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既成概念を打ち壊す、新たなAIの活用法。
社会インフラへの応用はもちろん、AI技術者不足にも対応

 未来に起こりうる事象やその規模などを予測する──。機械学習などのテクノロジーが発達した今日、そうした予測は比較的容易く思えるが、実はこれが難しい。

 なぜなら、滅多に発生することのない出来事を予測・発見するには時間がかかるからだ。というのも、コンピュータ・シミュレーションを用いた予測は、対象となる事柄に働いている法則を、より多くのデータから学習して推定・抽出することで、確度が高くなる。つまり、滅多に発生することのない出来事「希少事象」では、シミュレーションのベースとなる過去のデータが不十分なため、その事象が起こるための条件、発生確率、起こったときの規模などを予測することが難しいのである。

 しかし今回、通常手法ではデータが極めて取りにくい希少事象の発生を、効率的に予測する技術が開発された。そこには、どのような既成概念を打ち壊すブレークスルーが隠されているのだろうか。その画期的な開発の一端を担うNECデータサイエンス研究所の木佐森 慶一に、開発までの道程と今後の応用の可能性を聞いた。

存在しない、新たな「AI」技術の活用法を着想

 希少事象は「突発的(非連続的)に発生する」「発生の結果から発生する条件などを逆算できない」などの特徴があるため、従来のシミュレーションによって予測する場合は「入力する条件の変数が膨大になり、探索に時間がかかる」「発生を見落とすリスクがある」などの課題があった。

 NECと国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)が2016年に設立したのがNEC-産総研・人工知能連携研究室だ。この研究室ではこれらの課題をクリアするために、従来はシミュレーションには使われることのなかった、統計物理学分野の数値計算手法を導入。数値シミュレーションと機械学習を融合させることで「シミュレーションをシステム内で自動的に繰り返して、学習しながら擬似データを生成することで少ないデータを補う」というAIシステムをつくった。

 同研究に携わる木佐森は、この組み合わせに取り組んだこと自体がまさに稀有なことだと次のように説明する。
「専門家がシミュレーションを繰り返す従来の手法とは異なり、シミュレーション内でインプットとアウトプットを”ぐるぐる回す”ようにして機械学習することで、システムが自動的に”次の一手”を探しながら希少事象周辺へと近づいていきます。この全体の仕組みがAIシステムと言えるでしょう。従来の機械学習は既存のデータなどから法則を抽出するものであり、今回の技術はその一歩先にある新しいフレームワークです。これまでは存在しなかった発想であり、それをシミュレーションのシステムに実装することが最も難しい点でした」(木佐森)。

熟練専門家が1週間かかる作業をわずか1日に短縮

 希少事象発見技術は、実際に光学機器設計時の「迷光(ゴースト)」発見のためのシミュレーションで効果が確認された。

 迷光は、光学機器に対して想定外の角度から光が入射することにより、ノイズが生じて機器の性能を低下させる現象。新製品の設計時などは過去のデータがないため、通常は迷光の発生を予防するために、設計段階で熟練の専門家が技能と経験を頼りに、想定される膨大な条件の中から”次の一手”を探りつつシミュレーションを繰り返す。作業完了までには、約1週間という時間が必要だった。

 新しく開発された探索技術を使った検証では、同技術と市販の光学シミュレーターを連携させ、汎用PC上でシミュレーションを実行した。

 入射光の位置・角度の条件からすべての光のルートを探索すると、数億通りもの条件が想定される。これを同技術によって「発生条件の絞り込みと発生可能性の高い領域の集中探索」「発生可能性の高い領域以外での合理的な探索」を行うことで、探索範囲を数千通りにまで絞り込む「10万倍の効率化」を達成。約1日の自動検証によって、1億分の1程度の確率で現れる迷光の発生条件を二つ発見することができた。

 特筆すべきは、今回のシステムが自動化されたもので、探索作業時に、対象となる機器設計シミュレーションの専門家がいなくても作業が可能であることだ。
「今回の成果は『効率的な不具合の発見技術』という側面だけでなく、AI関連の技術者不足を見据えた『誰もが使えるプラットフォームづくり』という意義も大きい。さらに、マイナスの現象だけではなく、”優れた希少事象”も同様に探ることができるので、製造分野で応用すれば、ごくまれにしか出現しない優れた現象を探し出すこともできる。そのデータを製品設計に活用すれば、これまでにない有益な機能を持つ、画期的な商品開発につながる可能性があります」(木佐森)

NEC
データサイエンス研究所
主任
木佐森 慶一

日本の未来を変える、実用化の可能性
希少事象の発生確率を見積もり、リスクをある程度許容すべきケースを判別

 もちろん、今回の成果は他分野にも応用が可能だ。その可能性が今後の日本の未来を大きく変えていくはずだ。例えば橋や建物等の構造設計、エンジンやファン等の流体構造設計、計算機や通信機器等の電気回路設計での応用が期待される。

 構造設計の分野では、十分な強度が確保された橋や建物でも、大きさや長さ、材質によっては特定の周波数や波長を持つ風や地震の振動によってごくまれに「共振」という現象が起こり、破壊に至るケースがある。希少事象発見技術を使って設計時に対象建造物の共振発生リスクを検証することで、設計の修正や事前の対応策が可能になる。

 また流体構造設計分野では、ファンの形状や流体の流れ方によって発生する渦を予測することで燃焼効率の低下などを予防。電気回路設計分野では、複数の信号のタイミング変動による誤信号の発生を検証することで、誤作動が起きない回路設計が可能になる。

 このような製造物設計分野での活用を考えた場合、同技術は優れた実用性を兼ね備えているという。
「希少事象がどの条件で起こるかだけでなく、その発生確率を見積ることができるのも大きな長所。発生確率と製品の特性、不具合の深刻さなどを秤(はかり)にかけることで、時間・コストをかけてでも対処すべきケースなのか、リスクをある程度許容できるケースなのかを判断することができます。ほかにも『人間の行動』という要素もシミュレーションに取り込むことによって、物流や交通のネットワークにおける製品の流通停滞や車の渋滞等の予測・回避にも役立てられると考えています」(木佐森)

社会インフラを変える、「デジタル・ツイン」の発想とは?

 NECは将来的に「デジタル・ツイン」、つまり現実世界をデジタルの世界に置き変え、現実世界と”双子”の関係となるサイバー空間をつくり出し、そこで一連のAI技術を活用することで、生産・物流、スマートシティ化などの多様な分野で、設計や運用を最適化するという未来像を描いているという。

 木佐森は「デジタル・ツインのサイバー空間が存在するのは、具体的にはAIを活用した高度なシミュレーションシステム内となります。今の技術をさらに拡大・深化させて、できるだけ現実世界に近い緻密なサイバー空間をつくり、そこで現実社会では行えないような試行錯誤を繰り返すことでさまざまな最適化を図る。そしてそのサイバー空間での成果を現実社会にフィードバックすることで、よりよい社会の実現に貢献していく、という考え方です」と語った。

 今後、同技術を発展させ広く応用することで、商品製造過程における不良品の発生回避や社会インフラに関連する不具合の防止などさまざまな分野で、これまでにない高い効率でリスク回避を図ることができるはずだ。