次世代中国 一歩先の大市場を読む
中国の出生数が「7年間で半分」に急減 その根底にある根深い「不信感」とは
Text:田中 信彦
中国の昨年2023年の出生人口は902万人。今世紀以降のピークだった2016年の1786万人から、わずか7年間で約半分に減った。
この事実が与える影響は甚大だ。中国社会ではこれから数十年かけて幼稚園から小・中学校、高校・大学への進学、新卒就職、結婚・出産など、人の生活にかかわる、さまざまなイベントが順番に「7年で半分」のペースで縮小していくことになる。
出生数急減の背景には、出産や子育て、進学などの費用の高さに加え、子供を育てやすい社会・労働環境の不足などの問題がある。しかし、それ以上に大きいのは、政府の人口政策に対する庶民の不信感だ。ついこの間まで非人道的と思われるまでの措置を講じて子供の数を減らしてきたのに、いつの間にか「出生数の減少は国家的危機」と、多産奨励の方向に転じた。国策としての「計画生育」は破綻したのに、政策の過ちを認める様子もない。過去に泣く泣く出産を断念した親たちの思いは複雑だ。
一部の知識人たちの間からは「出産、生育の自由を国家から庶民の手に取り戻すべきだ」との主張も出てきている。中国は伝統的に「家」や「家族」のつながりを重視し、子供を大切にする社会である。それだけにこの問題の社会的影響は大きい。
今回は「7年で半分」という極端な出生数減少の現状やその背景などについて考えてみたい。
田中 信彦 氏
ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
坂を転げ落ちるような出生数減少
今年春、中国政府が発表した数字によると、2023年の出生人口は902万人、対前年比58万人(5.7%)減。同年末時点での中国の人口は14億967万人で、同じく208万人の減。革命後の混乱期を除いて初めて総人口が減った2022年に続き、総人口が減少する年となった。
出生人口の減少は経済が一定水準以上に発展した国々に共通の現象で、中国に限った話ではない。しかし中国が特徴的なのはその減少速度が極めて急なことだ。
中国の出生人口は、1963年に3000万人弱の最高を記録。その後、長期的な人口増を抑制するための国家的な「計画生育」の実行によって、上下に変動しつつも緩やかに減少。2000年代以降はおおむね1500~1600万人台で安定的に推移してきた。しかし、2016年1月、それまでの「一人っ子政策」に代わり、全面的に第二子の出産が認められたことで、同年の出生数は1786万へと増加した。
しかし、この政策で増加したのは、それまで第二子の出産を諦めていた夫婦の、いわば追加需要だけで、第一子の出産は増えなかった。そのため第二子以降の出産が一巡した2018年以降、出生数は急減を始める。2017年に1723万人だった出生数は、2018年に1523万人、2019年が1465万人、2020年1200万人、2021年1062万人、2022年965万人、そして2023年902万とまさに坂を転げ落ちるような勢いで減少した。
表れ始めた出生数急減の影響
具体的に考えてみると、人口急減が始まった2017~2018年生まれの子どもたちは現在、6~7歳。小学校入学の時期を迎えている。後述するように、中国の幼稚園はすでに閉鎖ラッシュが起きており、小学校入学者数もすでに急減を始めている。
この世代の中学入学が2029~30年、高校入学が2032~2033年、大学入学もしくは高卒での就職は2035~2036年になる。その後の大卒時の就職、社会に出てからの結婚・出産、不動産の購入、そして将来のリタイアに至るまで、あらゆるイベントが「7年で半分」を繰り返していく。そのインパクトは社会にとって非常に大きなものになるはずだ。
そして、その現実的影響はすでに表れ始めている。
崩壊の危機に瀕する中国の産科医院
出生数の急減が真っ先に影響するのは、考えればすぐわかるように、産科医院だ。
今年2月、「中国版X(旧ツイッター)」とも呼ばれる中国のSNS「微博(Weibo)」に、上海の一人の老産科医が投稿した内容が大きな反響を呼んだ。タイトルは「救救産科!(産科を助けて!)」。累計2億5000万人以上に読まれたとされる。投稿したのは上海市にある同済大学付属第一婦嬰保健院院長の段濤医師。産婦人科医として現場で30年以上働いてきた経験豊かな医師だ。
同医師は以下のように書く(大意、訳は筆者、以下同)。
世の中の皆さんは出生数の減少を心配するが、私が危惧するのは産科の崩壊だ。出生数が激減し、多くの産科医院が転業、廃業を余儀なくされ、多数の医師や看護師、助産師が他の道を選ばざるを得なくなっている。
多くの病院の院長は産科を閉じたいと思っている。手間とコストに引き合わないからだ。産科医院は、365日、24時間、1日3交代の体制で産科医、小児科医、麻酔科医、看護師、助産師などの大量のスタッフが待機しなければならない。出生数が減っても体制は変えられない。万一のことがあれば、母子の生命に危険が及ぶ。しかし産科は無事に出産して当たり前、社会からの評価も報酬も非常に低い。みな無私の奉仕の精神で頑張っているのが現状だ。
このままの状況が続けば、産科の体制は崩壊する。もし産科がなくなったら、産科医を目指す人がいなくなったら、いったい誰が新たな命を引き継ぐのか?
「救救産科!(産科を助けて!)」
急減する分娩数、産科の閉鎖相次ぐ
産科の現場では、その年の出生数と仕事量が直結する。そのため現段階ですでに患者が「7年前の半分」になってしまっている。多くの産科医院で分娩人数が過去の50~60%程度に落ち込み、医師スタッフらにボーナスが支給できないなどの事態が発生、スタッフの離職も相次いでいるという。
報道によると、2022年の段階で全国10数カ所の主要病院で産科が閉鎖されており、2023年以降、メディアで確認できるものだけでも、浙江省寧波市の鄞州区二院、同嘉興市の平湖市中医院、同温州市の蒼南県中医院、広東省広州市の広州新造医院、江蘇省新沂市の婦幼保健計画生育服務中心などで産科の閉鎖が報じられている。
一般に都市部の病院の産科では、6~8人の産科医、3~5人の小児科医、10数人の看護師および助産師を揃える体制を取っている。しかし、「がん」などの難病に対応する専門病院と異なり、産科は生活に密着しており、遠くの病院に患者を移送して集中対応することができない。そのため個々の病院の分娩者数が減っても、一定の体制を維持させざるを得ず、病院の経営効率がますます悪くなるという循環に陥っている。
さらに、中国の医師やスタッフの給与は、固定部分は10~20%で、残りの部分は業務量、つまり対応した分娩者の数に応じて業績給として支払われる仕組みが普通だ。そのため出生数が減ると、病院の経営だけでなく、医師やスタッフの収入まで直撃する。これが人材流出の大きな背景になっている。
中央政府は産科医療の改革を求めるが
こうした動きに対し、中国政府の国家衛生健康委員会(医療を所管する中央省庁)は今年3月、「助産服務の強化に関する通知」と題する通達を各地方政府に発した。その中で中央政府は、公立病院の報酬制度改革の必要性を強調、「病院の公共性を重視し、内部の報酬分配制度を整備し、産科医師および医療人員の積極性を引き出す」よう要求。加えて産科の医師および医療人員に「収益ノルマ(創収指標)」与えることを禁止する「指導意見」を打ち出している。
しかし、中央政府が通達であえて産科医師やスタッフの「収益ノルマ」禁止を命じるということは、この種の行為が現場に蔓延している状況を示唆する。医師に収益ノルマが与えられていたのでは患者はたまったものではない。
段医師の投稿にあるように、全国の産科病院は出生人口の急低下で、非常に苦しい経営状況にある。しかしながら、中国の地方政府は不動産不況による土地売却益の減少などで、その財政状況は非常に厳しい。公務員や公立学校教師などのボーナス削減、一部では給与遅配のニュースも伝えられる。中央政府がよほど大きな財政措置を講じて対策に乗り出さない限り、産科医療現場の抜本的な改革は難しいだろう。
粉ミルク会社の株価は5分の1に
産科医療の現場に続いて、出生数急減の影響をもろに受けているのが乳児用ミルク(粉ミルク)の業界である。
前述したように、中国では2000~2016年にかけて安定した出生数が継続してきたのに加え、その間の所得の向上で、高付加価値、高単価の粉ミルクが好調に売れたこともあって、中国の乳幼児ミルクのメーカーは順調に成長してきた。出産減少の影響が顕在化してきたのは2019~2020年頃からだ。
市場縮小にともなってメーカー間の競争は激化、主要粉ミルクメーカーの間でも業績格差が広がっている。
例えば、2011年に中国の粉ミルクメーカーとして初めて深圳証券取所に上場した業界の代表的企業のひとつ「貝因美(Beingmate、浙江省杭州市)」は、2019~2023年の5年間のうち3年間は赤字。メディアの報道によると、同社の代理店経由の売上高は2021年が9億1800万元、2022年は8億4200万元、5億3300万元と急激に減少している(経済雑誌「金融界」2024年5月7日付)。同誌は「貝因美」が日常の運転資金を確保するため、不動産などを担保に銀行から融資を受けたとも伝えており、経営状況の厳しさをうかがわせる。
また現在、中国の粉ミルク市場でシェア首位の「飛鶴(Feihe、北京市)」は1962年創業の歴史ある企業だ。2019年11月には香港証券取引所に上場、原材料の調達からすべて自社一貫生産の「安心・安全」を売りにした高級路線でシェアを伸ばしてきた。
しかしこの「飛鶴」も苦境は隠せない。2020年、同社は「2023年に売上高350億元」の目標を掲げたが、現実の2023年の売上高は195億元で、対前年比8.3%減と目標の6割にも達しない惨憺たる結果に終わった。同社の売上高の9割は乳児向けの粉ミルクが占めており、その売上の減少が主因だ。同社の株価は21年1月、最高値24.85香港ドルを付けた後、ほぼ一貫して下落、2024年5月10日現在では4.5香港ドルと最高値の5分の1以下の水準に落ち込んでいる。
毎日40校の幼稚園が閉園、園児数は1年で500万人減
産科医院、粉ミルク企業に続いて出生数の急減の影響が及んできたのが幼稚園だ。中国教育部(教育を所管する中央官庁)の発表では、2023年段階で中国の幼稚園数は27万4400校、在園者数は4092万9800人。2022年からの1年間で1万4800校が閉校し、園児数は534万5700人減少した。1日あたり約40校の幼稚園が閉鎖した計算になる。中国には全国で307万人の幼稚園教諭がいるが、やはり2022年からの1年間で17万人の幼稚園教諭が職を去った。
幼稚園の入園者数は今後数年にわたって急激に減り続けることが確実で、幼稚園の閉鎖はますます増えることは間違いない。
生育の決定権を国家から家庭に取り戻せ
このような状況に、社会の危機感は高まっている。
中国発のグローバルなオンライン旅行会社「トリップドットコム(携程旅行網)創業者で、著名な人口経済学者でもある梁建章氏らは今年1月「中国人口形勢報告2024」を発表した。
この中で梁氏らは「このまま有効な施策を講じなければ、中国の人口は2050年に11億7222万人に、2100年には4億7900万人にまで減少、世界の人口に占める中国の割合は現在の17%から4.8%に縮小、国際的な影響力は大幅に減少する」との危機感を表明。そのうえで「子どもを産み、育てる権利を、国家の計画から家庭の自主的決定に取り戻すべきだ。子どもを産むか産まないか、何人産むかの選択権は家庭に戻し、個人の決定に委ねなければならない」と述べ、出産・子育ての領域からの「国家の関与」の排除を訴えた。
これを受けて、同じく今年1月、清華大学教授で、中国のショート動画サイトでも積極的に発言して支持者の多い李稲葵氏が「我々の人口政策は自由に戻るべきだ」と主張し、注目を集めた。同氏は「子どもの生育権(産み、育てる権利)を完全に庶民の手、若者の手に渡さなければならない。子どもを産まない人を責めてはならないし、産みたい人は何人でも産めばいい。出産奨励だ、表彰だと騒ぐ必要はなく、個人の自由な選択に任せるべきだ」と語り、あえて「自由」という言葉を繰り返して、梁氏と同じく、出産・子育てへの政府の関与をなくすべきだとの立場を鮮明にした。
これら中国社会の「意見領袖(オピニオンリーダー)」たちの発言は、政府のこれまでの政策の問題点を指摘し、明確な修正を迫るもので、現在の中国国内の言論環境を鑑みた時、かなり踏み込んだ姿勢の表明といえる。
計画生育という国策
このような発言がなされる背景には、「計画生育」という中国の国策がある。現在でも「計画生育」は憲法に書かれた基本的な国策に変わりはなく、昨今の出産奨励策は国家の「計画生育」の調整の範囲内という構図になっている。
改革開放政策が始まった直後の1982年9月、「計画生育」は正式に基本国策として決定され、同年12月憲法に書き込まれた。それに基づいて「一人っ子政策」に代表されるさまざまな出生数の抑制策が実行された。しかし2000年代に入ると、近い将来の人口減少が明確に意識されるようになり、政府は出生抑制策の軌道修正を始める。
2002年には「一人っ子同士の結婚の場合、第二子の出産を認める」との形で「一人っ子政策」を軌道修正。2013年には「中共中央改革全面深化の重大問題に関する決定」によって、「夫婦のどちらか一方が一人っ子であれば2人目の出産可」、2016年からはすべての夫婦に2人目の出産が認められた。そして2021年5月には「生育の優化政策の促進と人口の長期均衡発展に関する決定」が交付され、すべての夫婦に3人目の出産が認められる、というよりむしろ積極的に支持されるようになった。
「生育の自由」を取り戻せるか
このように現在、中国政府の姿勢は出産奨励に転じているが、それはあくまで国家の「計画生育」の枠内のことであって、個人や家庭にとって極めて重大な出産・子育てが政府の方針によって左右されてしまうという構造は変わっていない。
こうした状況に対して、長い間、政府の指示に服して出生数の抑制に努めてきた国民の不信感は強い。李教授の動画のコメント欄には「牛や馬の数が少なくなって、主人の生活に影響が出てきたということだよ」との冷めた書き込みがみられる。「教授の意見に賛成。これでやっと人間の生活に戻れる」といったコメントもある。
そこに見られるのは、人間の基本的権利である出産や子育てを政治の都合で左右しようとする姿勢に対する不信感だ。まずこれを払拭しない限り、今後、政府がいかに出産奨励策を実施しようとも、人々は「笛吹けど踊らず」の状況になるだろう。
「7年で半分」はすでに起きてしまったことで、もう変えようがない。しかし来年以降、出生数がどうなるかは将来のことである。人々がどう動くかで、中国という国の将来は大きく変わる。そのカギは「意見領袖」たちの主張するように、普通の人々が「生育の自由」を国家から取り戻せるかにかかっているように思う。
次世代中国