

次世代中国 一歩先の大市場を読む
「国有化」が進む中国の住宅開発
中国は「大きなシンガポール」になれるか
Text:田中 信彦
中国の住宅開発で事実上の「国有化」が始まっている。
大量の売れ残り物件を抱えて行き詰まった民間デベロッパーに政府(国有企業)が資本注入して事実上、国有化する。それによって国民への住宅供給そのものを、市場に任せるのではなく政府主体で行う公共事業化する。言ってみれば8割以上の国民が政府系公団の建てた公共住宅に住むシンガポールのような体制を目指す。
そのための第一歩として、大量に売れ残って不良在庫化しているマンションを国有企業が買い取り、公共住宅に改装して販売もしくは賃貸する事業が全国で始まった。
もちろん住宅政策の「シンガポール化」が簡単にできるわけではない。しかし、数の上では大半を占める「普通の国民」が暮らすための住宅を投機の対象とせず、国が管理するという方向性は定まったとみていい。
もっと早くやっていればと言いたいところだが、遅まきながらもこの路線そのものは、多くの庶民にとっては悪いことではない。今後、中国社会が安定して成長できる否か、大きなカギがここにある。今回はそんな話をしたい。

田中 信彦 氏
ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
「民営経済の雄」が事実上の国有化
今年1月、中国を代表する不動産デベロッパー「万科企業」(China Vanke,広東省深セン市)の経営陣が退任、新たな董事長(会長に相当)に当地の有力国有企業「深セン地鉄集団」出身者が就任した。地鉄集団は深セン市で地下鉄などの公共交通を一手に運営する大型国有企業だ。要は政府の一部門のような存在である。多額の負債を抱えた万科に1000億円近くを出資、30%弱の株式を所有する筆頭株主になっている。
万科は1984年、改革開放政策の初期に創業、中国の驚異的な成長を体現する企業の一つだ。同社の出自は国有企業の一部門で、その意味では純粋な民営企業ではない(「混合所有制企業」と呼ばれる)。しかし不動産事業を開拓し、実質的な創業者である王石(敬称略、以下同)の卓抜した経営理念、人材重視の先進的な経営によって、一時は「中国の企業経営のお手本」と称されるほどの声望と人気を集めた。

しかし、右肩上がりが続いていた不動産市場の変調に加え、習近平政権誕生以降、経済政策は「国進民退」の流れが強まる。2016年、上述の深セン地鉄が万科の株式を取得し、創業者の王石は退任。2024年には1兆円近い赤字の計上に至り、今回のトップ交代となった。「民営経済の雄」とも讃えられた企業の事実上の国有化に、複雑な思いを抱く中国の民営企業経営者は少なくない。
「国有化」次々と進む民営デベロッパー
事実上の「国有化」に至った民営不動産企業は万科だけではない。今年3月、中国国内の売上高第6位の民営大手デベロッパー「緑城中国」(浙江省杭州市)は、上述の万科と同じく生え抜きの経営者が退陣、中央政府直轄の国有建設会社「中国交通建设集团(中交集団)」出身の経営者がトップの座に就くと発表した。
緑城中国は1995年創業。浙江省や上海市、江蘇省などを中心にマンション開発を手掛けて成長し、2005年、香港市場に株式を上場した。「緑城」ブランドは「中国高級マンションの王者」と称されるほどの名声を誇った。しかし2014年、万科とほぼ同様の背景から中交集団が株式の約25%を取得、筆頭株主に。業績はコロナ禍の影響もあって2021年をピークに急激に悪化、2024年は1兆円を超える赤字を出し、やはり今回、事実上の国有化に至った。
このほか大手民営デベロッパーの一社「金地集団」(広東省深セン市)でも実質的な国有化の状況にある。同社の筆頭株主は大手生命保険会社「富德生命人寿保険」(広東省深セン市)だが、2020年、同生命が経営危機に陥り、中央政府直轄の金融監督機関が経営を直接管理する体制になった。そのため金地集団も自動的に事実上、国が経営を支配する形になっている。
このように中国の大手民営不動産企業では次々と事実上の国有化が進行している。生き残っている有力デベロッパーで純粋な民営企業は、香港をはじめ域外の資本系列の企業など、ごくわずかになってしまっている。
成長性が消えた住宅開発ビジネス
このような「国有化」の背景には、住宅建設をめぐる大きな状況の変化がある。少子化で中国の総人口は2022年から減少に転じた。2025年の出生数は対前年比2割減の800万人程度との予測があり、「10年で半減」のペースで減っている。結婚数も急速に減少しており、住み替えなどの要素を考慮しても、住宅需要が大きく伸びることは考えにくい。

一方で中国政府の住宅都市農村建設部(住宅政策を主管する中央省庁)によれば、全国に存在する住宅総数は6億戸を超えており、14億人の人口に照らして既に十分な量がある。メディアの報道では、中国国内には6000万戸の売れ残りの集合住宅がある。地域差はあるものの、住宅開発は事業としての成長余地は乏しく、不動産価格は一部大都市の一等地を除いて、大きく値上がりする可能性はないとの見方がすでに定着している。
習近平国家主席が「家は住むものであって、投機のためのものではない」(「房子是用来住的,不是用来炒的」)と語ったのは2016年末のことだ。この言い回しは流行語にもなった。それから約10年。ようやくそれが現実の動きになり始めた。不動産は人の生活に不可欠なインフラの一種であり、市場のみに委ねるべきではなく、基本的に国が管理すべきだ――との考え方は、不動産バブルの狂乱と破裂を経た今、官民の双方で広がりつつある。
売れ残り住宅の転用は「一石三鳥」
そこで登場してきたのが、売れ残った不良在庫の分譲マンションを政府(国有企業)が買い取り、「保障性住宅」と呼ばれる公共住宅に転用する方法だ。「保障性住宅」とは「社会保障的な役割を持つ住宅」という意味である。
大量に存在する売れ残り住宅を政府が買い取り、公共住宅として再提供すれば、苦境にある民営デベロッパーに資金を供給できる。政府による介入で不動産市場に安心感を与え、市場マインドを好転させる効果もある。もともと庶民向けの良質で安価な公共住宅の供給は政府の掲げる重要政策の一つでもあり、その意味で「一石三鳥」の効果が見込める。
2020年に行われた中国の第7回全国国勢調査によれば、中国の1世帯当たりの平均人数は2.62人。机上の空論ではあるが、仮に6000万戸の売れ残り住宅を全て公共住宅に振り向ければ、1億5000万人以上の国民に住宅を提供できる計算だ。2024年の全国の結婚届け出件数は610万組だったので、ほぼ10年分の新婚家庭の数に匹敵する。
これだけの数の公共住宅を仮にゼロから建設すれば最低でも数年の時間がかかる。しかし現存の在庫物件を転用すれば、一部に改装を加えるだけで提供できる。この時間的な早さも大きなメリットだ。また、売れ残り物件は多くが分譲マンション用に建設された建物で、公共住宅向け物件より設備、内装などの仕様が高いケースが多い。この点も購入希望者に好感されている。
買い取り相場は分譲価格の50%
転用の具体的な仕組みは次のようなものだ。
政府が2024年5月に発表した政策によれば、中国人民銀行(中央銀行)が3000億元(1元は約21円)の資金を政府系銀行経由で地方政府傘下の国有企業に融資する。仲介銀行のモラルハザードを防ぐため、中央銀行の融資比率は総額の60%までとし、残り40%の部分は各銀行が自前の資金を加えて融資する。そのため融資の総額は5000億元になる。
各地方の政府傘下の国有企業は、その資金を利用して地元の売れ残り物件を購入する。買い取り価格は、もとの分譲価格の50%程度が基本だ。デベロッパーにとっては完全に原価割れで、価格の低さに反発の声もある。しかし時間の経過にともなって、売れる見込みがない物件を抱えておくよりは、たとえ半額でも処分したほうがよいと考えるデベロッパーも増えている。もちろん買い取りは強制ではないので、デベロッパーは自力で販売を継続する選択肢もある。
「広く国民に家を持たせる」政策
このような形で、すでに全国各地で具体的な動きが始まっている。
今年3月、広東省広州市は「広州市2025年第一次『分譲型』保障性住宅プロジェクト販売公告」を掲出。市内の「夢崗和苑」および「嘉翠苑」という2つのマンションプロジェクトで計1336戸の「分譲型」保障性住宅の販売を全国に先駆けて開始した。同市以外でも福建省厦門市や山東省煙台市、広東省東莞市などで同様のプロジェクトが進んでいる。
ここで特に「分譲型」と呼んでいるのは、「保障性住宅」には大別して「賃貸型」と「分譲型」の2種類があるからだ。煩雑になるので制度の詳細は省くが、「賃貸型」の中心は、日本の各自治体などにもある低額所得者対象の公営住宅のようなものと考えていい。

一方、今回、政府が特に力を入れているのが「分譲型」の拡大だ。これは普通の分譲マンションと同様、物件そのものを販売する。中国では土地の所有権は国にあるので、正確には「土地と建物の期限付き使用権の販売」である点も一般の分譲マンションと同様だ。財産権も認められており、購入後は自らの資産になる。つまりこの制度は政府による「広く国民に家を持たせる」政策とみることができる。「分譲型」の仕組みが注目される理由はここにある。
販売価格は、同等の立地やスペックの民間分譲マンションの6割程度が目安だ。上述の「夢崗和苑」と「嘉翠苑」の基準価格は1万5800~1万7300元で、周囲の相場より4割近く安い。新規に住宅購入を考える人にとっては魅力的な価格設定になっている。
購入価格より高い譲渡は不可
しかし当然ではあるが、購入資格や購入後の譲渡などには条件がある。広州市の場合、申請者が同市の戸籍を保持していること、過去3年以内に不動産を取得していないこと、直近36ヶ月の社会保険料の適正な納付履歴などが申請の前提になる。
最大のポイントは、購入後、市場での売却が認められない点だ。物件の又貸しや借金の担保にすることもできない。何らかの事情で購入物件が不要になり、手放したい場合、購入後3年が経過すれば、「保障性住宅取引プラットフォーム」上でのみ譲渡が可能になる。その場合、自らの購入価格より高い値段での売却はできない。同プラットフォーム上で買い手が付かない場合、政府が物件を引き取るが、その価格は購入後の経過年数1年につき購入価格から1%の減額という仕組みになっている。
この制度はまだ始まったばかりで、具体的な運用は未知の部分が多いが、仮に将来的に周辺の不動産相場が上昇するとか、インフレなどで価格が大きく変化するといった状況が生じれば、同プラットフォーム上での譲渡価格も見合った幅で調整される可能性がある。そうなれば公共住宅の保有で安心して長期的な資産形成を行えることになる。
このように「分譲型」の保障性住宅は、転売で短期の利益を上げることはできないが、必要ならば換金も可能で、自らの安定した資産として不動産の所有が可能になる。まさに「家は住むためのもの」という言葉を体現する仕組みになっている。
シンガポールに学ぶ中国政府
中国では勤労者に対しては、雇用主と本人が半々の比率で将来の住宅購入資金を積み立てる「住宅公積金」の制度が義務化されている。1999年に導入された制度で、積み立てられた資金は国が管理運用し、利息を含む全額を本人が住宅購入資金や家賃の支払い、住宅のリフォーム、万一の場合の病気やケガの治療費などに充てられる。保障性住宅の購入にもこの資金の活用が可能だ。この制度はシンガポールの社会保障制度に学んで導入されたものである。
シンガポールは世界でも有数の公共住宅制度が充実した国として知られる。国民の8割以上が政府の住宅開発庁(Housing & Development Board,HDB)が建設した「HDBフラット」と呼ばれる公共住宅に居住する。そのうち約9割が賃貸ではなく「分譲型」のHDBフラットを購入し、持ち家として所有している。

シンガポールには早くから雇用主と従業員が給与の一部を強制的に積み立て、政府の「中央積立基金庁(Central Provident Fund, CPF)」が管理運用し、将来的に本人が住宅購入資金として活用できる制度がある。中国の「住宅公積金」はこの制度に学んだものだ。
中国の「分譲型」保障性住宅は、前述のように購入価格以上での譲渡は不可だが、シンガポールのHDBフラットは市場での売買ができるなど制度は大きく異なる。中国の人口はシンガポールの200倍以上、所得水準の差も大きく、シンガポールが数十年かけて整備してきた制度をすぐに実現できるものではない。しかし、国民への住宅供給の根幹を民営企業に任せるのではなく、政府が管理して社会保障制度全体の枠組みの中で解決していく狙いにおいては共通性が高い。
「国有」でなければ不可能なビジネス
冒頭に述べた民営不動産企業の「国有化」はこうした文脈の下にある。
これまで中国の民営不動産企業は、経済成長の波に乗り、「高い負債率、高いレバレッジ、高利潤」を狙うビジネスを追求してきた。しかし、それが可能だった時代は終わり、これからは国民の「生活インフラ」としての良質な住宅を、低価格で着実に供給していく役割が求められている。政府の狙いもそこにある。
前述した売れ残りマンションの国有企業による買い取り、保障性住宅への転換ビジネスは、利益率を5%以下に留める指示が政府から出ている。これでは民営企業が手がけるのは困難だ。事実上、政府の一部門である国有企業でなければ事業の継続は難しい。民営デベロッパー「国有化」最大の背景はここにある。
保障性住宅は国民への恩恵になるか
中国の大都市の市街地周辺では、不動産価格の高騰によって古くからの住民は多くが日本円で「億」単位の資産を持っている。そのような人々だけで数千万人に達するだろう。それは事実だが、その種の「お金が天から降ってきた」ような人々は、全体から見れば一部でしかない。
何らかの事情で大きな資産を持てなかった都市住民や、農村部から働き手として都市部に移住した、いわゆる「新市民」と呼ばれる人々など、良質で安価な住宅を求めている人はたくさんいる。それらの人々にとって、新たな「分譲型」保障性住宅の拡大は大きな恩恵になる可能性を持っている。
「家は住むものであって、投機のためのものではない」。この当たり前のことが当たり前になる社会は実現するのか。それは今後の中国社会の安定的な成長を左右する大きなテーマである。

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