ミラーワールドによる「共体験」
未来は体験のデザインで共鳴する
~NEC未来創造会議 2019年度第2回有識者会議レポート~
NECが2017年度より実施しているプロジェクト、「NEC未来創造会議」。わたしたちがどのような未来を目指すべきなのか構想する本プロジェクトは、これまで国内外から招聘した多彩な有識者と議論を重ねてきた。昨年度は、社会のさまざまなレイヤーで発生している「分断」こそがわたしたちの直面している課題の本質にあると結論づけ、この分断を乗り越えて実現されるべき未来のコンセプトとして「意志共鳴型社会」を提案。人々が夢に向かう意志を共鳴させながら多様な豊かさをともにつくりあげていける社会を目指し、プロジェクトは継続している。
今年度は社会への実装を見据えてより議論を具体化すべく、「RELATIONSHIP」「EXPERIENCE」「VALUE&TRUST」「LEARNING/UNLEARNING」という切り口を設けて有識者会議を開催している。
第1回有識者会議「RELATIONSHIP」のレポートはこちら
第2回有識者会議のテーマは「EXPERIENCE~ミラーワールドから”体験”を再定義する~」。ゲームクリエイターでありEnhance代表/慶應義塾大学大学院特任教授の水口哲也氏と建築家のnoizパートナー/gluonパートナー・豊田啓介氏、NECフェローである江村克己、そして第1回に引き続き『WIRED』日本版編集長の松島倫明氏がモデレーターを務めた。
新たな「体験」のかたちを探して
VR(仮想現実:Virtual Reality)/AR(拡張現実:Augmented Reality)やIoT、AIなどテクノロジーの発展は、新たな「体験」を実現する。体験の変化は、VRゲームやARコンテンツの鑑賞のようにエンターテインメントやクリエイティブを変えるだけでなく、わたしたちの生活や社会そのものを変えてしまうだろう。とりわけ、5Gが普及しリアルとデジタルがピッタリと重なり合う「ミラーワールド」が現実のものとなれば、「体験」そのもののあり方がこれまでとは大きく変わってしまうはずだ。
ミラーワールドとは、「C&Cユーザーフォーラム&iEXPO2018」で行われたNEC未来創造会議の講演で、ケヴィン・ケリー氏(『WIRED』誌 創刊エグゼクティブエディター)が初めて提言した概念である。”いまの現実の世界”と、”すべてがデジタルによって記述されたデジタルワールド”が重なりあった新たな世界のことで、テクノロジーの進化と共にこれから大きく出現してくると考えられている。
今回の会議で提示された問いは「2050年、新しい体験とは?」と「2050年、意志の共鳴はいかに実装できるか?」のふたつ。NEC未来創造会議が照準を合わせる2050年に「体験」はいかなる価値をもつのか、そして本プロジェクトが掲げるコンセプト「意志共鳴型社会」の実現に向けて、意志を共鳴させる体験が可能なのか。4人の議論は、体験の歴史を数百年さかのぼりながらゲーム、建築、都市…とさまざまな領域を横断して繰り広げられた。
体験の共有は何をもたらすのか
最初の問い「2050年、新しい体験とは?」を考えるうえで、リアルとデジタルの変化を見過ごすことはできないだろう。これまでリアルとデジタルは対立するものと捉えられがちだったが、VR/ARに代表されるXR(X Reality)技術や5Gのような高速通信が普及すれば両者の差異はますます小さくなっていく。こうした状況のなかで、豊田氏はデジタルとリアルをつなぐ新たな世界記述方法「コモングラウンド」を提唱している。
「コモングラウンドとは、アバターのようなデジタルエージェントと人間が対等に活動するためのプラットフォームです。アバターのようなデジタル側の存在は現実世界を認識できるものと思われがちですが、リアルタイムに捉えられる現実世界のデータは想像以上に少ない。だからこそ、個々のサービサーやメーカーを超えたより汎用的なプラットフォームが必要なのです」
コモングラウンドのように新たなプラットフォームが実現されなければ、リアルとデジタルをいまより高次元で体験することは難しいだろう。他方の水口氏は、むしろ過去を振り返りながらいまわたしたちが大きなパラダイムシフトのただ中にいることを指摘する。
「情報をデザインする時代から体験をデザインする時代へ変わろうとしています。活版印刷の時代から加速した情報のデザインは文字や絵、写真など二次元で解像度の低いものを使って多くの情報を伝えようとしていたけれど、これからはさらに高次元のデザインが可能となる。体験の共有やパブリッシュもできるし、よりマルチモーダルな表現が実現できるはずです」
水口氏の語る「体験の共有」は、昨年のNEC未来創造会議が提案した技術「エクスペリエンスネット」とも共鳴している。「リアルに近い疑似体験を可能にする環境をつくることで、子どもたちが自分の本当にやりたいことを考えられるようになるのではと考えました」。そう江村が振り返るように、エクスペリエンスネットとは、体験の共有によって多次元的な情報を得られる新たな教育のあり方をも提示している。
水口氏が「これから”アーキテクチャ”の扱える領域はかなり広がるはず」と指摘するように、あらゆる表現が多次元的になりデジタルとリアルも融解するならば、「建築」や「都市」のあり方も変わっていくはずだ。水口氏の指摘を受けて豊田氏は「未来の都市は高次元の複合体になるので描けない」と述べ、従来のXYZという静的な三次元を超えた視点をもつことがこれからの建築家に求められるはずだと主張する。
「建築が多次元的になれば、建物をつくるために必要なデータのあり方も変わるでしょう。たとえばVR/ARに特化した建物をつくるなら、水口さんのような方も設計に携わらなければいけない。ただ、床や壁、素材など建築に関するデータは多様な活用の可能性を秘めているので、さまざまなデータを管理することは新たなサービスの実装を加速させることにつながるはずです」
雰囲気や曖昧さをもデザインする”動く彫刻”
建築が多次元的になることで、同時に従来の工学や物理学では扱いきれない質や感性も浮き彫りになるだろう。江村が「お寺や教会に行くと、この空間は何か違うなという感覚が生まれる。でもそれは設計で企図されているものではないですよね」と語るとおり、とりわけ宗教施設や長い歴史を有する建築には完璧に分析しきれない「雰囲気」がある。豊田氏はそれを「曖昧さ」と呼び、本来はその曖昧さを曖昧なまま受け入れることが重要だと述べる。
しかし、従来なら扱いきれなかったこの「雰囲気」や「曖昧さ」も、これからのアーキテクチャは扱うべきだと水口氏は述べる。かねてより「シナスタジア(共感覚)」を軸としてゲームやインスタレーションなどさまざまな作品を発表してきた水口氏は、長年かけてこうした曖昧さや雰囲気に取り組んできたともいえるだろう。豊田氏からどのように体験をデザインしているのか問われた水口氏は、自分たちは「動く彫刻」をつくっている感覚があると答えた。
「マルチモーダルな最初のイメージをみんなで話しながらいろいろなかたちでアウトプットしていくと、動く彫刻をつくっているような感覚が生まれます。しかも、ときには彫刻からのフィードバックによってぼくらが変化することもある。それはある種の”共進化”ともいえるかもしれません」
音とビジュアルを個別につくっていたら、水口氏の語る彫刻をつくるような制作プロセスは体験できないだろう。豊田氏が「共有化していくことが価値につながるのかもしれないですね」と指摘するように、ある作業や時間、体験を共有するからこそ生まれる価値がある。同時にそれは、さまざまな面で体験からフィードバックを受けた多次元的なものでもあるはずだ。
こうした名状しがたい「感覚」や「雰囲気」を考えることは、意識できることとできないこと、数値化できることとできないこと、それぞれの価値を考えなおすことを意味している。奇しくも前回の有識者会議で情報学者のドミニク・チェン氏が指摘していたように、現代社会はあらゆるものを数値化する傾向にあり、たしかに数値化が苦しみを共有可能なものにして分断を埋めてくれることもある。
一方で、江村氏が「わたしたちが感じているのは数値だけではありません」と述べるとおり、数値化できない、意識できないものの価値を認めることも重要だろう。「XRのように新たな技術で意識的に操作できるようになったものと、歴史や土地の匂いのように無意識の部分でしか生み出せないもの、両者をハイブリッドさせる手法を開発しなければいけないでしょう」と、豊田氏は新たな手法が求められていることを明らかにした。
「効率」だけでは幸せになれない
マルチモーダルで高次元な情報を扱える体験が実現できたとして、それはわたしたちの社会をいかに変えうるだろうか。ここで議論はふたつめの問い「2050年、意志の共鳴はいかに実装できるか?」へと移った。
さまざまなテクノロジーによって拡張された体験を活用し、わたしたちはいかに”I”から”We”へと共鳴を広げ、社会に蔓延する分断を阻止できるのだろうか。豊田氏は、アバターのようなデジタルエージェントの登場により人間の関係性がより多様になっていく可能性を示唆しながらも、同時に身体性や物質性が改めて重要になっていると述べる。
「身体性や物質性の価値が、いまとは異なるかたちで見直されていくのかもしれません。この場合なら直接会ったほうがいいけれどまたべつの場合はXRを使ったほうがいい、というように、選択肢をうまく選べる編集性をぼくらのなかに育てていかなければいけないでしょう」
ただし、豊田氏の語るような使い分けを「効率性」を向上させるためだけに発動してはならない。水口氏は「単に効率を上げるだけではいまの体験と変わらない。ポスト・コンビニエントと呼べるような、効率の先にある豊かさをつくり出す必要があるでしょうね」と語る。江村は水口氏の発言を受け「前回の会議でも議論されたように、効率化とは異なるかたちで価値をつくっていけるかどうかが問われています」とうなずいた。
さらに、水口氏は「人間はつねに効率だけではない何かを求めているはず」と指摘する。多くの人が映画や文学を楽しむのも物語を自分に取り込もうとするからであり、絶えず刺激を求めるからこそ音楽を聴きつづける。わたしたちは、単なる「情報」や「効率」だけでは幸せになれないのだ。だからこそ、香りや運動のように複数の感覚にまたがる身体的な体験こそ記憶に深く残るのかもしれない。
「未来の都市では身体的な要素や感情、体験さえもメッセージのようにやりとりできるかもしれないけれど、そこでつくられる社会が閉じたものになってしまうのはまずい。共感だけでなく共鳴を生めるように、新たな関係性を広げていける都市がつくられなければいけないはずです」。そう松島氏が述べるように、効率の問題は都市の設計とも深くかかわっている。松島氏の発言を聞いた豊田氏は「たしかに現代は道具立ても閉じてしまっていますね」と応答する。
「本来デジタルテクノロジーがあれば図面では描けない抽象的なものも扱えるはずですが、いまは扱える道具が限られてしまっている。道具が限られたら正解も自ずと決まってしまうし、評価の仕組みも固定される。それは閉塞感につながります。都市を設計するうえでも、従来の道具立ての外側へ行くことが求められるはずです」
共体験から信頼が生まれる可能性
新たなテクノロジーは新たな都市を可能にするかもしれないが、そう簡単にテクノロジーを都市に実装できないのも事実だろう。海外ではグーグルやアリババのように都市と連携し実証実験を進めるテックジャイアントもいるが、市民の反発を受けてしまうことも少なくない。ここで豊田氏は、「2025年日本国際博覧会」(以降、2025大阪・関西万博)が大きなチャンスとなる可能性を指摘する。
「2025大阪・関西万博は、半年間だけの仮想都市をつくってさまざまな社会実験を行なえるチャンスでしょう。終われば壊すから社会的なリスクもないし、住民の反対も生まれにくい。データとノウハウは蓄積されるので、その価値は非常に大きいはずです」
だからこそ、「これまでとはまったく異なる構造をつくらないといけない」と豊田氏は続ける。水口氏も豊田氏に賛同し「2025大阪・関西万博は扱うものもタンジブルなものだけではなくなるでしょうし、会場を訪れた場合はタンジブルとインタンジブルが組み合わさった豊かな体験が味わえるといいですよね」と語る。
「2025大阪・関西万博のようなかたちで社会実験を行なうと同時に、都市そのものが変わっていくために新たな体験をもたらすテクノロジーに対していかに市民からの信頼を形成できるか考えていかなければいけないでしょう」と、「信頼」の重要性を指摘するのは松島氏だ。江村は、松島氏の発言を受け「信頼は都市の大きさとも連関している気がします。信頼に基づいたコモンズのようなものをどう取り戻していくか考えねばいけませんね」と述べる。
信頼とは、一方向的に形成できるものではない。だからこそ、テックジャイアンとではなくコモングラウンドのようにみんなでつくり上げていくプラットフォームの重要性が高まっていくのだ。くわえて、豊田氏は「共鳴」という言葉の双方向性にも注目する。
「共感だけだと、どんなに高次元の情報でも一方的な印象を受ける。でも共鳴は同時に影響を与えあうようなところがあって、これから5Gを超えていけばどんな情報も瞬時に共鳴して”共体験”が可能になるかもしれない」
豊田氏はそう語り、今後さらに広い領域に活動を展開していくためには「謙虚さ」が求められるかもしれないと語って議論を締めくくった。「謙虚になることでかえって、理解できない領域や探索できる道具立てがまだまだたくさんあることを認識できる。いまは余地のない雰囲気が社会に蔓延していますが、本来の余地に目を向けるための謙虚さがあれば社会はより動いていくと思います」
第2回を迎えた有識者会議は、ときに第1回の議論を引きながらも「コモングラウンド」や「マルチモーダル」、「ポスト・コンビニエント」「共体験」といくつもの重要なキーワードへとたどり着いた。4人の議論は2050年の「体験」がもつ新たな可能性を示唆すると同時に、いままさに訪れつつある体験の時代に合わせて表現やビジネス、関係性をアップデートしていくことが「意志共鳴型社会」の実現にもつながることを明らかにしてもいただろう。
次回の有識者会議では、「VALUE&TRUST〜ミラーワールドにおける”価値”と”信頼”とは?〜」と題し、今回の会議でも取りあげられた「信頼」を中心に議論を行なっていく。回を重ねるごとにその射程を広げるこの会議は、いったいどこにたどり着くのか。NEC未来創造会議そのものが、共鳴を引き起こす運動体となりはじめているのかもしれない。