2019年12月26日
「C&Cユーザーフォーラム&iEXPO2019」レポート
豊かな社会をつくることは、多様な想像力を羽ばたかせること
~NEC未来創造会議講演レポート(後編)
去る11月7〜8日に東京国際フォーラムで開かれた「C&Cユーザーフォーラム&iEXPO2019」。先進テクノロジーやソリューションの展示、講演が数多く行われるなか、2017年度にNECが開始したプロジェクト「NEC未来創造会議」の今年の有識者会議を総括する講演も行われた。
シンギュラリティ以後の2050年を見据え、目指すべき未来像を構想するために始まったこのプロジェクトは、毎年さまざまな領域から国内外の有識者を招聘し議論を繰り広げてきた。全4回にわたって行われた今年度の有識者会議では、「RELATIONSHIP」「EXPERIENCE」「VALUE&TRUST」 「LEARNING/UNLEARNING」という4つのテーマを設けて議論を深化。今年度からは議論と並行して行政機関や企業など多くのステークホルダーと共創プロジェクトも実践してきた。
講演では、今年実施された4回の有識者会議に参加したゲストから3名が改めて登壇。さらに「スペキュラティブ・デザイン」の提唱者であるアンソニー・ダン氏を招き、単なる会議の“まとめ”にとどまらない、「NEC未来創造会議」の豊かな可能性を感じさせるものとなったのであった。
未来という名の絵
「このプロジェクトは、一枚のキャンバスに大きな絵を描いていくことだと考えています。それは未来の可能性を一枚の絵に収めていくことです」
NEC未来創造会議の特別講演は、同会議を支えるNEC未来創造プロジェクトメンバー・石垣亜純の挨拶から始まった。2017年度から始まったNEC未来創造会議の実践を、石垣は絵画の制作になぞらえていく。
「有識者のみなさまと描くべき未来を考え、NEC未来創造プロジェクトメンバーが下絵を描く。そしてさまざまなステークホルダーの方々と共創活動を通じて下絵に色をつけていく。こうしたいくつもの作業を繰り返していくことで、わたしたちは未来を描けると信じています」
そう石垣が語るとおり、今年度のNEC未来創造会議は単なる未来の構想を超え、社会実装へと踏み出した。有識者と議論を交わすのみならず、東京女子学園や宮崎県小林市シムシティ課など多くの人々と共創ワークショップを実施。各所からフィードバックを得ながら、その未来像をさらにたしかなものにしていく。
では、3年間かけて同プロジェクトが描いた未来とはいったいどんなものなのか。石垣からバトンタッチするようにして壇上へ上がったNECフェロー・江村克己は、次のように語る。
「わたしたちは“意志共鳴型社会”を目指していきたいと思っています。技術が進歩した結果、かえってわたしたちは数値的な指標に囚われ、人と人とのつながりを失っている。だからこそ“共鳴”によってコミュニケーションを回復し、人間のみならずほかの生きものやAIも含めた生態系を再構築しながら豊かな生について考えなおす必要があるのです」
「意志共鳴型社会」を目指すNECが現在構想しているのが、インターネットが情報を共有するように“体験”をも共有可能にする「エクスペリエンスネット」と名付けられたネットワークだ。江村によれば、このネットワークが実現すれば新たな体験のあり方が提示されるという。
「2025年にはロボットアバターやVRアバターで空間を超えた体験が可能になり、さらに2050年にはエクスペリエンスネットを通じて、時間や空間を多層化した共体験が可能になるでしょう。情報だけではなく、お互いの体験でも繋がりあえる社会を目指したいと考えています」。江村は今年度の有識者会議を振り返りながら、“情報社会”から“体験社会”への移行を示唆した。
かくしてNEC未来創造会議は、テクノロジーによってすべてを効率化・最適化するのではなく、ネットワークで体験を共有することで個々人の多様性を包摂していく社会を構想した。この考えは、「テクノロジーを人の能力を最大限に引き出すために活用する」というNECの強い意志の表れでもある。しかし、そんな社会を実現するためにクリアしなければいけないことは無数にあるだろう。だからこそ同プロジェクトはさらに思索を深めつづけなければならない。江村は「未来の社会へ向かっていく道筋をどう描いていくべきか今日は議論したいのです」と語り、ステージにゲストを呼び込んだ。
「苦しみ」を知るコモングラウンド
つづいて始まったトークセッションは、今年度開かれた計4回の有識者会議を総括するものであると同時に、同プロジェクトの可能性を新たに開いていくものとなった。ゲストとして参加したのは情報学者のドミニク・チェン氏、建築家の豊田啓介氏、アーティストのスプツニ子!氏ら、今年度の有識者会議に登場したメンバー。さらに今回は特別にスペキュラティブ・デザインの提唱者であるアンソニー・ダン氏も参加した。そしてこれまでの会議と同様、NECからは江村が参加し、『WIRED』日本版編集長の松島倫明氏がモデレーターを務めた。
講演はまず、これまでの会議を振り返ることから始まった。4回の会議すべてに参加した松島氏は、情報だけでなく体験も共有可能なネットワークが基盤となる社会へわたしたちはどう向かっていくべきなのか、今年度の会議は議論しつづけてきたのではないかと語る。ダン氏は松島氏の総括を受け、「4回の会議を通じて多くの価値観が提唱されたことが、未来の社会へ向かういい出発点になりそうですね」と応答する。
NEC未来創造会議が描いてきた未来の社会へ向かうためには、「ミラーワールド」や「コモングラウンド」といったようなリアルとバーチャルの情報が重なり合う空間は必ず実現されねばならないだろう。とはいえ、そう簡単に実現できるものではないのも事実。コモングラウンドの提唱者である豊田氏は、その実現のためにはより“高次元”で世界を捉えねばならないと語る。
「未来の都市や建築を考えるときは、3次元のものをつくるという常識をリセットしなければいけません。これからは時間や因果関係のような高次元のデザインが求められているので、未来都市をビジュアルや模型に落とし込もうとするとかえってその本質が見えなくなってしまう」
豊田氏の発言を受け、ドミニク氏はウェルビーイングの観点からコモングラウンドの可能性を考察してみせる。同氏がキーワードとして挙げたのは、「苦しみ」だ。
「ぼくたちは、人の苦しみをコモングラウンド化できていないわけですよね」とドミニク氏はつづける。「たとえばブータンがGNH(Gross National Happiness、国民総幸福量)といって幸福を測ろうとしたように、GNP(Gross National Pain、国民総苦痛量)として苦痛を捉えるのもいいかもしれません。単に貧困層の割合をデータ化するだけじゃなくて、さまざまな面から人々の苦しみを受領するプロトコルをつくる必要があるなと。VRなどを使うのも有効ですが、他者の苦しみを共有できなければミラーワールドやコモングラウンドは貧しいものになってしまうかもしれないですから」
偏りのある社会システム
さらにドミニク氏はじつは多くのシングルマザーが相対的貧困に陥っていることを指摘し、テクノロジーやデジタライゼーションによってデータは見えやすくなった一方で、依然として他者と共有されにくい苦しみを抱えている人々は少なくないと語る。そうした人々の“声”をすくい上げるために、スプツニ子!氏はアーティストとして作品を発表してきたともいえる。同氏は単に弱者の苦しみが問題なのではなく、社会のシステムのつくられ方そのものに問題があるのだと指摘した。
「相対的貧困に陥るシングルマザーが多いのは、従来の経済や法の仕組みが男性中心につくられてきたからでしょう。妊娠や出産にまつわる問題の多くはすでにテクノロジーで解決可能なのに、法制度が追いついておらず女性が疎外されていたりもする。政治やテクノロジーが限られた視点でしか運用されてこなかったことには注意すべきです」
VRやAIといったテクノロジーを社会実装する際にルールメイキングのあり方を見直すことの重要性は、スプツニ子!氏が参加した有識者会議でも議論された。従来のルールを自由に破るスペキュラティブ・デザインの観点から、ダン氏はこうした問題をどう見ているのだろうか。
「スペキュラティブ・デザインは新しいルールをつくるのではなく、新たな世界の可能性をみんなに提示して共感を呼ぶんです」とダン氏は語る。同氏によれば、そのプロセスはいわば新しい「対話」なのだという。ただ一方的に理想的な世界を定義づけるのではなく、いくつものオルタナティブを提示することでコミュニケーションを生んでいくこと。それこそが新たな世界へとつながっていくのかもしれない。
ルールメイキングをめぐる議論を受け、江村も「パラレルワールドを考えなければいけないでしょう」とオルタナティブの重要性に賛同する。「わたしたちは自分たちの社会をひとつの視点で見ることに慣れすぎている。体験を共有できるネットワークをうまく活用するためにも、いまとは異なる世界の存在をつねに意識していかねばならないでしょう」
既存の認識から離れるべきなのは、世界や社会の見方だけではない。松島氏は、過去の会議でゲームクリエイターの水口哲也氏が挙げた「マルチモーダル」の概念や障害を研究する伊藤亜紗氏の発言を振り返り「実際は感覚も多様だし自分のなかにも他者性があることに気づける仕組みがつくれるといいですよね」と語る。仮にミラーワールドや体験共有のプラットフォームが実現したとしても、わたしたちの側がまず変わらなければうまく機能しないのかもしれない。
失われた「evocation」
体験のネットワークが抱える困難を考えていくうえで、ドミニク氏は「evocation」という概念の重要性を提唱した。霊的なものを降ろすことやイメージを喚起することを意味するこの言葉が、これからのテクノロジーに必要なはずだと同氏は語る。
「ぼくが親しんでいる能楽や、ウィリアム・バトラー・イェイツ、サミュエル・ベケットといった劇作家たちは見えないものを想像するevocationに昔から取り組んできました。いわばぼくたちは1,000年以上前から想像力のトレーニングをしているはずなんですよね。ただ、テクノロジーによる最適化や予測はむしろ人々の想像力を奪ってしまう。だからこそ他者への想像力を豊かにするevocativeなテクノロジーが求められている気がします」
SNSなど新たなツールによってコミュニケーションは効率化したが、これまで人類が育んできたevocationの力が失われているのが現代の世界だといえる。世界に想像力を取り戻すことは、安直な効率化を拒んでいくことでもあるのかもしれない。
だからこそ、コモングラウンドのようなデジタルプラットフォームを考えるうえでは、単なる情報だけでなく雰囲気や文脈のように体験や物体にまとわりついたものをも取り込んでいかねばならない。他方で豊田氏は「とはいえ結局ぼくらが認識できるのは3次元までですよね」と語り、その事実を謙虚に認識することでかえって自由に情報や体験をとらえられるはずだと続ける。「だからこそ、何をどう認識して情報を取り入れていくのか、どう価値づけていくのか、編集が重要になってくるのではないでしょうか」
ドミニク氏や豊田氏の発言を聞いたダン氏は「本来は本を読むだけでほかの世界へ想像力を羽ばたかせられるのに、現代社会はそれを不可能にしている。情報の消費速度が速まりポピュリズムが蔓延した世界では、得られる情報が限られてしまいますから」と応答した。同時にダン氏は、大学で教鞭をとるなかで若者が自由に想像力を使うことに不安を感じていることに気づいたと語る。体験のようにより高度な情報を共有できるネットワークが実現される時代こそ、人々の自由な想像力がなければ世界はより一層貧しいものになってしまうのだ。
オルタナティブを想像すること
ダン氏を交えて行われたNEC未来創造会議の講演は、アートや建築、身体、能楽などさまざまなトピックに触れながら、一貫してオルタナティブ、つまり現実に疑問を投げかけ、主流とは違う“別のあり方”を想像する重要性について語ってきた。そこで重要になるのは、意外にも最先端のテクノロジーではないはずだとドミニク氏は語った。
「他者の苦しみを想像するためにはゼロから新たな仕組みを発明する必要なんてなくて、文学のように過去から人類が蓄積してきたものに触れればいい。歴史の積み重なりを意識することで、単に他者との差異から生じる多様性だけでなく、個人のなかや時間軸の多様性など、さまざまな可能性を想像できたらいいなと思います」
ドミニク氏の発言を受け、スプツニ子!氏は自身が小説だけでなくアートによってその想像力を育んできたと語り、一方でそれらが今後も変わらず存続しうるのか不安を覚えていることを明かす。
「SNSによってジャーナリズムが崩壊しかかっているように、アートや文学のような領域も壊れてしまうかもしれないと思っていて。ただ、だからといってみんなに複雑な文脈を勉強して理解しろと迫っていいとも思えないんです」
人は、自身のもつ価値軸から離れたものを簡単には理解できない。理解を迫ることがある種の暴力性をはらむこともあるだろう。一方で、豊田氏は「個人のなかの価値体系はあくまでも狭いもので、その外側に自分の評価できないものが組み込まれた未知の価値体系があるんですよね。そのことを意識する謙虚な姿勢はもっておくべきだと思います」と語り、“外側”を怖がらずに楽しむ社会をつくれたらと続けた。
最後に江村は今回の講演だけでなく今年度の会議を振り返り、「これまでの議論を受けてさらに深めることは容易ではない」としながらも、NECが目指す「人が豊かに生きる社会」をつくるには引き続き議論をつづけていくことがテクノロジーの活用には重要だと語った。
「NECはテクノロジーの会社と自認してきましたが、単にそれだけを発展させていても仕方がない。社会が悪い方向に進まないように、ルールづくりも含め“それ以外”の部分をどんどん考えていくことこそが、これからのテクノロジーにとっては必要不可欠になるはずです」
確たる意志をもたず効率化や最適化のためにテクノロジーを進歩させても、豊かな社会は実現しえない。むしろ人間から想像力が奪われてしまう可能性さえあるだろう。だからこそ、2050年の未来を見据えて数年間議論を重ねてきたNEC未来創造会議は、体験を共有できる新たなネットワークが基盤となるこれからの社会像を提示したうえでよりよいテクノロジーのあり方を考えようとしている。
人が豊かに生きる社会。それは、人が自由に発想し、いま生きている現実とは異なる世界をいくつも想像できる社会なのかもしれない。今回特別ゲストとして参加したダン氏の提唱するスペキュラティブ・デザインとは、まさにそんな社会を実現する手法のひとつでもあるだろう。失われた想像力を取り戻し、あらゆる意味の多様性を知るために。そして、テクノロジーと人の能力を最大限に活用していくために。NEC未来創造会議は、いくつものオルタナティブな未来をシミュレーションし、その未来の可能性を問いつづけていく。