本文へ移動
クリエイター 齋藤 精一 連載

都心の高速道路が歩行者中心の公共的空間に生まれ変わる
~KK線再生プロジェクトに見る未来のまちづくり~

 一見、首都高のようで実は首都高でない、そんな無料高速道路が都心に存在するのをご存じだろうか。その名も「東京高速道路」、通称「KK線」だ。このKK線が2020年代半ばに廃止され、歩行者中心の公共的空間に生まれ変わるという。このKK線再生プロジェクトの「共創プラットフォーム コンダクター」に就任したのが、パノラマティクスの齋藤 精一氏だ。KK線再生プロジェクトの背景と概要、その現在地と未来像について話を聞いた。

齋藤 精一(さいとう せいいち)氏

パノラマティクス主宰/株式会社アブストラクトエンジン代表取締役/クリエイティブディレクター
1975年 神奈川県伊勢原市生まれ。建築デザインをコロンビア大学建築学科(MSAAD)で学ぶ。
2006年に株式会社ライゾマティクス(現:株式会社アブストラクトエンジン)を設立。
社内アーキテクチャ部門を率いた後、2020年に「CREATIVE ACTION」をテーマに、行政や企業、個人を繋ぎ、地域デザイン、観光、DXなど分野横断的に携わりながら課題解決に向けて企画から実装まで手がける「パノラマティクス」を結成。
2023年よりグッドデザイン賞審査委員長。2023年D&AD賞デジタルデザイン部門審査部門長。2025年大阪・関西万博EXPO共創プログラムディレクター。

KK線の既存ストックを活用し、歩行者中心の公共的空間に再生する

 東京高速道路(KK線)は、京橋JCT、汐留JCTと西銀座JCTの3カ所で首都高に接続する、約2kmの通行料無料の自動車専用の道路である。戦後の銀座復興と渋滞緩和のため、財界人23人が発起人となって1951年に「東京高速道路株式会社」を設立。銀座を囲む外堀と汐留川、京橋川を埋め立てて、高架道路を建設した。KK線が部分開通したのは1959年(全面開通は1966年)。その後、首都高が前述の3カ所でKK線に接続し、都市高速道路ネットワークを形成して現在に至っている。

 「13年の歳月をかけてKK線全線が完成したのは1966年。この間、高度経済成長期前夜の1950年代末、当時東京では、1964年東京オリンピック開催に向け、高速道路網の整備が急務となっていました。ところが、高速道路のための用地買収が難航し、首都高は川の上につくらざるをえなかった。KK線の成り立ちもそれに似たところがありますが、面白いのはそのビジネスモデルです。KK線高架下にKK線と一体構造をなす14棟のビルをつくり、その賃貸収入を道路の建設費や維持費に充てることで、高速道路の通行料そのものを無料にした。これは日本初のPFI(Private-Finance-Initiative ※)だと僕は考えています」とパノラマティクスの齋藤 精一氏は話す。

パノラマティクス主宰
齋藤 精一氏

 だが、時代の流れとともに、KK線の歴史にもついに幕が引かれることとなる。2035年の開通が予定される首都高速の新ルート「新京橋連結路」の整備に伴い、通行量の減少が見込まれるKK線の有効活用策が検討されることになる。これにより、議論は“廃止”の蓋然性が高まったKK線の“廃止後“のあり方へと焦点を移すこととなった。

 KK線施設を撤去するのか、それとも保全するのか――。KK線施設の有効活用策を検討するため、東京都が設置した有識者などによる「東京高速道路(KK線)の既存施設のあり方検討会」は、2020年11月、東京都に対して、KK線の既存ストックを活用しつつ、車中心から人中心の公共的空間に再整備することを提言した。これを受けて東京都はついに1つの方針を示すことになる。2021年3月、「東京高速道路(KK線)再生方針」を発表し、その中で、KK線の上部空間を、東京の新たな価値や魅力を創出する歩行者中心の公共的空間として再生・活用していく方針を打ち出したのだ。

 この方針策定にあたり、大きなインスピレーションを与えたのがニューヨークのハイラインである。ハイラインとは、2009年にマンハッタンの鉄道高架跡地に建設された、全長2.3kmの線形公園。齋藤氏自身がコロンビア大学留学中に自らかかわった、思い出深いプロジェクトでもあった。こうした経緯も踏まえて、東京高速道路株式会社は2022年秋以降、2度にわたって齋藤氏へのヒアリングを実施。これをきっかけに、齋藤氏はKK線再生プロジェクトに参画することになる。

 「日本の都市開発は、まず建築家を決め、ゼネコン、施工を決めるというかたちで進められます。最初に建築計画をつくり、コミュニケーションデザインやアート、デザイン表現は後回しにするパターンがほとんど。こういう進め方をするべきではない、と僕は言い続けました。本当はさまざまな持ち場の人たちが既に着座した状態で、『こういうものをつくろうと思う』と投げかけ、『では、どういうマテリアル(素材)を使うべきなのか』『どうコミュニケーションし、どう発信していくべきなのか』を車座で議論していくべきなのです。そこで大変重要になってくるのが、『誰が仕切るか』ということです。『俺が、俺が』という人が仕切ればハレーション(大きな悪影響)が起こる。おのれの利だけを追求するのではなく、本当に共創がつくれる人が仕切らないとうまくいかない。そんな話をしたところ、2023年4月に東京高速道路株式会社さんから連絡があり、KK線再生プロジェクトのリード役を依頼されたのです」

  • PFI:民間の資金と経営能力・技術力(ノウハウ)を活用し、公共施設などの設計・建設・改修・更新や維持管理・運営を行う手法を指す

ハイラインの焼き直しではなく東京発のモデルを

 2024年4月1日、齋藤氏はKK線再生プロジェクトの「共創プラットフォーム コンダクター」に就任した。「共創プラットフォーム」とは、多領域の専門家がプロジェクトに参画する仕組み。さらに言えば、事業主体や行政、地域と連携することで、多様なステークホルダーが「共創」する機会を生み出し、その成果をプロジェクトに取り込むための枠組みである。

 「基本計画の段階から、さまざまなエキスパティーズを持つ人たちと同時に議論した方がいい。そう考え、初期メンバーを集めてチームをつくりました。ドリームチームのような錚々たるメンバーに、僕と三菱地所株式会社、株式会社三菱地所設計が加わり、多様な議論をしています。初期メンバーは人間性も含めて“のりしろ”がある人たちなので、建築の話にとどまらず、幅広い領域の話ができる。今後は、PRやコミュニティマネジメント、イベント、アート・キュレーション、ランドスケープなどさまざまな領域の話が出てくると思いますが、全体的な視点に立ち、コンダクター(指揮者)として皆さんをガイドしていくのが僕の役割だと思っています」

 高架道路という既存ストックを活かして、緑あふれる歩行者ネットワークをつくり、地域の価値と魅力の向上を目指す――口で言うのは簡単だが、単にハードウェアを整備しただけでは、「地域の価値と魅力の向上」につなげることは容易ではない。それを実現する上でカギを握るのが、「エリアマネジメント」だと齋藤氏は言う。

 「こうしたプロジェクトでは、皆が“おらが街”で物事を進めてしまいがちです。このプロジェクトに含まれる銀座や有楽町、京橋、新橋にしても、それぞれが1つになっているとはいえないのが実情です。本来、都市計画では、ハードウェアだけでなくエリアマネジメント、つまり地域でどんなソフトウェアを搭載・運用していくかが重要で、ハードとソフトの2つを同時に整備しないとうまくいかない。とはいえ、今回のプロジェクトではそれを実現できる、と僕は考えています。もともとKK線は100%公共事業ではなく、民間を活用していてPFIも実践している。言ってみれば“共創的公共”で、民間と行政の共創プロジェクトだからこそ、さまざまな立場の人や団体・企業が一緒になって、開かれた場所のつくり方を模索し実装していくことができる。その意味では、千載一遇のチャンスだと僕はとらえています」

 一方で、ニューヨークのハイラインを先行事例として参照しつつ、「ハイラインの焼き直しはしない」と齋藤氏は言う。

 「僕はコロナ明けの2023年にニューヨークを訪れたとき、『ハイラインは果たしてグッドデザインなのか』という疑問を覚えました。ニューヨークの不動産ブローカーは、ハイライン周辺の土地や物件を買い漁り、高級コンドミニアムにリノベーションして売りまくった。また、古い建物を壊して建て替える動きも加速し、もともとの住民であるニューヨーカーを全部キックアウトしてしまった。ハイラインができたことによって周辺の地価は高騰し、ニューヨークの中華街はほぼ消滅したんです。そう考えると、実はハイラインは、今のニューヨークにとってはバッドデザインなのではないか。ハイライン自体は公共空間であっても、周辺が商業主義に狂奔したことでこうした事態を招いたわけです。よく『まちは人からできている』と言いますが、人がいないとまちはできない。今、ハイラインで起こっていることは、街づくり地域づくりにおいて、良い方向に向かっているのか。経済一辺倒ではなく、地域の文脈や文化的価値もきちんと継承しながら、経済も一緒に成長していく。そんな、東京ならではのモデルをつくっていく必要があると考えています」

多様性のある空間づくりを丁寧に進めていきたい

 2023年3月の「東京高速道路(KK線)再生の事業化に向けた方針 」の発表から2カ月後、東京都は、5月3日・4日の両日、第1回「銀座スカイウォーク(銀スカ)」を開催した。これは、KK線を歩行者空間として開放し、“未来のKK線”を体験してもらおうとの試みである。2回目となる今年は、東京都と東京高速道路株式会社の共催で、5月4日~5月6日と開催期間を3日間に拡大。今年集まったのは約1万2000人。開催後のアンケートでは、さまざまなコメントが寄せられた。

 「高速道路の上を歩く体験という、非日常的な体験ができた」「普段見られない地区から街並みを見ることができた」など、ポジティブなコメントが多く、「高速道路を歩くと、全く違う風景が見えてくる」「こんなところに小学校があるんだ」など、新たな視点の発見に胸を弾ませるコメントも目立った。

 また、今後のKK線に対する期待としては、「ショッピングと緑が融合した空間にしてほしい」「子どもだけでも安全に過ごせる場所をつくってほしい」といった具体的な要望のほか、「地域特性を活かした、未来を感じさせる空間にしてほしい」「KK線の歴史が感じられるような、懐かしい雰囲気も残してほしい」など、地域の新たな魅力の発信源となることを期待する声も聞かれた。

 今後、プロジェクトでは、いよいよKK線のエリアマネジメントを本格化させていくことになる。対象となる地域は、銀座、有楽町、京橋、新橋など、いずれも東京を代表する繁華街。それぞれのエリアが育んできた地域特性を、プロジェクトではどのように取り込んでいくのか。

 「例えば、銀座コリドー街は飲み屋街ですが、よく言えば社会人の交流の場です。銀座コリドー街のように下が騒がしい場所であれば、上は非同調して落ち着いた場所にするという手もあるし、逆に上下を同調させてもいいのではないか。銀座や新橋なら、上と下を呼応させた方が、地域特性がうまく出せるかもしれない。ハイラインはどちらかといえば単一のイメージですが、KK線はもっと多様なものが混在していていいのではないかと思います」

都心の高速道路が“未来の実験場”になる

 だが、KK線のポテンシャルは、“銀座らしさ”や“新橋らしさ”といったローカル性のみに限定されるわけではない。それは、“東京らしさ”を発信する舞台としても大きな可能性を秘めている、と齋藤氏は言う。

 「故デヴィッド・ボウイは、1987年6月に西ベルリンでライブを行い、スピーカーをベルリンの壁に向けて『ヒーローズ』を歌った。それが、ベルリンの壁の崩壊を早めたという話もある。あんな風に人が集まれる場所って一体、東京にあるのか。もしかしたら、このKK線がそういう空間になるかもしれない。プロジェクトでは日々、そんなことを議論しています」

 KK線の再生は、廃止後の2020年代中ごろにスタート。2030年代~2040年代に全区間の整備を完了させていく計画だ。KK線再生プロジェクトの本格化を見すえて、2024年11月にはカンファレンスを予定。「共創プラットフォーム」の枠組みについて紹介し、地元との連携や、KK線に対する期待と懸念について議論するとともに、法律改正や規制緩和の必要性について議論する場も設けたい、と齋藤氏。こうした機会を有効に活用することで、地域を巻き込んだ「共創プラットフォーム」を形成していく考えだ。

 ここまで、地域の憩いの場としてのKK線再生に焦点を当ててきたが、新たに都心に生まれる公共空間をビジネスに活用することももちろん可能だという。

 「よく、いろいろな場所が“未来の実験場”を自称していますが、実験場に行っただけで実験が生まれるわけもない。だったら、KK線を“未来の実験場”にできないものか。例えば、『こんなマテリアルを使えないか』という話が持ち上がったときに、『KK線で、本当にそれが実装できるかやってみよう』という活用の仕方もできるのではないでしょうか。KK線が走る新橋~京橋の区間は、日本の高度経済成長を担った企業の集積地でもあります。その人たちをもう1回、ビジネスで共創関係にしたい。場所を持っている人(東京都)と、ビジネスをしている人(企業)、コンテンツやノウハウがある人(クリエイターやデベロッパー)たちが一緒になって新しいものをつくれば、このエリアの価値は絶対に上がるはずです。これをきっかけに、地域や東京、日本全体の人たちが、ものづくりの人も含めて使える場所になっていけるのではないか。今は、そんなことを考えています」と齋藤氏は最後に語った。