次世代中国 一歩先の大市場を読む
「ネットか、リアルか」
~動き出した「ニューリテール」のゆくえ
Text:田中 信彦
SUMMARY サマリー
田中 信彦 氏
BHCC(Brighton Human Capital Consulting Co, Ltd. Beijing)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員 1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
地元の市場にもITの波
先日、上海郊外の友人宅に食事に呼ばれた。近くの市場(いちば)に買い出しに行くというので、一緒に行ってみた。中国の都市はどこでもそうだが、住宅地には必ずと言っていいほど地域の食材をまかなうローカルの市場がある。
通常、建物の奥の入り組んだ場所で、住民以外は気づかないようなところにある。内部は小さなブースがたくさんあって、肉や魚、野菜、果物、豆腐、麺類、漬け物、コメなど日常的な食品を売る店が並んでいる。
顧客のほとんどは近所の人で、店主と顔なじみである。だいたい何を買うかもわかっていて、世間話をしながら商品の目方を量り、ビニール袋に入れて、ポンと投げて寄越す。商売がヒマなら顧客とひとしきり雑談に興じる。そういう気の置けない場所である。
ところが、最近この市場にもITの波が押し寄せている。中国では最近、市場や露店でもアリペイ(支付宝)やウィーチャットペイ(微信支付)などのモバイル決済を普通に使うという話は聞いたことがあるかもしれない。この市場でも、すべての店でハカリの横などに電子決済用の二次元バーコードが貼り出されている。
しかしこれはお金の払い方が変わるという話で、店主にとっては日常の商売に大きく影響する問題ではない。現金でもらうか電子マネーでもらうかが違うだけにすぎない。最近、この市場で起きつつある変化は、もっと本質的なものである。それは何かと言えば、このような地元密着の小さな市場にもネット上での商売が浸透し始めてきたことである。
ローカルの市場を倉庫代わりにする
これまでこうした地域の市場は、近くに住み、毎日の食事のために食材を買いに来る人を対象に商売をしてきた。いわば家の冷蔵庫代わりみたいなものである。まさにクローズドな範囲での「人」対「人」のリアルな商売であった。
ところがそこにスマホアプリを活用したネットショッピングが進出してきた。どういうことかというと、この市場の店舗で売っている商品を、個々の店舗に代わってスマホアプリに掲載し、注文を受け付けて、顧客の家まで届けてしまうデリバリーサービスの企業が市場の内部に進駐するようになったのである。
こうしたデリバリーサービスの企業は、場内にブースを一つ借りて拠点を置くか、もしくはすでに市場で商売をしている人を口説いて代理店として契約する。そしてその市場で売られている他の店舗に声をかけて商品をアプリにのせて拡販する。言い換えれば、この市場を倉庫代わりに、そこにある商品をITの力とデリバリー部隊を使って販売代行する──というビジネスである。
地場の食品市場で売られている商品は、ごく普通の肉や魚、野菜、調味料などが大半で、毎日ほとんど変わらない。入荷状況や市況に応じて価格などを調整すれば、大きなメンテナンスは必要がない。しかも日々の暮らしの消費だから、単価は低いが、固定客がつけば安定した売上が見込める。ITの力を活用すれば、このローカルな市場の商品をもっと広い周辺地域の不特定多数の人に売ることができる。
忽然と姿を現した大顧客群
一方、場内の零細店主にしてみれば、自分たちはITのリテラシーもないし、夫婦2人の店で人手もない。自力で商売を広げるのは難しい。それを他の会社がやってくれて、しかも売れた商品の配達もしてくれる。初期投資もほとんど必要がない。これは大きなチャンスである。これまで近くに住む常連たちを相手に淡々と商売をしてきたが、そこに半径数㎞範囲に住む大量の住民という巨大な潜在顧客群が忽然(こつぜん)と姿を現したのである。
もちろん顧客にとっても、毎日市場に行く必要がなくなるので、便利である。例えば会社のオフィスでアプリから注文しておけば、帰宅時には自宅に届く。しかもなじみの店の商品なので安心でもある。この友人も最近は自分では市場に行かず、アプリで注文することが多くなったと言っていた。
近所の常連を相手に従来通り地道な商売を続けるか、それとも時代の流れに乗って商売を変革する方向に行くか。店主たちも小売の世界が激変しつつあることは認識している。しかし外に打って出るとなれば当然、競争は激しくなり、薄利多売の方向に行かざるを得ないだろう。そこにはリスクもある。友人の話では、店主の間でも行き方(生き方?)は分かれているらしい。新参のデリバリー企業に好意的な店主もいれば、「よそ者が勝手なことをして」みたいな気分の人もいるという。
「ネットか、リアルか」という時代の波は、こんな地場の小さな市場にもじわじわと迫っている。