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次世代中国 一歩先の大市場を読む

激変する中国の農村金融
電気・水道のメーターで与信、30分で融資実行

電気、水道のメーターを与信の判断材料

 与信の判断基準もユニークだ。同行には「三品三表」という顧客の信用判断の目安がある。「三品」とは、「人品」「商品」「担保品」(担保を求める場合)を指し、「三表」とは「水表(水道メーター)」「電表(電気メーター)」「税関の通関記録表」を指す。

 「三品」のうち最も重視するのは「人品」である。資産や経済力、担保の有無などは、農村部の零細事業主や農民の場合、大きな差はないのが普通だ。融資のほとんどは無担保融資である。大きな差があるのは「人となり」だ。同行の説明では、大事なのは「まっとう」な人であること。能力の高低は決定的な要因ではない。「事業意欲がある」「異性関係にルーズでない」「賭博や麻薬などの違法行為をしていない」ことが最も重要な条件という。

 さらに面白いのは「三表」に掲げられている「水表」と「電表」、つまり水や電気の過去の使用量を記録したメーターである。これが過去一定期間においてどのように推移しているか、大きなブレはないかといったことを見れば、その事業者の経営状況の安定性や成長具合を判断する裏付けになるというわけだ。

 余談になるが、中国ウォッチャーの間には俗に「李克強指数」という言葉があって、現総理の李克強氏が昔「中国の経済指標で信頼できるのは電力消費量、鉄道貨物輸送量、中長期の銀行貸し出しの3つである(裏返せば他の統計は信用できない)」と漏らしたことから、この名が付けられた。電力使用量が中国という国の信頼できる経済指標になるのと同様、電気や水の使用状況は、事業者や農家の経済活動の状況を示す、かなり信用できる判断指標になるということだろう。

地域のコミュニティの内側に入り込む

 中国は「ネットワーク社会」「人治社会」といわれるように、もともと「人と人」のコミュニケーションが密な社会である。特に農村部では、どこの誰が、何を、どのようにやっているのか、近隣の人たちはかなりの程度、正確に把握している。前述した泰隆銀行の顧客サービス担当者のように、その地域に一定期間住み込んで人的関係の「内側」に入ることで数字や経歴などのデータではわからない情報が入ってくる。

 加えて、金融機関のネットワークは政府系の個人信用情報データベースや工商行政管理局、税関、裁判所、公安当局の犯罪データベースなどと連結している。さらに同行のこれまでの顧客に対する分析をもとに、農家、個人事業主、小企業、中企業などと業種や規模ごとにさまざまな信用評価のモデルが構築されている。前述の王さんのような顧客サービス担当者は常時携帯しているタブレットで最新の顧客情報にアクセスが可能で、新規の与信はもちろん、既存顧客の異変の早期発見などに大きく役立っている。

 泰隆銀行の説明によると、2019年9月末現在、同行の小規模事業融資の73%がこうした顧客サービス担当者のタブレット端末経由で行われており、累計では70万件を突破、融資金額は1400億元に達している。貸し倒れ率は1.22%と極めて低く、創業以来25年以上にわたってこの水準を維持しているという。こうしたユニークな経営による着実な成長が評価され、世界的に権威ある英国の銀行業界専門誌「The Banker」が発表した2019年版「Top 1000 World Banks」で泰隆銀行は世界の496位にランキングされている。不完全な統計ながら、中国だけでも「銀行」と呼ばれる金融機関が4000社近くあるとされることから見ても、同行の経営が業界でも高く評価されていることがわかる。

 前回の連載で「配車アプリは「電話」が基本~「人対人」がカギを握る中国的コミュニケーション」という文章を書いたが、この農村金融の広がりもITの進化と同時に「人対人」の関係を強化し、きめ細かな人的対応を行うことでさらに緻密な顧客サービスを実現している例と言えるだろう。

アリババ、テンセントも農村金融を展開

 中国ではいま、こうした少額事業金融の専門銀行だけでなくアリペイ(支付宝)を擁するアリババグループのアントフィナンシャル、ウィチャットペイ(微信支付)を持つテンセントなどの超大型IT企業が、その膨大なデータベースを駆使して、農村部の少額金融の領域に参入しつつある。

 例えば、日本経済新聞は2019年8月9日付「中国スマホ銀行が農村席巻 AI審査1秒、融資1億人別ウィンドウで開きます」と題する記事で「インターネット大手アリババ集団と騰訊控股(テンセント)が中国の金融地図を一変させつつある。傘下の「スマホ銀行」の融資対象は1億人を超え、銀行借り入れがしづらかった農村住民や零細企業にお金が回りやすくなった。年3000兆円近いスマートフォン決済の膨大な情報と人工知能(AI)を使い貸し付けの判断を下す。究極の「未来型」金融が姿を現した」などと中国農村部の金融の進化ぶりを伝えている。

 この記事でも触れられているが、アリババ系のアントフィナンシャルが設立した「網商銀行」のうたい文句は「3・1・0」である。これは「3分で融資の申請手続が終わり、1秒で顧客の口座に着金し、人の関与がゼロである」ことを意味している。

アリババグループが手がける「網商銀行」の農家向け金融「旺農貸」のホームページ

 アリペイにせよウィチャットペイにせよ、もともとその個人の過去の膨大な数の金銭支出の履歴をデータベースとして持っており、その他、個人の交遊関係や取引関係、税金の納付状況や公共料金の支払い履歴といった個人的な情報も知り得る立場にある。これらの情報をもとに、「人」がまったく関与しないスピーディーな与信判断を行っているわけだ。

地場の金融機関の優位性はあるか

 こうした「人」の手をできるだけ省いたIT系の農村金融サービスと、ここで紹介したような地場の少額金融専業の金融機関との競争はますます激しくなっている。将来を見通すのは難しいが、ネット上で完結するIT系の事業融資サービスが圧倒的な力をもって農村少額金融を支配するような状況になるかというと、そのような見方は意外と多くない。

 その最も大きな理由は、この融資が個人消費のための資金ではなく、事業資金の融資であるという点にある。農村部で事業を興し、継続するためには地元政府や周辺のコミュニティなどとの「ベタな」人間関係が欠かせない。アリババのショッピングサイト「タオバオ(淘宝網)」上に、アリババの資金を借りてネットショップを開くといった場合は、かなり個人完結的な商売が可能だろうが、農業を含め、農村部の多くの事業はそうではない。

 事業の成長プロセスで、さまざまな段階に応じて、資金だけでなく最適な仕入れ先や販売先の紹介、不動産や人材などの情報提供、政府機関との関係構築など、事業主単独では難しいことは少なくない。地元社会との密着度が高く、人的関係も含めてさまざまな情報やサービスを提供できる地場の金融機関の存在意義はあると思われる。

地場の金融機関とIT系のコラボも

 先の日本経済新聞の記事では、アリババ系およびテンセント系のネット銀行の融資残高は2018年末現在で1700億元とされている。これは浙江省の数ある地場金融機関のひとつである泰隆銀行一行の融資残高とほぼ同じだ。もちろんネット銀行の少額融資はまだまだ伸びるに違いないが、地場金融機関の底力もうかがえる。加えて、金融当局がアリババやテンセントなどに、どこまで金融の領域での事業拡大を認めるのか、不透明感もある。

 当然のことではあるが、「人」の力を重視する地場の金融機関であっても、ビッグデータやAIの活用は不可欠だし、IT系の金融といえども、こと事業融資となれば完全に人の関与がゼロでは限界があるだろう。地域の少額金融に特化した金融機関と、アリババやテンセントなどの巨大IT企業の相互補完関係は強い。「線上(オンライン)」と「線下(リアル)」が結びつきつつある小売業界のように、両者のコラボレーションが起きる可能性もある。

 これまで農民個人に財産権がなかった農地の使用権の私有化が、一部とはいえ実現しつつある中、農村金融はこの先、大きな変化が起きることは間違いない。