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次世代中国 田中 信彦 連載

次世代中国 一歩先の大市場を読む

中国AIが破壊する「知能の価格」
AIの「コモディティ化」は何を引き起こすのか

 中国発のオープンウェイト型AIモデルが、世界の市場に浸透している。その真のインパクトは、米国のAIを性能面で抜き去るかどうかではない。それは「知能の価格」を一気に書き換える点にある。

 米国の主要なAI企業であるOpenAI、Anthropic、Googleなどのモデルは、開発には巨額の資金を要する。トークン単価の低下は進んでいるものの、AIの使用量が急増し、企業の支出負担は膨らんでいる。一方、中国のAI企業は、モデルの中身を公開し、利用や改変を広く認めるオープンウェイト型AIを相次いで投入している。ユーザーが自前の環境で運用できるため、データの外部送信や、突然のサービス停止などのリスクを抑えられる。性能面でも、米国による輸出規制や制裁措置などの逆風にもかかわらず、米国勢との差を急速に縮めている。

 市場へのインパクトは大きい。米国のAIモデルは、巨大なデータセンター投資を高価格のモデルで回収する、いわば「希少な知能を高く売る」戦略だ。一方、中国のAIは、オープンな低価格モデルで、知能をより安く、誰もが使える「コモディティ」へと変えようとしている。

 中国製品はこれまで、さまざまな領域で高品質、かつ時には極端なまでの低価格で世界の市場を席巻してきた。それが今、知能の世界でも起きようとしている。知能は形がないだけに、モノよりはるかに容易に世界中に拡散する。

 今回は中国発のAIが、世界にどのような影響を与えようとしているのか、考えてみた。

田中 信彦 氏

ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。

最先端AIから「締め出された」外国人開発者

 今年6月12日、米国商務省は、AI大手Anthropicが開発した最新モデル「Claude Fable 5」と「Claude Mythos 5」に対して、自社従業員を含む外国人のアクセス排除を命令した。「国家安全保障上の理由」とされる。同社は反論したものの、命令には従わざるを得ず、外国人に限定したアクセス排除は現実的に不可能と判断し、全ユーザーに対して両モデルの利用停止の措置を取った。

 また同月下旬に発表されたOpenAIの最新モデル「GPT-5.6」シリーズでも、同社は米国政府の要請を受け、一般公開はせず、「政府とリストを共有した少数の信頼できるパートナー」のみへの提供に留めた。Googleも同様の対応を迫られるとみられている。この一連の動きは、先端AIモデルの公開プロセスに米国政府が直接関与する動きが始まったことを示している。

 影響は大きかった。この措置によって、欧州や日本など同盟国を含む世界中の開発者たちは、一瞬にして米国発の最先端AIの一部から締め出されてしまう形となった(その後、米政府は6月30日に両モデルへの輸出規制を解除。Fable 5は全世界で提供を再開した。一方、Mythos 5については、引き続き米国内の一部組織に限定されている)。

 米政府が半導体チップなどの「モノ」ではなく、AIモデルそのものに実質的な輸出管理をかけたのは異例のことだ。最先端AIが単なるクラウドサービスではなく、「戦略物資」になったことを意味する。

規制後の「受け皿」として注目を集める

 Anthropicの最新モデルから外国人開発者が締め出された、まさにその翌日の6月13日、中国のAI企業「智譜AI(Z.ai)」は最上級モデル「GLM-5.2」を開発者向けに提供。続く16日、自社サーバーなどでユーザーが自由に動かせる形で全世界に公開した。Anthropicの「Claude Fable 5」に迫る性能とされる最上級モデルだ。

 「Z.ai」はこのAIを、利用制限や地域制限がない「MITライセンス(商用利用や改変を広く認める、極めて自由度の高いライセンス)」の形で全世界に無料公開した。いわば「国籍で自国のAIを制限した米国」に対し、「国境のない技術アクセス」を掲げて中国企業が真っ向から競争を挑んだ形だ。

 タイミングは絶妙だった。「GLM-5.2」は、世界的な独立系のAI評価機関のベンチマークで、Googleの「Gemini 3 Pro」(当時)などの一部の米国発モデルを超え、オープンソース領域でトップに躍り出た。Anthropicの「Fable 5」が輸出規制で使えなくなったことで、「GLM-5.2」はその代替として一気に注目を集めた。

 「GLM-5.2」をはじめとするMITライセンスのモデルは、ユーザーが自社サーバーにダウンロードしてしまえば、中国政府の監査を受けるクラウドAPIを通さずに、完全に閉じた環境(オンプレミス)で利用が可能だ。そのためセキュリティ面や地政学的リスクを懸念する海外の開発者も、規制の影響を受けにくく、世界最高クラスの能力を持つオープンモデルとして「GLM-5.2」を受け入れる流れが広がった。

 これは、米国を追撃したい中国のAIにとって大きなチャンスとなった。中国のAI業界では、2025年1月、圧倒的な低価格で世界を驚かせた「DeepSeekショック」以来、最大の追い風と喜ぶ声が上がった。

中国AI界のエリート集団

 そもそも「智譜AI(Z.ai)」とは何者なのか。

 中国のAIではDeepSeek(深度求索)の知名度が高いが、DeepSeekがいわば民間出自の「技術マニア」の集団であるのに対し、「Z.ai」は中国最高峰・清華大学発の「エリート正規軍」。中国政府や巨大資本のバックアップを受け、世界的な「デジタルインフラの標準」の座を狙う、まさに中国AI界の本命の一角を占める存在だ。

 2019年、清華大学の研究室からスピンアウトする形で設立。アリババグループやテンセント(騰訊)、美団(Meituan)、小米(Xiaomi)など民間巨大テックに加え、政府系ファンドからも巨額の出資を受けた「産学官」直系企業である。2026年1月、香港証券取引所に上場、時価総額は一時1兆香港ドル(約20兆円)を超えた。

 「Z.ai」のモデル「GLM(General Language Model)」は、OpenAIなどが採用する「Transformer」と呼ばれる基本技術を土台に、独自の学習方法を組み合わせた清華大学系の技術に由来する。既存技術の単なる後追いではなく、早い段階から独自のモデル系列を育ててきた点が強みだ。

西側市場に浸透する「コスト合理性」

 「Z.ai」のモデルが米国をはじめとする西側の開発者にも受け入れられる背景には、開発コストの問題がある。世界各国のITスタートアップや個人のエンジニアの多くは、国家機密や企業の顧客データなどの「敏感な」情報を扱っているとは限らない。

 これらのエンジニアが求めるのは、いわば「仕事を1秒でも早く、1ドルでも安く助けてくれる頭脳」である。多くのビジネスシーンでは、「安全保障上のリスク」よりコストパフォーマンスや使いやすさが先に立つのが現実だ。

 これら「安全性が問題になりにくい領域」を念頭に、「Z.ai」は2025年後半から、「GLM Coding Plan」と称するプログラミング専用の定額プランをグローバルに展開している。このエンジニア向けのマーケットは、目先の収益は大きくないが、世界市場で「知能の価格」を崩すところに戦略的な意味がある。

 「Z.ai」は、ホワイトハウスや先進国のメガバンクに自社のクラウドAPIを買ってもらおうとは最初から思っていない。グローバル市場で自らが直面する「政治の壁」を見極めた上で、そこに衝突しない領域で自らの経済圏を組み立てる。この現実的な対応が、既存の「知能の価格」の体系を崩し、AIの「コモディティ化」を進める原動力になっている。

「分断」が中国発のオープンモデルを拡散する皮肉

 先に述べたように、米国政府は安全保障上の理由から、自国の最先端AIへのアクセスを制限しようとする。しかし、米国政府が「誰に使わせるか」を管理しようとすればするほど、世界の企業や開発者は「自分で持てるAI」を求める。国家の判断で突然止まったりしない、「囲い込まれないAI」へと走る。そこにオープンモデルが入り込む余地が生まれ、その受け皿として結果的に中国発モデルの競争力が高まる――という状況が発生している。

 米国政府による分断は、最先端AIの能力が中国側に渡るのを防ぐのが目的だ。しかし米国自身が、「突然、米国製AIが使えなくなる」というリスクを現実のものにし、中国発のオープンモデルの価値を高めてしまっているという皮肉な現状がある。

「コモディティ化」するAI

 米国政府は中国AI企業を締め出したい。しかし、当の締め出し対象の中国企業が、自社のモデルの中核部分(パラメータ)を世界に広く公開してしまえば、それは「水に溶けたインク」のように世界中に広がっていく。企業との取引は止められても、モデル能力の拡散を止めるのは事実上、不可能に近い。

 世界各地でオープンモデルを使う多くのエンジニアの選択基準は「米国か、中国か」にあるのではない。大半の動機は実務的なものだ。あくまで「リスク分散」や「コスト低減」に主眼がある。

 加えて、先進的な企業では、AIを使う際「どのモデルを使うか」は、人間がその都度、選んでいるわけではない。用途や作業内容に応じて価格や必要な能力などを勘案しつつ、システムが最適なモデルを選んで自動的に振り分ける仕組みが広がっている。この流れが強まるほど、米国発の「ブランドAI」の活用場面は相対的に減り、日常業務の多くはコストパフォーマンスの高いモデルでこなすようになっていく。

 例えて言えば、AIの生み出す知能が「高価格・高機能のブランド品」から、日常的な「ツール」や「部品」に近いものへと「コモディティ化」していく。そこでは中国発の低価格なオープンモデルが価格形成に大きな影響を与える存在になりつつある。

米国企業に広がる中国発のAIモデル

 実際、中国製オープンウェイトのAIは、米国企業の開発現場ですでに稼働を始めている。

 6月下旬、世界最大級の暗号資産(仮想通貨)取引所で、ナスダック上場企業でもある「Coinbase(コインベース)」のCEO、ブライアン・アームストロング氏は「X」上でAIのコスト管理について発信した。そこで同氏は、AIコストの上昇に対して「社員のAI利用を制限するのではなく、裏側で低価格のモデルを標準にし、利用モデルを仕事ごとに振り分け、過去の同じ処理は再利用する」ことで支出を抑えている――という趣旨の発言をした。

 そのうえで同CEOは、同社がLLMゲートウェイを通じて「Z.ai」の「GLM 5.2」や、同じく中国AI企業の「Moonshot AI(北京月之暗面科技)」が開発した「Kimi K2.7」などのオープンモデルを、開発業務のデフォルト候補として試行していると語っている。このことは少なくとも企業内のシステム開発のレイヤーでは、中国モデルがすでに米国の主要企業に食い込み始めていることを示している。

利益の重心は「川下」へ

 中国のオープンウェイト戦略が知能の価格を押し下げれば、利益の重心はモデルそのものから、その導入・応用へ移る可能性が高い。

 鉄鋼などの素材から太陽光パネル、EV・バッテリーなどにいたるまで、中国企業は過去数十年にわたり、数々の「価格破壊」を引き起こしてきた。先進国企業が先行した事業領域で、国家の支援と圧倒的なインフラ、豊富な人的資源などを武器にグローバル市場に参入。強烈なスケールメリットで市場を席巻してきた。

 そして今、その波がモノから知能の領域へと拡大しつつある。先にも触れたように、米国勢は最先端AIを高付加価値のソフトウェアとして「SaaS的な手法」で売る路線を取っている。一方、中国発の低価格なオープンモデルは、AIを鉄鋼や電力のような「社会の基礎素材」として、低価格・大量生産・大量供給するアプローチを取る。

 知能の価格が下がれば、AIの利用は増えるだろう。これまで人間が行っていたさまざまな作業がAIに任されるようになる。しかし、AIの利用増が、AIモデルの提供企業の継続的な高収益に直結するとは限らない。AIの価値を最大に刈り取れるビジネスは、むしろその応用面にあるからだ。

「安価な知能」で産業構造を変える

 かつて太陽光パネルの価格暴落で、パネルメーカーは苦境に陥った。しかし劇的に安くなったパネルや関連設備を使って、中国企業は太陽光発電の供給網で支配的地位を確立した。スケールは違うが、AIでも似た構図が生まれる可能性がある。中国発の低価格モデルが「コモディティ化した知能」として大量に供給されれば、産業の競争構造そのものが変わる。

 考えてみれば、電気は社会の基盤となるインフラで、大量かつ安定的に供給されているが、電力会社が巨額の利益を独り占めにしたわけではない。大きく成長したのは電力を活用して新たな製品やサービスを創り出した企業だ。

 この構図に従えば、AIの主戦場は、今後「AIを作る側」から、「いかにそれを既存の業務に組み込み、付加価値を出すか」の競争に移る。そして、その競争で中国企業は、数多くの有利な条件を備えている。

「車輪の付いたAI」が持つ意味

 中国企業の狙いは、世界で最も賢いAIを作ることだけではない。「安くなった知能」を、現実世界の製品や仕組みに組み込むことにある。その発想はすでに、さまざまな産業で現実のものになり始めている。

 「車輪の付いたAI」ともいうべきEV、AIの判断に基づいて「空中の高速道路」を飛び交うドローン、「知能に手足を付けた」人型ロボット、AIが商品を探し、選び、注文し、支払いまで行う買い物のシステム、すべてそうだ。

 AIの競争の本番は、AIそのものではなく、「知能のコモディティ化」以後の応用競争にある。中国企業自身が、お決まりの過剰生産の泥沼を避け、その果実を刈り取ることができるか、それは未知数ではある。しかし、中国企業の応用面での強さは、これまでも証明済みだ。既存の製造基盤に「安価な知能」が乗ることで、それは一段と加速する可能性が高い。