメールが、アリババグルーブのトップから全従業員に向けて発信される最後のメールになるのではないかとささやかれている。
アリババは「普通の会社」になるのか
アリババが中国の他の企業と決定的に異なっていたのは、「我々は金儲けだけの凡庸な会社にはならない。世界に変化をもたらすことが我々の目的だ」(マーの言葉)に象徴されるように、明確な価値観を提示し、「社会を変える」ことを掲げて成長してきたことだ。それを多くの国民が期待し、支持した。そしてその理念に共感した「熱い」若者たちがアリババの旗の下に集まり、成長の原動力となった。
時代は変わり、社会は豊かになって、国家は「安定」し、政治の力は強くなった。もはや「社会変革」を掲げる時代ではなくなったのだろう。しかし、「価値観」抜きで、単に効率の良い成長を追いかけるのでは、アリババは「普通の会社」になってしまう。ますます競争が激化する市場を勝ち抜いていくことは容易ではない。
アリババは自らが「アリババたる所以」である価値観を維持しつつ新たな成長のプロセスに入れるのか。あまり楽観はできない。中国の急速な成長と共に歩んできたアリババの分割は、そのまま中国という国の変質、時代の変化を反映している。
次世代中国