北米で広まるフォワード・デプロイ・エンジニアリング
~AIを事業価値につなげる新たな導入支援モデル~
Text:織田浩一
北米で、AIプラットフォームを提供する企業と利用する企業の距離感が変化している。筆者の住む米シアトルで、Amazon傘下のAWSが2026年6月30日、Microsoftが7月2日に立て続けに発表したのが「フォワード・デプロイ・エンジニアリング」である。これは、利用現場に直接エンジニアを送り込み、顧客側のスタッフと一緒にAI構築を進める部隊を立ち上げるというサービス提供モデルで、AWSは10億ドル(約1,570億円)、Microsoftは25億ドル(約3,925億円)と巨額の投資を計画している。OpenAI、AnthropicなどのAIプラットフォーム企業8社も、今年に入ってから同様の取り組みを実施している。その背景には、高性能のAIモデルを持つ顧客企業でも、ビジネス価値をなかなか創出できずにいる状況にあるからだ。北米の最新状況を詳しく見てみよう。
織田 浩一(おりた こういち)氏
米シアトルを拠点とし、日本の広告・メディア企業、商社、調査会社に向けて、欧米での新広告手法・メディア・小売・AIテクノロジー調査・企業提携コンサルティングサービスを提供。著書には「TVCM崩壊」「リッチコンテンツマーケティングの時代」「次世代広告テクノロジー」など。現在、日本の製造業向けEコマースプラットフォーム提供企業Aperzaの欧米市場・テクノロジー調査担当も務める。
膨らむAI投資、見えないリターン
一連の動きはコンサルティング企業のAccentureが2026年4月に、Microsoftと提携し「フォワード・デプロイ・エンジニアリング・プラクティス」を発表したことに始まる。これはMicrosoftが提供するAIプラットフォームとテクノロジーイノベーションを使い、顧客企業に常駐させたAccenture所属の何千人ものAIエンジニアが、企業変革管理、プロセス再設計、ワークフロー、グローバル展開をサポートするというもの。この発表をした背景には、大手企業におけるAI導入と期待した投資対効果との齟齬がある。
コンサルティング企業のMcKinsey & Companyは、2025年から2026年における企業のAI導入の実態に対する調査「The state of AI in 2026: On the road to ROI」を97カ国1,719人を対象に実施し、2026年8月に公開した。この調査結果では「実験・検証段階」という企業の割合は32%から22%に減少する一方で、「パイロット運用段階」とした企業は30%から34%へ増加、そして「本格展開・拡大段階」の企業の割合は38%から44%と6ポイント伸びており、企業におけるAI利用は実験や検証が終わり、実運用の段階へと進んでいることが明らかになっている。
出典:McKinsey & Company:The state of AI in 2026: On the road to ROI
導入と利用が順調に進む一方で、同じ調査で実施した「AIが企業の業績に何らかの貢献をしたか」という問いには残念な結果が出ている。
企業の利払い前・税引き前利益を指すEBIT(Earnings Before Interest and Taxes)にAIが何らかの貢献をしているかという質問に対し、「貢献した」と回答した企業の割合は前年と今年で変化はなく37%のままと変わらなかった。つまり、AIの導入と利用は進んでも、財務的な成果は出ていないのである。
Accentureの調査では、成果に対してさらに芳しくない数字が出ている。売上5億ドル(約785億円)以上を記録している世界各国大手企業の経営層3,000人・社員3,000人を対象にAI導入状況を尋ねたレポート「Pulse of Change(変化の実態)」(2026年7月公開)で「AI投資を増やしている」と答えた経営層は82%に上る。一方、「AI導入において測定可能なビジネス価値をどの程度実感しているか」と聞いた質問への結果を見ると、企業がビジネス価値を創出できているとは言い難い現状がうかがえる。
この質問に対する、今年1月時点と7月時点の回答をまとめたのが下図である。「複数の部門・機能にわたって、一貫した価値を実感している」「特定の事業領域において、一定の価値を実感している」と答えた回答の割合は1月から7月の間に多少伸びているものの、「組織全体で、広範かつ持続的なビジネス価値を実感している」と答えた企業は逆に32%から23%へと下落した。
出典:Accenture:Pulse of Change
これらの調査が示しているのは、特に大手企業でAI導入が実験やパイロット実施から企業全体に進み投資が拡大している一方で、その効果は特定の事業や部門にとどまっており、組織全体のビジネス価値は十分に創出できていないという姿だ。こうした実態が明らかになるにつれ、業務への統合が欠かせなくなっているAIモデルを、企業の本質であるビジネス価値の向上に結びつける必要性が意識され始めた。それがフォワード・デプロイ・エンジニアリング・プラクティスのような導入支援のアプローチにつながったのである。
顧客の事業構造を再設計するフォワード・デプロイ・エンジニアリング
フォワード・デプロイ・エンジニアリングとは、もともとAIデータ分析企業Palantir Technologiesが10年以上前に確立した顧客へのサービス提供形態である。フォワード・デプロイ・エンジニア(FDE)と呼ばれるエンジニアが顧客企業の業務環境に常駐し、そこでその企業における業務推進方法を学びながら、本番システムとなるAIモデルなどを開発していく。従来のコンサルティング企業やシステムインテグレータが担っていた要件定義や課題解決方法の提示、仕様に沿ったシステム構築にとどまらず、顧客の業務そのものをつくり替えるために共同で開発を進めていくことがミッションとなる。
AIが普及するにしたがい、顧客企業は事業構造そのものを再定義する必要に迫られている。ホワイトカラーの業務をAIで代替する従来の効率化の延長線ではなく、市場環境が急速に変化するAI時代のビジネスモデルへと転換することが求められているのだ。そこで、AIを使って、どの事業を伸ばし、どの領域を再編して、次の競争優位をどう築くか、といった経営層が描く新たな企業像を一緒につくり上げるのがフォワード・デプロイ・エンジニアリングである。
AWSにおけるフォワード・デプロイ・エンジニアリングの例を見てみよう。同社では、顧客から「最速でAI開発を進めるためにどうしたらいいか」と相談を受けた際に、フォワード・デプロイ・エンジニアリングを提案している。顧客自身がAIフロンティア企業になるために、少なくとも3人、通常は5〜7人のFDEを顧客のオフィスやバーチャル環境に送り込み、出向先のチームと共に45日間の開発デザインのスプリントを実施する。どのAIモデルを使うか、AIトークンの利用金額などを検討し、スプリントを繰り返して開発を行っていく。そして、開発したものの価値を示し、さらに大きなプロジェクトにつなげていくという。
FDEには、顧客の企業文化に対する理解や経営陣、IT部門、各部署との調整力、フロンティアスピリットなどが求められ、必要に応じてAIとAIエージェントガバナンスを教育することもある。もちろん、顧客のコミットメントも重要だ。AWSの顧客であるオーストラリアのCommonwealth Bankでは、AWS本社のある米シアトルにテクノロジーハブを用意し、同様のスプリントに対応した。AI業務へ100%コミットする専任チームを日常業務から完全に切り離し、開発に集中できる環境を整えた上で取り組みを進めている。
AI企業の成長には顧客企業への浸透が欠かせない
ベンチャーキャピタル企業のAndreessen Horowitzが示したのが下図の2つのチャートである。このチャートでは、なぜSalesforceやServiceNow、Workdayなどが成功してきたのか、そしてAIエージェント時代にフォワード・デプロイ・エンジニアリングがなぜ有効になるのか、について解説している。
出典:Andreessen Horowitz
ソフトウェア業界でオンプレミスからSaaSへのシフトが盛んになった時代に、製品主導型成長企業に比べて、利益率が低いとされてきたサービス主導企業であるSalesforceやServiceNow、Workdayが大きく成長している。これらのサービスを利用するに当たって、大手企業では導入サポートを必要とする。一旦導入してエコシステムに取り込めれば、顧客は他のプラットフォームへ移行しにくくなる。そうして料金の見直しやパートナーを含めたエコシステム構築を通じて、利益率の向上につなげるわけだ。
AIモデルやエージェントは、SaaSと比較しても導入の難易度が高い。AIプラットフォームが真価を発揮し顧客企業のインフラとして定着してSaaSと同様の成功につなげるには、顧客のデータ、ワークフロー、業務ロジックなどまで理解した上で、的確なAIモデルにチューニングすることが求められる。そこでフォワード・デプロイ・エンジニアリングのようなサービスを提供する必要性が高まっているのだ。
金融企業を巻き込んだ巨額の投資で、8社がFDE組織を新設
今年4月以降に発表されたAI導入のためのフォワード・デプロイ・エンジニアリング組織をまとめたのが下記の一覧である。合弁会社の設立やパートナーとの共同事業、社内組織など、各社が複数のアプローチでFDE組織を立ち上げた半年であった。
出典:各社のプレスリリース、TechCrunch、GeekWire、The Informationなどから抜粋
AI基盤モデルClaudeと、その周辺サービスClaude CodeやClaude Coworkなどを展開するAnthropicの例を見てみよう。同社が金融企業Blackstone、Hellman&Friedmanの2社と3億ドルずつの計9億ドル(約1,413億円)を出資するOde with Anthropicの構想が5月に発表され、7月から本格始動している。約100人の体制で、Anthropicの傘下ではなく合弁の別会社として運営される。
OpenAIも、40億ドル(約6,160億円)を投じてOpenAI Deployment Companyを立ち上げることを5月に発表した。こちらは大手投資会社のTPG、Bain Capital、Brookfield、Goldman Sachs、Warburg Pincus、コンサルティング・システムインテグレータのBain & Company、Capgemini、McKinsey & Companyを含む19社が投資に参加し、OpenAIが株の過半数を所有している。
金融企業がフォワード・デプロイ・エンジニアリング組織に投資するのは、自社の出資先企業やコンサルティング企業の顧客を、そのままこれらAI基盤モデル企業の顧客につなげられるからである。このことは、調査会社Omdiaのアナリストが「数千社のポートフォリオ企業への囲い込まれた販路」と指摘している。
顧客企業へエンジニアが常駐することは日本で長年行われてきた形態だ。だが、AIという巨大なパラダイムシフトに際しては、人月で計算して成果物を開発する従来の形で成功につなげることは難しい。AIモデルとAIエージェントを導入するために、業務そのものを根本から再設計し、事業への効果も測定しなければならない。はたして、企業内でその権限を誰が持つのか、そもそもそういう人がいるのかが大きな課題である。
情報処理推進機構(IPA)の「DX動向2025」では、日米独のDX成果創出の方向性について比較している。デジタル分野の最高責任者「チーフデジタルオフィサー(CDO)」が米では50.5%、独では42.6%の企業に存在するのに対し、日本の企業では11.7%しかいない。しかも、その割合は年々減っており、経営者のデジタル分野に関する見識も非常に低いという調査結果が出ている。
出典:情報処理推進機構(IPA):「DX動向2025
出典:情報処理推進機構(IPA):「DX動向2025
日本企業がAI基盤企業やコンサルティング企業からフォワード・デプロイ・エンジニアリングを受け入れて改革を実現するには、まずは事業プロセス全体を再設計するための社内体制を構築する必要がある。その意思決定を下せるのは経営層しかいないことを、日本企業のトップは忘れてはならない。
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