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大阪・関西万博で描かれ「しあわせを呼ぶ認知症」
~対話とデジタルの連携による、理想的な認知症ケアの実現に向けて~

 NECと大阪大学、一般社団法人日本モンテッソーリケア協会の3者は、2023年3月から大阪府豊中市のサービス付き高齢者向け住宅「柴原モカメゾン」でリビングラボの手法を用いた実証を行ってきた。(大阪大学とNECによる「NEC Beyond 5G協働研究所」、確率的デジタルツインの社会実装に向けたリビングラボを設立)そのテーマは「デジタル技術で高齢者介護や認知症ケアが抱える課題を解決し、「豊かな心の世界」を生みだす新たな介護の在り方を追究する」というもの。これまでの成果を世に問うため、2025年7月8日~7月14日の7日間、「しあわせを呼ぶ認知症 ~もしも認知症になったら~」というタイトルで、2025年日本国際博覧会(以下、大阪・関西万博)の「フューチャーライフヴィレッジ」に参加。新しい認知症ケアの展示と未来への提言を行うとともに、社会実装に向けて広く一般の意見を募った。大阪・関西万博参加を通じて得られた来場者からの反響や知見について、これまでリビングラボ実証を推進してきたNECの3人に話を聞いた。

認知症介護にデジタルを活用。実証の成果を大阪・関西万博で発信

 5Gサービスの次に来る次世代通信インフラとして、2030年代の導入が予定されるBeyond 5G。その導入に先立ち、大阪大学とNECは2021年11月、大阪大学に「NEC Beyond 5G協働研究所」を設置。最新のICTを活用し、実世界を仮想空間に再現するデジタルツインを高度に発展させた技術の開発に取り組んでいる。

 大阪・関西万博に参加した経緯について、同研究所のメンバーでもあるNECの永井 研はこう説明する。

 「我々は産学連携による共創活動の一環として、Beyond 5G時代にICTでどのような貢献ができるかを模索し、社会実装に向けた研究開発を進めています。そのテーマの1つとして、超高齢社会の重要課題である“認知症介護”に着目。介護施設『柴原モカメゾン』で3年にわたりリビングラボ活動を行い、通信ネットワークやIoTセンサーなどのICTシステムを介護に活用する実証を進めてきました。その成果を一般の人々に見ていただき、広く意見を集めようと考えたのが、今回万博に参加した理由です」

NEC
通信キャリア営業部門
オープンイノベーショングループ
シニアプロフェッショナル
永井 研

 今回参加した展示会場は「フューチャーライフヴィレッジ」。このパビリオンは、「未来の暮らし」「未来への行動」のためのさまざまな提案を持ち寄り、参加者や来場者が対話しながら共創する場として位置づけられている。

 展示の柱は、「(1)認知症を知る」「(2)デジタル活用を含めた柴原モカメゾンの取り組み紹介」「(3)来場者とともに認知症ケアの未来を描く」の3つだ。麻生 由博はその狙いをこう説明する。

 「まずは認知症を正しく知ってもらわないことには、『我々がなぜ柴原モカメゾンでこのような実証に取り組んでいるのか』を理解してもらえないので、展示の冒頭に『認知症を知る』ゾーンを設けました。認知症という症状についての説明だけではなく、認知症の方がなぜそういう行動をとるのか、認知症の方の心の状態や、心の動きを知っていただくことに重点を置きました」。展示会場では、多くの方に伝わるよう、わかりやすい動画も制作して紹介しました。

認知症を知る(YouTubeのサイト)

 続いて、柴原モカメゾンで実際に行われているモンテッソーリケアとデジタル活用事例を紹介。来場者には、「自分が認知症になったらどんなケアを受けたいか」「家族が認知症になったらどんなケアをしたいか」など、未来の認知症ケアと社会の姿を想像してもらうゾーンを設けた。

心に寄り添うモンテッソーリケア(YouTubeのサイト)

 最後に、来場者は木の葉型のカードにその想像してもらったことを書き、「いのち輝く未来の木」に貼っていく。展示者と来場者が共創し、認知症の未来を一緒に描いていこうという趣向である。

「いのち輝く未来の木」。「認知症の方々と共に暮らす未来社会を実現するために、あなたができること・やりたいことを教えてください」という呼びかけに応え、来場者から900件超のコメントが寄せられた

今後は「しあわせの指標」が重要になる

 今回、柴原モカメゾンでのデジタル活用事例として紹介したのが、「デジタルツイン」「歩行センシング」「顔画像バイタルサイン推定」の3つである。

NECは実証実験の成果として「デジタルツイン」「歩行センシング」「顔画像バイタルサイン推定」という3つのデジタル技術を展示した

 「デジタルツイン」のコーナーでは、施設内でのさまざまな状況をリアルタイムにデジタルで再現し、分析や予測を行う仕組みを展示。センサーで室温や湿度・照度・騒音などのデータを収集し、入居者の行動、表情、音声の変化をセンサーで感知し分析することで、入居者の状況を常時把握。異常があれば早期に検知し、介護士が速やかに対応できる仕組みだ。

 「歩行センシング」は、靴の中敷きに組み込んだセンサーで、日常の歩行における歩幅や歩行速度、足上げの高さなど、“歩行の質”を計測する技術だ。現在、この歩行の質から認知症の不穏状態を分析する実証研究で活用されている。つまり、入居者の歩行パターンを可視化することで、健康状態の分析に役立てることができるということだ。

 「顔画像バイタルサイン推定」は、タブレットのカメラで入居者の顔画像の情報を読み取り、非接触で脈拍や呼吸、表面血流などのバイタルサインを推定する仕組みだ。認知症の人は身体に計測機器を装着すると不快感から外してしまうことがあるため、NEC独自のAI技術を活用することで入居者の負担軽減を目指している。

 この顔画像バイタルサイン推定の体験コーナーは好評を博し、期間中のトライアル回数は約1500回以上に及んだ。

 これらのデジタル技術により、環境情報に加えて、入居者の言葉・行動・表情と、歩行・健康情報を総合的に分析することで、入居者の身体の状態だけでなく、こころの状態まで推定することが可能だと考えられている。また、状況に応じて推奨ケアのアクション候補を介護士に通知することで、こころの状態が悪化する前に適切な対応をとることもできると考えている。

認知症介護を支えるデジタル技術(YouTubeのサイト)

 展示のベースにあるのは、「認知症になっても、そこから得られるしあわせがあることを伝えたい」という思いだ。その思いを込めたのが、「しあわせを呼ぶ認知症」というタイトルだと麻生は続ける。

 「実証を始めた当初は、認知症のネガティブな行動に注目していましたが、介護環境に豊かな心の世界を創り出すためには、『認知症の方をしあわせにすることができる要素』にも目を向けなければならない。そこで、入居者さんの大好きな猫や昔の楽しかった思い出がよみがえる富士登山の動画などを介護士さんと一緒に見てもらうことによる行動変化の調査など、ポジティブな感情を引き出すための実証にも取り組んでいます。

 どうすれば、介護する側にも介護される側にもしあわせを感じていただけるのか、そしてそのしあわせはどのように定義すれば計測できるのか。検証するのはとても難しいですが、認知症ケアに限らず、将来的には重要な指標となると考えています」(麻生)

NEC
通信キャリア営業部門
オープンイノベーショングループ
プロフェッショナル
麻生 由博

未来の認知症ケアに対する期待値の大きさを実感

 7日間で展示ブースを訪れた来場者は約1万人。このうち914人が、未来の認知症ケアについてコメントを寄せた。大阪大学大学院で看護学を専攻し、認知症の祖母を介護した経験も持つ大西 真愛は、来場者との対話を通じて、認知症ケアに対する関心の高さを実感したという。

 「来場者には認知症のご家族を持つ方や医療・介護職の方もいて、当事者意識の高い方が多いと感じました。介護の相談や悩みを打ち明ける方も多く、中には涙ぐまれる方もいて、生の声を聞けたのは貴重な経験でした。一方で、コメントが書けないほど切実な悩みを抱えている方も多く、ICT企業としてその声にどう応えるべきか、真摯に考えていく必要があるとあらためて感じました」

NEC
通信キャリア営業部門
オープンイノベーショングループ
大西 真愛

 デジタル活用についての反響も大きかった。「『顔画像バイタルサイン推定』の体験コーナーでは、9割以上の方が、デジタル機器の精度や速さに驚いていました。かつては居室にモニターを設置するとなると、プライバシーへの懸念から異論を唱える声も多かったのですが、今回は『それで本人や家族がしあわせに暮らせるなら』という肯定的な声が大半でした。『このシステムを自宅でも使えないか』『親の見守りに役立てたい』という声も多く、デジタル技術が社会の中で前向きに受け入れられつつあると感じました」(大西)

 大阪・関西万博を振り返ってメンバーが強い印象を受けたのは、「未来の認知症ケアに対する期待値の大きさ」だった。巷で話題のパビリオンには目もくれず、開場と同時にこの展示を目指して来る人もいれば、わずかな休憩時間を縫って相談に来るボランティアもいる。「認知症介護は逃げるわけにはいかない課題。政策としてしっかり考えていきたい」と語る地方議員や、「常日頃から見返せるように」と、展示の動画をスマートフォンで録画する来場者もいたという。

 来場者との交流を通じて初めて気づかされることも多く、一般の人と対話の機会を持つことの大切さを痛感した、と3人は口をそろえる。

 もちろん、参加にあたって苦労がなかったわけではない。7月は酷暑続き、さらに夕方は集中豪雨になる日が続いたため、夜間に空調が止まると展示会場は一気に蒸し暑くなる。そのために段ボール製の展示物が歪んでしまい、夜間に補強作業を繰り返すという想定外の事態にも直面した。また、当初の予想を超える数の来場者が訪れ、1人ひとりが10分、15分と話し込んでいく。期間中は約50人のスタッフがローテーションを組んで朝10時から夜9時まで対応したが、ほとんど休憩をとる暇もないほどの忙しさだった。

無事に7日間の展示を終え、しあわせな笑顔の参加メンバー。大阪大学、柴原モカメゾン、NECから総勢約50名が参加し、交代で来場者との対話に務めた

 「来場者の中には、『なぜ、NECのようなメーカーが認知症介護の展示をしているの』と疑問を投げかける方もおられましたが、対話を通じて、NECが社会課題の解決に取り組んでいることを理解していただけたのは大きな収穫でした」と永井は振り返る。

産学連携で社会課題を紐解き、ICTの力で解決に寄与する

 2023年に始まった認知症ケアへのデジタル活用の取り組み。それは万博という場で、多くの来場者から一定の評価を得た。これを1つのマイルストーンとして、今後はどのような方向性を目指すのか。大西は語る。

 「今回感じたのは、万博に限らず、一般の人の意見を直接聞ける機会をもっと設けた方がいいということ。ICT企業の視点だけでデジタル技術を見ると、ややもすれば“認知症の方を管理する”という目線になりがちです。しかし本来、デジタル技術はあくまで“認知症の方を理解する”ための道具にすぎない。当事者や現場の方々と対話しながら、デジタル活用のあり方を考えていくことが必要だとあらためて感じました」

 大阪・関西万博では来場者の協力を得て、理想の未来社会についての解像度を上げることができた。だが、真に社会実装するためには、大手事業者や政府・自治体などとパートナーシップを組み、さらに大きなムーブメントを起こすことが不可欠だということを再認識させられたのも事実だ。

 だが、今回の実証で得たものは大きい。産学連携で社会課題を紐解き、実証で描いた理想像を一般の方に見ていただいて、幅広く意見を募る。そうすることで、社会実装のために必要なパーツやステップを可視化できるからだ。

 「その一連のプロセスを踏むことで、我々が持つICTを活かし、社会課題の解決に結びつける力を磨くことができたと感じています。ここで得た経験を糧として、我々の知見やスキル、ノウハウを活かし、さまざまな社会課題の解決にも貢献していきたいと思います」と麻生は先を見据える。さらに続けて「認知症ケアのリビングラボ実証、さらに大阪・関西万博への参加を通して、私自身含めメンバー全員がたくさんのしあわせを感じることができました」と感謝の言葉で締めくくった。