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「スポーツ× IT 」のイマ。テクノロジー活用により 15 兆円市場創出を目指す

業界が変わるビジネストレンド

 2020年に向けて、政府はスポーツの分野におけるIT利活用を推進している。総務省が設置した「2020年に向けた社会全体のICT化推進に関する懇談会」の中に「スポーツ×ICT」をテーマとしたワーキンググループを立ち上げ、2017年には「スポーツデータ活用タスクフォース」を開催している。

 スポーツにおけるデータ活用には大きく2つの側面がある。1つは、アスリートの強化支援のためだ。過去の競技映像などから相手の特徴をデータとして分析し、有効な策を打ち出す取り組みだ。もう1つはスポーツビジネスとしての側面で、主に視聴者にとってのエンタテインメント性を上げるために、試合に関するデータをリアルタイムで収集・分析する取り組みである。

 今回は、スポーツにおけるデータ分析・活用の最前線にいるお二人に、それぞれの側面における最新の動向を聞いた。

「スポーツアナリスト」──スポーツ界のデータサイエンティスト

 一人目は、日本スポーツアナリスト協会(JSAA)の代表理事で、前述のスポーツデータ活用タスクフォースの構成員にも名を連ねている渡辺啓太氏だ。同氏は、眞鍋監督の時代に全日本女子バレーボールチームで情報戦略担当チーフアナリストを務めていた。2012年ロンドンオリンピックで日本の女子バレーに28年ぶりの銅メダルをもたらした「IDバレー」の生みの親だ。

 渡辺氏によると、2012年頃から各種の競技でデータ分析に関わるスタッフ、すなわちスポーツアナリストが配置されるようになってきたという。同氏が率いるJSAAは、スポーツアナリストの連携を強化・促進する組織として2014年に設立された。渡辺氏は「競技の壁を越えてスポーツアナリスト同士がナレッジや経験を共有することで、日本のスポーツ界全体でアスリートの支援環境を向上させていきたいと考えています」と語る。

一般社団法人日本スポーツアナリスト協会
代表理事
渡辺 啓太 氏

 スポーツアナリストには、自身が担当する競技への深い知識が求められることはもちろんだが、どんなデータをどのように分析するとどういったパフォーマンスを向上させられるのかといったデータサイエンティストのようなスキルも求められる。近年では、後者の部分で求められるスキルが急速に高度化しているという。

 「テクノロジーの進化によって、これまでは収集できなかったデータが容易に手に入るようになってきました。それに併せて、データを活用・分析する手法を進化させることが求められています」(渡辺氏)

 これを象徴する例として渡辺氏が紹介するのが、米メジャーリーグの全球場に設置されている「PITCHf/x」(米スポーツビジョン製)という投球測定システムだ。軍事レーダーを応用したシステムで、単に球速を測るだけでなく、変化球における変化の量(軌道)や回転数、ストライクゾーンに入っているか否かといったことまでを測定できる。このほかにも、打球の打ち出し角度や推定飛距離などを算出するシステムや、カメラでグランド全体を撮影して選手の動きを追跡するシステムなども全球場に導入されているという。

 データの収集だけではなく、データ分析の側面でもテクノロジーは進化している。本格的な導入はこれからだが、渡辺氏は「スポーツのデータ分析でも、近い将来にはAI(人工知能)や画像認識が駆使されることになるでしょう。JSAAでも研究に取り組み始めています」と語る。

アスリートのアクションに直結するコミュニケーションが大切

 こうしたデータ活用・分析の側面に加えて、渡辺氏はスポーツアナリストには、アスリートに対して分析結果を的確に伝える能力が欠かせないと指摘する。「日頃から選手や監督、コーチたちとコミュニケーションを取り、彼らがどんなニーズ(目標)を持っているかを把握する。そして、分析結果に基づいて、アスリートに対して強化のためのシナリオや道筋を示すこと、さらにそれをデザインすることもスポーツアナリストの重要な役割です」と強調する。

 アスリートに限らないが、データ分析の結果をそのまま伝えられても、その意味することを理解することは困難だ。渡辺氏は気象予測を例にとって、次のように説明する。
「気象予測の分析結果の生データを見ても一般の人は何を意味しているかは分からないでしょう。でも天気予報で『降水確率は80%』と伝えられれば、傘を持って行こうというアクションにつながります。要するに分析結果、この例では80%という数字がどんな意味を持っているかを理解できるように、アクションの基準を使ってコミュニケーションをとることが大切なのです」

 渡辺氏は「スポーツは生ものです」というフレーズを頻繁に使う。これは、競技中は刻一刻と局面が変わることを意味している。例えば、データ分析に基づいて試合の前にアスリートに作戦を指示していたとしても、相手がそれに対応してきたら作戦を変更する必要がある。そうした際にも、アスリートが肌感覚で瞬時に理解できる言葉で伝えなければならない。

 「試合中に選手は興奮していますし、緊張もしています。そんな中で過去の試合で分析した数字と今の試合の数字の違いを説明しても、選手は何をどう変えれば良いのかが分かりません。その瞬間に、選手がどのようにアクションを変えれば良いのかが分かる言葉で伝えなければいけないのです」

スポーツビジネスを変革するような人材を育てたい

 ただし、競技によってアスリートへの伝え方は変わってくるという。バレーボールの場合はボールがコートを行き交う最中に監督が選手に指示を与えることが可能だ。実際、渡辺氏の分析結果がリアルタイムに眞鍋監督のiPadに送られ、これに基づいて選手に指示を与えていた。しかし、中には競技中にアスリートがコーチや監督とコミュニケーションをとれないような競技もある。「競技の特性によって、コミュニケーションの在り方を考えることも必要です。これもスポーツアナリストの大切な役割です」と指摘する。

 現在、JSAAではスポーツアナリストに必要なスキルセットの体系化に取り組んでいる。この取り組みには、スポーツアナリストの職域を広げたいという思いも込められているという。渡辺氏は、「アスリートを支援するだけでなく、日本のスポーツビジネスを変革するような人材を育成することを目指しています」と将来の抱負を語り、スポーツアナリストと産業界の連携強化も視野に入れている。

スポーツビジネス市場は2025年に15兆円規模に

 スポーツ庁と経済産業省が2016年に公表した「スポーツ未来開拓会議 中間報告」では、日本のスポーツビジネスの市場規模を、2025年までに15.2兆円まで拡大することを目指している。これは、2012年の約3倍に相当する規模だ。

 この報告書では、市場を「スタジアム・アリーナ」(3.8兆円)、「アマチュアスポーツ」(0.3兆円)、「プロスポーツ」(1.1兆円)、「周辺産業」(4.9兆円)、「IoT活用」(1.1兆円)、「スポーツ用品」(3.9兆円)の6つに分類。

 この中でも成長著しいのが「IoT活用」である。報告書でも「スポーツの見える化ともいうべき選手の動きや力、速度、心拍数などを計り、データとして蓄積できる機器等が開発されており、将来的にはスポーツを楽しむすべての国民が対象市場となりうるポテンシャルを秘めている」と評している。

データスタジアム株式会社
代表取締役社長
加藤 善彦 氏

 この「スポーツの見える化」の最前線に位置している企業がデータスタジアムだ。

 同社は、野球とサッカーを中心に試合のデータを収集・分析している企業だ。プロ野球ではオープン戦から日本シリーズまで、サッカーではJ1・J2・J3の全試合や日本代表の国際試合を対象に各種メディアやファン向けにデータを配信している。

 代表取締役社長を務める加藤善彦氏は「データとメソッド、テクノロジーを駆使して、競技者やファンなどのスポーツピープルが集うコミュニティを創造・拡大することが私たちの使命です」と語る。

様々な競技の「戦い方改革」に貢献する

 野球では、試合の映像から「エキスパート」と呼ばれる専任スタッフが1球ごとにデータを入力している。一方のサッカーではワンプレーごとのデータの他、選手のデータを自動的に生成するトラッキングシステムを導入。専用のカメラとソフトウェアを使って、ピッチ上の選手、審判、ボールの動きをデータ化する仕組みだ。リアルタイムでデータを配信するのに加えて、蓄積したデータを提供するサービスも手がけている。

 メディア向けのサービスのほかに、スポーツ団体・個人をサポートする事業も提供中だ。サッカーでは、Jリーグのオフィシャルデータサプライヤーを務めている。Jリーグデータセンターの運営をはじめ詳細な公認記録の提供、レフリーサポートシステム運営などを手がけている。野球でも、いくつかのプロ球団にデータを提供しているという。

 加藤氏によると、2020年に向けて、様々な競技でデータを活用したいというニーズが高まっているという。こうしたニーズに応えるために、ほかの競技に向けたトラッキングシステムの開発を手がけている。

 例えば卓球向けには、球の軌跡や速度などをリアルタイムでデータ化するトラッキングシステムを開発済みだ。このほか、著名な卓球選手とアスリートアンバサダー契約を結んでいるシスコシステムズと協業。卓球選手向けソリューションも開発を検討している。

 加藤氏は「データはアスリートと指導者の共通言語です。勘と経験に頼るよりもデータに裏打ちされたトレーニングを行った方が効率よく能力を向上できます。様々な競技において、アスリートの『戦い方改革』に貢献していきたい」と語る。

最新テクノロジーを駆使した新サービスの開発も手がける

 国内外のテクノロジー企業や教育機関、研究機関などと連携を図りながら、新しいサービスの開発にも取り組んでいる。2017年3月には、電通の「Dentsu Lab Tokyo」(電通ラボ東京)が始動した「AI スポーツ解説プロジェクト」にデータ提供および野球解析に関するアドバイザーとして参画している。このプロジェクトは、ディープラーニング(深層学習)などの最新テクノロジーを駆使することによって、スポーツを解説するシステムの開発に挑むものだ。

 プロジェクトの第1弾としてNHKの野球関連番組用にスポーツ解説システム「ZUNO(ズノさん)」を開発している。データスタジアムは、2004年から記録されている300万球を超える打席データを提供。ZUNOが、このデータを機械学習することで、配球や勝敗、順位などを予測したり、これまで人間の解説者では見つけることのできなかった選手の傾向や試合状況に応じた投球の解析を行ったりする。実際にNHKでは、番組でZUNOと視聴者(4500人の平均)が投球予測を競う様子を放映。球種予測とコース予測のいずれでも、ZUNOが勝利を収めた。

 またこのほか、アカツキが手掛けるMR卓球アクティビティ『PONG!PONG!』にも「Ath-Tech Lab(データスタジアムとコンセプトの共同研究機関)」の最新テクノロジーが使われている。『PONG!PONG!』は卓球台にプロジェクションされたブロックを、リアルのピンポン球で破壊して点数を競い合うMixed Reality(複合現実)のアクティビティだ。すでに複数の遊戯施設で導入され、「IT×球技」による新しいエンタテインメントとして人気を集めている。

MR卓球アクティビティ『PONG!PONG!』

 加藤氏は、最新のテクノロジーを活用することで多種多様なサービスが開発できるとして、将来の展望を次のように語る。

 「IoT(モノのインターネット)などのテクノロジーを駆使すれば、これまでは集められなかったデータも手に入れられるようになります。データが増えることは、アスリート支援の品質も上がりますし、新しいエンタテインメントの創造につながります。例えば、今は技術データの提供によってアスリートのパフォーマンス向上に貢献していますが、バイタルデータなどを活用すれば、より一層立体的な予測が可能になります。またスポーツイベント運営者の視点で考えると、データ活用による試合展開の予測によって、飲食の販売計画やシャトルバス運行の調整などに役立てられます。今後も、創業以来培ってきたノウハウを活用することで、他社には真似できないサービスが創出できると考えています」

2020年のその先に広がる新たなスポーツビジネスの創出

 欧米をはじめ日本でもスポーツビジネスは巨大産業の1つになりつつある。その中で、テクノロジーの進展によってITの活用領域が拡大し続け、市場の一層の活性化が予測される。2020年やその先に向けて、政府も新たなスポーツビジネスの創出を後押ししている。

 本記事で取り上げた2つの先進事例をはじめスポーツに関わる各プレイヤーは次々に新しいサービスを創出し続けており、スポーツ分野は今後ますますビジネスの発展が期待できそうだ。