AIエージェント時代の金融と「信頼」- Mobile World Congress 2026参加レポート
Text:山口 博司
2026年3月、世界最大規模のモバイル・通信技術の展示会Mobile World Congressがスペインのバルセロナで開催されました。本イベントはモバイル・AI・デジタル社会の未来を議論する場にふさわしく、通信事業者、テクノロジー企業、政府関係者など世界207の国と地域から10万人以上が参加しました。本稿では、会場内で実施された数百の講演・パネルディスカッションの中から、特に金融・Fintech業界に関連する議論・トピックを中心にご紹介します。
山口 博司 氏
NEC Corporation
Director
システムエンジニアとして金融機関向け業務アプリケーション開発・システム企画を経て、2016年から2025年3月までシリコンバレーとシンガポールで新技術・サービスの調査、活用の企画・推進に従事。2025年4月から顔認証決済、サプライチェーンファイナンスなどの事業開発および海外展開をリード。マサチューセッツ州立大学MBA修了。BΓΣ(Beta Gamma Sigma)会員。
Mobile World Congress Barcelona 2026
「Mobile World Congress」(以下、MWC)は、世界約800社以上の通信事業者やメーカーが加盟する団体であるGSM associationが主催する世界最大級かつ最も影響力のあるコネクティビティ分野の国際イベントです。バルセロナでの開催20回目に当たる2026年の全体テーマは「The IQ Era」。コネクティビティ(通信)とインテリジェンス(AI・知能)が融合する新たな時代を意味し、人間の知見とテクノロジーを組み合わせて産業・社会・ビジネスの進化を加速させることを掲げています。この全体テーマのもとに、さらに6つの重点テーマ(Intelligent Infrastructure、Connect AI、AI 4 Enterprise、AI Nexus、Tech 4 All、Game Changers)が設定され、通信事業者、テクノロジー企業、政府関係者などが集まり、最新技術や産業動向が共有されました。
MWCには4日間で約1,700人超の登壇者が参加し、基調講演を含むセッションは数百行われました。MWCでも他のグローバルカンファレンス同様、多くの講演でAIの進化・脅威、AIネイティブな世界が語られましたが、金融・Fintech関連の講演も例にもれず議論の中心はAIでした。
ただ、それは単にAIによって生活が便利になったというだけの話ではありません。テクノロジーが私たちの意図をどう解釈するのか、金融の根幹的な概念でもある「信頼」をどう書き換えるのか。AIが単なる質問に答えてくれる便利ツールから、私たちの代わりに自律的に考え行動し、買い物まで行ってくれるエージェントに進化する世界において、「お金」や「信用」はどう扱われるべきなのか、そういった観点で議論が交わされました。
GUIからCUI(対話型UI)へ
生成AIが注目を集める以前から、私たちの生活で欠かせないものになっているコンピューターやICTデバイスとのやりとりが、従来の画面操作ベースのGUI1ではなく対話ベースのCUI2を前提に作られていた製品はいくつかありますが、代表例の1つはAmazonが2014年に販売を開始したAIスピーカーAmazon Echoです。搭載されたAlexaを通じて、情報の取得やスマート家電の操作などを会話ベースで実行できるデバイスです。最近ではAIの進展によって、いま世の中にある様々なオンライン体験も、CUIを前提としたものに置き換わっていく未来が近付いてきています。
PayPal IberiaのGeneral ManagerであるBeatriz氏は登壇したパネルディスカッション内でSabre、MindtripとのAI駆動型旅行プラットフォームの立ち上げ3について語りました。旅行の予約といえば、フライトの時間の比較や、ホテルのレビューの確認、レンタカーの手配、訪問先の施設や飲食店の予約など、何度もブラウザ画面を行き来しているかと思います。そんな中、上記3社が取り組んでいるのは、自分の意図を伝えるだけで旅行の手配が完了する世界です。具体的には旅行の目的や外したくないポイントを伝えるだけでAIエージェントが過去の旅行データから座席や客室の好み、アレルギーの有無などを参照して航空会社やホテルとAPIを通じて予約可能な情報を検索して最適なプランを組み立てます。支払い方法についても、後払いや目的に応じて特定のクレジットカードを利用する、などユーザーの好みに基づいて最適な決済方法を提示してくれるなど、より状況に応じてパーソナライズされた体験を提供するというものです。講演のなかでBeatriz Gimenez氏は「この3社のパートナーシップによって旅行体験は状況に応じた形で受動的な対応から能動的な対応へと変化し、その中で、人間としてどこまで関与したいかという対話のレベルを自分で選べるようになると考えている」と述べました。
- 1 GUI(Graphical User Interface): 画面のボタンやアイコンを見ながら、マウスや指で直感的に操作できる仕組みのこと
- 2 CUI(Conversational User Interface): 人と会話するように、文字や音声で自然にやり取りしながら操作できる仕組みのこと
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Sabre, PayPal, and Mindtrip partner to deliver the industry's first end-to-end agentic AI experience for travel
金融機関で取り入れられているAI活用
PayPalのようなFintech企業だけでなく、大手金融機関でもAI活用は積極的に進んでいます。銀行はどのような業務・サービスにAIを導入しているか、「The Transformative Power of AI in Fintech」というパネルディスカッションで紹介された事例について取り上げます。
JP MorganのGlobal Head of Media and CommunicationsのJennifer Acosta氏は、「JP Morganは毎日11兆ドル、多い日には17兆ドルを160カ国、120の通貨で移動させているが、その複雑な決済プロセスにおいてAIを活用し、エラーの削減とプロセスの最適化を図っている。」「AIを用いてデータ収集と本人確認を自動化することで、KYCのサイクルタイムを90%削減することに成功している。」と、AIを自社のインフラの深層部にまで組み込んでいることを紹介しました。また、Caixa BankのCIOであるPere Nebot氏はオンラインバンキングにおける顧客対応の効率化事例を紹介しました。同行では、各従業員(個人アドバイザー)が1,000人以上の顧客を担当することがあり、毎朝膨大な数のメール問い合わせに直面していました。そこで同行は、これらのメッセージに対してAIエージェントが自動で応答を生成するシステムを開発。ただし、AIが生成した応答は直接顧客に送信されるのではなく、必ず従業員(個人アドバイザー)に提供されます。従業員はAIが生成した応答を確認し、顧客へ送信するかどうかを判断しますが、現在のところ50%は不適切、25%はわずかな修正で利用でき、35%はそのまま顧客に送信できる精度で応答案が作成されているとのことです。
信頼のアンカー、デジタルウォレット
上述のようなサービスがさまざまなオンラインサービスで普及することは便利な反面、AIが自分の銀行口座やクレジットカードにアクセスして、買い物をする権限をもっているということに抵抗を覚える人が大半かもしれません。なぜなら、もしプロンプト4の誤解やAI自身のハルシネーション5によって私たちが意図してない高額な買い物をしてしまった場合、誰がどのような対処をするべきか、明確な共通認識をまだ誰もが持っていないからです。AIエージェントが与えられた権限の元で自律的に動くためには、裏側でそれを支えて監視し制御する安心・安全な金融インフラが必要不可欠といえるでしょう。
そこで注目されるのがデジタルウォレットです。Adyenの Head of Payments Partnerships(EMEA)のCarlo Bravin氏は「デジタルウォレットは単なる支払い手段から、アイデンティティ情報やトークン化された認証情報を保持するユニバーサルなデジタルウォレットへと進化している。」と述べました。ユーザーは、AIエージェントが銀行口座や資金に無制限にアクセスすることを望まないため、ウォレットを介して特定の使用事例や購入に限定されたアクセスを管理するようになる、というものです。デジタルウォレットは、ロイヤルティカード、搭乗券、旅行履歴、特典などの情報も保持しており、AIエージェントがこれらの情報にアクセスすることで、ユーザーの好みや過去の取引を理解し、高度にパーソナライズされた体験を提供できる点でも、この分野が今後ますます注目されるといえるでしょう。GoogleのHead of Wallet partnershipsであるLucyna Janas氏も登壇したパネルディスカッションの中で「決済のトレンドはモバイルへの移行が顕著であり、ウォレットがその中心となる」「ウォレットは、信頼、アイデンティティ、詐欺の問題を解決するための鍵となる」とその重要性を強調しました。
- 4 AIに「何をしてほしいか」を自然な会話形式で指示するための入力文のこと
- 5 AIが事実ではないことをあたかも事実かのように答えてしまう現象のこと
究極的な通貨は「信頼」
昨今、金融機関を支えるシステム・インフラは類を見ないスピードで発展してきています。しかし、その裏には非常に切迫した現実的な脅威があります。最大の理由は、AI特有のブラックボックス問題とバイアスです。従来のプログラムは同じ入力・条件を与えれば、必ず同じ結果が得られるように振る舞う決定論的なシステムでした。(例:1+1=2)。しかしAIは結果が一つに決まらず、確率や分布として表現される統計的なシステムであるため、同じ入力・条件を与えても結果が変わり得ることがあります。そのため、間違えたときの原因を特定することが困難な場合があります。また、超高速なスパムとディープフェイクの脅威も無視できません。米BankuishのCEOであるJose V Fernandezは会社のCFOになりすました人物に送金しそうになった実体験をもとに、AIの進化によって詐欺やサイバーセキュリティの手口がより巧妙化されていることについて警鐘を鳴らしました。
もし、私たちのAIエージェントが金融トラブルを起こしたとき、その法的な責任はいったい誰にあるのでしょうか。指示を出した私たち自身なのか、エージェントを開発した企業なのか、注文を受け付けた店舗なのか。Fintechの専門家でさえ騙されそうになるほどの技術の進化、個人の力では防御しきれない時代だからこそ、何かあったときに企業が責任をもって顧客を守るという「信頼」が究極のセーフティネットになります。これがないとシステムを成り立たせることは難しいかもしれません。
決済に関連するシステム・インフラがAIによってどれだけ高度化しても、最終的に誰がそのお金を動かす権限を持っているのかを厳格に管理できなければシステムは崩壊します。ウォレットと決済手段の進化の方向性が「利便性の向上」と「セキュリティ、つまり信頼の確保」の両輪で進んでいくことで安心・安全で便利な金融サービスが広がっていくことを期待したいです。
グローバル金融動向