リアル店舗に押し寄せるダイナミックプライシング
~コロナを機に生活圏に浸透、AI活用が今後の鍵に~
Text:織田浩一
ホテル、航空便、音楽・スポーツイベントや演劇から始まったダイナミックプライシング(変動価格制)。在庫や需要などに応じて価格を変動させるこの価格戦略は、EコマースやUberなどでも市民権を得て久しい。昨今では、生活圏に近いリアル店舗にもダイナミックプライシングの流れが押し寄せてきている。店舗の裏側ではデジタル化と関連ツールの導入が進んでいる。北米リアル店舗のフロントラインを報告したい。
織田 浩一(おりた こういち)氏
米シアトルを拠点とし、日本の広告・メディア企業、商社、調査会社に向けて、欧米での新広告手法・メディア・小売・AIテクノロジー調査・企業提携コンサルティングサービスを提供。著書には「TVCM崩壊」「リッチコンテンツマーケティングの時代」「次世代広告テクノロジー」など。現在、日本の製造業向けEコマースプラットフォーム提供企業Aperzaの欧米市場・テクノロジー調査担当も務める。
Eコマースで多用されてきた様々な価格戦略
筆者が旅行サイトで航空便を検索する際、ログイン後の価格がログイン前から数ドル上がることがよくある。ビジネス出張のために航空便を検索することが多く、筆者の場合は価格よりも待ち時間の少なさや直行便かどうかを重視しているため、旅行サイトからは多少価格が上がっても購買すると認識されているのである。
このようにEコマース業界では、ユーザーのデータを収集して価格調整を行うパーソナルプライシングが当たり前に使われている。集めているデータとしては、ユーザーの住んでいる都市や地域、年収、その商品カテゴリーでの年間・月間の利用金額、過去の購買傾向や価格への反応の傾向などである。広告に触れたユーザーと触れないユーザーを比較した価格調整や、配送時間、割引率表示のデータを含めるなどのA/Bテストや多変量テストも行われている。
2013年にAmazonは1日に250万回も価格を修正しているという情報が広がったが、今ではそれに、パーソナルプライシングを掛け合わせた膨大な価格修正が日々行われているだろう。
また、Eコマースで商品を販売している企業に向けて、競合企業の商品価格データをリアルタイムで提供するサービスも登場している。多くの企業では、競合の価格変更に合わせて自社商品の価格を調整し、Eコマース上で競争力を保っている。
そして、ダイナミックプライシング(変動価格制)に目を転じると、もともとは各種のイベントやホテル、航空便などで、空き部屋や空席が埋まるに従って、残りの在庫の価格が徐々に上がっていくというところから始まった。
近年では、Uberなどカーシェアリングサービスにおいて、需要が急増した際に料金を割り増しするサージプライシング(急騰価格設定)を導入するなど、リアルタイムでの対応が当たり前になっている。時間帯や特定地域でのユーザーの需要と運転手の供給のバランスを保つためである。
こうしたダイナミックプライシングなどの価格戦略は、Eコマースなどオンラインで進められてきたが、現在はリアルの店舗も実践するためのインフラが整いつつある。
コロナ禍でデジタル化が浸透したファストフード店
コロナ禍において、レストランや店舗から食品を宅配するUber Eatsなどへの需要が高まった一方、3密を避けながらスタッフ不足に対応する狙いで、リアルの店舗内でも様々な施策が導入された。レストランやファストフードで導入が進んだのが、顧客がキオスク端末で商品を注文する機能である。宅配に対応するためのシステムを導入した結果、店舗内での注文がキオスク端末でも行いやすくなったのである。
コロナ禍が終わった後には、デジタルサイネージでのメニューと料金表も導入が進み、これら両方が結果的にダイナミックプライシングを導入しやすい状況を生み出している。
例えば、マクドナルドに続き全米第2位のハンバーガーチェーンWendy'sは2024年の株主総会で、2025年から同社のデジタルメニューを利用して、時間帯により商品価格を変動させることを発表した。すぐに批判がソーシャルメディアなどで展開されたため、現在のところは、忙しくない時間帯に価格を下げたり、コンボメニューなどでの割引を増やしたりするためのもので、価格を上げるものではないとのコメントを発表している。
また、マクドナルドやバーガーキングは来客者それぞれのモバイルアプリで、忙しくない時間帯の割引メニューなどを提供している。つまりパーソナルプライシングを実践していることになる。
だが、消費者がこれらの機能に慣れていくと、今後は忙しい時間帯での価格上昇の可能性は否定できない。
Wendy'sの店舗と注文用のキオスク端末。Eコマースサイトと同じようなシステムが導入され、時間帯などのデータを利用したダイナミックプライシングの導入も容易となっている。筆者撮影
価格変更作業が簡単な電子棚札
一般的な店舗にも価格を表示する電子棚札の普及が進んでいる。電子棚札はこれまで北米では家電量販店や大手スーパーマーケットチェーンの一部から導入され始め、今やスーパーマーケットを中心に大きく広がりを見せている。筆者の自宅に最も近い10店舗の独立系スーパーマーケットチェーンのMetropolitan Marketでも導入されている。
小売業界での最近の大きなニュースは、2024年6月から電子棚札の利用テストを行っていたWalmartが、2026年までに全米4600店舗の半数に当たる2300店舗への導入を発表したことだろう。12万品目以上の商品を抱えるWalmart店舗において、店員がモバイルアプリの利用により、以前は2日かかっていた料金変更作業を数十分で変更できるようになる。
また、電子棚札には別々の色で光る機能があり、これが店員に棚在庫の補充を知らせたり、オンライン注文や店舗ピックアップに対応する際に、店員が店舗内で商品を集めるルートを迅速、明確にしたりできる。
全米に2700店舗を持つ全米最大のスーパーマーケットチェーンKrogerでは、現在約500店舗で電子棚札を導入済みである。だが、消費者やメディアは、ここ数年で進んできた食料品のインフレを電子棚札がさらに進めるのではないかと危惧しており、ある米上院議員はKroger幹部に、急激な価格修正を行うサージプライシングへの懸念を示している。
店舗内ダイナミックプライシングは値引きから
KrogerとWalmartは両社とも電子棚札の導入に関して、サージプライシングを行うものではなく、需要の低い時間帯に価格を下げたり、賞味期限切れが近い食品や、クリアランス商品などの割引価格設定をスムーズに行ったりすることで、需要向上を目指すものであると発表している。
値引き価格の最適化はこれまで、流行の移り変わりの激しい”生鮮品”を扱うファッション業界で利用されてきた。商品の売り切りと利益の確保という重要な戦略を実行できることから、本物の生鮮品を扱うスーパーマーケットを中心に、食品業界でも値引き価格の最適化が広がりつつある。
例えば、米東部に1200店舗を抱えるスーパーマーケットチェーンDelhaize Americaでは、価格分析・最適化ツールと値引き分析ツールを導入している。毎週の商品価格の設定を調整し、顧客からの需要と店舗での在庫量から、値引き頻度と値引き率の調整を行っている。この結果、値引き業務のプランニングがシンプルになり、同時に利益率を向上させることが可能になったという。
同社では一部店舗に電子棚札を導入しており、これらの値引き業務を迅速に行い、その売上、利益率への結果を包括的に分析している。
天候、イベントデータなどもインプット
過去数年、北米の小売企業は利用するデータの種類を増やし、需要予測や在庫管理に使ってきた。そのためのツールも様々なデータに対応している。例えば、店舗のある地域での天気や気温、プロ野球の試合など周辺で実施されるイベントなどのデータが、需要にどのような影響を与えているかを分析し、在庫補充の判断を自動化する。
だが、需要予測や在庫調整に留まらず、Walmartや米地方向け総合商品販売大型チェーンのTractor Supplyなどでは、天気・気温データを価格調整に利用していることが伝えられている。Walmartを例に取ると、地域ごとの秋季の降雨量からセーターなど季節商品の割引のタイミングを決める。Tractor Supplyでは気温状況と照らし合わせることで、冬向けの製品で不必要な割引をしないための施策が導入されている。
ここでも鍵となるAI機能
ダイナミックプライシングのためのプラットフォームにも、当然のことながらAI機能が備わってきている。
例えば、2014年に米ニューヨークで設立されたAI利用のダイナミックプライシングのプラットフォームCompeteraは、小売向けに競合小売の商品価格データを提供するほか、同社の多数の機械学習モデルを使い、顧客行動から価格設定を推奨する。特定の商品カテゴリーで価格設定や、組み合わせ商品での価格差調整を行うことができる。同時にシミュレーションツールを使って、別々の戦略や料金設定による売上や粗利、利益率を予測する機能も用意している。
また2002年に米ジョージア州で設立されたRevionicsは価格管理・最適化プラットフォームを提供する企業である。2020年にPOS、注文管理、フルフィルメント分野などでの小売向けテクノロジーソリューション企業のAptos傘下に入った。
同社はプラットフォーム上でRAG(検索拡張生成)機能を含めた生成AIチャットボットを提供。例えば、価格変更による需要予測にどれだけ季節性が影響を与えているか、特定の商品カテゴリーにおける商品で価格弾力性の高いものはどれか、さらに特定の店舗での売上、利益に影響を与える商品リストなどをチャットボットに問い合わせ、すぐに信頼に足る回答を得て次の施策に利用できる。
こうした価格管理・最適化プラットフォーム導入により、商品カテゴリー間、商品間だけでなく、実店舗、Eコマース、他のマーケットプレース、ソーシャルメディアチャネルでの販売といったオムニチャネルでの価格設定と割引管理も可能になる。電子棚札との相乗効果も期待でき、その効果を可視化できるメリットもあることから、人材不足が深刻な小売業界にとって魅力的に映るツールであることは間違いない。
もちろん、こうしたツールのメリットを享受するためには、企業が価格や特定の商品カテゴリーに関するデータ分析を行うデータサイエンスチームを設置し、多くのA/Bテストや多変量テストを実行する能力を備える必要がある。そして、既にEコマースに力を入れ、パーソナルプライシング、ダイナミックプライシングを経験している企業では、Eコマースでの知見を実店舗やオムニチャネルへ応用する動きが進んでいる。店舗のデジタル化に伴い、新たなスキルが店舗運営に必要になっていくと言えるが、その投資は必ずや生きるはずである。
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