「突き詰める力」を解き放て。
──AIが広げる個の可能性、日本から生まれる新しい価値
急速にAIが日常に浸透する中、人々の幸せやウェルビーイングはどう変わるのか。NECでは生活者を対象に調査・分析を実施しました。
日本全国に住む15歳から74歳の男女2,057名を対象に、日常におけるAIの利用実態や、AIによる幸福感の変化、AIエージェントへの期待と不安、これからの人とAIの関わり方などについてアンケートを行い、「AIとウェルビーイングに関する生活者調査」として2026年9月15日に公開しました。
本連載ではその調査結果を踏まえて、AIと共に生きるこれからの社会で、人がより自分らしく豊かに過ごしていくためのヒントを、5人の有識者へのインタビューを通じて探ります。
今回の調査では、AIが暮らしに深く入り込む一方で、その答えを鵜呑みにせず、確認しながら、あるいは対話しながら使う人が大半を占めることがわかりました。人にとって本当に"機能する"AIとは、どんな姿なのか。工学からデザイン、経営へと領域を越え、つねに「機能するものづくり」を追い求めてきた田川欣哉氏に、AIの現在地とその先の可能性について伺いました。
■調査概要
対象地域:日本全国
調査時期:2026年6月
対象・調査方法:15歳~74歳の男女(一般生活者) 2,057名に対し、インターネットによる調査を実施
調査主体:日本電気株式会社
■調査結果:AIとウェルビーイングに関する生活者調査 AI & Well-being Consumer Survey 2026
SPEAKER 話し手

田川 欣哉 氏
デザインエンジニア、プロジェクトディレクター
Takram代表
デザインを駆使したイノベーションやブランディングをプロジェクトとして数多く手がける。グッドデザイン金賞、 iF Design Award、ニューヨーク近代美術館パーマネントコレクション、未踏ソフトウェア創造事業スーパークリエーター認定など受賞多数。東京大学工学部卒業。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修士課程修了。2015年から2018年まで英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートにて客員教授を務め、2018年に同校から名誉フェローを授与された。経済産業省産業構造審議会 知的財産分科会委員、日本デザイン振興会理事、ポケモン・ウィズ・ユー財団理事、東京大学総長室アドバイザーなどを歴任。2025年より東京大学特任教授、2026年より株式会社クリーチャーズ社外取締役。
1.私たちは、AIを“何か”にたとえて理解しようとしている
─「機能するものづくり」を追い求め、エンジニアからデザイン・経営に
──まずは、田川さんのご経歴と専門分野についてお伺いできますか。
私はもともとデザインではなく、エンジニアリングを学んでいました。中でも機械工学を専攻し、エンジンや軸受けといった機械の中核を担う技術に取り組んでいました。その後、イギリスのアートスクールで、エンジニアリングとデザインが重なり合う領域を学びました。そして帰国後にTakramを設立し、現在は約70名の仲間とともに、多様なプロジェクトに携わっています。
私は最初からデザインがやりたかったというより、「機能するもの」をつくりたかったのです。テクノロジーは、そのまま社会に出しても、なかなか使われないことが多いものです。技術は、「ユーザー」の課題を解決したり、生活を豊かにしたりするためにあると思うのです。ところが、エンジニアリングの側には「ユーザー」という概念を扱う方法論があまりありません。その方法論をたまたま豊富に備えていたのが、デザインでした。BtoBであれBtoCであれ、ユーザーがきちんと使える形になったとき、初めて自分たちのものが機能している状態になります。ですから、ユーザー側の理解を掛け合わせなければ、機能するものはつくれない。それが、デザインを始めた理由です。
最近は、経営の方々との仕事も増えました。人材・組織、投資、R&Dをどう整えれば、製品やサービスが市場に届き、正しく機能し、継続的に成長できるのか。このようなテーマは、まさに経営そのものですが、目的はいつも変わっていません。機能するものをつくるために何が必要かを辿ったら、デザインや経営があった、という感覚です。
─AIは第4次産業革命か、それとも新しい「知能革命」か
──田川さんの目から現在の生成AIはどのように映っていますか。
産業革命だな、と思って見ています。第1次が蒸気機関などの動力革命、第2次が電気・電子・通信、第3次がコンピューターやスマートフォン、そして第4次がデータとAIだと思います。コンピューターがなかった時代に、どうやって帳簿をつけていたのかは、もう思い出せないと思います。さらに前の動力革命がなければ、ものを大量につくることも運ぶこともできず、窒素肥料も大量には生産できないため、農業の生産性も低いままだったはずです。これまでの産業革命は、社会にそれほど大きな変化をもたらしてきました。AIにも、きっと同じくらいのインパクトがあると思います。
ただ、 AIと他の産業革命を同列に扱うべきかは、意見が分かれます。人類を人類たらしめてきたのは、道具をつくる力と、物語(ナラティブ)を操って巨大な集団を社会化する力です。この2つを初めて人間以外のものが持ちうると捉えれば、これは第4次ではなく、新しい「知能革命」と捉えたほうがよいのかもしれません。答え合わせができるのは、20年後くらいでしょう。
ひとつだけ言えるのは、イノベーションに関わる人間としては、「AIの可能性はぜひ上振れしてほしい」ということです。気候変動や貧困、戦争、核融合のように、人間の知能のキャパシティでは乗り越えられなかった課題を解決できる状態になれるのか。私は、そちらへ行ってほしいと思っています。世の中には、AIの急成長を恐れている方もいらっしゃいますが、仮に大きなインパクトもなく現状維持の範囲でイノベーションが止まることのほうが、長期的に見れば恐ろしい。私は個人的に、そう思っています。
Takram代表
田川 欣哉氏
─新技術は、いつも「既知のメタファー」を借りて受け入れられる
──調査では、AIの答えをそのまま使う人はごくわずかで、多くが確認・修正したり、対話したりしながら使っていました(図1)。この変化をどう見ますか。
まず、今は過渡期だと思うのです。新しい技術が登場すると、人はそれをそのままでは概念化できないので、過去のスタイルを引用して、なんとか理解しようとします。私には、普及初期のテレビが家具調のキャビネットに収められていたり、自動車が「馬なし馬車」と呼ばれていたことも、正体のつかみにくい新技術を、既知のものに寄せて受け入れようとした例に見えます。
今のAIに対する「同僚」や「エージェント」という呼び方も、すべて擬人化した表現です。LLMは同僚でも何でもなく、超巨大な知能的処理をするものにすぎませんが、「同僚」と言わないと理解できない。「エージェント」と擬人化することで、正体のつかめないLLMと、なんとか付き合えているわけです。
では、その付き合い方は、これからどう変わっていくのか。 AIと人間の関わりには in the loop、on the loop、off the loop※ がありますが、今は in the loop か on the loop でないと不安です(in the loop:人が一つひとつ確認する段階、on the loop:人が監視・必要時のみ介入する段階、off the loop:人が判断に関与せずAIに委ねる段階)。モデルが改善されるたびに挙動が変わるので、正体がつかめず、つい確認したくなる。エージェントや同僚には報告・相談してほしいと感じるのと同じ感覚を、私たちはAIにも求めているのです。もしこの調査を毎年続けて、「off the loop でも不安にならない」という人の比率をとっていけば、AIが社会に受け入れられていく動きが、数字として見えてくるのではないでしょうか。
わかりやすい例が、証券口座です。今、自分の証券口座のIDとパスワードをAIに渡して「あとは勝手に売り買いしておいて」と言えるかというと、多くの人は怖くてできません。でも、これも時間の問題だと思います。ネットバンキングも、最初はみんな不安がっていました。それが、ある日ふと、まったく気にならなくなる瞬間が来る。in the loop で自分が握っていないと不安だったものが、on the loop になり、やがて off the loop でも平気になる。その移行こそが、社会がAIを受け入れていくプロセスそのものなのです。
50年前の家具調のテレビも、黒い箱のような新しい機械を暮らしの中に受け入れるための過渡的な姿でした。AIも何十年か経てば、家の中にあって当たり前の存在になるはずです。少し長い時間軸で捉えたほうがいいと思っています。
2.AIに対する不安の正体と企業が語るべきメッセージ
─人が求める「自律感」は、これからも大きくは変わらない
──調査結果を見ると、AIにすべてを委ねたいという人は少なく、最終判断を自分に残したい人が多いようです(図2)。この傾向をどう捉えますか。
個人的には、人が求める自律の感覚は、今とあまり変わらないと思います。「全部コントロールしろ、全部判断しろ」と言われれば、私たちはオーバーフローしてしまいます。逆に、何も決めさせてもらえないと、今度はひどく不安になる。これは、私たちの脳の処理量に紐づいた、生物的なものだからです。ですから、何でもかんでも自分で操作したいわけではなく、「程よくしておいてほしい」ということなのです。
多くが最後の判断を自分に残す"伴走型"を望む(27.6%)。
変わっていくのは、AIによって社会の側が複雑に、そして速くなることです。今の10倍、20倍のタスク量を、一人でさばくようになる。仮に、扱う量が20倍になるとします。そのうち19の部分をAIに任せ、人間は残る1の部分、つまりより高次の判断や、本当に重要なところに集中する。では暇になるかというと、そうではありません。総量そのものが20倍になるので、結局コップは満たされたままなのです。かつて自動改札のなかった時代に切符を切っていた人がいなくなったように、なくなる仕事は確実にあります。それでも人間は、この分量を働きたいと思うし、働ける。扱う量が20倍になる、というのが、実際に起こるということだと思います。
─幸福を求める人はビジョンを、不安と向き合う人は安全性を
──企業に求める発信には、現在の幸福感によって違いが見られるようです。幸福を感じている層では「目的やビジョン」、そうでない層では「安全性や人間らしさ」への期待が相対的に高くなっています(図3)。この違いを、どのように捉えていますか。
これは、AIに限らない一般論だと思います。遠い時間や場所で起こることを頭の中で想像する力が高い人ほど、人生の意味や意義を自分で解釈し、納得する傾向があります。そういう人は、「今ここ」ではない、ナラティブに近い話を聞きたがる。だからビジョンを求めるわけです。一方、遠い未来や抽象的な物語よりも、「今ここ」にある具体的な課題を重視する人は、マズローでいう生存や安全の欲求が前に出やすい。その結果、求めるものの異なる2つの塊が見えてくるのだと思います。
幸福を感じる層ほど「目的・ビジョン」を、そうでない層ほど「安全性・人間らしさ」を求める。
傾向として言えるのは、生存欲求や安全欲求のほうが、マジョリティを取りやすいということです。幸福や意味のストーリーを語るには、メディアも10日ほどかけて取材しなければなりません。一方、事故や事件など安全やリスクに関わる話は、詳しい文脈がなくても、多くの人が自分に関わる問題としてイメージしやすい。生存や安全は、誰にとっても身近なテーマだからです。ですから企業は、ビジョンを語りながら、同時に安全の基盤もきちんと固めて発信する。その両方のメッセージを出し分ける必要があると思います。ビジョンは経営層にはよく響きますが、一般の方は「今ここ」で考える人も、本当にたくさんいますから。
もう一つ、今はまだわからないことが多いからこそ、不安があるのだと思います。不安とは、「自分への影響がどれほど大きいか」と、「何が起こるかわからない度合い」の組み合わせで大きくなります。今は、AIが社会を大きく変える可能性がある一方で、その変化を十分に予測できないため、不安も大きくなっているのです。ただ、何が起こるのかが次第に見通せるようになれば、自分への影響も現実的に捉えられるようになり、不安は少しずつ落ち着いていくはずです。
欧米では、ラッダイト運動※のような動きも起こっていて、実際に職がなくなることは、十分あり得ると思います。仕事が増えるから大丈夫、という話だけでもありませんし、人間の仕事がすべてなくなるわけでもありません。なくなる一方で、新しい仕事も生まれていく。ただ、その変化の局面でダメージを受ける人がいないかというと、おそらくいる。さまざまな変化が同時並行で進み、社会が次の安定点に至るまでには、やはり5年、10年とかかるような気がします。
- ※ 19世紀初頭、産業革命による機械化で仕事を奪われた人たちが機械を破壊し抗議した活動
3.機械が“言葉”を得て、UI(ユーザーインターフェース)の前提は200年ぶりに変革する
─AIによるUIの大変革
──UI/UX(ユーザーエクスペリエンス)の設計そのものは、これからどう変わっていくのでしょうか。
AIは、機械として初めて自然言語を本格的に扱える存在です。私たちがこれまでつくってきた道具は、しゃべることができませんでした。人間同士は言葉でやり取りするのに、棒のような道具に言葉で話しかけたりはしない。つまり、たまたまこれまでの道具には言葉が通じなかったので、私たちは言葉以外のフィジカルなコントロールで最適化を設計してきた。それが、この200年だったのです。ところが言葉でも操れるようになった以上、UIは一度、根本から組み替わります。これは、間違いなくそうなると思います。
ただ、すべてをチャットのようなプロンプトで実行しようとすると、かえって煩雑になります。ECの買い物カゴも、本当は頭の中で、かなり不自然なことをやっています。執事のような人がいれば、「カゴに入れておいて」ではなく「買っておいて」と言うだけで済みますよね。言葉でできることと、非言語のインプットでできることには、それぞれに長所と短所があるのです。
世の中の画面は、だいたい3つの領域を1セットにした構成になっています。チャットのようなもの、パラメーターのセットのようなもの、そして出てくるアウトプット。つまり「言葉」と「道具」と「出力」の3つです。最近のよい例が、ある動画生成ツールです。小窓に線がつながる、ビジュアルコーディングのような画面になっていて、一つ一つにプロンプトを書くことができ、並列処理もできる。20個のシナリオを2次元平面上に並べ、人物設定だけを変えて実行すると、20本の動画が同時に生成される。こうした多次元のパラメーターは、言葉だけでは関係性を十分に構造化できず、うまく指示できません。逆に言葉は、複雑な文脈(コンテクスト)を担保するのが得意です。この2つをミックスしていくことが、2026年らしいデザインの基本形になると思います。
─AIは「処理」として、インターフェースの裏側に組み込まれていく
── 一方で、利用者が意識しないまま、見えないところでAIが組み込まれたサービスを使っている場面も増えています。こうした状況が不安や不信感につながる中、企業は消費者にどう向き合うべきでしょうか。
伝える必要がないことは、必ずしも利用者に説明する必要はないと思います。私たちはスマホを使っていても、基地局の細かい仕様までは知りません。裏でGPUが動いていようがCPUが動いていようが、そこまで知らないと生きていけないとなったら、何もできなくなってしまいます。ですから、インターフェースの手前で動くAIは、必ずしも「AI」として意識されなくなるでしょう。利用者にとって重要なのは、それがAIであることではなく、目的をスムーズに達成できることだからです。
解くべき問題を、ルールベースのプログラムで解くのか、AIのモデルで解くのか。契約書のレビューのように、従来型のプログラムでは条件を書き尽くすことが難しい課題も、AIの先進的なモデルなら、比較的容易に対応できます。一方、基地局の通信量のような定型的な処理は、従来の仕組みで処理するほうが合理的です。それぞれの得意・不得意に応じて、適切な技術が使い分けられていくのだと思います。一番上にマスターコントロール的なメインAIがいて、その時々で最適な処理に切り替えていく。そういう世界になっていくと思います。UIの面でも、役場の手続きのように、これまで細かな項目を一つずつ入力させていたものが、AIと5分ほど会話すれば大半が埋まる。窓口の気の利いた人が、話を聞きながら書類を埋めてくれる。そんなことが、できるようになるはずです。
もう一つ、世代の問題があると思っています。今のUIは、私たちのように「自分で操作したい」「自分で確かめないと落ち着かない」という感覚を前提に設計されています。でも、今年生まれた子が大人になる頃には、そもそも自分でパラメーターを調整したいと思うのかどうか。生まれたときからAIが空気のように当たり前にある世代は、off the loop であること自体を、私たちのようには不安に感じないかもしれません。「自分で判断していないと気持ち悪い」という私たちの感覚こそ、実は過渡期の世代に特有のものだった――そういうことも、十分にあり得ると思います。
─次の主役は、既存の巨人とは限らない
──では、そうした変化を主導するのは、既存の巨大プラットフォーマーなのでしょうか。それとも、まったく別のプレイヤーなのでしょうか。
私はよく想像するのですが、スマホのようなもの、ペン型、マイク、グラス、ウォッチ――それらが巨大なエコシステムとして立ち上がってくる、というイメージです。
ここで注目すべき点が、そうした端末を「誰が」出すのか、です。すでに巨大なスマホのエコシステムを持つ大手プラットフォーマーは、それを自ら壊すような製品を出しにくい。まさにイノベーションのジレンマです。噂のレベルでは、別のAI開発企業が独自のデバイスを準備しているとも言われますし、既存のしがらみがなく、制約を持たずに参入する新興のプレイヤーもいます。過去の資産を持たない側のほうが、こうした非連続な変化では大胆に動ける。ですから、次の主役が、既存の巨人だとは限らない。そこが、この局面の面白さだと思います。
そして、その先に起こるのが、「使う側」の変化だと思います。私はECサイトをそのまま使いたいとは思いません。そのサイトの手前に、私のために動く、自分好みに設定された「カスタムAIエージェント」がいればよい。そういうものがつくれてしまう時代になります。一人ひとりのスマホの中身が、「経済メディアが入っている」「ECアプリが入っている」ではなく、その人がつくったカスタムエージェントがたくさんいる状態になる。体調管理エージェント、スケジュール管理エージェント――便利なら他人に使ってもらってもいい、というものを、手元から公開できるようになるのではないでしょうか。あるAI開発ツールが登場したとき、「アプリのYouTubeモーメントが来た」と言った人がいました。かつてテレビ局しかつくれなかった動画を、一般の人が全世界にブロードキャストできるようになったように、個人がつくったアプリを世界中で1億人が使う――そんなことが起こる。大手プラットフォーマーのマーケットプレイスモデルとは違う、もっと民主化された形を、大手AI企業あたりが構築しにいくのではないか、と思います。
デザインの観点から現在のAIを見てみると、いまAIがどのようなフェーズにあるのかが、少し違った角度から見えてきます。
基本的に、デザインはイノベーションの最初の段階では、十分に力を発揮しにくいものです。初期段階では、科学と技術と資本が競争を牽引していきます。ところが、それをビジネスとして成立させ、収益化しなければならないフェーズに入ると、途端にデザインが求められるようになります。誰に、どのような価値を、どのような形で届けるのかを考える必要が出てくるからです。
AIも、まさに同じ段階に来ているのだと思います。今、有力なAI開発企業にもチーフデザイナーがいますし、各社が「うちはこういうAIです」とブランディングを始めています。これは、AIが技術開発だけの段階を越えてきちんとビジネスをし、収益化していくフェーズに入った証拠でしょう。
ただし、そこで語られるデザインは、第3次産業革命の時代のものとは、かなり違うはずです。私たちがまだ何と呼べばいいのかわからないデザインが、これから数多く生まれてくるのではないでしょうか。デザインが本格的に活躍する次のフェーズは、おそらくそこから始まるのだと思います。
4.日本人の「突き詰める力」を、AIが大きな力に変える
─日本の職人気質が、AI時代の新たな強みになる
──変化がとにかく速い時代に、企業やデザイナーとどう向き合うべきでしょうか。
企業の基本スタンスとして問われるのは、ルールが追いつかないまま実態が先に進んでしまう状態をどうガバナンスするか。そして、誰かが先に学んだことを組織にどう還元し、スケールさせるか、です。いわばラーニングオーガニゼーションですが、日本企業はここが結構不得意です。サイロ化してマイクロマネジメントする文化が強く、「やっていい」と言われないと、誰も動かない。基本的に、言われていないことは禁止、という感覚なのです。ただ、多少の失敗はあっても、取り入れる速度で取り残されるほうが競争力へのダメージははるかに大きい。取り込みの速い国も、海外にはありますから。
面白いのは、日本には標準化や組織化にあまり興味がなく、「放っておいてくれ、自分の世界にこもりたい」という人が比較的多いことです。漫画家が強いのも、大きな組織を動かすより、「ある世界観に浸ってひたすらつくり込みたい」という気質ゆえだと思います。食文化やIPも同じで、個人の世界観が強い領域が、いま輸出産業として大きくなり始めています。そこにAIが加わると、ものをつくる人の能力が、極端に拡張されます。以前なら200人、300人を雇わなければできなかったことが、気の合う2、3人で、大きなサービスにできてしまう。そういう人が日本からたくさん出てきたら、結構面白いことになると思っています。
よく対比で言うのですが、アメリカや中国のプレイヤーは、「それは儲かるのか」「いつスケールするのか」という問いから入ることが多い。ビジネスとしての大きさや速さで発想します。一方で日本は、そこが相対的に弱い代わりに、「儲かるかどうかは別として、これを突き詰めたい」という個の世界観が、ものすごく強い。漫画も食も、そうです。米中の物差しでは測りにくい、この「個の偏執」こそが、AIによって一人あたりの生産性が跳ね上がる時代には、逆に大きな武器になるかもしれません。標準化やスケールが苦手だという弱みが、そのまま強みへと反転する可能性があるのです。
AIは、自分の世界を突き詰める力を、大きな価値へ変える可能性を持っています。これまで個人の中にとどまり、大きな経済モデルには乗せにくかった世界観も、AIによって、少ない人数でサービスや事業として形にできるようになる。日本に根付く職人気質は、AI時代に新しい価値を生み出す、大きな強みになり得るのだと思います。
─競争の前提が変わる── 一人の下に、100人分のAIチームがつく
──その変化は、企業の中では、どのように現れると思われますか。
これまで部署全体を動かさなければできなかったような大きなものづくりを、若手が2人ほどで、とんでもない規模でやってのけてしまう。これは、NECのような大企業の中でも十分に起こり得ると思います。組織構造は、これまで人間の脳の大きさを前提に設計されてきました。大きな問題を中くらいに、さらに小さく切り刻んで、一人ひとりが扱える単位まで整理していく。それを、企業がピラミッド状に統合していく。ところが、一人がさばける量が増えると、そんなに細かく分けなくても解決できてしまう。現場で動いている一人の下に、100人分のAIチームがいるようなイメージです。
怖いのは、人を減らせるという話よりも、競合のアウトプットのスピードとクオリティです。去年まで1対1だった相手が、今年は10倍のスピードでものをつくり始める。自動車産業でも、三交代制で昼夜を問わずAIを活用し、開発速度が3倍違う、といったことが起こり始めています。そうなると、そもそも競争の前提そのものが成立しなくなります。だからこそ、まずはたくさん使ってもらい、ベストプラクティスを水平展開する。一人ひとりに与える権限をもう少し広げ、イノベーションを加速できる文化へと、変化のこの時期にはシフトすべきだと思います。
そこで問われるのが、優秀な人材のリソース配分です。多くの企業では、仕事ができる人材を目の前のオペレーショナルな業務に張り付かせ、短期的な収益を生み出す役割に充ててしまいがちです。しかし、そうした人材を、次の事業の芽を育てる仕事にどう振り向けられるか。そのスタンスを変えられるかどうかに、AI時代の経営哲学が表れます。私がよくリトマス試験紙だと思うのは、「AIの時代に人間に残されるものは何か」という抽象論ばかりを議論している経営層は、かなり危ない、ということです。グローバルの本物のテックリーダーは、もっと具体的で、プラグマティックな話をしています。哲学的な問いしか出てこないのは、たぶん、自分で触っていないからなのです。経営者は忙しいものですが、1日1時間でも自分でAIに触れているかどうかで、判断の質は決定的に変わると思います。
─AI時代に必要な、3つの力と倫理観
──これからの時代を担う人材には、どんな力が必要になるとお考えですか。
教育は、かなり変わると思います。第1次産業革命の前は、「馬力」がすべての前提でした。農耕も物流も、馬のホースパワーを基準に設計されていた。そこに機械が登場して、1万馬力を出せるものが出てきて状況が大きく変わった。今はもう、誰も馬で物を運びません。第1次産業革命でフィジカルワークが桁違いに拡張されたのと同じことが、今度はコグニティブワーク(認知の仕事)に起こる。1ヒューマンパワーだった知能系の仕事が、これから20年ほどで1万倍になるかもしれない。私たちが第1次産業革命を振り返って「よく馬でやっていたね」と感じるのと同じことが、知能系の仕事でも起こるかもしれません。同じように、計算や暗記そのものに経済価値があった時代から、それはAIがやるものになり、人間が頭を使うのは健康や楽しみ、自己実現のため——そういう方向へシフトしていくのだと思います。
専門性の持ち方も変わります。大学で専門を一本に絞るのも、私たちの脳のキャパシティを前提にした設計にすぎません。AIで認知が拡張されれば、その前提が崩れます。ダブルメジャー、トリプルメジャーが当たり前になったり、「7つの言語が話せます」という人が、特別ではなくごく普通になったりする。一人の人間が抱えられる専門性や言語の数が、桁違いに増えていくからです。
そのとき必要になる力は、個人的に3つあると思っています。1つ目は「世界の見方=解釈力」です。同じキャッチボールを見ても、物理学者は放物線や空気抵抗として見ますし、別の人は父と子の家庭環境や、地域コミュニティの背景として、社会学的に見る。私たちはみんな、巨大な象の皮膚の一部だけを触って「世界とはこういうものだ」と思い込んでいます。世界は見る角度によって多様に解釈できる――その感覚を、文理を早く一本化せず、若いうちに開いておくことが大事になります。
2つ目は「内発的なパッション」です。誰に言われなくても「これをつくりたい、これを解決したい」と湧いてくる、自分の中のエネルギー源です。小さな人数で大きなことができる時代には、命令待ちの人がいくら多くても、変革は起きません。3つ目は「PDCAを回す力」です。小さなチームでも大きな仕事を動かせる時代には、仮説を立て、検証し、その結果から改善と学習につなげる仕組みが重要になります。デザイン思考も、その一つの型です。そして、これら3つすべての前提として、倫理観が欠かせないと思っています。
これらの力を備えた人材は、これからの企業の中にも、必ず現れてきます。大切なのは、その芽をどう見つけ、AIによって能力を広げた一人ひとりに、何をどこまで任せられるかです。つまり、技術をどう使うかというより、人に権限を与える仕組み、なのだと思います。そうした人を見つけ、「これをつくりたい」「この問題を解決したい」という内発的な思いを、実行に移すための裁量と機会を与える。失敗が起こる可能性も受け入れ、一人ひとりが挑戦できる余地を広げていく。そうすることで、日本に根付く「突き詰める力」は、AIによって新しいサービスや事業へと結びつき、これまでにない価値を生み出していくはずです。冒頭でお話しした「機能するもの」を、AIの時代にもつくり続けられるかどうか。最後は、結局そこにかかっているのだと思います。
──技術の話から始まり、最後は「人をどう信じるか」、そして一人ひとりの「突き詰める力」をどう新しい価値につなげるかという話に行き着きました。AIの時代だからこそ、人の内発的な思いや挑戦を信じることの大切さを、改めて教えていただいたように思います。本日は、貴重なお話をありがとうございました。
企画・制作・編集:
NEC ブランドエクイティマネジメント室(鈴木章太郎、若山拓巳)、コーポレートブランド&エクスペリエンス統括部(浅井恵美、権田麻実)
この記事のポイント
01|私たちはいまだ、メタファーを介してしかAIを理解できない
新しい技術は、過去の既知のものになぞらえることでしか概念化できない。普及初期のテレビが「家具」に収められ、自動車が「馬なし馬車」と呼ばれたように、正体のつかめないAIも「同僚」や「エージェント」と擬人化することで、ようやく受け入れられている段階にある。
02|生活者が求めるのは、全自動の「自律型」より最終判断を残す「伴走型」
AIにすべてを委ねたい人は使い込む層でもわずかで、多くが最後の判断は自分に残したいと考えている。人が求める自律の感覚は脳の処理量に紐づく生物的なもので、大きくは変わらないという見方が示された。
03|機械が“言葉”を得たことで、UI(ユーザーインターフェース)の前提は200年ぶりに変わる
AIは機械として初めて自然言語を本格的に扱える存在であり、フィジカルな操作に最適化されてきたUIは根本から変わる。ただしすべてを会話で行うと煩雑なため、「言葉」と「道具(画面操作)」を組み合わせることが、これからのデザインの基本形になる。
04|「標準化が苦手で、こだわりが強い」という日本の弱みは、AI時代は強みに変わる
個人の世界観が強い日本の気質は、少人数で大きなものづくりができるAI時代に、大きな武器となり得る。求められるのは技術の使い方以上に、AIで作る力を拡張された一人ひとりを、人としてどう信じ、何を任せるかである。