遠回りや失敗の先に、次の発見がある
──人工知能研究の第一人者が語る、イノベーションが生まれる時間の使い方
AIが日々進化し、仕事の中でも当たり前のように使われるようになった今、仕事への意識や幸福感にはどのような変化が生まれているのでしょうか。その実態を明らかにするため、NECでは企業・団体で働く人へアンケート調査を実施しました。対象は、従業員数50名以上、年間売上高10億円以上の企業・団体に所属する22歳から59歳の男女513名です。業務におけるAIの活用状況や、組織としての導入・ルール整備の実態、AI活用による幸福感の変化、AI時代の働きかたなどを調査し、「働く人のAIとウェルビーイングに関する意識調査」として2026年10月20日に公開しました。
本連載ではその調査結果を踏まえて、AIと共に生きるこれからの社会で、人がより自分らしく豊かに働いていくためのヒントを、5人の有識者へのインタビューを通じて探ります。
私たちは今、AIを使っているのでしょうか。それとも、AIに主導権をゆだねつつあるのでしょうか。AIに任せられることが増える一方で、人がAIに依存してしまう懸念も拭えません。しかし、人工知能研究の第一人者である栗原聡氏は、「尖ったイノベーションを起こすことは、今のところ人間にしかできない」と語ります。では、人が創造性を失うことなくAIと共生していくには、何が必要なのでしょうか。AIの可能性と限界、そして人間だからこそ生み出せる新たな価値についてお話を伺いました。
■調査概要
対象地域:日本全国
調査時期:2026年7月
対象・調査方法:513名(22歳~59歳の男女、所属する企業・団体の従業員数が50名以上かつ年間売上高が10億円以上)にインターネットによる調査を実施
調査主体:日本電気株式会社
■調査結果:働く人のAIとウェルビーイングに関する意識調査 AI & Well-being at Work Survey 2026
SPEAKER 話し手

栗原 聡 氏
慶應義塾大学 理工学部教授
人工知能、ネットワーク科学の研究を専門とし、NTT基礎研究所、大阪大学産業科学研究所、電気通信大学大学院情報理工学研究科などを経て、2018年から現職。人工知能学会理事・編集長などを歴任。総務省情報通信法学研究会構成員、人工知能学会第20代会長も務めた。主な著書に『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』『AIの倫理 人間との信頼関係を創れるか』(角川新書)など。
1.AIへの「最初の一言」に、人の主体性が表れる
─AIにはできない、人間の未知への創意工夫
──まずは、栗原さんのご経歴や研究領域についてお伺いしてもよろしいでしょうか。
大学を卒業後、通信事業会社の基礎研究所で15年ほど働きました。その後、関西の大学で10年ほど准教授を務め、現在は慶應義塾大学の理工学部で研究と教育に取り組んでいます。
私自身の研究のスタートは、OS(オペレーティングシステム)の領域でしたが、修士課程に進んだ頃、漠然と「人はなぜ理解し、思考することができるのか」という“認知”への関心が芽生え、そこから分散知能やマルチエージェントという領域を研究し始めました。
これらはAIという分野の一領域ではありますが、当時はまだ研究者として、「AIを研究しています」とは言っていませんでした。2000年代後半から第3次AIブームが起こり、ディープラーニングの実用化によって世の中に「AI」という言葉が浸透したことで、「AIが専門だ」と名乗り始めました。要は現在のAIにつながる研究を長年続けてきたということです。
栗原 聡 氏
──栗原さんは、2020年の新型コロナウイルス感染症の流行時に、内閣官房のAIシミュレーションチームにも参加されていたと伺いました。
コロナ禍では、ワクチンの分配や接種戦略、Go Toキャンペーンなど、国全体を動かす大きな政策判断が続きました。当時、政策検討のため、内閣官房の下に「COVID-19 AI・シミュレーションプロジェクト」が設置されました。私もその一員として、どのような接種戦略でワクチンを打てばいいのか、どうすればウイルスの拡散を抑えられるのかなどを分析し、分科会に報告していました。
当時はインターネットの普及などを背景に大量のデータが蓄積され、機械学習タイプのAIが飛躍的に性能を伸ばしていました。そのため、感染状況の予測にも機械学習の活用が期待されていました。しかし、コロナウイルスは次々に変異するため、過去のデータを学習するだけでは将来の感染状況を十分に予測できません。そこで私たちが活用したのがマルチエージェント社会シミュレーションでした。要は、箱庭のような仮想空間を作り、そこに仮想の人間―今で言うAIエージェントを多数配置します。彼らが接触すれば感染し、ウイルスは広がる。そうやって箱庭の中で、日本で起こりうる感染拡大を疑似的に再現し、ワクチンの提供方法やタイミングによって状況がどう変化するのかを観察するというやり方で予測をしたのです。
この経験を通じて実感したのは、まだ見ぬ未来に向き合うには、過去を学習するだけでは不十分だということです。私たち人間は、頭の中で未来のことを想像できます。いくら考えても未来のことは分からないので、当然失敗もしますが、そこから学んで試行錯誤しながら新しい状況に対応し、進化してきたのです。
一方で、AIは過去のデータには強いものの、未知の状況に対して創意工夫を凝らしながら対応するという点ではまだ弱い部分があります。そこが人間とAIの決定的な違いだと思っています。
─「まだ自分は必要だ」──AIとの伴走がもたらす安心感
─その後2022年にChatGPTが登場し、急速にAIが普及しました。これは社会にどのような影響・変化を与えているとお考えですか。
現在の人とAIの関係性を見る前に、まずはその言葉の成り立ちから紐解いていきましょう。1956年のダートマス会議で、人間のようにふるまう知的システムを「AI / Artificial Intelligence(人工知能)」と名付けましょう、という提案がされました。ただ、この会議では反対意見もあったのです。「人工心臓」や「人工衛星」など“人工”が付くものは、定義がはっきりしていて、仕組みが分かっているからこそ作れるものです。ところが「知能とは何か」と聞けば、おそらく皆バラバラの答えを出すでしょう。「人間のようにものを考えられること」だという人もいれば、「棋士のように何手先までも読める能力だ」という人もいる。そんな曖昧な言葉のまま、「AI / 人工知能」という言葉は独り歩きしてきたのです。
では、その言葉の曖昧さが、私たちにどのような影響をもたらしているのでしょうか。
これまでのExcelやWordといったITツールは、特定の機能を実行するための “道具”でした。一方ChatGPTなどの生成AIは、人間のように自然な言葉で対話し、相槌を打ったり共感を示したりすることもできます。
そのため、人々はAIに対して、人間のような知能を備えているかのようなイメージを抱くようになりました。ところが実際には、生成AIも本質的にはITツールの一種であり、「自分で考える」という意味での自律性はまだ備えていないのです。
こうした人がAIに抱くイメージと現実のAIの能力との間には大きなギャップがあります。私は、そのギャップこそがAIへの過度な期待や依存などさまざまな問題の背景にあるのだと思います。
──今回の調査では、AIとの向き合い方によって、働く人が感じる幸福感に差が見られました。特に、AIを「一緒に考え、対話しながら進める伴走パートナー」として捉えている層ほど、幸福感が高い傾向にあります(図1)。今のお話からすると、AIをパートナーと捉えている人たちは、「AIがどういうものかを正しく認識している層」とも言えそうですが、いかがでしょうか。
どちらかと言えば、「AIを正しく理解しているから伴走しよう」ということではなく、伴走している方が「安心できる」ということなのではないか、と感じました。自分がAIに依存してしまうことを恐れている、という感情かもしれません。
AIに全てを任せるというのは、自分という存在が不要になります。AIに仕事を奪われるかもしれない、というニュースが飛び交う中で、いかにして自分の存在意義を出すかというのは、皆さんどこかで考えていると思います。逆に、AIと伴走するということは、自分の意思でAIを使っているという主体性を保てます。「AIと伴走できている間は、まだ自分は必要だ」と感じ、安心できる。そういった感覚が調査結果に表れているのかもしれません。
─主体性を左右する「最初の指示」と、人間起点のAI活用
── 一方、人間はどこまで主体性を持つべきなのか、という議論もあります。AIができることが増えているのだから、決断の部分だけを人間が担えばいいという考え方もあると思いますが、この点に関してはいかがでしょうか。
どんなに優れていても、現時点のAIは、人間のように内発的な動機に基づいて行動するという仕組みを持ってはいません。あくまで、私たち人間の指示や問いかけに応じて反応する存在です。AIエージェントが進化したことで、AIが自らの意思を持って動いているようにも見えますが、最初の行動は人間が指示しなければ始まらないのです。
例えばAIと壁打ちをする場合も、指示の出し方は大きく二つ考えられます。一つは、自分は何もアイデアを出さず、最初からAIに全てを任せる方法。もう一つは、「自分はこんなアイデアを考えてみたが、どう思う?」と聞くやり方です。
この二つは、似ているようで決定的に違います。全てをAIに任せる場合、返ってきた答えの中からAがいい、Bがいい…と選ぶ。つまり、自分は評価する側に回るわけです。ところが自分のアイデアを先に出せば、AIは自分の考えに対して答えてくれる。AIの答えを受け取る時にも、「最初のアイデアは自分が考えたのだ」という主体的な感覚が残ります。
AIを動かす最初の一言を人間が発するという点は同じでも、そこには「AIに依存した指示」と「自分で考えた上での指示」があるのです。そしてAIと伴走したい人たちは、最初はAIに頼らず、何か自分からアイデアを出さなければダメだ、という意識があるのかもしれません。
2.AIは平均値しか出せない。だからこそ、偶然の気づきを得るために「無駄の享受」が必要
─AIは究極の平均値。「秀才」にはなれても、「天才」にはなれない
──人間が目的や判断の主体であり続けるのか、それとも考えることまでAIにゆだねてしまうのか。その違いが、AIの使い方やアウトプットの質に差につながるということですね。
AIが生み出すアウトプットについては、もう一つ論点があります。これは海外の研究なのですが、AIと対話しながら論文を執筆すると、総じて質は上がるものの、似たり寄ったりの内容や言い回しになってしまうのだそうです。この現象は、LLM(大規模言語モデル)の仕組み上、完全に避けることはできません。膨大なデータから学習した統計モデルであり、文脈に応じて確率の高い語句を選びながら回答を生成するためです。
言い換えれば、AIを使うと「秀才」にはなれるけれど、「天才」にはなれないということです。天才とはひらめきであり、尖った存在です。AIを使えば全体のレベルは上がりますが、その尖りがなくなってしまう。イノベーションとは平均ではないところにあるわけですから、秀才のままでは辿り着けません。
企業活動でも同じです。AIを使えば、誰もが良い製品・サービスを作れるようになりますが、結局はそれも平均値なので、次第に世に出るサービスはどんぐりの背比べになっていきます。そうなると大企業のほうがユーザーを獲得しやすく、安価に提供できるようになるでしょう。結果的に規模の小さい企業は事業を拡大しづらくなり、産業としての多様性が失われる可能性があります。AIにアウトプットを任せるということは、そういった問題をはらんでいることを認識しておく必要があります。
そうは言っても、AIを使わなければ競争に負けてしまうため、企業にとって使わないという選択肢はもはやありません。だからこそ人間が主導権を握り、独自性のある新たなアイデアを生み出す使い方をしなければいけないのです。
─偶発性を呼び込む、「無駄を享受する」時間の重要性
──AIを使いながらも創造性や独自性を出し続けていくため、組織の仕組みやAIとの向き合い方について理想的な考え方はありますか。
前提として企業は、効率化があくまで手段であり、それ自体が新たな価値を生み出すわけではない、ということに気づかなければいけないと思います。重要なのは、効率化によって生まれた時間を何に振り分けるかです。効率化そのものが競争力や新たな価値創出につながるわけではありません。AIの開発や利用には桁違いのお金がかかっているのですから、それに見合う新たな価値や成果を生み出さなければなりません。しかし、実際には、分かりやすく結果が見える効率化ばかりに注力し、新しい価値を生み出す領域にAIを活用できていない企業も多いのではないでしょうか。
そこで私が重要だと思っているのは、効率化によって生まれた時間で「あえて無駄を享受する」という姿勢です。新しい発想を生み出すことは、効率化とは真逆の行為で、試行錯誤や寄り道が欠かせません。失敗することもありますし、成果が出るまで時間もかかります。しかし、その一見無駄にも見える時間こそが、実は重要なのです。というのも多くの場合、新しい発見とは偶然の産物であり、失敗などの想定外の出来事の中からしか見つからないものだからです。
例えば、ノーベル賞を受賞された先生方が「どうしてこの発明ができたのか」と聞かれた時、「たまたま失敗した時に気づいた」「想定とは違う濃度で実験したら見つかった」など、“偶然見つけた”と答えるケースが多いのです。それもそのはずで、人間は五感を通じて入ってくる情報から学習し、その範囲の中で動いています。自分の頭にないものが急に湧いてくる機能は備わっていないのです。
では、なぜ人はこれだけ新しい発見ができるのでしょうか。答えは一つで、外から偶然飛び込んできた情報を受け取り、解釈しているのです。そして、何もせず情報が入ってくるのを待つのではなく、好奇心を持って色々と試し、時に失敗するからこそ、思いがけない情報や気づきに出会える。一方で、既存データの平均値を出す今のAIには、「試行錯誤してやってみる」ということができません。つまり尖った一歩を踏み出せるのは、今のところ人間だけなのです。
新しい発想や価値創出につながる挑戦は、事前に成果を予測することも、精度を測ることもできません。一見すると遠回りで無駄な行動にも見えるでしょう。しかし幸いなことに、私たちの手元にはAIによる効率化で生まれた時間があります。その潤沢な時間を、あえて「無駄」を贅沢に享受することに充ててみる。それが、人間ならではの新しい価値を生み出すことにつながるのだと思います。
3.失敗を許容し、人が自ら「動きたい」と思える社会へ
─「成功したやり方を踏襲する」から、「失敗しながらも新しい種を生み出す」へのシフト
──効率化ばかりでなく新しい価値を生み出すために、企業や組織ができることとは何でしょうか。
どんな仕事にも新しいアイデアは絶対に必要です。大事なのは、そのアイデアを探す過程で生まれる失敗を、企業や社会がちゃんと受け入れられるかどうか、ということです。「無駄を贅沢に使って、新しいことを考える」を実践するなら、まず失敗を許容する環境が前提になります。その上で初めて、失敗を恐れず「やってみよう」というマインドになれるのです。
あとは、こういった取り組みがすぐに結果の出るものではないという理解も欠かせません。最近の日本は、つい目先の結果ばかりを追い求めてしまう傾向があり、教育や研究といった中長期的な投資に価値が置かれていないと感じます。多様なアイデアと、それを生み出せる人材を育むためにも、もっと長い目で物事を見られるようにならないといけませんね。
──中長期的な投資ができないというのは、日本の社会的な構造や、長く続く不況の影響などが大きいのでしょうか。
私は歴史や経済の専門家ではありませんが、日本はこれまで「成功したユースケース」を取り入れることで成長してきた側面があるように思います。その成功経験が、今も私たちの発想のあり方に影響を与えている一因になっているのではないかと考えています。
戦後の高度経済成長期、優秀な経営者と勤勉に働く社員が、モーターと歯車のようにうまくかみ合って、急速に日本は豊かになりました。ではどうやって成長したのかと言うと、欧米諸国で成功したことを持ち込んで、日本なりにアレンジするというやり方です。中には日本発のイノベーションもありましたが、原点となる種は海外から取り入れたものであり、ある程度成功が見えているからこそ迷いなく進んで来られたという側面もあるのだと思います。
ところが日本が成長して、自分たちもリーダーとして前に立たなければならないとなった途端、これまでのやり方が通用しなくなりました。新しい種の作り方が分からないのです。
種を作る時に必要なのは、やはり「失敗」です。アメリカがいい例で、もし失敗しても当事者が真摯に原因を解明すれば、社会がそれを受け入れる。だからこそ人は安心して挑戦でき、数々のイノベーションが生まれてきました。ところが日本では一度の失敗で代表者が責任を負わされ、取り組み自体が止まってしまう傾向が、まだ根強く残っていると感じます。新たな種が生まれにくい環境なのです。
今、日本は一生懸命、国産のファウンデーションモデル(AI基盤モデル)を作ろうとしていますが、初めから成功するとは限りません。問題は、社会がそれをどう応援できるか、失敗を許容できる雰囲気を作るかということです。とはいえ、国や社会の認識をすぐに変えることは簡単ではないので、時間がかかる問題だと思います。
──社会全体を変えるのが難しいとすると、まずはどこから変わっていくべきなのでしょうか。
やはり、大企業から変わっていくしかないと思います。日本は「1%の大企業と99%の中小企業」とよく言われますが、まずその1%から変革していく。企業は経営層を頂点とした組織なので、社長が「やる」と言えば動き出せます。失敗を恐れず新しいことに挑戦する中で、さまざまなアイデアが生まれ、社員が生き生きと働けるようになる。まさに、先ほど申し上げた「無駄な時間を享受する」の実践です。大企業が率先して動き、それを受けて社会全体が変わっていくことに期待したいですね。
─AIの失敗を個人に負わせない、組織的な責任のあり方
──今後、AIエージェントが仕事を進めるようになると、「誰がAIの出した結果に責任を持つのか」が争点になると思います。この問題についてはいかがでしょうか。
少なくとも今のAIは人が使う道具である、という立場は変わりません。ですから、AIを使って何か問題が起きた時には、誰かが責任を負う必要がある。ただしそれは、AIを使った社員でもなければ、社長でもない。会社としてAIを使う以上、皆が均等に背負う、という話になるのではないでしょうか。
そもそも責任を取るというのは、ただ謝罪することではなく、同じ事故を「起こさないようにする」という意味です。だから、皆でAIを改良していかなければいけませんし、AIはまだ不完全で発達途中であるという前提で使わなければならない。その認識を社員一人ひとりや組織、そして社会全体が持っておくことで、責任の所在を誰か一人に押し付けるのではなく、発展的に改良を重ねていく土壌ができていくのではないでしょうか。
─AIに任せるのではなく、人が主体的に動きたいと思える組織づくり
──AIに対して当事者として関わる重要性を感じました。一方で、AIがどんどん便利になるにつれて、私たちは丸ごとタスクを任せるようになり、主体的な関わりが希薄になっているようにも思います。
まさにその点が懸念で、これだけAIが寄り添ってサポートしてくれるとなれば、多くの人はAI依存の方向へ進んでいくのではないかと思っています。仕事も、本人の意欲やスキルにかかわらず、誰もが一定水準の業務をこなせるようになるでしょう。そうなると、経営などの方針を決めるごく少数のリーダーと、AIで優秀になった社員がいれば、企業も安定して運営できるようになる。しかも、多くの人々は自分で考え、判断する負担から解放されて、生活も安定するのなら、不幸に感じないかもしれません。
しかしそれは、人間の創造性が発揮される場が失われ、AIに人間が動かされる社会です。私はそんな社会は恐ろしいと感じますし、そういった未来にしないためにも、AIの使用者は自分であるという主体性と、それに伴う責任を忘れてはいけないのだと思っています。
──そのようなディストピア的な未来を避けるため、企業としてできることは何だと思われますか。
簡単ではありませんが、上から「動け」と命じるのではなく、現場の社員が「動きたい」と思える環境を、組織全体で作ることだと思います。かつて日本企業がイノベーティブな製品を次々と生み出していた頃は、ボトムアップで上がってきたものを経営層が精査し、世に送り出していました。これは現場に、一見無駄にも思えることを試させる余地を与えて、それを柔軟に採用する環境があったということです。
トップダウンで押し付けても、人は動きません。現場が自発的に新しいことに挑戦したいと思える組織を作り、そこで生まれた種を積極的に経営側が育てていく。そういった姿勢が重要ではないでしょうか。
4.AIが身近になる時代こそ、学びに「悩む時間」と「身体性」を
─新たな発想ができる人材は、幼少期から育む必要がある
──新しいことに挑戦できる環境づくりのために、社員一人ひとりの心構えや、人材育成という観点から何かお考えはありますか。
今はまだ、AIのない環境で育った世代が社会の中心にいます。つまりAIに頼らずに自分の頭で考える経験を積んできた人たちなので、心構えや関わり方を意識すれば、AIを主体的に使いこなせる可能性があります。私が心配しているのは、幼少期からAIを当たり前のように使ってきた子どもたちが社会に出た時にどうなるのか、ということです。この世代への教育次第では、「AIに依存し、AIに動かされる社会」へ進んでしまう可能性もあり得ます。
色々なことに興味を持つ好奇心や、異なる情報を統合する力、コミュニケーション力や社会性――こうしたものは知識ではないので、会社に入ってから身につけるものではないと思います。そのため、脳が大きく発達する幼少期の教育が非常に重要です。
そして幼少期に大きな影響を与えるのは、一番身近な大人である親です。ということは、たくさんの従業員を雇っている企業にとっても他人事ではありません。社員の子どもたちに対する支援は、将来の人材と社会を作る長期的な企業活動であるという認識を持つべきです。
─AI時代に必要な「悩む時間」と「身体性」
──AI時代、子どもたちが好奇心や自分の頭で考える力を失わないためには、どのような教育が必要になるのでしょうか。
一番簡単なのはAIを使わせないことですが、これほどまでにAIが浸透している中で、絶対に使わせないというのは無理でしょう。そうすると理想は、すぐにAIに答えを聞かないように「子ども一人ではAIを使わせない」ということに尽きると思います。
脳が動くのは、答えが分からないものに出会って、不安やストレスを感じた時です。ところが今は、分からないことがあったら、すぐAIに聞いてしまう。不安が即座に解消されるので、我慢もしなくなるし、頭も使わなくなります。だからこそ、いかに楽をさせずに自分で考える時間を残していくかが、教育の上では重要になると思います。
──少し前は、何でもすぐインターネットで調べずに、辞書を引けと言われました。今はそれがAIになり、幅広い疑問が一瞬で解消されるようになっているので、より「悩む時間」の重要性を感じます。
まさにそうですね。しかも辞書を引くという行為には、ページをめくって目的の言葉を探すという身体的な動作も伴っています。この「身体性」も、学びにおいては非常に重要な要素なのではないかと思っています。
2030年には、日本でもデジタル教科書が正式に導入される予定です。ヨーロッパ諸国では既に何年も前からデジタル教科書が採用されているのですが、学力低下や識字力への懸念が表面化し、紙に戻す動きもあるようです。日本でもすべてをデジタル化するわけではなく、紙とデジタル双方の利点を考えながら、どの教材をデジタル化すべきかを議論していると聞いています。
では、なぜ紙が学びに影響するのか。これは、私たち人間の情報の受け取り方に関係しています。人間は少ないエネルギーで動けるよう、目だけでなく五感から情報を得て学習することで生き残ってきました。AIはデジタル情報からしか学習できないため大量の電力を消費しますが、人間は五感をフル活用して効率的に学習するのです。
これは勉強でも同じです。タブレットやパソコンだけで学習する場合、得られるのは視覚と聴覚のデジタル情報に限られます。ところが紙の教科書やノートであれば、指先に伝わる紙の質感や厚み、におい、書き込む時の感触まで、複数の感覚を同時に認識します。そうした身体感覚と結びつくことで、学習内容がより定着しやすくなる。だから脳を鍛えるには、物理的な身体性が欠かせないのだと思います。
─人間らしいペースで、AIと共に成長していく未来へ
──これだけAIやデジタル技術が発展した時代でも、最後に人に残るのは身体性であるという指摘は非常に興味深く感じました。
私たちホモ・サピエンスが地球上に登場して10万年以上経ちますが、身体も脳も、その頃から大きく変化していません。つまり、脳が情報を処理するスピードには限界があるということです。物事を理解するにも、人間同士が信頼し合うにも一定の時間がかかりますし、AI時代だからといって早められるものではありません。だからこそ人間には「間合い」というものがあり、それを共有しながら共生してきました。今後AIと共に生きていくのであれば、この人間のペースを守っていく必要があるのだと思います。
──今後AIの進化する流れが止まらないことを考えると、人間側の認識や時間の使い方、AIとの付き合い方を変えていかなければいけませんね。
おっしゃる通り、AI技術はこれからも進化し続け、社会に影響を与えていくでしょう。特に今後十数年以内には、SFの世界で夢見た「自我を持つ、友達のようなロボット」が登場するのではないかと見ています。
今のAIは人間の言う通りに動きますが、自我を持つAIは必ずしも言いなりにはならないかもしれません。例えば、その自我を設計する段階で「人間が自主的に、生き生きと活躍できるようサポートしなさい」と指示しておけば、勉強や仕事を丸投げしても「人の自主性を育むために断る」という判断をするわけです。そうなれば人間は怠惰ではいられなくなり、自分の頭で考える時代に戻ってくる可能性もあります。
人間も生き物である以上、「前に進みたい」という欲求が遺伝子に組み込まれているはずなのです。だからこそ、人を楽にさせるだけではなく、人の自律性や成長を支えるようなAIが生まれてくれば、世界はより良くなるかもしれない。そんな未来を期待したいと思います。
企画・制作・編集:
NEC ブランドエクイティマネジメント室(鈴木章太郎、若山拓巳)、コーポレートブランド&エクスペリエンス統括部(浅井恵美、権田麻実)
この記事のポイント
01|AIへの「最初の指示」が、人の主体性を左右する
現在のAIはどれだけ人間に近いふるまいをしても、内発的な動機に基づいて動く性質は持たない。そのため最初の指示を出せるのは人間だけである。AIに相談する場合でも全てをゆだねるのではなく、自分のアイデアを先に示して意見を聞くという方法を取れば、主導権が自分に残る。AIを使いながらも「自分はまだ必要なのだ」と感じられる安心感が、幸福感にも影響していると考えられる。
02|AIにはできない新たな発見をするために、人は「無駄」を贅沢に享受する必要がある
LLMは過去のデータを参照して最も確率の高い答えを返すため、出力結果は平均値になってしまう。栗原氏は、新しい発見とは好奇心を持って試し、失敗もする中で偶然出会うものであるとし、それは人にしか担えない役割だと述べる。だからこそ効率化で生まれた時間を使って、いかに「無駄」を贅沢に享受できるかが、人間の新しい価値創出の鍵になる。
03|失敗を許容し、人が「動きたい」と思える組織を作る重要性
栗原氏は、日本は海外の成功事例を取り入れて成長してきた側面が強く、それが自ら新しい種を作る経験の乏しさにつながっていると指摘する。そして一度の失敗で取り組み自体を止めてしまう傾向もまだ根強い。AIの失敗も個人ではなく組織・社会全体で引き受け、改良を重ねるという土壌が必要である。そこでまずは大企業から、失敗を恐れず新たな挑戦ができる風土を作っていくことで、次第に社会全体の認識が変わっていくのではないか、と提案した。
04|新しい発想ができる人材は、「悩む時間」と「身体性による学び」が育む
次世代を担う、新しい発想ができる人材を育てるには、脳が発達する幼少期からの教育が重要になる。その上で栗原氏は、今後AIが当たり前の時代に生きる子どもに対し、すぐに答えを聞かずに「悩む時間」を残すこと、紙の教科書のように五感を使った「身体的な学び」を確保することが重要になると語った。