「やりたかったこと」を、なかったことにしない
──AIによる効率化の先にある幸福
AIが日々進化し、仕事の中でも当たり前のように使われるようになった今、働く人の意識や幸福感にどのような影響を与えているのでしょうか。その実態を明らかにするため、NECでは企業・団体で働く人を対象とした法人調査を実施しました。従業員数50名以上・年間売上高10億円以上の企業・団体に所属する、22歳から59歳の男女513名を対象に、業務におけるAIの活用状況や、組織としての導入・ルール整備の実態、AI活用による幸福感の変化、AI時代の働きかたなどについてアンケートを行い、「働く人のAIとウェルビーイングに関する意識調査」として2026年10月20日に公開しました。
本連載ではその調査結果を踏まえて、AIと共に生きるこれからの社会で、人がより自分らしく豊かに働いていくためのヒントを、5人の有識者へのインタビューを通じて探ります。
今回の法人調査では、業務でAIを活用して成果や効率に満足していても、それが必ずしも働く幸福感や充実感に結びついていないことが見えてきました。起業家として事業を営み、同時に会社員としても組織の内側も経験しながら、生成AIの企業導入に携わってきたハヤカワ五味さんは、この隔たりをどう捉えるのでしょうか。AIを「効率化の道具」で終わらせず、個人や組織が諦めていたことを実現する力へ変えるために必要な視点を聞きました。
■調査概要
対象地域:日本全国
調査時期:2026年7月
対象・調査方法:513名(22歳~59歳の男女、所属する企業・団体の従業員数が50名以上かつ年間売上高が10億円以上)にインターネットによる調査を実施
調査主体:日本電気株式会社
■調査結果:働く人のAIとウェルビーイングに関する意識調査 AI & Well-being at Work Survey 2026
SPEAKER 話し手

ハヤカワ 五味 氏
株式会社なかよし 代表取締役
株式会社なかよしを運営する一方、株式会社メルカリで会社員として生成AIの社内推進にも携わる。1995年東京都生まれ。多摩美術大学在学中にランジェリーブランドを立ち上げ、アパレルD2Cやヘルスケア、物販領域で約10年間にわたり事業を展開。複数の事業譲渡やM&Aを経験し、ユーグレナグループへの参画を経て、2024年7月に株式会社メルカリへ入社。現在は、起業家、会社員、インフルエンサーという異なる立場で培った視点を生かし、技術開発そのものではなく、生成AIを企業や組織へ導入し、働く人や生活者の価値へつなげる活動に取り組んでいる。
1.仕事が速くなっても、なぜ幸福感を感じにくいのか
─短期的なメリットがなくても、AIに触れておく必要がある
──今回の調査では、AIによる「業務の効率や成果」への満足が66.9%である一方、「働く幸福感・充実感」を感じる人は49.7%でした(図1参照)。この隔たりを、どのように受け止めていますか。
AI活用というと、まず効率化の話が出てきます。ただ、経営者や企業にとって合理的なことが、そのまま一人ひとりの会社員にとっても合理的であるとは限りません。私がSNSなどの議論を見ていると、AIによって仕事がむしろ増えている、会社員一人ひとりの立場から見れば使うメリットがないのではないか、という声もあります。仕事量が増えても給与が増えないのであれば、AIを使っていることを言わない方がよい、あるいは使わない方がよいと考える人が出てくるわけです。
企業や資本家の立場から見れば、生産性の向上には明確な価値があります。一方、働く個人にとっては、同じ時間でより多くの仕事を求められるだけかもしれません。そう考えると、短期的にはAIを使わないことにも、一定の合理性があると思います。
ハヤカワ 五味 氏
──AIは短期的には「割に合わない」としても、中長期的に見ると使わざるを得ない技術になるのでしょうか。
私は、AIはインターネットやスマートフォン、PCと同じくらい、当たり前に普及する技術だと考えています。インターネットを使ったからといって給与が増えるわけではありません。スマートフォンを使っているだけで評価されることもないでしょう。しかし、仕事でそれらをまったく使えなければ、できる仕事が限られたり、評価が下がったりする可能性があります。
AIも同じように、「使うことでメリットを得る」というより、「使えないことで不利益を被る」技術になるのではないでしょうか。短期的なメリットだけを見れば、使わないことにも合理性はあります。しかし、中長期的なキャリアを考えると、使えないことで生じる不利益の方が大きくなる可能性があります。だからこそ、早い段階から触れておいた方がよいと思っています。
─効率化の成果が、誰に還元されるかが問われている
──短期的には使うメリットを感じにくい一方、中長期的には使えないことが不利益になり得る。こうした従業員のジレンマに対して、企業はどのような視点を持つべきでしょうか。
企業やマネジメント層には、AIによって生まれた成果を誰に、どのような形で還元するのかまで考えることが求められます。例えば、AIで仕事を早く終えられるようになっても、その分だけ次の仕事が追加される。会社の利益は増えても、働く人の給与や自由な時間、成長機会には還元されない。その状態では、従業員が「AIのおかげで自分の生活がよくなった」と感じることは難しいですよね。
企業が「AIを使いましょう」と呼びかけるとき、そのメリットは経営視点に偏りやすいと思います。コストが下がる、処理量が増える、同じ人数でより多くの成果を出せる。もちろん、それ自体は企業にとって重要です。
一方、現場には、新しい技術を学び、使い方を試し、働き方を変える負担がかかります。企業は利用を求めるだけでなく、そこで生まれた成果を働く人、もしくは顧客への提供価値などへどう返すのかを示す必要があります。
「何時間短縮できたか」だけではなく、成果が、給与や自由な時間、成長機会として社員に返っているのか。サービスの向上として顧客に返っているのか。そこまで見る必要があります。還元先まで考えることが、AI活用を経営側だけでなく、働く人にとっても意味のあるものにするために必要です。
2.組織の仕組みを変えないと、安心してAIを使えない
─変化そのものが、活用の負担になる
──同じ組織の中でも、AIを積極的に使う人と使わない人がいます。こうした違いは、どこから生まれるのでしょうか。
合理的な説明だけで動ける人は、すでにかなり使っていると思います。生成AIは急速に進化し、以前より業務にも適用しやすくなりました。私が企業でAI活用の推進に携わり始めた頃は、ハルシネーションも多く、性能面への不安から使わないという判断にも一定の合理性がありました。しかし、現在は、業務でも十分に活用できる水準になっていると考えます。それでも全員が使うわけではないのは、技術の性能や合理性だけでは説明できない負担があるからです。
私は、変化そのものが人にとってストレスになると考えています。例えば、結婚や引っ越しのような前向きな出来事であっても、生活が変わることにはストレスが伴います。生成AIを前提とした働き方への移行も同じです。しかも、生成AIの進化は非常に速く、新しいモデルや機能が次々に登場します。その変化に対応し続けるだけでも、大きな負担になります。便利だから使うべきだ、合理的だから導入すべきだと説明するだけでは、そのストレスを乗り越えられない人がいるのは自然なことだと思います。
──合理性の説明だけでは動きにくい人が、AIを使い始めるには、どのような入口が必要でしょうか。
効率や生産性だけではなく、生活に近い入口が必要だと思います。自分の生活がどう楽しく、便利に変わるのかを実感できることです。
私の場合は、ゲームを作る、ものづくりをするといった趣味的な使い方から入りました。まず日常の中で使い、自分が楽しいと思える体験を持つ。その後で、業務にどう適用できるかを考えるという順番です。
いきなり「生産性を上げてください」「業務を効率化してください」と言われると、多くの人には、仕事を新たに追加されたように受け取ってしまいます。まずは生活の中で、AIの利点を実感できる小さな体験を持つ。その実感があれば、「仕事でも使えるかもしれない」と考えやすくなります。
─AI活用の定着には、「成果が自分にも還元される」という信頼が必要
──個人が始めたAI活用を、企業全体へ定着させるには、何を変える必要がありますか。
企業全体への定着を考えるなら、組織の仕組みを変える必要があります。組織の仕組みが変わって初めて、一人ひとりの行動も変わっていきます。
私はもともと自分で会社を経営し、現在は会社員としても働いています。両方の立場を経験して分かったのは、会社員は、組織の仕組みに沿って合理的に行動しているということです。
どのような行動が評価されるのか。何に時間を使うべきなのか。どこまで挑戦してよいのか。そうした振る舞いは、個人の意識だけでなく、評価制度や上司からのメッセージ、周囲の行動によって規定されています。
個人がAIに親しむきっかけは、生活の中の小さな体験からつくれます。しかし、企業が従来と同じ仕事の進め方や評価を続けたまま、社員に意識改革だけを求めても、働き方は、やがて従来の状態へ戻ってしまいます。
使い始める入口は個人の体験の中につくることができます。一方、それを継続的な行動として定着させるには、AIの活用を前提に、仕事の進め方や評価の仕組みを組織側が変える必要があります。
──組織の仕組みを変えるうえで、企業と社員の間には、どのような関係が必要でしょうか。
まず必要なのは、AIを使って生み出した成果が、自分にもきちんと返ってくると社員が信じられることです。経営視点では、生成AIの活用は合理的です。しかし、会社員の視点では、自分の仕事を、自らなくす行為にも見えます。仮に、自分の仕事を10分の1の時間でできるようになっても、その結果として給与を減らされる、雇用を失う、空いた時間に仕事を追加されるだけだと感じるなら、安心して使うことはできません。
企業がAIの利用を求めるのであれば、そこで生まれた成果を誰にどう返すのかまで考える必要があります。その方針を制度に反映し、社員へ明確に伝えることが、活用を定着させる土台になります。
AIで生まれた余力を何に使い、短時間で出した成果をどう評価するのか。企業は、その方針を明確に示す必要があります。
「使え」と求める前に、「使った成果が自分にも還元される」と信じられる状態をつくる。その信頼があって初めて、AI活用を働く人のウェルビーイングにつなげられるのだと思います。
─AI活用を前提とした仕組みと評価者の姿勢
──社員が安心してAIを使い、その成果が正当に扱われる状態を、組織はどのようにつくればよいのでしょうか。
これまで以上に、働いた時間ではなく、成果に対して報いる仕組みが必要です。AIを使えば、同じ成果を出すために必要な時間は人によって大きく変わります。長く働いた人や、多くの作業をこなした人を評価する仕組みのままでは、効率化するインセンティブが生まれません。短時間で成果を出しても正当に評価されなければ、AIを活用する意味は生まれません。
組織側は、AIを使ったかどうかや、どれだけ長く作業したかではなく、どのような成果を生み出したのかを見る必要があります。そのためには、そもそも何を成果とするのかを明確にしなければなりません。AIによって作業時間を短縮できても、仕事の目的や評価する成果が曖昧なままでは、その効率化が本当に価値を生んだのか判断できないからです。KPIは何か。どこが成果を生むドライバーで、どこが妨げになっているのか。何を行い、何をやめるべきなのか。こうした仕事の目的や優先順位を設計することは、本来、マネジメントが担う役割です。
─評価する側が変わらなければ、現場の活用は定着しない
──成果を正当に評価する仕組みを、現場で機能させるためには、管理職や評価者に何が求められるのでしょうか。
まず、評価する側や仕事を設計する側が、自らAIを使う必要があります。
評価者がAIを使っていなければ、評価される側にとって、AIを活用する意味は生まれにくいからです。上司が従来の作業量や仕事の進め方だけを見ている組織では、部下が短時間で成果を出しても、その価値を正しく評価できない可能性があります。
管理職がAIを使うことは、現在の仕事の目的や進め方、評価基準を見直す機会にもなります。AIエージェントへ仕事を振り、結果を評価するには、管理職自身が仕事の目的と成果を明確にできなければなりません。
企業全体への浸透を考えるのであれば、現場の社員に利用を求めるだけでは不十分です。まず、仕事を振り、成果を評価する立場の人がAIを使い、その特性を理解する。そのうえで、AIを前提に仕事の進め方や評価のあり方を見直す必要があります。
評価する側が変わらなければ、現場がAIを使っても、その成果は正当に扱われにくい。管理職や評価者が先にAIを使い、仕事の設計と評価のあり方を変えることが、組織全体への定着につながると思います。
3.AIで生まれた余白を、「やりたかったこと」へ
─効率化で生まれた余力を、新しい価値へ変える
──ここまで、AIによって生まれた成果を働く人へ還元し、安心して活用できる仕組みを整える必要性について伺いました。では、その環境が整った先で、AIによって生まれた時間や余力を、働く人の意欲ややりがいにつなげるには何が必要でしょうか。
重要なのは、AIによる効率化を、限られた仕事や利益の奪い合いで終わらせないことだと思います。生産性が上がっても、最終的な利益や働く人の取り分が変わらなければ、限られた取り分を奪い合う構図になります。仕事の総量が減り、必要とされる人数が少なくなれば、自分が余るかもしれないという不安も生まれます。そうなれば、AIを積極的に使おうという意欲は持ちにくくなり、職場の空気も悪くなりやすいでしょう。
反対に、そこで生まれた余力を使い、顧客に提供できる価値や、働く人が得られるものを増やせれば、やりがいは失われにくいと思います。多くの企業には、顧客に提供したいと考えながらも、費用や時間の制約から実現できなかったことがあるはずです。削減できたコストや時間を、今ある仕事を減らすためだけでなく、これまで提供できなかったものの実現に使うことができます。
大切なのは、「今ある仕事をどれだけ減らすか」ではなく、「効率化した先で、顧客や働く人に何を増やすか」と考えることです。
働く人が以前からやりたかった仕事に取り組み、顧客に喜ばれ、社会の役に立っていると実感できる。効率化によって生まれた余力をこうした実感へ変えることが、AI活用を意欲ややりがいにつなげるのだと思います。
──効率化で生まれた時間を、新しい価値へつなげるには何が必要でしょうか。
個人に意欲があっても、企業側に仕組みや受け皿がなければ、空いた時間は従来の仕事や新たな作業で埋められてしまいます。生まれた時間を、挑戦や学び、これまで顧客に提供できなかったものへ振り向けられる環境が必要です。
調査でも、効率化で生まれた時間をすでに新しい価値の創出に活かせている層と、活かしたくても仕組みや受け皿がない層では、AIを活用した働き方への幸福感・充実感に差が見られました。もちろん、これは相関を示す結果であり、新しい価値への転換が幸福感を直接高めたと断定することはできません。ただ、生まれた時間を価値創出へ振り向けられる環境が、AIと働く実感を左右する可能性はあると思います。
ここまでは、AIで生まれた余力を、企業が顧客への新しい価値へ変える話をしてきました。ただ、その余力は、働く一人ひとりが以前からやりたかったことへ踏み出すためにも使えます。
─AIが、「なかったこと」にしていた思いを行動に変える
──企業が提供する価値だけでなく、個人にとっても、AIは「やりたかったこと」を行動に移す助けになるのでしょうか。
私自身の例で言うと、ロボットやゲームなど、以前からやりたかったことがいろいろありました。ただ、時間や費用がかかりすぎるため、現実的には取り組めなかったんです。
やりたい気持ちはあっても、どう始めればよいか分からない。必要な知識を一から調べるだけでも時間がかかりますし、詳しい人に相談したり、必要なものをそろえたりするにも費用がかかります。そうすると、やってみたいという思いを具体的な行動に移せないまま、自分の中に「もやっとしたもの」として残ります。
しかも、実現できないことを考え続けるのはつらいので、やがて忘れたり、自分には関係がないものとして「なかったこと」にしたりします。
しかしAIは、漠然と抱いていた「やってみたい」という思いを、具体的な行動へ移すまでのハードルを下げてくれます。例えば、作りたいロボットがあるなら、何と何をつなげればよいのか、最初に何を学べばよいのか、どのような工程で進めればよいのかを相談できます。ゲーム制作でも、これまで専門家に相談しなければ分からなかったことを、AIへ自然な言葉で尋ねられます。
重要なのは、完成品のすべてをAIにつくらせることではありません。自分がやりたいことや、つくりたいものをAIとの対話を通じて具体化し、最初に何をすればよいのかを知ることです。それによって、実際の行動へ一歩を踏み出しやすくなります。
AIによって行動へのハードルを下げられるのは、専門的なものづくりだけではありません。料理が好きな人なら、珍しい海外料理を、日本で手に入る材料でどう再現するかを相談できます。私自身も、社交ダンスをよりよくするためにAIへ相談しています。AI活用というと、仕事を何時間短縮したかという話が中心になりがちです。しかし大切なのは、そこで生まれた余白を使い、やりたかったことを実際に始められるようになることです。
以前は時間や費用、知識の壁によって諦め、いつしか自分の中で「なかったこと」にしていたやりたいことを、もう一度思い出して行動に移す。AIには、その最初の一歩を踏み出しやすくする価値があると思います。
4.人とAIの役割は、実現したい未来から逆算する
──人とAIの境界は動く。人は一次情報を捉える
──AIに任せる仕事と、人が担う仕事の線引きは、どのように考えればよいのでしょうか。
以前は、これは自分が担い、これはAIに任せるという線引きを考えていました。しかし現在は、自分に専門性がある領域でも、AIの方がよいと感じる場面が増えています。
例えば、取材記事の原稿確認を依頼されたとき、自分では問題がないと思った文章をAIにも読ませたことがあります。すると、「この表現は自信過剰に見えるため、少し弱めた方がよい」「この言い切りは危険なので変えた方がよい」と、私より厳しく指摘しました。
少し前までは、人に依頼した方がよいと思っていた仕事を、試しにAIへ任せるという感覚でした。しかし今は、自分自身に専門性のある領域でも、AIの方が高い精度で対応できる場面があります。
技術の進歩とともに、人が担う仕事とAIに任せる仕事の境界は変わっていくため、両者の役割を固定的に分けることはできません。一度決めて終わりにするのではなく、AIの進化や実際の成果を見ながら、継続的に見直す必要があります。
──人とAIの境界が変わり続ける中で、現時点では、人の方が力を発揮しやすいのはどのような領域でしょうか。
強いて挙げるなら、五感やセンサーを通じて得られる情報を使った判断だと考えています。
対面で話しているときには、言葉の内容だけでなく、間合いや表情、声のトーン、会話の速度など、さまざまな情報を受け取っています。話の内容に問題がなくても、伝えるタイミングが違う、相手と会話のテンポが合っていない、と気づくこともあります。
また、コミュニティの中で交わされる会話から、次に何が関心を集めそうかを感じ取ることもあります。会話の間合いや表情、声のトーン、コミュニティ内の小さな変化といった情報は、まだ文章や数値として整理されておらず、広く参照できるデータになっていない場合があります。
生成AIも多くの情報を分析できますが、まだデータになっていない現場の感覚や、特定のコミュニティにだけ存在する一次情報は、現時点では人間の方が効率よく捉えられる場合があります。
私は、五感や経験、コミュニティから得られる一次情報を使って、状況を判断するセンスを磨くことに重きを置いています。最近では、そうした判断が自分の仕事の一つだと捉えています。
ただし、「人間にしかできない能力」を探し、その領域を守ること自体が目的ではありません。大切なのは、人が五感や経験、コミュニティを通じて得た情報や判断を使い、何を実現したいのかです。
─実現したい未来から、人とAIの役割を選ぶ
──人とAIの役割を決める前に、まず何を明確にする必要があるのでしょうか。
まず明確にする必要があるのは、自分や組織がどこへ向かいたいのかというゴールです。AIが得意なのは、現在地点とゴールが見えているときに、現在地からゴールへ向かうベクトルをつくることです。どちらの方向へ、どれくらいの力で進めばよいのか。その道筋を組み立てることができます。
私は、人間が常に主で、AIが従であるべきだとは考えていません。条件が整っていれば、AIに判断を主導させた方がよい場面もあるでしょう。AIの方が、人間より安定して判断できる場合があるからです。
ただ、多くの企業や個人は、AIに判断を委ねられる状態になっていません。現在の状況や目指すゴールが十分に言語化されておらず、組織内の情報も属人的で、AIが参照できるデータとして整理されていないためです。
ゴールが曖昧であれば、AIが出した案を評価する基準がありません。現在地点を正しく伝えられなければ、提案が現実に合わない方向へ進む可能性もあります。だからこそ、人間には、現在の状況と目指すゴールを、AIが扱える言葉やデータとして示す役割があります。
組織であれば、今どのような課題があり、顧客が何を求め、どのような状態を実現したいのかを明確にする。個人であれば、自分が何を大切にし、どのような生活を送りたいのかを考える。そうした前提が整えば、AIに判断を任せられる範囲も広がっていきます。
AIにどの業務を渡すかを先に考えるのではなく、顧客にどのような価値を提供し、どのような組織や生活を実現したいのかを定める。その現在地点とゴールから逆算して、人とAIの役割を考える順番が必要です。
──AIに任せることで、人の能力が低下するのではないかという懸念を、どう捉えていますか。
もちろん、スキルを高めることは大切です。ただ、すべての能力を以前と同じように維持しなければならないのかは、考える必要があります。
例えば、以前は、漢字を手で書いて覚えることが重視されていました。今はPCやスマートフォンで変換することが増え、手書きする能力は以前より落ちているかもしれません。しかし、それによって生活全体が悪くなったとは限りません。
重要なのは、一つの能力が低下したかどうかだけではなく、自分が実現したい生活を送れているか、生まれた時間や余力を別のことに使えているかです。
AIに記憶や情報整理の一部を任せれば、それらの能力を使う機会は減るかもしれません。一方で、空いた時間を使って、別の能力を伸ばすこともできます。
私の場合は、AIで時間ができた分、社交ダンスを始めました。それまではあまり運動していませんでしたが、運動する機会が増え、身体能力は以前より伸びていると思います。AIに一部の能力を任せたからといって、すべての能力が一律に低下するわけではありません。
だからこそ、自分にとってどの能力が重要なのか、何を大切にしたいのか、反対にどの能力はAIに任せてもよいのかを選ぶ必要があります。
能力を以前と同じ状態で守ること自体を目的にするのではなく、実現したい生活や未来を先に考える。そのゴールに照らして、自分が伸ばす能力とAIに任せる能力を選ぶことが大切です。
─組織のビジョンを、一人ひとりの文脈につなぐ
──組織として定めたAI活用のゴールを、一人ひとりの行動につなげるには、何が必要でしょうか。
なぜAIを使うのか、それによってどのような未来を実現したいのかを、一人ひとりの仕事や生活にとってどのような意味があるのかという形に置き換えて示すことが必要です。AIツールの性能や会社全体の生産性を説明するだけでは、それが自分の仕事にどのような意味を持つのかまでは伝わりません。
私は、AIの技術そのものを専門としてきたわけではありません。それでも生成AIの社内推進に関われたのは、個人や組織がAIを使う目的と、その先に実現したい未来を言葉にし、会社のビジョンを一人ひとりの仕事や生活へつなぐ役割を担ってきたからだと考えています。AIを使う目的が明確であれば、「流行しているから使う」「社長から言われたから使う」という導入ではなくなります。社員自身が、自分の仕事で何を実現し、そのためにAIをどう使うのかを考えられるようになります。
AI活用は利用頻度ではなく、それによって何を実現できたかで見ることが大切です。組織のゴールと一人ひとりが実現したいことがつながったとき、AI活用は、会社から求められるだけの取り組みではなく、自分の仕事や生活をよりよくするための手段になるのだと思います。
─まずは、自分の生活がよくなる使い方から始める
──まだAIを積極的に使えていない人は、どこから始めればよいのでしょうか。
最初から仕事を効率化しようとしなくてもよいと思います。
献立を考える、旅行の予定を整理する、趣味について相談する。まずは生活に近いところで使い、「便利だった」「少し余裕ができた」と感じられることが大切です。
AIを使うこと自体が目的ではありません。そこで生まれた時間や余力を使って、本当にやりたかったことに取り組んでほしいと思います。
時間や費用がかかるために諦め、いつしか「なかったこと」にしていたことが、自分の中に残っていないでしょうか。
AIで何を速くするかではなく、生まれた時間と力を何に使うのか。自分が「AIはいいかもしれない」と思える使い方を見つけること。それが、AIと働く未来を幸福へ近づける第一歩になるのだと思います。
企画・制作・編集:
NEC ブランドエクイティマネジメント室(鈴木章太郎、若山拓巳)、コーポレートブランド&エクスペリエンス統括部(浅井恵美、権田麻実)
記事ポイント
01|AI活用を幸福感につなげるには、効率化の成果を働く人へ還元する必要がある
AIで仕事が速くなっても、仕事量が増えるだけで給与や自由な時間、成長機会に反映されなければ、働く人は生活がよくなったと感じにくいとハヤカワ五味氏は指摘します。企業には、効率化の成果を社員や顧客へどのような形で還元するのかまで示すことが求められます。
02|生成AIを組織に定着させるには、仕事の進め方と評価制度をAI前提に変える必要がある
社員が安心して生成AIを使うには、短時間で生み出した成果が正当に評価され、その成果が自分にも返ってくると信じられる仕組みが必要です。管理職や評価者が先にAIを使って特性を理解し、働いた時間や作業量ではなく、仕事の目的と成果に基づく評価へ変えることが組織への定着につながります。
03|AIで生まれた余白を「やりたかったこと」に使うことで、新しい価値とやりがいが生まれる
AIによる効率化を働く人のやりがいや幸福感につなげるには、生まれた時間や余力を、挑戦や学び、これまで提供できなかった顧客価値へ振り向けられる受け皿が必要です。AIは、時間や費用、知識の壁によって「なかったこと」にしていたやりたいことを具体化し、実際の行動へ踏み出すハードルを下げるものだとハヤカワ五味氏は述べています。
04|人とAIの役割は、実現したい未来と現在地点から逆算して決める
人とAIの境界は技術の進歩によって変わるため、固定的な役割分担を決めるのではなく、実現したい未来と現在地点を明確にすることが先決です。顧客に提供したい価値や目指す組織・生活を言語化したうえで、自分が伸ばす能力とAIに任せる能力を選ぶことが重要です。