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次世代中国 一歩先の大市場を読む

中国物流「無人飛行機三段階戦略」の衝撃
「大きさ」を前提に進化する中国社会の論理

時間の感覚は中国も日本も大差ない

 当たり前のことだが、中国は国が広いからといって、そこに暮らす人たちの気が長いわけではない。例えば、北京と上海は日本なら東京と大阪に相当する2大都市だが、この両都市間(鉄道距離1318km)を高鉄は従来、5時間半~6時間で結んでいた。これでも相当な速さだが、当時ほとんどの旅客は飛行機で移動していた。

 しかし今年7月、高鉄が最高時速350km運転を開始し、一部の列車が同区間を最速4時間24分、平均時速290km以上という凄まじい速度で走るようになると、高鉄利用者は一気に増えた。要するに所要時間が4時間程度を境に鉄道と航空機の利用が分かれるという感覚は、中国でも日本でも大差がない。しかし北京~上海の距離は東京~大阪の2倍以上ある。だから中国の高速鉄道は日本の新幹線より速く走らねばならないのである。

 宅配便の配達も同じだ。私は日本でも中国でも宅配便をしばしば利用するが、当日配達はあえて強い必要は感じず、翌日着なら大いに便利、翌々日に着くのであれば不満はない──といったあたりが普通の感覚ではなかろうか。このへんの実感値は中国の人たちも実は似たようなもので、宅配便が翌々日に着けば満足度は高い。そうであるが故に中国の宅配便会社は「全国翌々日配達」が可能なネットワークの構築に全力で取り組んでいるわけだ。

 しかしここでも同様に、国が広いからといって中国のトラックは日本の2倍の速度で走るわけではない。トラック輸送では「全国翌々日」は実現できない。これは物理的に当然の話であって、無人機利用の航空輸送とか高速鉄道での輸送とか、従来にない発想で取り組まない限り、目的は達成できない。ここが発想の出発点になる。

「中国すごい」論の背景にあるもの

 詰まるところ何が言いたいのかといえば、新しい技術やサービスは社会にその必要があり、人々がそれを求めるから発展するものだ──ということである。技術があるから新しいサービスが生まれるのではない。新しいサービスが「必要」だから技術が生まれ、普及するのである。

 昨今、日本国内では「中国すごい」論が高まりを見せている。現実を見直すのはいいことだが、中国のテクノロジーの進化に目を奪われるあまり、その要因を「中国は頭のいい人が多いから」とか「おカネがあるから」「政府の支援が大きいから」などと表面的な事象に求める傾向がある気がしてならない。

 しかし物流ネットワークの進化がそうであるように、新しい技術や手法が生まれ、普及する背景には必ずそれを必要とする「社会の前提」が存在する。例えばタオバオなどのEコマースサイトも、前述のように、元をたどれば普通の人たちが確かな商品を安い値段で気軽に変える環境が中国に存在しなかったから、その問題を解決するためにアリババが苦闘の末に生み出したものだ(中国の農村に広がるEコマース「淘宝(タオバオ)村」は社会を変えるか)。

 いまや中国の決済手段のスタンダードになったアリペイ(支付宝)もそのプロセスから生まれてきたものである(「信用」が中国人を変える、スマホ時代の中国版信用情報システムの「凄み」)。中国社会には個人が安心して金銭の授受ができる社会条件が欠けていたから、その問題を解決するために開発され、普及した。最近話題のシェア自転車だって、中国の都市部では人口に比して公共交通機関の絶対量が足りず、常に混雑し、人々が新しい交通手段を求めていたから現在の姿がある(中国を席巻するハイテク「シェア自転車」~仕組みで意識を変える試み)。技術があったからサービスが生まれたのではない。社会の問題を解決する意志があったから技術が進化したのである。

問題を解決する「気迫」

 中国の物流業界の企業家たちは巨大な中国の置かれた「宿命」の下、全国津々浦々に翌々日に配送するにはどうするかを前提に商売を組み立てている。ゴールの設定が最初からそこにある。だから無人機での輸送を何がなんでも実現しなければならない。そういう気迫がある。であるからこそ、そのために多額のおカネを投資する人がいるのである。逆にいえば日本社会にそれがないのは当然で、トラック輸送で「翌々日」が実現できるのだから、あえてコストをかけて無人機を飛ばす必要はない。優劣の問題ではない。

 しかし仮に日本の企業や日本人が中国を舞台に商売をするのであれば、中国の人たちが持っている「宿命」を共有しないと、うまくいかないだろう。日本社会での出発点に立って中国でそれを実現する仕組みをつくっても、動作しない可能性が高い。だから私は「日本には環境問題の解決に有効な技術のシーズ(種)がある」とか「高齢化社会の問題を解決するノウハウが豊富にある」とかいう類の言説をにわかには信じない。それらは社会の抱える出発点やゴールを深く共有しない限り、簡単には役に立たないと思うからである。

 いざ「やる」となったら高速鉄道のファーストクラスに布を敷いて荷物を積んでしまう。終着駅から人が荷物を背負って地下鉄で運んでしまう。みずからの現実を直視し、ストレートに問題を解決しようとするこういう気迫こそ、新たな事業が成長する原点だと思う。