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AI時代の信頼設計—
デンマーク×日本が示すデジタルエシックスの実践

 本企画は、AIやデジタル技術が進化する中で重要性を増す「デジタルエシックス」を、各業界の有識者との対話を通じて深く探究するシリーズです。AIによる判断の透明性や社会との信頼関係が問われるいま、テクノロジーと経営をつなぐ“エシックス”の視点が、企業の持続的な成長に不可欠になりつつあります。

 今回は、世界電子政府ランキングNo.1のデンマークでデジタルエシックスの基盤づくりに携わったブライアン・フランセン(Brian Frandsen)氏と、日本の現場でデジタルエシックスの実装に向き合っているNECの今岡 仁と伊藤 宏比古が、デンマークと日本の違い、課題、そして強みを手がかりに、デジタル社会における信頼をどのように構築すべきかを探っていきます。

NECの考えるデジタルエシックスとは

 デジタルエシックスとは、デジタル技術の活用において『何ができるか』だけでなく『何をすべきか』を問い、リスク管理に留まらず信頼や社会的価値を生み出すための行動指針です。

 AIやデジタル技術の進化が急激に進む中、企業経営で問われるのは「いかに信頼を築けるか」です。デジタルエシックスが、企業価値を守り、持続的成長を可能にする新たな経営判断の軸となると考えています。

SPEAKER 話し手

ブライアン・フランセン(Brian Frandsen)氏

戦略デザイナー

デンマークデザインセンター(DDC)ではシニア・ストラテジック・デザイナーとして活躍。プロセスデザイン、サービスデザイン、イノベーションのための企業向けプログラムの講師やトレーニングに豊富な経験を持つ。デザインとデザイン思考がいかに複雑なシステムや課題に対応し、人々のモチベーションを高め、人間にとって有意義な暮らしを創造するための行動を生み出すかに焦点を当てている。デンマークのコリングデザインスクールでインダストリアルデザインとプロダクトデザインの修士号を取得。

今岡 仁

NEC フェロー

顔認証技術の研究開発とグローバル事業化を主導。現在はその技術的なバックボーンを活かしながら、デジタルエシックスの浸透とさらなる探求を目指し、企業・自治体とのワークショップや対話・書籍執筆などを通じて発信を続けている。著書に『顔認証の教科書:明日のビジネスを創る最先端AIの世界』『デジタルエシックスで日本の変革を加速せよ』など。

伊藤 宏比古

NEC グローバルイノベーション戦略統括部
産学官連携コーディネーター プロフェッショナル

NEC入社以来、地域住民との将来ビジョン作成やインドでのハッカソンによる社会ソリューション開発など、国内外でのオープンイノベーション業務に従事。2020年から、デジタルエシックスに関してのアカデミアとの産学連携活動を推進中。特にデジタルエシックスに携わる人材育成の方法論を探索・研究している。

1.デジタル先進国デンマークにおけるデジタルエシックス誕生の背景と最新トレンド

今岡:私は長年、顔認証技術の研究と開発に携わってきましたが、プライバシーの問題や国のルールなど倫理的な理由から、技術が高くても社会になかなか受け入れられないという壁にぶつかってきました。そんな時に、デンマークで「デジタルエシックス」のコンセプトに出会って、倫理は単にリスクを避けるブレーキのようなものではなく、信頼や社会的価値を生み出すためのアクセルとして捉えることの大切さを実感しました。そもそも、デジタルエシックスはどんな経緯から生まれたのでしょうか?

ブライアン氏:本格的にデジタルエシックスについて考え始めたのは2019年頃です。当時、私はデンマークの国営デザインファームにあたるデンマークデザインセンターに所属して、企業や行政、海外視察団とデジタル化について議論していました。その中で、人間のニーズやサステナビリティの話はよく出てくるけれども、倫理的にデジタル化を進めていこうという話はあまり出てこないということに気づいたのです。そこで、テクノロジー領域のコンサルタントと一緒に「どうすれば倫理的な視点を持てるのか」議論を重ねました。テクノロジーデザイナーや開発者が、倫理について理解を深め、倫理を検討する時にはどんな問いが必要か意識できるようになれば、倫理は組織内で広がり、文化の一部になるのではないかと考えたのです。

 ご存じのように、製品開発では意思決定の約80%が設計段階で決まると言われています。だからこそ、倫理を最後に付け足すのではなく、最初から組み込むことで、最終的な技術やサービスのあり方を変えたいというのが私たちの出発点でした。最初は私を含めた三人でコンセプトを作り、企業や業界団体とのパートナーシップを少しずつ広げていきました。

ブライアン・フランセン(Brian Frandsen)氏
戦略デザイナー

今岡:技術的には可能でも、社会に受け入れられるかは別問題ですよね。設計段階から倫理を考える重要性は、ますます高まっていると感じます。

デンマーク発・デジタルエシックスのアプローチ

今岡:ちなみに、「デジタルエシックス」という言葉は最初のコンセプト段階から意識されていましたか。

ブライアン氏:はい、最初から「デジタルエシックス」という言葉は意識していました。ただ、エシックスと聞くと、道徳など古いイメージを持つ人が多いので、私たちはもっと違う捉え方にしたかったのです。それは哲学でもないし、ルールでもありません。「何が正しくて何が間違っているのかを考える問いかけ」として使いたかったのです。つまり、デジタル製品やサービスをつくる時に「どんな価値観で判断すべきか」を考えるための行動原理です。

 また、デジタルエシックスは、チェックリストではありません。複雑な状況で何を優先するかを見極めることで、より信頼できるデジタル製品やサービスを生み出すことが可能になります。

今岡:以前コペンハーゲンでブライアン氏らと議論した際、デンマークでもエシックスという言葉には古いイメージがあると聞いて驚きました。日本も一緒で、倫理は道徳のイメージが強いですし、デジタルエシックスに対応する日本語もありません。だからこそ、私たちはあえてそのままの言葉を使って、日本でも新しい概念を育てていこうとしています。

今岡 仁
NEC フェロー

ブライアン氏:デジタル化が進んで、世界はかつてないほど密接につながっていますよね。だからこそ、国境や文化を越えた議論が必要です。デジタルエシックスという共通の行動原理があることで、異なる価値観や文化的背景を持つ私たちが、「何が良いのか、何が悪いのか」について同じ視点から考えて、グローバルな製品を生み出せるようになったのは素晴らしいことだと思います。

進化するデザイン思考と新たな指標への取り組み

今岡:今、取り組まれている新しいプロジェクトについても、ぜひお聞かせください。

ブライアン氏:最近は、気候変動や資源の限界といった、人間中心の最適化だけでは解決できない課題がどんどん増えています。そこで、デンマーク王立アカデミーのロイヤル・デニッシュ・アカデミーと一緒に、これまでの「人間中心のデザイン」から一歩進めて、「地球中心」の視点で意思決定を考え直す「プラネタリーデザイン思考」の開発に取り組んでいます。

 従来のユーザー中心のアプローチは、テクノロジーを人間のために最適化するものでした。でも、これからは人間だけでなく、環境全体を見据えたテクノロジー設計が求められる時代です。生態系全体を一つのシステムとして捉える視点が、ますます大切になってきていると感じています。

 他には、経済目標について、従来のGDPだけでなく、人々の幸せや豊かさといったウェルビーイングを重視した指標へ移行しようとしています。デンマークの財務省もこのテーマに関心を寄せていて、例えばブータンが提唱した「国民総幸福量」のような指標を参考にしながら、新しい評価方法を模索しています。

2.日本の課題と行動原理(プリンシプル)ベースの意思決定が示す解決への示唆

今岡:ここまでで、設計段階で倫理を検討する重要性が見えてきました。ここからは日本の現状と課題について考えていきたいです。

 私は、日本企業との打ち合わせやワークショップで、「考え方ではなく、何をすればよいのか答えがほしい」「どんなルールが必要なのか教えてほしい」と、明確な答えやルールを求められることが多いと感じています。これは日本特有の課題なのでしょうか。

ブライアン氏:いいえ、それは世界共通の課題だと思います。私もよく「何をすればいいのか教えてほしい」と尋ねられますが、逆に「あなたが仕事をする上で意味があると感じる行動原理は何でしょうか?」と聞き返すようにしています。自分たちが何を大切にして設計や意思決定を行うのかという行動原理を定義することで、取り組むべき領域が明確になるし、なぜそれをやるのかも意識できるようになります。

 ルールは安定した運用には有効ですが、テクノロジーの進化が早く、人の関わりが複雑に絡み合う領域では、すべてをルールで対応することはできません。正解が一つに定まらない複雑な問題には、状況に応じて判断するための行動原理が有効だと思います。

今岡:自社やプロジェクトに合わせた行動原理のプロトタイプを作るのは大変な作業ですが、生成AIが進化したことで取り組みやすくなりましたよね。その点についてはどう思われますか?

ブライアン氏:生成AIには期待もありますが、不安も感じています。私自身、自分が持っている情報をAIに入力して最初のプロトタイプを作り、それを見て「これでいいのか?」とAIを使って振り返り、どこを変えるべきかを考えたりしています。これで多くの時間や手間が省けます。使い方は変わっていくと思いますが、生成AIは適切に使えば、デジタルエシックスにおいても役立つと思います。ただし、注意は必要です。

今岡:行動原理のプロトタイプを考えていく上では、AIはあくまでサポート役で、ヒントを与えてくれる存在として使うことが大切ですよね。

ブライアン氏:イノベーションの視点でAIを見ると、現在のところは、情報がたくさんあって混沌とした状態に向かって進んでいます。そして、選択肢が増えるほど、私たちは何かにコミットすることが必要です。

 また、これまでとは違う形でテクノロジーを活用できるようになったことで、対話を通じて関係性を深めたり、民主的により良い意思決定をしたり、人間らしく、本当に大切なことに時間を使うことが求められていると感じています。私たちは、興味深い変化の時代にいると思います。

伊藤: AIでヒントがたくさん出てくる時代だからこそ、どれを選ぶかという時にも、拠り所になる行動原理が必要だといえますね。

伊藤 宏比古
NEC グローバルイノベーション戦略統括部
産学官連携コーディネーター プロフェッショナル

今岡:こうした行動原理ベースの考え方を組織や現場でどう根づかせるかも課題ですよね。NECではデンマークデザインセンターから「攻め」のデジタルエシックスという考え方を学び、書籍の刊行や定量調査、社外ワークショップなどの発信と併せて、社内でもワークショップや対話を続けることで、組織文化として根づかせようと地道な活動をしています。

ブライアン氏:確立された組織や企業文化の中で、意識やアプローチを変えていくのは簡単ではありません。私も様々な組織のデザインや変革に取り組む中で、同じ課題に直面しました。その場合、今岡さんたちが取り組まれているような草の根的な活動を通して、意思決定やコミュニケーションの流れを少しずつ変えていく方法は有効です。小さな単位で、変革を進めるのに適した場所を見つけて働きかけるので「アキュパンクチャー(鍼灸)デザイン」と呼ばれていて、システムなどを変革するのに効率的な手法だと言われています。この手法を通じて今後、NECの取り組みがどうなっていくのか、とても興味があります。

今岡:組織文化を変えることは一朝一夕には進みませんが、組織の判断基準が確実に変わり始めていることを実感しています。小さな行動を積み重ねるアキュパンクチャー的なデザイン手法は日本企業にも合っていると思うので、今後も実践を続けていきます。

3.日本の強み「和」を競争力に。デジタルエシックスのこれからの方向性

今岡:ここまで、デジタルエシックスを設計段階にどう組み込み、組織に根づかせるかについて議論してきました。最後に、日本がどんな強みを活かしてデジタルエシックスを実装していけるのか、その可能性を考えてみたいです。

ブライアン氏:西洋では一人のユーザーや消費者を中心に据えるデザイン文化が一般的ですが、日本を含むアジアには、システム全体の関係性を俯瞰して捉える文化が根づいていると思います。人と人、人と自然、組織や社会のつながりを理解しようとする姿勢は、西洋が今まさに学び始めている部分でもあります。

 そして、こうした全体を見渡す視点は、これからのデザインに欠かせない考え方になっていくはずです。「何をつくるか」だけでなく、「なぜつくるのか」「どのようなシステムの一部として機能させるべきか」といった、より広い目的や関係性を問う必要があり、その意思決定の行動原理となるのがデジタルエシックスです。日本に根づく全体を捉えようとする文化は、デジタルエシックスのアプローチと相性の良い強みだと思います。

伊藤:私は、デジタルエシックスには下の図にあるように、二つの側面があると捉えています。その中でも、デジタル技術で倫理的な社会を実現する「デジタル・フォー・エシックス」は、今後もっと広げていく必要があると考えています。ブライアン氏が取り組んでいるウェルビーイング指標の設計などがまさに象徴だと思いますが、このデジタル・フォー・エシックスを推進するにはどのような視点が必要だと思いますか。

ブライアン氏:私たちが取り組んでいるデジタルエシックスの目的がまさにこの図です。この図を見て、私はわくわくしました。デジタル技術は、単なる商品や売上を早く実現するための手段ではなく、社会の基盤となる「インフラ」として、人と人をつなぐ接着剤のような役割を果たすことが大切です。

 また、デジタル技術をインフラとして捉えることで「倫理的とはどういうことか」という理解も変わってきます。消費者視点だけだと「自分にとって安全かどうか」に偏りがちですが、インフラとして考えると社会全体の利便性や公平性を踏まえて価値を設計することが重要になります。

 あとは、開発者や意思決定者、運用を担う人たちなど、ステークホルダーの間でデジタルに関する行動原理を一致させることも大切です。

今岡:ステークホルダー間で行動原理を整合し実装していく際には、日本文化に根づく「和」が一つのヒントになると思います。「和」は英語のHarmonyに近いですが、多様な価値観を抱えながらも全体として調和を図るというアプローチです。デジタルエシックスにおいて「どんな価値観で判断すべきか」を議論する際に役立ちます。

ブライアン氏:「調和をさせていく」というのは、世の中に何かを広げていく際にも大切なことです。そして、「和」は理念ではなく、調和を生み出すための日本ならではのアプローチなのですね。とても興味深いです。

今岡:個人を尊重しながら全体の調和を目指す「和」のアプローチは、これからのデジタルエシックス設計を支える大きな力になると思います。日本の強みをデジタルエシックスにどう活かすか、今後も議論を続けながら発信していくことで、AI時代の信頼設計のあり方を広げていきたいです。貴重なお話をありがとうございました。

企画・制作・編集:NEC BluStellar ブランドマーケティンググループ(鈴木章太郎、若山拓巳、権田麻実)

編集後記:

 本鼎談を通じて明確になったのは、デジタルエシックスは、デジタル技術導入後に確認するチェック項目ではなく、意思決定の前段で価値観を共有するための行動原理であるという点でした。デンマークの取り組みが示すように、設計段階でどのような問いを立て、どんな価値観を前提に判断するかが、その後の信頼や社会的受容を大きく左右します。

 また、正解をルールとして外部に求めるのではなく、「自分たちは何を大切にするのか」という行動原理を言語化し、状況に応じて判断する姿勢が、複雑化するデジタル社会では不可欠であることも浮かび上がりました。

 そして本鼎談が示した三つ目の示唆は、日本にはその行動原理を実装へとつなげる文化的な強みがあるという点です。全体の関係性を捉え、調和を図る「和」のアプローチは、デジタルエシックスを根づかせるための土壌になると気づかされました。