水素自動車に本腰を入れ始めた中国
EVの「次」を見据え、全方位の自動車大国を目指す
Text:田中 信彦
水素自動車の普及に中国が本腰を入れ始めた。
その背景には、太陽光発電など再生可能エネルギーの普及が進んできたことがある。発電量が自然条件に左右されやすい再生可能エネルギーの弱点を補うため、発電した電気を水素に変えて貯蔵する。その手法の有効性が認知されてきたことで、再生可能エネルギー利用の「出口」としての水素自動車の存在感が高まってきた。
政府の後押しを受け、中国各地では商用車を中心に水素自動車の関連産業が続々と立ち上がり始めている。個々の技術レベルでは先進諸国とは差があるとされるが、国内市場の大きさを背景に、さまざまな企業が果敢に新製品を開発し、市場が急拡大する中国的「野蛮な成長」のパワーはEVでも実証済みだ。
中国の自動車関連SNSでは昨今、「EV派」と「水素派」がクルマの将来像をめぐって激論を闘わせている。中国社会の水素自動車に対する視線は大きく転換しつつある。
今回はそんな話をしたい。
田中 信彦 氏
ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
中国水素エネルギー産業「黄金の10年」になるか
今年7月、国家発展改革委員会など水素産業に関連する6つの中央省庁が連名で「水素エネルギー産業標準体系建設ガイドライン(2023版)」を発表した。水素エネルギー産業の促進を目的に、水素の生産、貯蔵、運搬、利用の各段階で業界標準の制定に道筋を付けた。それに先立つ2022年3月、中央政府が「水素エネルギー産業発展の中長期計画(2021-2035年)」を策定、水素産業の発展プランが初めて中央政府の中長期計画に組み込まれたことを受けた動きだ。同計画では2025年までに水素自動車を5万台に増やすなどの目標を掲げている。
今年9月、北京市で開かれた「2023 Global Energy Transition Forum」では中国政府の関連機関がまとめた「国際水素エネルギー技術および産業発展報告書2023」が公表された。そこでは昨年2022年を水素エネルギー産業のグローバルな成長の元年と位置付けた。「世界の水素エネルギー関連直接投資はすでに2500億米㌦に達しており、今からの10年間は中国水素エネルギー産業“黄金の10年”となる」と高らかにうたい上げている。
今年上半期、水素車の販売台数は70%増
中央政府の計画を受けて、すでに国内50以上の都市や地域で独自の水素エネルギー産業発展計画を策定、補助金の支給などの支援策を実施している。例えば北京市では2025年までに国際的なレベルの技術力を持つ水素燃料電池企業を5~10社育成、水素燃料電池車を1万台普及させ、水素ステーションを74か所設置する。また上海市では、同1万台、70か所以上、広東省では同1万8000台、80か所という計画を公表している。
現時点の状況を見てみると、2022年末現在で中国国内の水素燃料電池車の保有台数は1万2682台、水素ステーションは358か所。中国自動車工業会のデータによれば、今年上半期の1~6月、全国の水素燃料電池車販売台数は2410台で、前年同期比73.5%増。絶対数は多いとは言えないが、伸び率は高い。
ちなみに日本国内では、2022年末現在で水素自動車(水素燃料電池車)は8000台弱、水素ステーションは181か所となっている。同年の販売台数は848台と前年に比べて65%の減少となっている。
「水素自動車」には2つの種類
水素をエネルギー源にして走る自動車には2つの種類がある。一つはエンジン内でガソリンの代わりに水素を燃焼させて走る「水素エンジン車(H2 ICE)」。もう一方が空気中の酸素と車載の水素を結合させて発電し、モーターを回して走る水素燃料電池車(FCEV)。「燃料電池」とはfuel cellの訳語で、いわば水素を使う発電機のことである。自ら発電装置を積んで走る電気自動車の一種といえる。
水素エンジン車は欧米を中心にトラックなどで開発が進んでいるが、中国や日本では、現時点で実用化されているのはほぼ全てが水素燃料電池車である。記述が煩雑になるので、本稿では水素エネルギーで走る自動車を総称して「水素自動車」と表記する。
EVの「限界」が中国社会の共通認識に
中国が最近になって水素自動車に力を入れてきた背景には、大きく分けて2つの動きがある。第一には、EVの技術が急速に進化し、ユーザーの視線も成熟してきたことで、ある意味でEVの「限界」(本質的なメリットとデメリット)が明確になってきたことだ。そして第二には、広大な国土を利用した太陽光や風力発電など再生可能エネルギーの普及が進んだことにより、「電気の貯蔵法」として水素の役割がクローズアップされてきたことだ。
まず1つめの背景であるEVの「限界」については、これまで多くの報道等で伝えられているので、ここで改めて詳しく語る必要はないだろう。
中国メーカーのEV関連技術の進化は目覚ましい。走行可能距離は飛躍的に伸び、充電時間はどんどん短くなり、走行性能は高くなって、ITを駆使した自動運転、各種の車内エンターテインメントの充実ぶりは驚くばかりである。完成車&バッテリー企業のBYD(比亜迪)、世界No.1のバッテリー専業メーカー、CATL(寧徳時代新能源科技)などのすごさはこの「wisdom」の連載でも何度か紹介した。
中国発のEVの実力は完全に世界が認めるところだ。中国国内でも相変わらずEVは売れ続けている。しかし、そうしてEVが中国社会で「当たり前の存在」になるのと並行して、「そうは言っても、やっぱりEVだけでは無理だよね」という共通認識も広まりつつある。
高速道路や山坂道では電池の減りが早くなる。寒冷地にも弱い。クルマの性能を高めるためには大きなバッテリーを積まざるを得ず、そうするとクルマは重くなり、値段が高くなる。充電時間は短くなったとはいえ、それでも限度はあるし、高電圧、強電流での急速充電は社会的な負荷が大きい。使用済み電池の処理はすでに大きな課題になり始めている。
EVの熱狂は過ぎ、「次」を模索
こうしたEVがもともと持っている本質的な弱点は、大きく改善されたとしても根本的にはなくならない。全国あらゆる地域のすべての用途をEVでカバーするのは現実的ではないし、効率のよい方法ではない。もちろん政府や業界はそんなことは最初からわかっていたが、それがユーザーの間でもそのことが共有されるようになってきた。近年、EVとガソリン車の特徴を兼ね備えたPHEV(プラグインハイブリッド車)の販売台数がEVを上回って伸びているのは、こうした社会の見方の反映といえる。
過去10年近くの間、中国社会を覆っていた「EV信仰」は過ぎつつある。しかしEVで圧倒的な地位を築いた中国は、今後当面の間、EVで世界のトップレベルを走り続けるだろう。そして、その後にやってくる2035年以降の世界を見据えた時、次の焦点となるのは水素自動車だ――という気分が出てきている。
太陽光発電 → 「グリーン水素」 → 水素自動車
そして昨今、水素自動車が注目を集める第2の理由が、再生可能エネルギーの貯蔵方法としての水素エネルギーの活用である。
石油や天然ガスの多くを輸入に頼る中国にとって、太陽光や風力など再生可能エネルギーの利用拡大は重要な国家戦略だ。中国は国土が広く、日照時間の長い土地や長時間強い風の吹く地域もあり、再生可能エネルギーの普及には適している。2021年末の段階で再生可能エネルギーによる発電量は、国内総消費電力の13.8%に達している。この比率は今後ますます高まると予想される。
しかし再生可能エネルギーは発電量が自然条件に左右される弱点がある。発電量を需要に応じてコントロールするのが難しい。そのため太陽光の強い日中に発電された大量の電気が有効に使われないまま空費されているのが現状だ。その弱点をカバーするためには、つくった電気を蓄電しておく仕組みが必要だ。このあたりの事情は「中国で巨大蓄電池を生産するテスラ 新エネルギーの主戦場はEVから蓄電システムへ」(2023年6月)で書いたのでご参照いただければと思う。
中国政府は大規模蓄電システムを各地で導入する一方、太陽光発電などでつくった電気で水素を生産し、それを貯蔵することで、事実上「蓄電」する仕組みを構築し始めている。水素は水を電気で分解(電解)すれば事実上、無限につくれる。必要なのは大量の電力だが、再生可能エネルギーを使えば製造工程でCO2を排出せず、低いコストで「グリーン水素」をつくることができる。水素はそれ自体を使って発電もできるから、水素の形で貯蔵しておけば、理屈の上では蓄電と同様の役割を担える。
「まず水素ありき」。クルマはエネルギー利用の「出口」
ここでは「まず水素ありき」の発想から出発していることが重要なポイントだ。まず自動車をつくることを前提に、それが「EVか、水素自動車か」と考えるのではなく、まず再生可能エネルギーがあり、それを水素に変え、貯蔵し、その有効かつ効率的な活用法として自動車を走らせる。そのような発想が、ここへ来て急速に社会的に共有され始めている。
水素エネルギーにはクルマを走らせる以外にもさまざまな活用方法があるから、水素の運搬や貯蔵に必要なインフラ投資にも動きやすい。水素自動車が発想の出発点ではなく、再生可能エネルギーの「出口」になっている。このことが中国の水素自動車の普及を進める大きな原動力になろうとしている。
水素自動車はトラックなど商用車に有効
このような中国の水素自動車を取り巻く状況を象徴するのが、水素自動車の開発・販売が乗用車でなく、大型トラックやバス、特殊作業車(ごみ収集車など)といった商用車に集中している点だ。
水素はガソリンに比べ、貯蔵や運搬の難度が高く、コストもかかる。そのため水素ステーションはガソリンスタンドに比べて工事に手間がかかり、建設費用も高い。ガソリンスタンドのように全国津々浦々に水素ステーションを設置するのは現実的ではない。
その点、商用車は特定の拠点から出発して一定のルートを走行する傾向が強く、水素ステーションの少なさが障害になりにくい。中国では2022年末現在、大型トラックの数だけでも839万台に達しており、市場は大きい。そのうち半数程度はほぼ固定したルートを走行していると推定されている。こうした点からトラックなどの商用車を水素自動車に置き換えていくことは合理性が高い。
内陸部の炭鉱地域で水素トラックに需要
前述したように、中国の再生可能エネルギーは新疆ウイグル自治区や青海省、甘粛省などの中国西部や内モンゴル自治区など北部地域での発電量が多い。運搬や貯蔵にコストがかかる水素は、なるべく発電場所の近くで水素を生産し、近くで消費するほうが効率的だ。その点、大型トラックは中国西部や北部の石炭などの鉱物資源産地で大きな需要がある。再生可能エネルギーで生産した水素で走るトラックをそれら地域で走らせることは効果が大きい。
例えば、中国西北部の山西省は国内有数の石炭の産地として知られる。同省中西部の呂梁(ろりょう)市は石炭をはじめ各種の鉱物資源が豊富な都市だ。同市はこの特性を活かし、水素エネルギー産業の振興を目指して市内に水素生産工場を建設。同時に、市内の企業に対して水素トラック購入補助金の支給を開始した。市内のある企業は1台あたり最大で45万元(約900万円)の補助金を受領、100台の水素トラックを購入した。これまでに同市では300台の水素トラックが稼働しているという。
同市の市長は国内メディアの取材に対し「2025年までに市内の水素生産能力を年間20万トンに拡大し、50か所の水素ステーションを設置、水素トラックの稼働台数を5000台にしたい」などと語っている。
一気に水素燃料電池車化に動く中国のトラック
こうした動きが広がる背景には、水素の生産量拡大にともなって、地域差はあるものの水素の価格が下がりつつある状況がある。
水素はその特性上、生産地に近いところでは価格が安く、遠いところでは高くなる傾向がある。現在、水素の標準的な政府指導価格は1kgあたり35元(約70円)程度だが、地域によっては20元程度の例もある。ある運送会社の経営者は地元メディアに対し、「水素の価格が25元/kg以下になると、車両価格を別にすればディーゼルエンジンのトラックよりも運行コストは低くなる」と語っている。
今年7月、中国の水素エネルギー事情を視察したトヨタ自動車の水素事業組織「水素ファクトリー」、山形光正プレジデントはロイター通信のインタビューに答え、「中国での水素価格は日本の約半額になっており、水素を使うほうが儲かるので長距離トラックが一気に(水素で走る)FCV(燃料電池車)化に動いてきている」と語っている(ロイター通信、2023年7月11日付)。このような動きは今後、ますます強まると考えられる。
日本国内では中国のクルマといえばEVのイメージが強い。中国はEV戦略が鮮やかに成功し、愛国的雰囲気をあおる宣伝の効果もあって、国内に膨大な「EV信者」が存在する。しかし、中国の自動車関連SNSではすでに多くの「水素派」が登場、「未来のクルマの本命は、実は水素自動車」との論陣を張って、EV信者たちと論争を繰り広げている。時代の空気は確実に変わり始めている。
EVの「次」を見据える視点
水素自動車をめぐる日本国内の議論は、しばしば「三すくみ」状態と言われる。
- 自動車メーカーは、需要がないから水素自動車をつくろうとしない
- ユーザーは、近くに水素ステーションがないから水素自動車を買おうとしない
- エネルギー企業は、水素自動車が売れないから水素ステーションをつくろうとしない
確かにこれではいつまで経っても水素自動車は普及しないだろう。
中国の状況は何が違うのか。それはここで述べてきたように、豊富な再生可能エネルギーを背景に、水素エネルギーを「電力を蓄える手段」としてとらえ、水素自動車をそのための有効な用途と認識し、動き出している点にある。
習近平国家主席は2020年9月、国連総会で2030年までのカーボンピークアウト、2060年までの実質的なカーボンニュートラル達成目標を表明した。これは中国政府にとって絶対的な公約である。そして、そのプロセスを通じて、EVでまさに中国が世界の主導権を握ったように、水素自動車の領域でも、もう一度、世界をリードする技術力を蓄積し、「全方位」の自動車大国になろうと目論んでいる。そこにはEVの「次」を見据える視点がある。
報道によれば、トヨタ自動車は水素を使う燃料電池(FC)システムの普及を欧州と中国からトラック中心に展開し、2030年にFCシステムを年10万台販売するという(日本経済新聞2023年7月11日付)。トヨタがそうであるように、水素自動車の将来を日本国内の視点からのみ考えても答えがないことは明らかだ。民間企業としては世界の流れを読み、柔軟に自らを変えていく以外に生きる道はない。グローバルな市場でどのように自社の経営資源を活用するか。そのことが問われている。
次世代中国