次世代中国 一歩先の大市場を読む
今、中国のアリババと米JPモルガンが組む理由
「表は敵対、裏では共犯」。分断できないデジタルの現実
Text:田中 信彦
米中対立の中、世界では「デカップリング」が進行している。しかし深層部分ではそれとは逆に、中国の巨大なサプライチェーン網と米国の金融インフラが、AIとブロックチェーンを介して結合しつつある。
中国のアリババと米JPモルガン・チェースの提携はその典型例だ。両者は協力してブロックチェーンと人工知能(AI)を融合させた次世代の貿易・決済インフラ構築を始めている。この動きは、いわば「表は敵対、裏では共犯」とも呼ぶべきものだ。国家間の政治的な対立がある一方で、デジタル世界での民間企業によるインフラ形成は、もはや分断が難しいレベルにまで深化している。
中国企業の視点で見れば、両者の提携は「米中対立」というリスクをテクノロジーの融合によって解決する「逃げ道」を示した意味を持つ。中国政府による厳しい規制を、世界的なステイタスを持つパートナーと組むことで自らの強みに変えた巧妙な選択ともいえる。
今回は、この両者の提携を通じて、デジタルの時代に大きく変化する国家と企業の関係について考えてみた。
田中 信彦 氏
ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
JPモルガンの「デジタル米ドル」をアリババが活用
昨年11月、英国ロンドンでアリババが主催するカンファレンス「CoCreate Europe」が開かれた。この席上、B2B事業を統括するAlibaba.comの張闊(Kuo Zhang)社長は、米国を代表する総合金融グループ、JPモルガン・チェース(以下「JPモルガン」)との提携を正式に発表した。あわせて米大手経済ニュースメディア、CNBCのインタビューに応じ、提携の狙いや技術について語った。
それによると、アリババはJPモルガンのブロックチェーン・プラットフォーム「Kinexys(キネクシス(旧名Onyxから改称)」を採用、同行が法人顧客向けに提供する預金トークン「JPMコイン」による決済を導入する。JPMコインとは、同行の米ドル建て預金を裏付けとし、いわばJPモルガンが発行する「デジタル米ドル」のようなものだ。これを世界最大級の暗号資産(仮想通貨)取引所「コインベース」が開発したパブリック・ブロックチェーン「Base(ベース)」を通じて取引する。それによってリアルタイムで商取引の決済が可能になる。
注目すべき点は、アリババが導入するのが、一般企業の発行する既存のステーブルコインではなく、JPモルガンという世界最大級の金融機関のバランスシート上に1対1で裏付けられた「預金トークン」である――という点にある。
「トークン(証拠)化」とは、いわば「情報」と「お金の移動」を合体することだ。お金に送金先や支払い条件などの情報をデジタル的に書き込み、人手を介さず自動的に動く「デジタル付箋」に変える。これによって銀行の営業時間などに関係なく、決済を瞬時に完了できる。
ステーブルコインが使えない中国
以前、この「wisdom」で「中国の金融体制を揺るがすステーブルコイン 「企業」と「国家」、利害の対立が鮮明に」(2025年12月)という記事を書いた。そこで記したように、中国政府は民間発行のデジタル通貨を厳しく規制している。背景にはステーブルコインなどの暗号資産(仮想通貨)が自国経済に浸透すれば、国有銀行の既得権益を崩し、ひいては国家の金融主権を失いかねないとの危惧がある。
これで困ったのがアリババだ。世界各地の、とりわけ中小事業者を網羅するECプラットフォームのアリババにとって、迅速で低コストの越境代金決済は事業の要だ。しかし従来の海外取引では、SWIFT(「国際銀行間通信協会」のネットワークシステム)の利用が必要だった。これは手数料が高いうえに日数もかかり、中継銀行によるコンプライアンス審査で資金が拘束されるリスクもあるなど問題が多かった。
ステーブルコインはこの問題を回避できるが、中国政府が認めない。アリババはかつて傘下のアント・グループが香港で自らステーブルコインの発行を企図したが、政府の意向を受けて断念した経緯がある。2020年、アントが中国政府からIPOの強制停止の措置を受けるなど、アリババは常に当局による規制監視の対象であり続けている。この文脈において、アリババにとってJPモルガンとの提携は単なる金銭的な利益を超えた意味を持つ。
「政治的な制約」を切り抜ける巧妙な戦略
アリババが利用するのは、JPモルガンの「世界的な権威と信用」だ。JPMコインは世界最大級の米国銀行の預金に裏付けられた、事実上の「デジタル米ドル」である。中国当局は国内で仮想通貨の利用を禁止しているが、JPMコインは「得体の知れない暗号資産」ではない。JPモルガンのような「高度に規制された金融機関」が発行するトークンは「既存の銀行システムのデジタル化」との解釈が可能で、中国当局は自前の金融政策と整合させやすい。
国際取引のデジタル化が急速に進む中、国内の輸出業者や中国発ECプラットフォームの利益を考え、中国政府は今回のスキームを容認したものとみられる。
アリババはJPMコインを利用することで、政府の規制を回避できる。加えて米ドルやユーロによる即時決済ネットワークを世界中のサプライヤーに提供できるようになり、ステーブルコインを上回る利便性を得られる。これは政治的な制約を「米国金融機関の信頼性」と「ブロックチェーンの検証可能性」を使って切り抜ける巧妙な戦略といえる。
銀行の地位低下を避けたいJPモルガン
一方、JPモルガンにとってもこの提携の枠組みは大きなメリットがある。
そもそも、「米ドル経済圏」を守るべき米国の銀行が、なぜ「脱米ドル」を進める中国の企業と組むのか。一見、矛盾するかにみえるこの戦略の背景には、AIとブロックチェーンを軸に激変する金融業界の状況がある。
JPモルガンにとって最も避けるべき事態は、「特定の発行者を持たない」無担保型の暗号資産の普及で、銀行が担ってきた金融の仲介者の役割が失われることにある。アリババに代表される中国のビッグテックは、高い技術力と資金力があり、新興国のビジネスに強い基盤を持つ。仮に自前のデジタル通貨や決済システムで世界中のビジネスを完結させれば、米ドルの生存空間は一気に狭まる。このような事態があってはならない。
しかし現実には、グローバル市場での中国企業の存在感は大きくなる一方だ。リアルの世界で中国発のプラットフォームは、すでに無視できない存在に成長した。その現実がある以上、排除するより、自社の陣営に引き寄せるほうが得策だとの判断がある。
中国発のプラットフォームは「未来の金融の実験場」
中国は2013年に米国を抜き、世界最大の輸出国となって以降、そのシェアは拡大を続けている。2025年時点で世界の輸出額の約14~15%を占めるとみられる。SHEIN(シーイン)やTemu(テム)、TikTok Shopなど有力プラットフォームの若い世代への浸透は世界中で進んでいる。
年間約30兆ドル規模とされる世界のB2B越境決済市場において中国発の資金フローは膨大で、米系銀行にとっても継続的関与は欠かせない。またアリババ(アント)グループの決済システム、アリペイ(Alipay)やテンセントの越境決済網(Tenpay Global)、WeChat Pay(微信支付)など中国発の決済インフラの利便性の高さ、コスト競争力も無視できない。
そのような状況下、中国企業に対して「トークン化されたデジタル米ドル(ユーロ)」を導入させる意味は大きい。それはグローバルなプラットフォームに「米ドルの通り道」が定着し続けることにほかならない。
JPモルガンにとって、中国発のプラットフォームは「未来の金融が実装される巨大な実験場」であり、膨大な商流に関与し続けるゲートウェイ的な意味を持つ。
国際金融を変える「貿易実務のAI化」
その背景にあるのは、AIを核にしたビジネス構造の激変だ。
例えば、アリババは現在、世界各地で「セルフドライビング・トレード(貿易の完全自動運転)」システム「AI Mode(AIモード)」を推進している。これは自社開発のB2B向け自律型AI「Accio(アクシオ)」を活用し、あたかも自動運転のクルマが人の関与なしで目的地まで走行するように、AIが貿易の実務工程を肩代わりするAIエージェントである。
商品選定から価格交渉、物流の手配、さらには支払いまでの全プロセスを自律的にサポートする。このシステムの狙いは新興国の中小企業が、グローバルな大企業レベルの高度な金融・情報・物流網をボタン一つで誰でも使えるようにすることにある。
これまで世界中の中小企業は、貿易取引の煩雑さと高いコストに二の足を踏んでいた。それが月額20ドルほどのサブスク契約をするだけで、専門知識も外国語も必要なしにJPモルガンのデジタル決済網を使える。アリババ・インターナショナルの発表によれば、「アクシオ」は、2024年11月の立ち上げから9ヶ月で利用者数は200万人を超えた。
世界中で手数料を稼ぐ金融インフラ
JPモルガンにとっては、仮に中国発のプラットフォームであれ、背後で動くのが自社の米ドル建てトークンであれば、実質的にドル経済圏の影響力は維持される。例え話で言えば、JPモルガンの選択は「敵が建設した新しい街(アリババ経済圏)であっても、そこで電気や水道などライフライン(米ドルの決済インフラ)を押さえれば利益は守られる」――という考え方だ。
「Kinexys」は2025年末の時点で、すでに1日あたりの平均取引額が20億ドル(JPモルガンの発表による)を超える。一方、アリババの海外事業部分を担うAlibaba.com上で動く越境B2Bの年間流通総額(GMV)は、年500億〜600億ドル規模に達する。これが接続されれば、従来型の手動決済からデジタル決済網へ新たに移行する資金だけでも、年間数十億ドルから100億ドル規模に達するものとみられている。
JPモルガンは確かに「米国の銀行」ではあるが、実態としては「世界中で手数料を稼ぐグローバル金融インフラ」でもある。相手が誰であっても、その商流が巨大であれば、自社の規格(JPMコイン)をそこに流し込むことが結果的に米ドル圏の拡大、延命につながる。
この状況はアリババも同じだ。アリババは中国企業だが、同時にグローバルな商取引のプラットフォームである。国内経済の低迷が明らかな今、海外重視の姿勢を一段と強めている。決済通貨が何であろうと、自社の商流でビジネスが行われる限り、企業は成長できる。
大銀行に冷遇されてきた、少額、高頻度の商売
このスキームによる取引は、世界全体の貿易額(2026年の予測で年間36兆ドル規模)からみれば、まだごくわずかにすぎない。しかし、この枠組みの真の意味は、現時点での決済総額にあるのではない。「誰が、どのような質の取引を始め、誰からビジネスを奪い始めているか」という視点が重要だ。
両者が狙いを定めるのは、これまで大手銀行から「手間がかかる割に儲からない」と冷遇されてきた、世界中の中小企業による無数の少額、高頻度な商売だ。世界中の無数の中小零細事業者の前には、これまで「500ドルの支払いに3日待たされ、50ドルの手数料がかかる」という高い壁があった。多くの企業がグローバルな商売を諦めてきた。
その未開拓市場に、中国のプラットフォームと米国の大手銀行が組み、誰でもほぼ瞬時に、非常に低い手数料で取引できる画期的な決済手段を投入した。ここに今回のスキームの本質的な意味がある。総額はまだ小さいが、今後、世界の貿易決済で主導権を得ていく可能性は高い。
「政治と一線」の「実を取る」戦略
この両者による協業の枠組みは、米中双方の規制当局が「禁止」を明言していない(できない)領域を巧みに選択し、「実を取る」手法を展開しているところに妙味がある。
例えば、両者は軍事転用可能な技術領域にはタッチしない。AI基盤モデルの共同開発も関与を最小化し、あくまでエージェント機能に特化して、金融AIやリスク管理、コンプライアンス技術などの面で積極的に協業する。
領域的には、クロスボーダー決済インフラの部分に集中し、ブロックチェーンの活用で透明性を維持する。またESG(環境・社会・企業統治)、サステナビリティ金融といった領域でも共同で取り組むことを確認している。国家間の技術覇権競争の主戦場である先端AIや半導体などとは距離を置きつつ、金融やデータインフラという日常的、実用的な領域に集中しているのが特徴だ。
「船を借りて海に出る」
かつて中国企業は、例えばアリババやファーウェイ(華為科技)もそうだが、自前のOSや決済網を確立し、欧米主導のルールを塗り替えようとしていた。それが中国政府のいわゆる「戦狼外交」の傲慢な態度とあいまって、中国企業に対する世界の警戒感、忌避感を高めた。中国企業の経営者と話すと、その過ちを認める人は少なくない。
その経験をもとに、中国企業は今、世界の主要なシステムの中に「不可欠なパーツ」として潜り込むことを目指し始めている。中国の企業家の間では、昨今、「船を借りて海に出る(借船出海)」という言い方が広がっている。今回のスキームでいえば、アリババは銀行を敵に回すのではなく、JPモルガンの持つ優れたシステムを自分たちのAIの「不可欠な一部」として活用し、共存する姿勢を取る。政府の締め付けや米中対立という苦境に直面した中国企業が、生存のためにたどり着いた答えの一つがここにある。
JPモルガンにとっても、自らが「古びた質屋」になるわけにはいかない。中国発のプラットフォームが持つ膨大なデータ、担保に頼らない高度な与信能力など、「商売の頭脳」を活用したいとの思惑がある。かつて一時期、「銀行がプラットフォームを支配するのか、プラットフォームが銀行を飲み込むのか」という議論があった。しかしその答えは「両者が合体し、AIとブロックチェーンを核にした巨大な自動商売システムになる」というものになるのかもしれない。
政治リスクをテクノロジーで「無効化」する
「表は敵対、裏では共犯」。この表現は、現時点でのグローバル経済の縮図といえる。米中対立という巨大な政治リスクに対し、民間企業は正面からそれに挑むのではなく、「テクノロジーの活用でリスク自体を無効化する」という道に進みつつある。
ブロックチェーンによる透明性、AIによる効率性は、国籍を選ばない。例えば、東南アジアの零細な工場が、中国発のプラットフォームで欧州のバイヤーから注文を獲得し、米国の巨大銀行の「デジタル米ドル」で瞬時に支払いを受ける。その背後ではAIエージェントが契約のスムーズな履行を保証する。このような現実は、もはや関税や制裁といった旧来の政治的手法では止めることができない。
「分断できないデジタルの現実」――。政治的な立場としての「デカップリング」と、技術的な必然としての「高度な融合」が同時に進行する。従来の地政学では、国家が企業の行動を規定してきた。しかしデジタル経済の融合で、国を越えた企業間の相互依存が、政治の選択肢を事実上、制約する。そういう逆転現象が起き始めている。アリババとJPモルガンの関係は、その象徴だ。
次世代中国