次世代中国 一歩先の大市場を読む
中国でTOD(公共交通指向の都市開発)に脚光
不動産バブル崩壊後の「救世主」になるか
Text:田中 信彦
中国でTOD(Transit Oriented Development、公共交通志向型都市開発)が脚光を浴びている。全国の大都市では大型プロジェクトが目白押しだ。最大の狙いは、地価上昇に頼った投機的ビジネスを脱却し、人が快適に暮らすための長期的な視野の都市開発へと転換することにある。
過去20年間、いわば「常識」だった不動産価格の上昇が途絶え、中国の都市生活者の人生観、価値観は大きく変わりつつある。いま人々が求めているのは、安心して暮らせる快適な生活空間や教育環境、交通渋滞や通勤苦からの解放、豊かな自然環境といった新しい価値だ。新しい時代のTODが期待される理由はそこにある。
そして、その時代の転換点に注目されているのが日本の大都市である。百年前から公共交通を基盤に高効率で快適な生活環境を創り出してきた日本の都市開発の経験を、中国の大都市はこぞって学ぼうとしている。そこにはGDP拡大一辺倒、不動産投資がすべてを引っ張る社会から、生活の質の向上へと成長エンジンを転換したいとの思いがある。
今回はこんな話をしたい。
田中 信彦 氏
ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
中国全土で数百か所のTOD
TODとは、自動車での移動に依存せず、鉄道を中心とした公共交通機関の利用を前提にした都市開発を指す。都市部の環境負荷を抑えながら、高い効率性と安全性を実現する手法として、近年、世界各国の都市開発で注目されている概念だ。中国のメディアでも近年、流行語の一つになっている。
背景には都市軌道交通の急速な拡大がある。中国都市軌道交通協会のデータによると、2023年9月末現在、中国の58都市で「地鉄」が運営されており、総延長は1万800kmに達する。同年1年間だけで800kmが新たに建設された。ほとんどの都市でTODプロジェクトが進行中だ。その数は500以上、総建設面積は6000万㎡に達するとみられる。
中国語の「地鉄」は「地下鉄」とイコールではなく、日本でいう都市近郊の私鉄やJR在来線のような電車、モノレールなどが含まれる。公式文書などでは「都市軌道交通」と表現される。「鉄道(鉄路)」の語は都市間の中長距離移動に使われる鉄道を指す。
日本全国の「地下鉄」総延長は850km(2022年)あまりだが、そこに私鉄やJR在来線、モノレール、新交通システム、路面電車などを加えた都市軌道交通の総延長は、東京首都圏だけで2700km(2016年)に達する。つまり中国全土には日本の首都圏の約4倍の距離の「都市軌道交通」が存在していることになる。
上海郊外の「天空の都市」
上海郊外で「天空の都市」と宣伝文句に謳われるTODプロジェクトが進んでいる。
南西部のターミナル駅、徐家匯から地鉄1号線で15分ほど。莘庄駅の真上に「上海TOD TOWN天荟」と呼ばれる「駅上ガーデンシティ」をつくるプランだ。香港の大手デベロッパー、新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties)が主体で事業を進めている。
建設工事は途上だが、完成時には総建築面積70万㎡、14万㎡のショッピングモール、9万㎡の住宅、5万㎡のオフィスビル、10万㎡のホテルおよびサービスアパートメントに加え、10万㎡以上の交通関連施設、20万㎡の地下駐車場などが出現する計画だ。
莘庄は上海で早い時期からベッドタウンとして開発されてきた街だ。従来から駅周辺に商店などはあったが、交通機関との連携がスムーズでなく、乗降客は多いものの、街としては今ひとつまとまりに欠ける状況が続いてきた。それが既存の地鉄に加え、中国の国有鉄道に相当する「金山鉄路」の新線および上海と杭州を結ぶ都市間高速鉄道「インターシティ」が同駅を通る計画が浮上、それを機に今回のプロジェクトが動き出した。
現地の様子は、まだ建設途中ということもあってか、「天空の都市」はいささか誇張の感はあるが、建物の随所に屋外庭園が設置され、家屋の高層化で生まれた空間を緑地化して、空間にゆとりがある印象を受ける。また線路で分断されていた地域が広々した空間によって駅と一体化、バスへの乗り換えも含め、人の流れがスムーズになっている
この一帯は長江の支流、黄浦江の流域で、付近には無数のクリーク(水路)が流れる。プロジェクト完成時には、付近の5つの水路を貫通した親水空間を整備し、工場跡地などに9か所の公園を造成して自然豊かな生活環境に配慮した街づくりが行われるという。
こうした長期的な構想に立ったTODプロジェクトが現在、全国さまざまな都市において進行しており、「コロナ後」の都市開発の代名詞的な存在となっている。
中国でこのようなTODが近年、盛んに喧伝される背景には、どのような経緯があるのか。中国の都市開発の経過とその特徴を振り返ってみよう。
過密都市の解決策としての軌道交通
1949年の社会主義革命後、中国の都市公共交通は長らくバスが中心だった。初の本格的な都市軌道交通の開通は1969年(北京市地鉄1号線)と比較的早いが、2000年以前に地鉄が開通したのは、北京のほか上海、天津、広州の4都市のみ。その他の都市では2000年代以降、初めて都市軌道交通が導入された。
中国の都市は歴史的に城壁で囲まれた「城塞都市」(Walled City)が多い。城壁の多くは撤去されたが、その後も旧城内の市街地に人が密集して居住する状況が続いた。加えて、計画経済時代の都市住民は、職場と住居が一体となった「単位」と呼ばれる組織に所属しており、人々の日常の移動距離が短い社会だった。中国の都市部で軌道交通の成長が比較的遅かったのはここに理由がある。
そのため1980年代以降、改革開放が進み、経済成長が始まると都市の過密が深刻な問題となった。それを解決するため、開発区と呼ばれる工業団地を郊外に造成し、工場や大学などを移転する一方、大量の住宅を建設して販売し、都市の過密を軽減する動きが進んだ。そこで中心的な役割を担ったのが都市軌道交通である。
「土地財政」が産んだ地鉄とマンションの過剰
以前、wisdomで「消滅する中国政府の『打ち出の小槌』 GDP拡大を支えた『土地財政』が終わる時」(2023年9月)という記事を書いた。
そこで記したように、中国の大都市で中心部と郊外を結ぶ都市軌道交通は、地方政府およびその意を汲んで開発を行うデベロッパーにとって、「カネのなる木」を生む切り札だった。
詳細は記事をご参照いただきたいが、地方政府は郊外の農地を低コストで収用し、企業などを誘致、デベロッパーが大量の住宅を建てて販売する。地方政府の土地(使用権)販売収入は莫大なものとなった。地域には雇用が生まれ、人口流入が増え、住宅需要が発生して不動産価格はさらに上がる。その収益を元手に政府傘下の企業体がさらに多くの軌道交通を建設、駅が生まれるごとに周辺の地価がハネ上がる――という循環が生まれた。
これがGDP拡大の「打ち出の小槌」である。政府やデベロッパーは造れば造るほど儲かるし、買い手の市民も、借金してでも買えば儲かる時代が続いた。その結果、当然のごとく都市近郊の軌道交通やマンションの過剰建設が生まれた。それがコロナ禍をきっかけに一気に表面化したのが、昨今の状況だ。近年、多くの地方都市では中央政府が新規の地鉄建設を停止させる措置を講じているほどだ。
「住むための住宅」に転換
冒頭に触れたように、もはや不動産価格の上昇を前提にした投機的な商売は立ち行かない。習近平国家主席は2018年「住宅は住むためのものであって、転売のためにあるのではない(房子是用来住的,不是用来炒的)」という「名言」を発して流行語になったが、まさに「住むための住宅」を造るしかなくなった状況がTOD隆盛の根底にある。
TODの概念がコロナ後の今、強い関心を集めている背景にはこうした事情がある。昨今、中国の不動産不況は深刻だが、そうは言っても生活の都合上、住宅を買わなければならない人はいる。買える資力のある人もいる。需要が消えたわけではない。要は「住むための住宅」としての魅力と価格の釣り合い次第である。TODが交通の便利さだけでなく、生活の快適さ、地域の自然環境、教育・文化的条件の良さなどを強く前面に出しているのは、こうした社会の意識の変化があるからだ。
この動きを政府も強く後押ししている。2021年、中国国務院(内閣)は「国家総合立体交通網計画綱要」を制定、その中で「公共交通を指向した都市土地開発モデルを推進する」と強調。翌2022年には国家発展改革委員会が出した「第14次5カ年計画新型都市化実施方案に関する通知」の中でもTODモデルの推進を強く打ち出している。
「TODは日本に学べ」
こうした流れを受けて、「TODブーム」の中国では、公共交通を基盤にした都市開発の先進国である日本の大都市に対する関心が高まっている。
その端緒は、2004年に開通した広東省深圳市の軌道交通プロジェクトにある。深圳市は日本およびその影響を受けた香港地下鉄の経営を参考に、駅のターミナルビルで不動産経営を行う方式を導入。それが奏功し、赤字が常識だった地鉄経営の黒字化に成功した。これ以降、各地の都市軌道交通が不動産経営に乗り出し、中国でTODが普及拡大する基礎となった。
それ以後の中国の大型TODプロジェクトはほぼ例外なく、日本の事例を研究していると言っていい。例えば中国の代表的なTODの一つとして知られる重慶市の高速鉄道駅と連結した「龍湖光年TODプロジェクト」では、傾斜地に駅がある地形を利用、東京・渋谷駅の事例などを参考に、交通ターミナル部分を地下7階までの多層構造とした。地下部分にバスターミナルや高速鉄道乗り場、「地鉄」乗り場などを重層的に配置する構造は、なるほど日本のターミナル駅を連想させるものがある。
ほかにも中国各地のTODプロジェクトには、日本の設計会社やコンサルティング会社などが数多く参画し、斬新なモデルの提案を行ってきている。
東京は自動車以外の移動が9割
TODという言葉は、もともと1980年代、米国で提唱された概念だ。しかし東京や大阪など日本の大都市では「公共交通志向」は昔から当たり前で、新しいものではない。東京や大阪は世界的にみても公共交通機関の果たす役割(分担率)が非常に大きい都市である。
東京都都市整備局によると、23区内では公共交通機関(鉄道、バス)に徒歩と自転車を加えた分担率が90%に達し、自動車は7.9%にすぎない。世界的にみると、香港やソウル、シンガポールなど公共交通機関の分担率が東京より高い都市もあるが、人口1億人を超える大国で首都の公共交通分担率がこれだけ高い都市は他に例がない。大阪市も同分担率は12.8%(2010年)にとどまる。クルマ社会の米国では80~90%が普通であることと比較すれば、その差は歴然だ。
東京・新宿駅のTODは1960年代
東京の都市軌道交通の基本的な骨格となった山手線が環状運転を始めたのは関東大震災後の1925年(大正14年)。その直後、1927年(昭和2年)には東京にアジア初の地下鉄、銀座線の浅草~上野間(2.2km)が開業した。その後、現在のJR線や私鉄、地下鉄が次々と都内および郊外に向けて路線を拡充した。
東京都が「新宿副都心計画」を発表したのが1960年。1962年には新宿駅西口に小田急百貨店新宿店、1964年には京王百貨店が開業。これらはいずれも新宿駅と一体化した大規模開発で、その後50年以上にわたって東京の西のターミナルとして機能し続けた。今流にいえば全くのTODだが、当時そんな概念があるわけでもなく、それが普通だと思っていた。
東急グループが中心に手がけた渋谷駅周辺の開発や東急田園都市線沿線の「多摩田園都市」も日本の代表的なTODの一つである。1966年に開業した「たまプラーザ」駅一帯の開発はその成功例として中国でもよく知られている。
世界初のターミナルデパートは阪急百貨店
阪急阪神グループは2021年4月、中国浙江省寧波市内に同社海外初の直営商業施設「寧波阪急」をオープンした。これは同市政府が進める「東部新城」開発計画の一翼を担うもので、軌道交通2路線が交差する「海晏北路」駅直結の大型TODプロジェクトの一角である。寧波市街地の中心部から同駅までは軌道交通で10分ほど。周辺には日本の商社が投資した80階建ての超高層ビル「寧波中心」をはじめ、「寧波文化広場」などの施設が建設されている。いずれも地鉄の駅と地下で直結しており、スムーズに移動できる。
この阪急百貨店の原点をたどれば、1929年、阪急神戸本線のターミナル、梅田(現・大阪梅田)駅にオープンした世界初(阪急阪神不動産ホームページによる)のターミナルデパート「阪急百貨店」(現・阪急うめだ本店)に行き着く。世界で初めて駅上のデパートを世に出した阪急百貨店が、初の海外出店に大型のTODプロジェクトを選んだのは不思議な縁を感じさせる。文字通りTODの先駆者といっていい。
バブル崩壊で工事中断の例も
このように「コロナ後」の都市開発に向けて期待の大きいTODだが、一方で不動産バブルの崩壊は既存プロジェクトの進捗に大きな影響を与えている。一部のTODはデベロッパーの資金不足などで建設が滞る例も出ている。
広東省広州市の「広州凱達爾交通ハブ国際広場」TODプロジェクトは、高速鉄道に加え、インターシティ(城際鉄路)、軌道交通など9路線の公共交通ハブと直結するオフィスビル、ショッピングモール、ホテルなどを一体開発する大型事業だ。事業規模は数千億円に達する。設計は日本の設計会社が担当した。
すでに工事の大半は終了しているものの、資金不足で一時、建設作業やテナント募集を中断したとメディアで伝えられている。これ以外にも既存のTODプロジェクトの中には、需要予測が過大で、当初の計画を変更せざるを得ないものが出るとみられている。TODが中国の都市開発の「救世主」になれるか、不安要素もなくはない。
こうした課題はあるものの、TODが今後、中国の都市開発で重要な役割を担っていくことは間違いない。そこには日本の大都市の経験が大いに生かされることになるだろう。これまで中国の経済成長は不動産投資のいびつな膨張に引きずられすぎた。それを修正し、投機心理がすべてを牽引する社会から、「普通の人々」の生活向上を実現する社会へと転換できるか、それは中国にとって最大のテーマである。
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