次世代中国 一歩先の大市場を読む
中国発AIが新興国の「知能のインフラ」に
「政治的配慮」、多言語対応が強み
Text:田中 信彦
中国発の「AIエージェント」の導入が世界的に広がっている。中でも目立つのが東南アジアや中東、中南米、アフリカなどの「グローバルサウス」と呼ばれる新興国だ。中国のAI企業は、米国勢が支配する先進諸国や英語圏の市場を正面から攻めるのではなく、これら「非英語圏」の国々での浸透に力を入れている。
中国のAIエージェントが新興国で歓迎される背景には、米国中心の価値観に対する潜在的な反感がある。米ビッグテックのAIモデルが持つ先進国主導のグローバリズムや英語中心主義、西欧的な価値観を当然の前提とする姿勢などに対する新興国の不満は小さくない。
加えて、中国のAIが持つ「政治的、文化的な配慮」も大きな要因だ。君主制や権威主義的な体制の国々の為政者にとって、国内の秩序や文化、宗教的伝統の維持は最優先課題だ。その点で、中国発のAIモデルは、そうした「敏感な」要素と最先端の技術を両立させる理想的なツールという側面を持つ。圧倒的な低価格という強みもある。
中国発のAIエージェントは、新興国で新たな時代のデジタルの骨組みに入り込み、社会的な「知能のインフラ」として機能し始めている。この動きは、「今後の世界を誰がリードしていくのか」という問題を、根底から左右しかねない重要性を持っている。
今回はそんな視点から話をしたい。
田中 信彦 氏
ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
「実用的な領域」で勝負する中国AI
AIエージェントは、ユーザーが目的を設定すれば、AIが最適な手段を自ら選択して仕事を遂行する技術。LLM(大規模言語モデル)を頭脳とすれば、AIエージェントは、手段としての「手足」に例えられる。中国企業は「頭脳」の部分も自ら手がけてはいる。しかし、海外展開にあたっては、ビジネスや日常生活に直接役立つ、実用的な「手段」の部分を担うAIエージェントに注力している。
これは、LLMで先行する米国勢との正面からの競合を避け、中国の幅広い製造業の基盤や多種多様なデジタル関連サービスを競争力の源泉にしようという戦略だ。ビジネスや一般消費者向けのサービスは、低価格のメリットを活かしやすい側面もある。
アリババのAIに乗り換えたシンガポール政府
東南アジアの経済・文化のハブ的存在であるシンガポールは、東南アジア言語向けのLLM開発プロジェクト「SEA-LION(シーライオン、海獅)」を進めている。これは「Southeast Asian Languages in One Network」の頭文字を取ったもので、東南アジア地域の言語や文化に特化したオープンソースのLLMを構築しようというプロジェクトだ。
当初、このプロジェクトは米Meta(旧Facebook)のAIモデル「Llama(ラマ)」をベースに開発されていた。しかし「Llama」を含む米国発のLLMは、主に英語のデータで学習されており、東南アジア諸国の言語や地域社会の文化・慣習を正確に理解、反映しにくい課題があった。
2025年11月、シンガポール政府は中国アリババグループのLLM「Qwen(通義千問)」への転換を発表した。最大の理由は、「Qwen」が東南アジア地域のローカル言語に対して高いトークン効率(より少ない計算資源で、より多くの有用な出力を得られること)を記録したことだった。
「Qwen」は開発段階から日本語や韓国語なども含む多くのアジア系言語を取り込んだ多様性の高いデータセットで学習されている。そのため同じ文章を処理するのに、より少ないトークン数で済み、推論速度の向上とコスト削減が可能だったという。
この出来事は、先進国以外の地域では、AI開発の流れが「英語圏中心」から「個々の地域特化の効率性重視」へとシフトし始めていることを印象付けた。
東南アジアの119の言語と方言でトレーニング
東南アジアは少数言語や方言も含めると1200以上の言語が話されるという多様性を持つ地域だ。この多様性をアリババは商機と認識した。
シンガポール政府と共同で開発した新たなLLMは、東南アジアの119の言語と方言でトレーニングされ、36兆トークンの事前学習に加え、1000億トークン以上の追加学習を行い、モデルの微調整を進めたと発表されている。各言語特有の文化的な文脈や地域言語の微細なニュアンスをAIエージェントに学習させ、高い効率を実現した。
導入の手軽さも強みだ。地域の経済水準を考慮し、このモデルは一般的なクリエイティブ作業やゲーミング向けレベルのハードウェア(32GB RAM程度)での動作に最適化されている。コスト面の理由から高度な計算リソースにアクセスできない中小企業やスタートアップにとって、AIエージェントを自社ビジネスに組み込む上で大きな魅力になっている。
新興国の「デジタル・インフラ」
中国を代表するSNS「WeChat(微信)」を擁するテンセント(騰訊)は、新興国の産業基盤に焦点を定めている。中国で広く普及する決済システム「WeChatPay(微信支付)」で培った技術を核に、「エンタープライズAIエージェント」を新興国で広く展開する。同社の開発したLLM「混元(Hunyuan)」は、汎用的な対話能力よりも、コーディングやリスク管理などの実務的なタスクで高い性能を発揮するよう設計されている。その基盤を活用して新興国のデジタル・インフラに入り込むことを狙っている。
導入が目立つのは金融業界だ。例えば、ブラジルは中央銀行主導の即時決済システムが全土に導入されており、世界的にもデジタル決済が活発な市場の一つだ。しかしその反面、スマホの盗難事件やアカウント乗っ取りが多発し、社会問題化している。そこでは信頼できる本人認証技術が不可欠だ。
テンセントは2026年2月、現地フィンテックと提携し、自社のクラウドを活用した掌紋+静脈認証技術、「Palm AI」をブラジル市場に本格導入。顔認証に加え、より偽造が困難な「手のひら認証」を金融機関での決済や公共交通機関、オフィスビルの入退館管理などの社会インフラにする動きが進んでいる。同社の発表によれば、認証ミス率は「10億分の1」のレベルで、極めて高い精度を誇る。
中国で培ったリスク管理を導入
またブラジルでは、テンセントの「金融リスク管理ラージモデル」を活用、決済ネットワーク全体で発生する不審な動きをリアルタイムで監視している。そこには中国国内の膨大な決済機能で培った技術をベースに、現地当局のサイバー犯罪との戦いで蓄積した知見が組み込まれている。
過去の蓄積データが少ない新興国の金融機関でも、中国での事前学習済みラージモデルを使うことで、即座に高度なリスク管理が可能という。自国向けにカスタマイズされた不正検知システムを短時間かつ低コストで構築できる点が強みになっている。
これ以外にもタイやインドネシアなど東南アジアの主要な金融機関や通信キャリアなどでもテンセントの本人認証技術が導入されており、同社のAIエージェントが新興国に広がりつつある状況がうかがえる。
中国発「数学ボット」が新興国の学生に浸透
「TikTok」を傘下に持つ中国のテック大手「バイトダンス(字節跳動)」は、TikTokの世界市場での圧倒的な影響力を活用している。同社の戦略は、各国の若年層や消費者をターゲットに、SNSや口コミを通じてAIエージェントを社会に浸透させるバイラル的なアプローチを特徴としている。
バイトダンスが海外展開するAIエージェント「Dola」(旧名称「Cici」)は、中国国内で大きなシェアを持つ「豆包(Doubao)」の海外版。創作活動や学習支援、プログラミング、翻訳など多くの機能を持つオールインワンのAIエージェントだ。
中でも教育・学習支援の機能に力を入れており、数学の文章問題の解決能力には定評がある。例えば、特にフィリピンの学生の間では高い利用率と満足度が報告されている。
主要機能を無料で提供
「Dola」には、標準的なチャット機能の他に、「数学専用ボット」としてカスタマイズし、共有できる仕組みがある。学生が手書きの数式や教科書の文章題をスマホで撮影してアップロードすると、それを正確に読み取り、即座に解法を提示する。単に回答を出すのみならず、「なぜその答えになるのか」を論理的に詳細に解説する。これが宿題を手早く済ませるだけでなく、その論理を理解したいとの学生のニーズに合致した。
フィリピンの学校教育は英語が主体だが、「Dola」は英語と現地語のタガログ語の両方に対応し、学生が日常感覚で質問できる点も評価されている。しかも主要な機能は無料だ。フィリピンの「Google Playストア」では、「Dola」のレビュー欄に「数学の文章問題が解ける」「ステップごとの説明がわかりやすい」といったコメントが数万件以上も寄せられている。
「ソブリンAI」の構築という国家戦略
「ソブリンAI」の構築支援という領域で、主に新興国の政府機関を対象に事業を展開するのが、清華大学発の「智譜(Zhipu)AI」という企業である。
「ソブリンAI」とは、国家や組織が外部に依存せず、自らの主権(Sovereignty)のもとでAIを開発・運用・管理できる能力を指す。もともと中国は自らがこのような考え方のもと、「AIの自立」を重視してきた。「智譜AI」はその中核となる研究拠点の一つだ。
同社は独自のAIモデル「Z.ai」を国際ブランドとして掲げ、シンガポールやマレーシア、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)、ケニアといった国々の政府機関や国営企業などに、AIエージェントとそれを支えるインフラをパッケージで提供している。
例えば、サウジアラビアでは、同国の国営石油会社系企業の資金を活用、アラビア語に特化した行政サポートAIの構築を支援。政府専用のクラウド上に「Z.ai」を展開することで機密情報の国外流出を防ぎつつ、行政サービスの自動化を進めている。またUAEでも、同国のスマートシティ構想推進に参画、都市運営の最適化アルゴリズムや公共データの解析に「Z.ai」が活用されている。
一方、ケニアでは、同国政府の農業DXプロジェクトに参画し、土壌や気象のデータを学習させ、リアルタイムでアドバイスを送る農業指導チャットボットを開発。ベトナムでは、現地の国立大学と提携し、データ主権に配慮した「ソブリンAI開発ラボ」を設置し、教育や医療、情報通信などの領域でベトナム語に最適化したAIエージェントの運用を始めている。
国家主権に配慮したAI開発
新興国政府が中国企業と組む背景には「ソブリンAI」への強いニーズがある。新興国政府にとって最大の懸念は、国家機密や重要なデータが、海外のサーバーに吸い上げられてしまう事態だ。
既存のメジャーなAIは、API(データや機能を共有・連携するための窓口)経由の利用が基本になっている。しかし「智譜AI」はその国の政府専用のプライベートクラウドや、その国のインフラ内へのオンプレミス(自社設置型)のAI導入に柔軟に対応している。
また、「智譜AI」は一部のモデルをオープンソースとして公開し、現地政府が独自に検証・監査できる「透明性」をアピールしている。この点が、地政学的なリスク管理に関心の高い新興国政府にとって、魅力的な代替案となっている。
中国は「うるさいことを言わない」
新興国の政府にとってAI戦略は極めて重要だ。自国の成長にはAIを効果的にインフラ建設に組み込むことが不可欠である。その点で中国企業は、導入・維持のコストが低いうえに、一般の消費者や中小企業でも対応可能なスマートフォンや比較的低いスペックのPCで動作する製品を提供している。
アリババの「Qwen-SEA-LION」やバイトダンスの「Dola」の例が示すように、地域のマイナー言語をサポートする姿勢は、英語圏中心の「グローバルな」開発が前提の米国製品に対する差別化要因となっている。経済力の弱い新興国にとって、言語の壁を越え、最先端の技術を活用できるAIエージェントは大きな経済的価値を持つ。
多くの新興国は、かつて植民地支配を受けた歴史的な記憶が残る。先進国への技術的な依存が政治的な支配につながることを警戒する心理は、現地の社会に根強くある。米国がAIを自由、人権、民主主義など「価値観輸出」の手段として捉える傾向が強いのに対し、中国はAIを「国家主権の保護と自立的成長」のツールとして位置づけ、「うるさいことを言わない」。
「自国のデータは、自国の主権の下に置くべきだ」「我々はそのためのインフラと技術を提供する。運用はあなた方に委ねる」という中国のメッセージは、民族主義的な傾向を強める新興国の為政者に心地よく響く。
中国AIのリスク
しかし、これら中国発AIエージェントの浸透には、無視できないリスクがある。2017年に施行された中国の「国家情報法」に基づき、中国企業は政府からの情報提供要請を拒否できない。仮に中国企業が海外に登記した法人で、サーバーが海外にあっても、ユーザーの情報が何らかの形で中国当局に渡る可能性は拭いきれない。
さらには、DeepSeekなど中国系のLLMは「天安門事件」「台湾の地位」「新疆問題」などのトピックで、中国政府の公式見解に沿った回答をすることが確認されている。こうした政治的な立場を含んだLLMが、世界中のAIエージェントの「頭脳」として普及すれば、ユーザーが中国政府に都合のよいストーリーに誘導されるリスクが高くなる。
一方で、中国の民営企業が海外での事業比率を高めることで、中国政府の関与の手が及びにくくなる面があることも事実だ。中国のIT企業は、国内経済の低迷や、あまりに激しい競争に疲弊し、海外市場に活路を求める動きが強い。中国の民営企業家たちと話すと、内心では政府の過度の干渉を嫌い、より大きな海外市場で勝負したいとの気持ちが強い。こうした企業家たちの「脱中国」の意志も、中国AIエージェントの世界市場への進出を加速している。
世界のAIは2つの極に分化か
中国のAIエージェントによる新興国、非英語圏への戦略的な浸透は、一時的なトレンドではない。中国の国家戦略と連動し、世界の「デジタル秩序」を再定義しかねない構造的な変化の方向を示している。
中国企業は、それぞれの個性と強みを活かしつつ、先進諸国がカバーしきれていなかった多言語・多文化のニーズを埋め、新興国における「知能のインフラ」構築に関与しつつある。今後、世界は米国主導の「クローズド・高コスト・価値観重視」のAI圏と、中国が主導する「オープン・低コスト・国家主権重視」のAI圏へと、二分されていく可能性が高い。
新興国は、自国の発展のために、両方を天秤にかけ、双方から利益を引き出しつつ、より自国の事情に見合った「知能の基盤」を選択する。そのプロセスにおいて中国のAIは強い浸透力を持っている。
戦後の世界を形作ってきた米国主導の「自由と民主主義」が瓦解しつつある今、AIをめぐる中国主導の動きが持つ意味は限りなく大きい。
次世代中国